永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(354)

2009年04月12日 | Weblog
09.4/12   354回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(25)

 帝は、「その、今後と言われるのは何の甲斐もありませんよ……」と、大そうお恨みになるご様子が芯から本気に思われました。玉鬘は、

「いとうたてもあるかなと覚えて、をかしき様をも見え奉らじ、むつかしき世の癖なりけりと思ふに、まめだちて侍ひ給へば」
――これは困ったことと感じましたので、これからは打ち解けた様子などお見せしてはならない、やはり帝もすぐに面倒な恋心を持たれるお癖なのだと、身仕舞を正して真面目に控えておりますと――

帝も、

「え思す様なる乱れごともうち出でさせ給はで、やうやうこそは目馴れめと思しけり」
――帝もご冗談に紛らわしてもおっしゃれず、まあそのうち私に慣れて来てくれるだろうとお思いになったようでございます――

 髭黒の大将は、帝が玉鬘の局にお渡りになったと聞いて、一層心配ではやく退出を勧めねばと、やきもきなさっておりますし、玉鬘も、

「似げなきことも出で来ぬべき身なりけりと、心憂きに、えのどめ給はず、罷でさせ給ふべきさま、つきづきしきことつけども作り出でて」
――このまま居ては、自分に不似合いな事も生ずるに違いないと心配なので、猶予もできず、ご退出にもっともな口実を設けて――

 父内大臣も、間でうまく取り繕われて、お暇を頂きました。帝は、

「さらば。物懲りしてまたい出たてぬ人もぞある。いとこそからけれ(……)」
――それでは退出するがよい。これに懲りて二度と参内させないと言われても困るからね。まことに辛いことだ。(誰よりも先に私が心を寄せていたのに、横取りされてしまって、こちらが気兼ねする立場になるとは――

 と、ひどく残念にお思いのようでした。

◆えのどめ給はず=え・のどめ・給わず=とても長閑にはしておられず 

◆つきづきしきことつけども=付き付きしき・事付け・ども=似つかわしい口実など

ではまた。

源氏物語を読んできて(353)

2009年04月11日 | Weblog
09.4/11   353回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(24)

 冷泉帝のご容貌は、この上なくご立派で、まったく源氏とそっくりでいらっしゃる。こんなご立派な方が他にもいらっしゃったのかと、玉鬘は拝されます。

 帝は、ごく親しげに、玉鬘の宮仕えが予期に反したご不満をおっしゃいますので、玉鬘はお顔向けもお出来になれず扇で隠してお返事も申し上げられません。帝は、

「あやしうおぼつかなきわざかな。よろこびなども、思ひ知り給はんと思ふことあるを、聞きいれ給はぬさまにのみあるは、かかる御癖なりけり」
――どうしてそう黙ってばかりいらっしゃるのですか。叙位の慶びなどでも、わたしの心持は分かっておいでと思っていましたが、素知らぬ振りをなさるのは、そのような癖の方なのですね――

 と言われて、お歌、
「『などてかくはひあひがたき紫をこころにふかく思ひそめけむ』濃くなりはつまじきにや」
――「こうもなかなか逢い難いあなたを、なぜ深く愛しはじめたのでしょう」二人はこれ以上深くはならずに終わるのでしょうか――
(紫は、三位の服色で、これを染めるには灰を合わせるので、「這い合い」に「灰合い」をかけている)

 こう、おっしゃる帝は、初々しくご立派で、源氏と異なるとことのないと心を安めて、玉鬘はお返事をなさいます。宮仕えの功労もありませんのに、今年位階をつけられた感謝のきもちでしょう。

「『いかならむ色とも知らぬむらさきを心してこそ人はそめけれ』今よりはなむ思う給へ知るべき」
――「何ゆえの加階とも知らずにおりましたが、さては帝の思し召しに寄ることでございましたか」今後はそのつもりでお仕え申しましょう――

ではまた。

源氏物語を読んできて(352)

2009年04月10日 | Weblog
09.4/10   352回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(23)

 この頃の宮中は、女御、更衣の方々は銘々綺羅をつくし競争なさっておいでで、身分の低い更衣などはお仕えになっておらず、たいそう面白く華やかな時代です。
 玉鬘は承香殿の東面をお局にいただいております。この年は、二年に一度の男踏歌が華やかに行われまして後、宮中の宿直所におられる髭黒の大将が、一日に何度も玉鬘におっしゃるのは、

「夜さり罷でさせ奉りてむ。かかるついでにと思し移るらむ御宮仕へなむ、安からぬ」
――今夜こそ退出おさせしたいものです。これを機会に宮仕えにお心が移っては、とても不安ですから――

 と、同じ事を繰り返し申しますが、玉鬘からのお返事はありません。玉鬘の侍女たちも、

「大臣の、心あわただしき程ならで、まらまれの御まゐりなれば、御心ゆかせ給ふばかり、(……)」
――源氏が、ご退出をあまり急かさぬように、たまのご参内なのですから、帝のご満足がいくまでおいでになって、(お許しがあってから退出なさい)――

 と、言われていますので、大将は、

「さばかり聞こえしものを、さも心にかなはぬ世かな」
――参内されても、早く帰って来るようにと、あれ程申し上げましたのに、思いどおりにならぬものよ――

と、嘆いていらっしゃる。

蛍兵部卿の宮は、丁度、帝の管弦の催しに伺候しておられましたが、玉鬘の御局の辺りが気に係り、落ち着かなくて堪え切れず、お文をお出しになります。侍女が、「髭黒の大将からの御文です」と、わざと隠して取り次がれましたので、玉鬘はしぶしぶご覧になりますと、

蛍兵部卿の宮からのお歌でした。

「深山木に羽うちかはしゐる鳥のまたなくねたき春にもあるかな」
――深山木に羽を交わす鳥のように睦まじげなお二人が羨ましい春ですこと――

 「睦言まで気になります」、との文に、玉鬘は、

「いとほしう面赤みて、聞こえむ方なく思ひ居給へるに、上わたらせ給ふ」
――(玉鬘は)宮を、なつかしく、お気の毒にもお思いになりますものの、お返事のしようもなく思案しておりますところへ、冷泉帝がこちらへいらっしゃいました。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(351)

2009年04月09日 | Weblog
09.4/9   351回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(22)

 髭黒の大将は、二人の君達を「今までどおり、この家に居なさい」と自邸で降ろし、悩みが一つ増えた心地ですが、一方では玉鬘のご様子の美しさは、北の方の狂おしいご様子と比較なさっても、こうなさる甲斐があり、これに慰められて、

「うち絶えておとづれもせず、はしたなかりしに、ことつけ顔なるを、宮にはいみじうめざましがり歎き給ふ」
――(大将は)その後一度も北の方へご消息されず、先日の無愛想な待遇を良い口実にしておられるらしいのを、式部卿の宮は心外のことと嘆いていらっしゃる――

 紫の上も、このことをお聞きになって、

「ここにさへうらみらるるゆゑになるが苦しきこと」
―私まで恨まれます原因になるなど、困ったことです――

と、おっしゃる。源氏は「なかなか難しいことだ。私の考え一つで、玉鬘をどうにかできるわけでもなく、髭黒のことでも、私たちが心配するほどの過ちをしたわけではないのだから」などと、紫の上を慰められます。

 尚侍の君(玉鬘)は、このような騒ぎの中で、ますますご気分の晴れる時なく過ごされていますので、大将は、

「この参り給はむとありし事も絶えきれて、さまたげ聞こえつるを、内裏にも、なめく心あるさまに聞し召し、人々も思す所あらむ。おほやけ人を頼みたる人はなくやはある」
――玉鬘が参内なさる筈であった事も中止になって、私が妨げ申したことを、帝も無礼なことと思し召し、源氏や内大臣もさぞご不審をお抱きであろう。宮中の女房を妻としている人が居ないでもないのだから――

 と、お考えになって、年明けて参内おさせになります。折しも男踏歌(隔年の正月十四日、おとことうか)のある年で、玉鬘入内の儀式を、源氏も内大臣もご一緒になって、またとなく立派になさったのでした。

◆なめく心=無礼な、失礼な

ではまた。


源氏物語を読んできて(350)

2009年04月08日 | Weblog
09.4/8   350回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(21)

 髭黒の大将が訪ねて来ましたが、もちろん、北の方はお会いになる筈もありません。式部卿の宮も北の方に、

「『何か。ただ時に移る心の、今はじめてかはり給ふにもあらず。年頃思ひうかれ給ふさま聞き渡りても、久しくなりぬるを、いづくをまた思ひ直るべき折りとか待たむ。いとどひがひがしきさまのみこそ見えはて給はめ』といさめ申し給ふ、道理なり」
――「何の、髭黒が時勢におもねる心は今更変わるわけもない。玉鬘にうつつをぬかしておられると聞いてから久しいのに、いつまで待ったからといって、浮気がなおる当てなどない。連れ添えば連れ添う程、そなたの持病を見苦しく見られるばかりの一生となるのですよ」とお諫めになって、髭黒大将にお会いになることをお止めになります。無理もないことです――

 大将は、

「いと若々しき心地もし侍るかな。思ほし棄つまじき人々も侍ればと、のどかに思ひ侍りける心のおこたりを、返す返す聞こえてもやるかたなし。」
――(突然実家に帰るなど)大人げないお仕打ちだと思います。子供たちもいることではあり、まさかお見捨てになるまいとのんびりしていました私のいたらなさを返す返すお詫びいたします――

「今はただなだらかにご覧じゆるして、罪さり所なう、世の人にもことわらせてこそ、かやうにももてない給はめ」
――こうなりました今は、ただ穏やかにお見逃ごしくださって、世間の人々がこうなったからには別れていくのも仕方がない、というところまで待ってくださってから、このような処置を取ってくださってはと思いますが――

 などと、お取次の者に対しても、申し訳に困っていらっしゃる。せめて姫君にでも会いたいとおっしゃるけれど、お顔をお見せするどころではない。髭黒のご長男は十歳で殿上童(てんじょうわらわ)を賢く立派にされて、人にも褒められていらっしゃる。次男は八歳くらいで、まだあどけなく、姫君に似ていらっしゃるので、髭黒の大将は頭をなでながら、

「あこをこそは、恋しき御形見にも見るべかめれ」
――お前を、なつかしい姫君(真木柱)の形見にして見ていようかね――

 と、泣いておられます。そして、再度、是非とも式部卿の宮にお目にかかりたいと申し上げますが、

「風おこりてためらひ侍る程にて」
――風邪を引いて養生しておりますので――

 と、素っ気なく仰せになられましたので、大将はきまり悪い思いで、男のお子二人を連れて帰って行かれました。

◆ひがひがしきさま=ひねくれている、素直でない。

◆若々しき心地=若くて世間知らず、幼稚な。

ではまた。

源氏物語を読んできて(349)

2009年04月07日 | Weblog
09.4/7   349回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(20)

 髭黒の大将のお召物は、上等の袍に、表白裏青の下襲、青鈍の綺の指貫をお着けになってのご様子はたいそう貫禄がおありです。女房たちは、何も不釣り合いなご夫婦という程でもないとお見上げしますが、玉鬘は、

「身の心づきなう思し知らるれば、見もやり給はず」
――すべてご自分の身から起こったことと情けなくお思いになりますので、見向きもなさらない――

 大将は、式部卿の宮に恨み事を申し上げようと、まずご自分の邸にお寄りになりますと、木工の君が、あの日のことを話されます。姫君(真木柱)のご様子をお聞きになって、今まで男らしく堪えていましたものの、ほろほろと涙をこぼされるご様子は、まことにお気の毒です。大将は、

「さても、世の人に似ず、あやしきことどもを見過ごすここらの年頃の志を、見知り給はずありけるかな。いと思ひのままならむ人は、今までも立ちとまるべくやある。(……)」
――それにしても、普通の人とは違って、あの物の怪の憑くあやしい有様を、長年我慢してきたのに、私の志の深さをくみ取って下さらなかったのだなあ。わがままな男なら、どうして今までも連れ添って来れたであろうか。(北の方ご自身はどちらにしても正気の人ではないので、どうなっても同じだけれども、子供たちまでをどうなさろうとするのだろうか)――

 と、嘆息なさりながら、あの真木の柱をご覧になりますと、手蹟は子供らしいものの、歌の心に胸もいっぱいになって、道々涙を拭いながら、式部卿の宮邸に参上なさる。

ではまた。

 


源氏物語を読んできて(平安時代の結婚)

2009年04月07日 | Weblog
◆平安時代の結婚

 安時代の貴族社会では、男女が恋愛関係を持つと、男が女性の許に通いつめた。そのうち共に「住まふ」(「ふ」は状態が継続していること)ようになれば夫婦関係を持ったとみてよいが、一つの区切りとして、また親などの周囲が決めた婚姻の場合には特に、儀式としての結婚行事が行われた。夫妻の身分や時代によって細かな差違はあるが、おおむね次のようなものである。

 婚約が整うと、かねて約しおいた吉日に、男が女に使いを立てて手紙(恋文)をおくる。この使いを「書ふみ(文)遣い」という。女からも返書が贈られる場合もある。その夜、男が女の家におもむくが、上流貴族では牛車に乗り、美麗な行列を仕立てたもので、見物人がでるほどであった。

 男が女の家に着くと、道中の明かりとした脂燭(松を細長く切ったもの)の火は女の家の灯籠に移され、さらに室内の灯台に移される。この火は約一ヶ月に渡って大切に守られ、消されることがなかった。また、男が脱いだ沓は大切に扱われ、女の両親の許に届けられた。男女が帳の中に入ると、衾(ふすま)(寝具)が掛けられ、共寝をする。これが新枕(にいまくら)である。

 男は新枕の夜から三日間、女のもとに通いつめる。それによって結婚が成立したことになり、三日目の夜に、新婚夫婦の寝所に「三日餅(みかのもち)」「三日夜餅(みかよのもち)」とよばれる餅が供された。二人はこれを食し、自分たちの結婚を祝った。

 共寝の翌朝には男は自宅に戻るが、女に慕情を込めてしたためた手紙(主に恋歌)を贈るのがしきたりである。これを「後朝(きぬぎぬ)の文」という。それを届ける使者を「後朝の使い」といい、上流貴族ではしかるべき身分の人間が依頼された。

 三日夜餅が供される夜、もしくは数日後に、「露顕(ところあらわし)」が催される。現代でいう「披露宴(ひろうえん)」がこれにあたり、正式に二人が夫婦になったことを周囲が公認して祝う宴会である。

源氏物語を読んできて(348)

2009年04月06日 | Weblog
 09.4/6   348回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(19)

 式部卿の宮は、

「あな聞きにくや。(……)さ思はるるわが身の不幸なるにこそはあらめ。(……)それをこの生の面目にて止みぬべきなめり」
――ああ、聞き苦しい。(誰からも欠点を言われない太政大臣のことを貶めなさるな。あのような賢明な方は、かねてからお考えの上、このような仕返しをいつか、なさりたいとお思いだったのでしょう。)そう睨まれる私が不幸というものでしょう。(あの方は、何気ない風に、あの須磨配流の折の返報として、或いは引き立て、或いは落とし、全く賢明ななされようです。)それを、私一人だけは紫の上の父と思われればこそ、先年五十の賀を世間に評判になるほどの過分なことをしてくださったのだ――

 このようにおっしゃられましても、母北の方は、

「いよいよ腹立ちて、まがまがしき事などを言ひちらし給ふ。この大北の方ぞさがな者なりける。」
――ますます立腹されて、忌まわしいことなどを言い散らされます。この母北の方は、なかなかのしたたか者なのでした。――

 髭黒の大将は、北の方が父宮の邸に移られたと聞いて、

「いとあやしう、若々しき中らひのやうに、ふすべ顔にてものし給ひけるかな。(……)」
――また妙に若い者同志のように、面当てがましいなさりかたよ。(北の方自身ではなく、御父宮が軽率にもなさったことと思い、またお子たちもいて、何分世間体がわるいので――

 尚侍の君に、

「かくあやしき事なむ侍るなる。なかなか心やすくは思ひ給へなせど、さて片隅に隠ろへてもありぬべき人の心やすさを、おだしう思ひ給へつるに、にはかにかの宮のし給ふならむ。人の聞き見る事も情けなきを、うちほのめきて参り来なむ」
――こんな面倒なことが起こりました。妻が居なくなって却って良かったとも思いますが、もともと妻は家の片隅に引っ込んでいられるような、気兼ねのない人と思っていましたのに、急に父宮がお引きとりになったのでしょう。このままでは、私がいかにも薄情者のようにも見えましょうから、ちょっと顔出しをして参ります。――

 と、おっしゃってお出掛になりました。

◆さがな者=たちの悪い人、手に負えない人 

◆ふすべ顔=燻べ顔=ねたむ、すねる

ではまた。

源氏物語を読んできて(347)

2009年04月05日 | Weblog
 09.4/5   347回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(18)

 北の方は、「まだそんなことをお言いなの」とおっしゃりながら、ご自身も歌を詠まれます。

「馴れきとは思ひいづとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ」
――馴れ親しんだ真木の柱が思い出してくれても、今さらこの家は私たちの留まるべき住家ではありません――

「御前なる人々も、さまざまに悲しく、さしも思はぬ草木のもとさへ、恋しからむことと目とどめて、鼻すすりあへり」
――お仕えしている侍女たちも、みなそれぞれに悲しくて、普段はそれ程とも思わぬ庭の草木の上さえ、恋しく思い出すことだろうと、名残惜しそうに目を留めて、鼻をすすり歎き合ったのでした――

 女房の木工の君は大将づきですので、ここに留まり、泣きながらお見送りしたのでした。

 さて、式部卿の宮は、北の方を待ち受けられて、ひどくお悲しみのご様子です。母の北の方は泣き騒いで、

「太政大臣をめでたきよすがと思ひ聞こえ給へれど、いかばかりの昔の仇敵(あたかたき)にかおはしけむとこそ思ほゆれ。女御をも、事に触れ、はしたなくももてなし給ひしかど、それは、御中のうらみ解けざりし程、思ひ知れとにこそはありけめ、と思し宣ひ、世の人も言ひなししだに、なほさやはあるべき、(……)ましてかく末に、すずろなる継子かしづきをして、おのれ古し給へるいとほしみに、実法なる人のゆるぎ所あるまじきをとて、取りよせもてかしづき給ふは、如何つらからぬ」
――(貴方は)太政大臣の源氏を、結構な身内だとお思いでしょうが、私には、どれほど前世からの仇敵でいられたのかと思われます。私どもの娘の女御(王女御)の入内にも、何かにつけて辛くばかりお当たりになりましたが、それは、須磨の頃のお恨みが解けないのを根に持たれて、思い知らせようとの意味であろうと、貴方もおっしゃり、世間もそう解していましたが、そんななさりようがあって良いものでしょうか。(北の方を大事になさる上は、その縁者の私どもまで潤うのが世の例ですのに、私は納得できず不思議なことと思っておりましたが)その上太政大臣はこのような晩年になって、出生も不確かな継娘の世話をされて、ご自分がもて弄び古した償いに、真面目で浮気しそうもない男をと、黒髭の大将を引きよせてお世話なさるとは、何と憎らしいことでしょう――

と、息もつかずに、悪口を言い続けられます。

◆思ひ知れとにこそはありけめ=思い知れということであったのでしょうと

◆言ひなししだに=言い做し時に=言い間違っていました時に

◆すずろなる継子=はっきりしない=血統のはっきりしないような娘

◆実法なる人(じほうなる人)=真面目な人、素直な人

ではまた。


源氏物語を読んできて(346)

2009年04月04日 | Weblog
 09.4/4   346回

三十一帖【真木柱(まきばしら)の巻】 その(17)

 そろそろ日も暮れかかって、雪でも降りそうな空模様に、お迎えの方々は北の方にお急かせなさいますが、北の方は涙を払いながら、思い沈んでいらっしゃいます。姫君は、

「殿いとかなしうし奉り給ふ習ひに、見奉らではいかでかあらむ、『今なむ』とも聞こえで、また逢ひ見ぬやうもこそあれ、とおもほすに、うつぶし伏して、え渡るまじと思ほしたるを」
――(姫君を)殿はたいそう可愛がっておられましたので、父君にお逢いせずにどうして別れられましょう。「では、お暇いたします」とも申し上げずに、再びお目にかかることが無いかも知れぬと思われて、うつ伏してしまわれて、とてもあちらへ移ることができまいと思っておられましたが――

北の方が、

「かく思したるなむ、いと心憂き」
――そんなにあちらへ行くのを嫌がっておいでになるなんて情けないこと――

と、なだめたり、すかしたりなさる。姫君は今にも父君が帰って来てくだされば良いのにとお待ちになっていますが、こう暮れてしまってからでは、どうしてお帰りになる筈があろうかと、姫君は、

「常に寄り居給ふ東面の柱を、人にゆづる心地し給ふもあはらえにて、姫君、檜皮色の紙のかさね、ただいささかに書きて、柱の乾われたるはざまに、笄(こうがい)の先きして、押入れ給ふ」
――いつも寄りかかっておいでになる東面(ひがしおもて)の柱を、他人に取られてしまうような心地がなさるのも悲しく、姫君は檜皮色(ひわだいろ)の色を重ねたのに、ほんの一筆書いて、それを柱のひび割れた隙間に笄(こうがい)の先で押し込まれたのでした。――

 そのお書きになった歌は、

「今はとてやどかれぬとも馴れ来つる真木の柱はわれをわするな」
――今日限りこの家を離れますが、馴れ親しんだ真木の柱よ、私を忘れないでください――

 これも十分にはお書きになることも出来ず、泣いておいでになります。

◆笄(こうがい)=(髪掻きの転)男女ともに髪をかき上げるのに使った細長い箸状の道具

◆檜皮色(ひわだいろ)の色を重ねた=紫色のやや黄ばんだ黒色の紙の重ねに。

◆絵: 真木柱(髭黒の大将と北の方の姫君)
    真木の柱に「歌」が挟まれています。 wakogennjiより

ではまた。