永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(423)

2009年06月22日 | Weblog
09.6/22   423回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(32)

 源氏は、紫の上が素知らぬ振りをされるのが却ってお辛く、紫の上をどうしてこうまで苦しめてしまうのかと、やはりこの方を、行く末大事にしたいとお思いにはなるのでしたが、しかし、昔から朧月夜との関係を知っている筈の紫の上とも思いますので、ほんのちらっと打ち明けてしまわれました。

「物越しにはつかなりつる対面なむ、残りある心地する。いかで一目あるまじくもて隠しては今一度も」
――朧月夜とは物越しにちょっと対面しただけでしたので、物足りない気がします。何とか人に邪魔されないでもう一度逢いたい――

 紫の上は、ちょっとお笑いになりながら、

「今めかしくもなりかへえる御有様かな。昔を今に改め加へ給ふ程、中空なる身の為くるしく」
――華やかに若返えられたご様子ですこと。昔の浮気を今の浮気にお加えになられては、私は中空に漂うような身の辛さですわ――

 と、さすがに後の言葉では涙ぐまれる。その紫の上の可憐なお姿に、源氏は、

「かう心安からぬ御気色こそ苦しけれ。ただおいらかにひきつみなどして教へ給へ。隔てあるべくもならはし聞こえぬを、思はずにこそなりにける御心なれ」
――そうご機嫌悪くては困りますね。それならただ大ように、つねるなどして注意してください。隔てを置くようには躾なかったのに、どうしてそんなにひねくれておしまいになったのでしょう――

 こんな風に紫の上のご機嫌をなだめていらっしゃる内に、とうとうすっかり朧月夜との密会を全部お話してしまわれたのでした。
一方、源氏は女三宮の許にも、そう度々お渡りになりません。姫宮は別に気になさる風でもありませんが、侍女たちは不安を言い合っています。女三宮が嫉妬でもお見せになるなら、お気の毒ですが、こちらはのんびりとした可愛い玩具のように、源氏は思っているのでした。

 東宮に入内された桐壷の御方(明石の姫君)は、この夏ご気分が悪く悩ましいので、ご実家に退出を願い出ておりましたが、なかなかお許しになられなかったのでした。それは御懐妊のしるしだったのです。

◆ひきつみ=つねる

ではまた。


源氏物語を読んできて(422)

2009年06月21日 | Weblog
09.6/21   422回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(31)

 夜がいよいよ更けていきます。源氏は細ごまとお話を、いかにも落ち着いた風になさりながら、隔ての襖をそっと動かされる。源氏の歌、

「年月をなかにへだてて逢坂のさもせきがたくおつるなみだか」
――長の年月の末にお逢いするというのに、こんな隔てがあっては、涙の止めようもありません――

朧月夜は、歌、

「涙のみせきとめがたき清水にて行き逢ふ道ははやく絶えにき」
――私も涙が清水のように流れるのですが、お逢いすべき道はとうに絶えました――

 と、一旦は拒まれますが、あの須磨への侘しい思いをおさせしたのは、この私ではなかったかとお考えになりますと、源氏にもう一度お逢いしても良いように思っていかれたようでした。

「もとよりづしやかなる所はおはせざりし人の、年頃はさまざまに世の中を思ひ知り、来し方を悔しく、公私のことに触れつつ、数もなく思し集めて、いといたく過し給ひにたれど、見覚えたる御対面に、その世の事も遠からぬ心地して、え心強くももてなし給はず」
――元来、慎ましく重々しい所のなかった朧月夜は、これまでに様々な世間の事を知り、あれこれと沢山の過ちを悔しく思い集めてきておりましたので、身を慎んでおりましたのに、昔に似た今夜の御対面に、あの当時がつい昨日のことのように懐かしく、気強く拒む事もお出来にならない――

「なほらうらうじく若うなつかしくて、一方ならぬ世のつつましさをも、あはれをも思ひ乱れて、歎きがちにてものし給ふ気色など、今はじめたらむよりもめづらしくあはれにて、明けゆくもいと口惜しくて、出で給はむ空もなし」
――(朧月夜は)今もなお、昔ながらに冴え冴えとして若くものやさしいご様子で、世間への遠慮と源氏への思慕と、そのどちらにもつけぬ心の闘いに思い乱れて、歎きがちにおいでになるご様子が、源氏にとっては、今はじめて逢い初めた女よりも新鮮で可憐で、夜の明けてゆくのもただただ残り惜しく、お立ち出でになる気もなさらないのでした――

 久々の逢瀬で名残尽きないお二人でしたが、次第に日が昇ってゆきますので、女房の中納言にお帰りを促されます。源氏はご自分の行動を許し難い気もしないではないのですが、人目が厳しくないことに気を許してか、ぐずぐずしながらやっとお帰りになります。

「いみじく忍び入り給へる、御寝くたれのさまを待ちうけて、女君さばかりならむと心得給へれど、おぼめかしくもてなしておはす」
――(源氏は)ひどくこっそりとお邸に忍んで帰られました。その寝乱れた御有様に、お待ちになっていた紫の上は、大方そのあたりにお出でになっていらしたのでしょうと、気づいてはいられましたものの、何とも気づかぬふりをしていらっしゃるのでした。――

◆づしやかなる所=ずっしりとしている様、慎み深くて重々しく落ち着きがある様

◆絵:朧月夜と源氏  wakogenjiより。

ではまた。

源氏物語を読んできて(化粧・お歯黒)

2009年06月21日 | Weblog
◆化粧・お歯黒

「歯黒」とは、歯を黒く染めるのに用いられる液のことで、鉄くずなどを、茶、かゆなどを加えて発酵させて作ります。主成分は酢酸第一鉄で、酸化をうけてタンニン分と結合して、黒くなります。

 歯黒めの時期は、平安時代ではおよそ、女子が十二、三歳のころで、まだ形式ばったものではありませんでした。しかし、室町時代には礼式化されます。時期は九歳、十三才、十七歳、または結納、嫁入り、妊娠の折など、そして広く既婚者の標示となります。

◆写真:鏡を鏡箱に入れる  風俗博物館

源氏物語を読んできて(421)

2009年06月20日 | Weblog
09.6/20   421回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(30)

 この日、源氏は女三宮の御殿へもお出でにならず、お文だけにして、衣装に薫く香のことに夢中で過ごされました。宵のほどになって、

「睦まじき人の限り四五人ばかり、網代車の、昔覚えて、やつれたるにて出で給ふ。和泉の守して御消息聞こえ給ふ」
――ごく近臣の者四、五人だけにして、人目につかぬように網代車でお出ましになりました。和泉の守を遣わして、朧月夜にご挨拶をおさせになります――

朧月夜は大そう驚かれて、

「あやしく、いかやうに聞こえたるにか」
――何としたことか、和泉の守はどうお返事申したのやら――

 と、ご機嫌が悪いようでしたが、和泉の守は「風情あるおもてなしをせず、このままお帰えしなどなさるのは具合がわるいでしょう」と、何とか無理に工面をして、源氏をお邸にお入れします。源氏はお見舞いの言葉などを申されてから、

「ただここもとに物越しにても。さらに昔のあるまじき心などは、残らずなりにけるを」
――ほんのこのままで、物越しにでもお声が聞きとうございます。決して昔のようなけしからぬ考えなど、持っておりませんから――

 と、しきりに源氏がおっしゃると、朧月夜は辛そうな溜息を洩らされて、いざり出ておいでになりました。源氏はお心の内に、

「さればよ、なほ気近さは、とかつ思さる。かたみにおぼろげならぬ御みじろぎなれば、あはれも少なからず。」
――ほら、やっぱり思った通りの近づきやすさは昔に変わらない。今はどちらも忍び合いなど出来る身分柄ではないのだが…――

 と、あわれにも思いは深いまります。

 こちらは東の対の辰巳(東南)の廂の間で、源氏は襖に隔てられた奥の堅く閉じてあるお部屋に向き、

「いと若やかなる心地もするかな。年月のつもりをも、紛れなく数へらるる心ならひに、かくおぼめかしきは、いみじうつらくこそ」
――ずいぶん、まあ若い者同士の気持ちがしますね。お逢い出来なかった年月も胸いっぱいでしたのに、こんなに疎々しいお扱いとは、身にしみて情けなく思われます――

 と、綿々と恨みごとをおっしゃる。

ではまた。



源氏物語を読んできて(網代車)

2009年06月20日 | Weblog
網代車(あじろぐるま)拡大

 貴族の牛車で、その箱の表面を竹(殿上人用)または檜(公卿用)の薄板で網代(あじろ)に組んで包んだことによる名称である。

 表面は彩色が施され、青地に黄で文様を配した。八葉(はちよう)の文を散らした八葉の車や、袖格子だけを白く彩色した袖白(そでしろ)の車などがある。

 網代車の御簾は青簾で、縹(はなだ)色の糸で編み、縁は藍色の皮製に遠文(とうもん)とされた。下簾は青裾濃(あおすそご)である。

◆参考と写真:風俗博物館


源氏物語を読んできて(化粧・白粉と紅)

2009年06月20日 | Weblog
化粧・白粉と紅

 白粉」とは、「御白い」の意です。白粉とは、顔や肌に塗って色白に美しく見せる化粧料の事で、粉白粉、水白粉、練り白粉、紙白粉などの種類があります。日本では、持統天皇六年に、観成が唐にならって、初めて鉛で作ったと伝えられています。古くは鉛を焼いたりモチゴメの粉末を用いたこともありますが、平安時代には水銀製のものである伊勢白粉も現れました。「白粉」はしろいもの、はふにともい
います。

 「紅」とは、
1、紅花の花弁に含まれる色素から製した鮮紅色の顔料のことで、染料や頬紅、口  紅など化粧品の原料としており、食品の着色などに用います。
2、1に白粉に混ぜ合わせたものをいいます。頬紅、ももいろおしろいともいいま  す。
3、口紅のこと。古くは猪、皿、茶碗などに塗り付けたものを、指や筆で溶いて用  いました。平安時代ではすでに、紅には口紅と頬紅があり、「口脂」「面脂」  と記しています。銀製の紅皿にいれて保存しました。
 
◆写真:打乱筥(うちみだりのはこ)化粧道具箱 風俗博物館
  
◆参考:清泉大学

源氏物語を読んできて(420)

2009年06月19日 | Weblog
09.6/19   420回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(29)

 朧月夜のお返事は、

「いでや、世の中を思ひ知るにつけても、昔よりつらき御心をここら思ひつめつる年頃のはてに、あはれに悲しき御事をさし置きて、いかなる昔話をか聞こえむ。(……)」
――さあ、私も憂き世を分かって来るにつけ、昔から源氏の辛いお仕打ちをたくさん経験してきました末に、あわれにお心の深い朱雀院のご出家を差し置いて、どんな昔話を語り合おうと仰るのでしょうか。(人は漏れ聞かぬにしても、恥ずかしいではありませんか)――

 と、うち歎きつつ、「あってはならないことです」とお答えになります。

 源氏は、なるほど出家なされた朱雀院には申し訳ないが、もともと浮名を立てた者同士、今さら清らかにしたところで、何の言い訳があろう、と、お心を決めて、

「この信田の森を道のしるべにて参うで給ふ。」
――この和泉の守を手引きにして、お出でになることになりました――

 紫の上には、

「東の院にものする常陸の君の、日頃わづらひて久しくなりにけるを、ものさわがしきまぎれにとぶらはねば、いとほしうてなむ。昼などけざやかに渡らむも便なきを、夜の間に忍びてとなむ思ひ侍る。人にもかくとも知らせじ」
――(二条院の東の院にいる)末摘花の君が、このところ患って久しくなりますが、多忙にまぎれて見舞わず、心苦しくおりました。昼間人目に立って行くのも具合が悪いので、夜の間にそっと覗いて来ようと思います。人にもそうとは知らせずにね――

 とおっしゃって、ひどくそわそわなさって念入りにお化粧しておられるのを、紫の上は、いつもは大して気にもなさらない末摘花の所へなどおかしい、もしやとお気づきになりましたが、

「姫君の御事の後は、何事も、いと過ぎぬる方のやうにはあらず、すこし隔つる心添ひて、見知らぬやうにておはす」
――女三宮ご降嫁の後は、何事にも以前のようではなく、源氏に対して打ち解けられぬ
お心が増してきていますので、気付かぬ振りをしておられます――

◆朧月夜の住まいも、二条にあり、方角が同じ。

◆写真:網代車 主に女性が使った。

ではまた。


源氏物語を読んできて(化粧・眉書き)

2009年06月19日 | Weblog
化粧・眉作り

平安時代の基本化粧は、1油綿、2眉墨、3白きもの、4紅、5歯黒め、の五つでした。「油綿」は昔、香油を浸しておき、髪につけるのに用いた綿のことです。女子は年頃になると眉毛を毛抜きで抜き、眉墨で眉をかきました。描き方が寝崩れるのを、「乱る」といい、毎朝必ず鏡を見たといいます。眉作りは、男は右、女房は左から作り始めるとされていました。

◆写真:鏡と眉作り 風俗博物館

◆参考:清泉大学

源氏物語を読んできて(419)

2009年06月18日 | Weblog
09.6/18   419回

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(28)

 朱雀院は紫の上の筆跡のたいそう見事なのをご覧になって、このように万事に優れていらっしゃる女方の中に、姫宮が幼稚な様で交わっていらっしゃる事を、ひどくご心配になられるのでした。

 朱雀院がいよいよ山籠りなさるというので、女御更衣たちは、今はとお別れになっていられますのもあわれ深いことで、ことに前尚侍の君の朧月夜も院の後を追って尼になろうかとお思いになりましたが、いかにも今の潮に乗るようでと、院がお諌めになったそうです。

 六条の大臣(源氏)は、

「あはれに飽かずのみ思して止みにし御あたりなれば、年頃も忘れ難く、いかならむ折に対面あらむ、今一度逢い見て、その世の事も聞こえまほしくのみ思し渡るを、(……)かうのどやかになり給ひて、世の中を思ひしづまり給ふらむ頃ほひの御有様、いよいよゆかしく心もとなければ、あるまじき事とは思しながら、大方の御とぶらひにことつけて、あはれなるさまに常に聞こえ給ふ」
――深く愛しながら不満なままで終ってしまった朧月夜のことを、長いこと忘れられず、何かの折には対面したいものだ、もう一度逢って、昔の思い出話などしたいものだと、ひたすら思いつづけてこられましたが、(どちらも重々しい身分に加えて、昔の気まずい騒ぎに身を慎んでいました)今は、実家に静かに一人住まいしていられるらしいのを、いよいよ見知りたくて、あるまじき事とはお思いになりながらも、ご挨拶に事よせて、意味深いお手紙をしきりにお出しになります――

 朧月夜からお返事のお文の、昔以上に円熟しきったご様子をお察しになるにつけて、源氏は、

「なほ忍び難くて、昔の中納言の君の許にも、心深きことどもを常に宣ふ」
――お逢いしたい思いが忍び難くて、昔お二人の中を取り持った中納言という女房に、しきりに切ない思いをかき口説かれるのでした――

 また、中納言の兄という、前の和泉の守を召し寄せて、若々しく昔にかえったご様子でご相談なさいます。

「人伝てならで、物越しにきこえ知らすべき事なむある。さりぬべく聞こえ靡かして、いみじく忍びて参らむ。(……)おぼろげならず忍ぶべき事なれば、そこにもまた人には漏らし給はじと思ふに、かたみに後安くなむ」
――人を介せず、物越しでもよいから申し上げねばならないことがあるのだ。うまく承知させて、内密に出かけようではないか。(私も今はそんな忍び歩きも難しい身分なので)絶対に秘密にすべきこと故、そなたは決して人に漏らすまいと思えばこそ、互いに安心だからね――

ではまた。

源氏物語を読んできて(前々回分416)

2009年06月17日 | Weblog
09.6.17 (09.6/15   416回)分

三十四帖【若菜上(わかな上)の巻】 その(25)

 源氏は、このようなことが朱雀院に聞こえましたならば申し訳なく、人前だけでもお輿入れの当座を繕っておかねばとお思いになりますが、

「あな苦し」
――ああ苦しいことだ――

まったく思った通りだ、と思い続けていらっしゃる。紫の上もご自分が引きとめているように取られますのも心苦しく、この苦しさを察してくださらない源氏の思いやりのなさがお辛いのでした。

 五日目の今朝、いつものように紫の上のお部屋で起きられた源氏は、姫宮にお文を差し上げます。

「なかみちをへだつる程はなけれども心みだるる今朝のあはゆき」
――あなたと私との間の道を妨げる程でもありませんが、今朝の淡雪には心が乱れて参上できません――

 と梅の花に付けて、使者を送りだしたまま、外を眺めていらっしゃる。ちらちら雪が降る中に、鶯が若々しい声で近くの紅梅の梢に鳴くのをご覧になっていらっしゃる。そのお姿は、大きなお子たち(夕霧や明石の女御)がいらっしゃる方とも見えず、お若く艶めかしいお姿です。
お返事がなかなかなので、お部屋に戻って紫の上とご一緒のところに、女三宮からのご返事がきます。紅の薄様の紙にあざやかにおし包まれたお文は、紫の上のお目に隠しようもなく、源氏はどきりとなさったのでした。それは、あまりにも幼い筆跡でしたので、しばらくは紫の上にはお見せしたくなかったのでした。

「ひき隠し給はむも心おき給ふべければ、かたそばひろげ給へるを、尻目に見おこせて添ひ臥し給へり」
――お隠しになっても、紫の上のほうで気まづく思われるであろうと、片端を広げられますのを、紫の上は横目でご覧になりながら寄り臥していらっしゃる――

◆写真:梅の花