永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(710)

2010年04月20日 | Weblog
2010.4/20  710回

四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(4)

 大納言の御邸は、大君が入内なさった後、すっかり物寂しげなご様子です。大君はたいそう東宮の御寵愛を得ていらっしゃるとの評判ですが、慣れない宮中のご生活には御後見役が居なくてはお困りでしょうと、継母の眞木柱が付き添って内裏にお出でになっています。
御邸に残っておられる、中の君と、宮の御方は、以前から大君とも仲睦まじくお過ごしになっておられましたので、お二人ともたいそう物足りなく沈んでいらっしゃる。

 宮の御方(蛍兵部卿の宮と眞木柱の姫君)とおっしゃる方は、

「物恥ぢを世の常ならずし給ひて、母北の方にだに、さやかには、をさをささし向ひ奉り給はず、かたはなるまで、もてなし給ふものから、心ばへけはひのうもれたるさまならず、愛敬づき給へること、はた、人よりすぐれ給へり」
――並みはずれてもの恥ずかしがるご性質で、母君とさえ、はっきりと差し向かうことをなさらず、どうかと思うほど慎ましくていらっしゃいますが、お気立てやご様子は、ただの引っ込み思案というのではなく、匂うばかりに愛嬌もあって、だれよりもそこが
優れていらっしゃる――

 大納言は、御自分の姫君のご縁談にばかり気を入れていらっしゃる風なのも、眞木柱の姫君にもお気の毒だと思われて、

「さるべからむさまに思し定めて宣へ。おなじ事とこそは仕うまつらめ」
――宮の御方に相応しい御縁組などもお定めになって、私に御相談ください。実の娘と同じようにお世話いたしましょうから――

 と、眞木柱に申されます。北の方は、

「さらにさやうの世づきたるさま、思ひたつべきにもあらぬ気色なれば、なかなかならむ事は心苦しかるべし。御宿世に任せて、世にあらむ限りは見奉らむ」
――(私の娘・宮の御方は)少しも結婚の方面のことは考えていられない様子ですから、なまじ薦めたりしては可哀そうでしょう。あの子のご運に任せて、私も生きている間はお世話しましょう――

さらに、

「後ぞあはれにうしろめたけれど、世に背く方にても、おのづから人わらへに、あはつけき事なくて過ぐし給はなむ」
――私の死後こそ可哀そうで気懸りですが、その時は出家してなど、過ごしていただきたいのです。人に笑われるような軽々しい過ちなどもなく過ごして貰いたいと思います――

 と、泣きながら、宮のご性質などお話申し上げます。
◆物恥(ものはじ)=なんとなく恥ずかしいと思うこと

◆かたはなるまで=片端なるまで=欠点というほどの、不完全なほどの、

◆宮の御方=父君は蛍兵部卿の宮で、源氏の腹違いの弟宮です。つまり親王で帝の血縁にある方の御子。なまじ臣下との縁組をして身を落とすより、独身を通すのが最上と思われていた時代でした。内親王の出家が多いのは、そのような思いからです。

◆眞木柱(まきばしら)も、父君は式部卿の宮という親王だった方で、帝の血筋にありますので、大納言(藤原氏)としては、血統としても是非正妻に欲しかった。天皇家と姻戚を持つことは官位の次に必要であった。

ではまた。

源氏物語を読んできて(709)

2010年04月19日 | Weblog
2010.4/19  709回

四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(3)

 確かに内裏からも東宮からも御縁談の御内意がありますが、大納言のお心の内では、

「内裏には中宮おはします、いかばかりの人かは、かの御けはひに並び聞こえむ、さりとて思ひおとり、卑下せむもかひなかるべし、東宮には、右の大殿の女御、並ぶ人なげにて侍ひ給ふは、きしろひにくれど、然のみ言ひてやは、人にまさらむと思ふ女子を、宮仕えに思ひ絶えては、何の本意かはあらむ」
――今帝には明石中宮がいらっしゃって、いったいどれほどの人が中宮と寵を競えることだろう。といって、始めから及ばぬ事と諦め、卑下していても甲斐がなかろう。東宮にはまた、右大臣の御長女が、並ぶ者のない有様でお仕えになっていて、御寵愛は競いにくい程だ。だが、そんなことを言っていてもいられまい。親の目には人並み以上と思う娘を持ちながら、宮仕えの望みを捨てさっては、何の本意があろうか――

 という気になって、東宮に大君を差し上げられました。この方は十七、八歳くらいで、
美しく艶やかな御器量でいらっしゃいます。次の中の君も、上品で奥ゆかしく、清楚な美しさでは姉君にも勝るほどで、大納言としては、

「ただ人にてはあたらしく見ませ憂き御様を、兵部卿の宮の然も思したらば」
――ただ人(臣下)では惜しくて、縁付けるには厭なほど娘は美しいので、匂宮が所望してくだされば結構なのだが――

 と、思っていらっしゃる。

その匂宮は、内裏で若君(大納言と眞木柱の子・大夫の君)を呼び寄せては、

「せうとを見てのみはえやまじと、大納言に申せよ」
――あなたを弟と思って付き合っているだけではつまらない、と、お父上に申し上げよ。(暗に姉上にお逢いしたい)――

 と言われますので、そのことを大納言に申し上げますと、「これでこそ娘を持った甲斐があるというものだ」と微笑まれて、

「人におとらむ宮仕えよりは、この宮にこそは、よろしからむ女子は見せ奉らまほしけれ。心のゆくに任せて、かしづきて見奉らむに、命延びぬべき宮の御様なり」
――人に負けをとるような宮仕えよりも、この匂宮にこそ、相当な器量の女の子のわが娘を差し上げて、婿として思いのままにお世話申しあげたならば、こちらの寿命も延びるというものよ――

 と、大納言は、わが娘の、中の君を考えていらっしゃる。

◆きしろひにくれど=競(きし)ろいにくい。競争しにくい。 

◆あたらしく=惜(あたら)しがる=惜しい、残念だ。

◆見ませ憂き御様=縁付けるには勿体ない有様

◆大君(おおいぎみ・長女)、中の君(なかのきみ・次女)といって、順序で呼ぶ。

ではまた。


源氏物語を読んできて(708)

2010年04月18日 | Weblog
2010.4/18  708回

四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(2)

 按察使の大納言は、この御子たちのいずれをも分けへだてなく可愛がり、大切に養育なさっておりますが、

「おのおの御方の人などは、うるはしうもあらぬ心ばへうちまじり、なまくねくねしき事も出で来る時々あれど、北の方、いとはればれしく今めきたる人にて、罪なく取りなし、わが御方ざまに苦しかるべき事をも、なだらかに聞きなし、思ひなほし給へば、聞きにくからでめやすかりけり」
――それぞれの御子にお付きの侍女たちの中には、心がけの良くないひねくれた人たちもいて、時々面倒なもめ事も起こるようですが、北の方(眞木柱)は、たいそうさっぱりとした当世風な方ですので、すべて穏やかに取り裁き、ご自分の方に非があるときには穏やかにお認めになって改められますので、家庭内はいたって平穏でいらっしゃるご様子です――

 大納言の姫君は次々と裳儀をお済ませになり、七間の寝殿を大きく広くお造りになって、南面に大納言の大君(おおいきみ)、西に中の君、東に宮の御方(みやのおんかた=眞木柱の連れ子)を住まわせていらっしゃいます。

「大方にうち思ふ程は、父宮のおはせぬ、心苦しきやうなれど、こなたかなたの御宝物多くなどして、内々の儀式有様など、心にくく気高くなどもてなして、けはひあらまほしくおはす」
――宮の御方(眞木柱と故蛍兵部卿の宮との姫君)のことを、普通一般的には父宮がおられないことで、お気の毒のようですが、父宮や外祖父からの御遺産も多く、内々の儀式や日頃のお暮らしなど、奥ゆかしく上品に取りなして、まことに申し分のないご生活ぶりです――

 こうして大納言が姫君たちを大切にお育てになっておいでのことを、世間で噂になりますと、姉君から順を追って御縁を求めてのお話がありまして、それはそれで結構なことではありますが……。

◆なまくねくねしき=ちょっとひねくれている。少し心がねじけている。

◆生(なま)=中途半端なこと。

◆いとはればれしく今めきたる人=さっぱりとした明るい当世風な人

◆七間の寝殿=今の尺度ではなく、柱と柱の間が七つある。普通は五間。つまり貴族の中でも最も立派で大きな邸宅。

◆父宮や外祖父からの御遺産=この時代は婿取り婚で、遺産は娘に相続する場合が多かった。婿に対しては将来の出世を見込む。ただし徐々に嫁取り婚にも移りつつある。
天皇家は代々「嫁取り婚」である。

ではまた。


源氏物語を読んできて(707)

2010年04月17日 | Weblog
2010.4/17  707回

四十三帖 【紅梅(こうばい)の巻】 その(1)

【匂宮の巻】から四~五年が経ちました。

薫(源中納言) 24歳春~冬まで。母は女三宮、父は表向き源氏だが、実は柏木。
紅梅大納言(按察使大納言・故柏木のすぐ下の弟、父君は故致仕大臣)50歳以上
  紅梅大納言と故北の方腹に2人の娘(大君と中の君)がいる。
眞木柱(蛍兵部卿宮と結婚、死別後、姫君一人を連れて紅梅大納言と再婚)
  眞木柱の連れ子は、宮の御方(みやのおんかた)という。
  紅梅大納言との間に若君(男の子)
今上帝(内裏)
明石中宮
匂宮(兵部卿宮・明石中宮腹の第三皇子)25歳
夕霧(右大臣) 50歳
冷泉院(前の帝、源氏の弟宮だが、実は藤壺と源氏の子)
秋好中宮(母君は六条御息所、冷泉院の妃で中宮)   62歳
朱雀院(冷泉院の前の帝、源氏の腹違いの兄宮、出家して山寺に隠遁)
女二宮(落葉宮)と女三宮(源氏の正妻・出家)は朱雀院の姫宮たち。


「その頃、按察使の大納言ときこゆるは、故致仕の大臣の次郎なり。亡せ給ひにし右衛門の督のさしつぎよ。童よりらうらうじう、はなやかなる心ばへものし給ひし人にて、なりのぼり給ふ年月に添へて、まいていと世にあるかひあり、あらまほしうもてなし、御おぼえいとやむごとなかりけり」
――その頃、按察使の大納言(あぜちのだいなごん)とおっしゃる方は、故左大臣でありました致仕大臣のご次男でいらっしゃいます。あの亡くなられた右衛門の督(えもんのかみ・ご長男の柏木)のすぐ下の弟君ですよ。ご幼少より可愛らしく利発で、はなやかな御気質でいらっしゃいましたが、官位が昇られるにつれて、いっそう精彩も加わって生き甲斐のあるお暮しぶりで、帝のご信頼も厚くていらっしゃいます――

 この方の前の北の方が亡くなられて、今度の北の方になられた方は、髭黒太政大臣の御むすめの眞木柱(まきばしら)でいらっしゃいます。眞木柱が蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)に御縁組なさいました後、その蛍兵部卿宮が亡くなられて、その後に按察使の大納言が、

「忍びつつ通ひ給ひしかど、年月経れば、え然しもはばかり給はぬなめり。御子は、故北の方の御腹に、二人のみぞおはしければ、さうざうしとて、神仏に祈りて、今の御腹にぞ男君一人まうけ給へる。故宮の御方に、女君一ところおはす」
――忍び忍び、眞木柱の許に通っておられましたが、それも年月が重なりましたので、今は人目を憚ることなく公然と北の方になさっておられます。按察使大納言には、前の北の方腹に姫君が二人しかおらず(男君がいらっしゃらない)寂しいので、神仏に願掛けをしましたところ、眞木柱腹に男君がお生まれになったのでした。眞木柱には前の夫との間に女君一人いらっしゃって、(その方を連れての再婚です)――

ではまた。

源氏物語を読んできて(706)

2010年04月14日 | Weblog
2010.4/14  706回

四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(11)

 夕霧は、この縁組は近親結婚ではない(表向きにはご兄弟ながら、実は遠い血縁関係)と思っていらっしゃいますが、やはり、娘たちには匂宮や薫をおいて、ほかには較べものになりそうな婿も見いだせない、と、思案にくれていらっしゃる。

「やむごとなきよりも、典侍腹の六の君とか、いとすぐれてをかしげに、心ばへなども足らひて生い出で給ふを、(……)一條宮の、さるあつかひぐさ持たまへらで、さうざうしきに、迎えとりて奉り給へり」
――正妻の雲居の雁腹の姫君たちよりも、藤典侍(とうのないしのすけ)腹の六の君が、非常に美しく、気立ても申し分なく成長していますのを、(母の身分が低いため世間では少し軽く見ているようで)一條宮(落葉宮)には、お子がおられないので、夕霧は
六の君を典侍から引き取って、落葉宮にお預け申されました。(箔をつけるために高貴な方の養女とする)――

夕霧はお心の内で、

「わざとはなくて、この人々に見せそめてば、必ず心とどめ給ひてむ、人のありさまをも知る人は、ことにこそあるべけれ、などおぼして、いといつくしうはもてなし給はず、今めかしくをかしきやうに、物好みせさせて、人の心つけむ便り多くつくりなし給ふ」
――(六の君を)わざとらしくなく、ごく自然に、この匂宮や薫にお見せしはじめたなら、必ずお心を留められるであろう。女を見る目の高い人はなおさらそうであるに違いない。ことさら厳格ではなく、今風に華やかで、趣味にも風流をきかせて、男たちが目をつける機会を多く作るようにしよう――

年が明けて正月、

「賭弓の還饗のまうけ、六条の院にて、いと心ことにし給ひて、親王をもおはしませむの心づかひし給へり」
――賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)のご用意を、夕霧は六条院でなさることにして、心を込めて親王をおもてなしなさる程のお心遣いをして御準備されました――

 この賭弓では、薫方が負けましたので、薫がひそかに御退出なさろうとしているときに、夕霧は、還饗のお席に強いてお誘いになります。六条院の薫の行くところ匂いが引き立って、夕暮れでお姿がおぼろげでも、その艶なる美しさが想像される春の宵でした。

◆やむごとなきより=尊い、おそれ多い。ここでは正妻の雲居の雁。

◆さるあつかひぐさ持たまへらで=そうしたお育てする御子を持っておられない。

◆賭弓(のりゆみ)の還饗(かえりあるじ)=賭弓(のりゆみ)は、正月十八日、帝が弓場殿で、左右近衛、兵衛の舎人の競射をご覧になる儀式。賭け物をして勝敗をつける。還饗(かえりあるじ)は、その儀が終わって、勝った方の大将の邸で行われる饗宴。

◆写真:弓術

【匂宮(にほふのみや)の巻】終わり。

4/15~16の2日間、お休みします。ではまた。

源氏物語を読んできて(705)

2010年04月13日 | Weblog
2010.4/13  705回

四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(10)

 冷泉院が薫にでさえ女一宮へのお近づきを配慮されておりますのは、薫自信にとりましても良い事と思っていらして、

「若し、心より外の心もつかば、われも人もいとあしかるべき事」
――万が一、思いがけず恋心でも芽生えたなら、自分も女一宮も面倒なことになってしまうだろう――

 と、御承知なさって、無理に近づこうとはされない。薫は生まれつき誰にでも好かれるお人柄で、ふと言葉をかけられただけの女たちでも、すぐに靡くほどですので、
一時的な愛人は多いものの、

「人の為に、ことごとしくなどはもてなさず、いとよくまぎらはし、そこはかとなく情けなからぬ程の、なかなか心やましきを、思ひ寄れる人は、いざなはれつつ、三条の宮に参り集まるはあまたあり」
――(しかし)その女の為に、特別なお計らいなどはせず、適当に程々にして、薄情とまでは思われないのが、女には却って気が揉めるようで、薫にあこがれている女はそれに引かれて、三條の邸にお仕えしようと集まって来る者たちが大勢います――

 女たちにとって、もはや自分に無関心な態度の薫を見ては、心苦しいに違いないのですが、それでも全く縁が切れてしまうよりは、ちょっとしたご縁を頼みとして留まっているのでした。

 薫は常々、

「宮のおはしまさむ世のかぎりは、朝夕に御目かれずご覧せられ、見奉らむをだに」
――母宮のご在世中は、朝夕お側を離れずに居る事を、せめてもの親孝行にしたい――

 とおっしゃっていますのを、夕霧もお聞きになっていて、

「あまたものし給ふ御むすめたちを、一人一人は、」
――(ご自分の姫君たちが)たくさん居るそのだれか一人を、この薫の妻にしたいものだ――

 と、お心の内では考えていらっしゃいますが、なかなか言葉にはお出しになれない。

ではまた。

源氏物語を読んできて(704)

2010年04月12日 | Weblog
2010.4/12  704回

四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(9)

「中将は、世の中を、深くあぢきなきものに思ひすましたる心なれば、なかなか心とどめて、行き離れ難き思ひや残らむ、など思ふに、わづらはしき思ひあらむあたりにかかづらはむは、つつましく、など思ひ棄て給ふ」
――中将(薫)は、この世を芯から味気ないものと悟り切っていらっしゃるようで、「なまじ女に執心して、出家し難い気持ちが残っては」などとお思いになって、面倒な悩み事の起こりそうな所に関わるのは、差し控えたいなどと諦めておいでになります――

「さしあたりて、心にしむべき事のなき程、さかしだつにやありけむ。人の許しなからむ事などは、まして思ひ寄るべくもあらず」
――これもさしあたって、夢中になる程のお相手がいらっしゃらないからでしょうが、人が非難しそうな無理な恋などは、まして思い寄る筈もないのでした――

「十九になり給ふ年、三位の宰相にて、なほ中将も離れず。帝后の御もてなしに、ただ人にては憚りなき、めでたき人のおぼえにてものし給へど、心のうちには、身を思ひ知る方ありて、ものあはれになどもありければ、心に任せて、はやりかなる好きごと、をさをさ好まず、よろづの事もてしづめつつ、おのづからおよずけたる心ざまを、人にも知られ給へり」
――(薫は)十九歳になられた年に三位の宰相で、同時に中将も兼ねていらっしゃいます。冷泉院と秋好中宮の御寵遇で、臣下としては誰にも引けをとらぬ、素晴らしいご声望ぶりでいらっしゃいましたが、お心の内では、出生について感づいていることもあって、この世のはかなき身であることを思い、気ままに出来心の恋などするのを、あまり好まれず、万事控え目になさっていらっしゃるせいか、自然と老成の性格を、人にも知られていらっしゃいます――

 匂宮がこの年来、お心を尽くして慕っておいでになるらしい冷泉院の女一宮のお住居のあたりを、薫自信は自由にお出入りができて、ほのかに女一宮を見聞きしますには、たいそう奥ゆかしく、お噂どおり深みのある方のように察せられます。
薫も、同じ事ならば、このような方を妻にお迎えできれば、どんなに生き甲斐があろうかと思いますものの、冷泉院は姫宮の方の隔ては厳重で、遠々しくさせるように躾けていらっしゃるのでした。

◆三位の宰相で中将(さんみの宰相)=参議で、近衛中将を兼ねたもの。上達部(かんだちめ)であり、公卿(くぎょう)である。

◆はやりかなる好きごと=逸りかなる好きごと=軽率な好色めいたこと

◆写真:吾亦紅(われもこう) 風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(703)

2010年04月11日 | Weblog
2010.4/11  703回

四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(8)

 確かにこの薫という方は、前世のご宿縁でしょうか、唯人ではなく、仏が仮に姿をお現わしになったかと思われるところもあるとの評判で、

「顔容貌も、そこはかと、何処なむすぐれたる、あな清ら、と見ゆるところもなきが、ただいとなまめかしうはづかしげに、心のおく多かりげなるけはひの、人に似ぬなりけり」
――お顔かたちは、どこがどう優れていらっしゃる、まあお美しい、と取り立てて申すほどではありませんが、ただ、まことに優雅で立派で、深みのありそうなお人柄が、ほかの人とはまるで違うのでした――

 そのうえ、

「香のかうばしさぞ、この世のにほひならずあやしきまで、うちふるまひ給へるあたり、遠く隔たる程の追い風も、まことに百歩の外も薫りぬべき心地しける」
――薫の体臭の香り高さは、この世のものとも思われず、不思議なほど立ち居振る舞いにつれて、その辺りはもちろんのこと、遠く離れたところに風でおくられる匂いでも、文字通り百歩(ひゃくぶ)の外までも薫るにちがいない感じがなさる――

 このように、薫(中将の君)には、あやしく人の心をそそらずにはおかぬ匂いがなじんでいられますのを、兵部卿の宮(匂宮)は、他の何事よりもこのことには負けたくない気になられて、

「それはわざとよろづのすぐれたるうつしをしめ給ひ、朝夕のことわざに合せいとなみ、御前の前栽にも(……)わざとめきて、香にめづる思ひをなむ、立てて好ましうおはしける」
――特別に様々のすぐれた匂いをご衣裳にたきしめられ、そのことを明け暮れの仕事として、薫物(たきもの)の調合に熱中なさっていらっしゃる。御庭の前栽にも、梅、女郎花、萩、菊、藤袴、われもこう、などを植えられて、殊更らしいなさり方で、香を愛でることにたいそう執着していらっしゃるのでした――

「かかる程に、少しなよびやはらぎて、好いたる方にひかれ給へり、と、世の人は思ひ聞こえたり。昔の源氏は、すべて、かく立てて、その事と、やうかはり、しみ給へる方ぞなかりしかし」
――(匂宮の)こういうところが、少し軟弱にすぎて、色好みに傾いておられると、世間ではお噂申し上げているようです。昔、源氏という方は、何事もこういう風に一つのことに凝って、それに熱中なさるような風変わりなことはなさらぬ方でしたが――

◆百歩(ひゃくぶ)=遠い距離。名香に百歩香というのがある。

◆写真:藤袴(ふじばかま) 風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(702)

2010年04月10日 | Weblog
2010.4/10  702回

四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(7)

さらに、薫のお心の内では、

「かの過ぎ給ひにけむも、安からぬ思ひに結ぼほれてや、などおしはかるに、世をかへても対面せまほしき心つきて、元服はもの憂がり給ひけれど、すまひはてず、おのづか
ら世の中にものなされて、まばゆきまではなやかなる御身の飾りも、心につかずのみ、思ひしづまり給へり」
――あの亡くなられた方(柏木)も、煩悩を断ち切れずに死なれたのではないだろうか、と思い巡らせていますと、あの世に行ってでも、父君にお逢いしたい気持ちでいっぱいになるのでした。元服の儀にも気がすすまれないのですが、そうかと言って断る事もできず、自然と世間からちやほやされているご生活の贅沢さにも落ち着かず、物憂くすごされておいでです――

 今帝も女三宮とご兄妹でいらっしゃるので(御父宮は朱雀院)、薫を大そう大切に思っておられ、明石中宮もまた、もともと薫が同じ六条院でご自分の御子たちと一緒に成長されていたあの頃と、少しも変わらぬお扱いをされていらっしゃるのでした。

 その昔、源氏が、

「末に生まれ給ひて、心苦しう、おとなしうもえ見おかぬこと」
――(この薫は)私の晩年にお生まれになって、可哀そうに、成人するまで私は見届けられないなあ――

 と、おっしゃっていらしたのを、思い出しては、殊に明石中宮はお心を込めてお世話なさっておいでです。夕霧も、ご自分のお子たちより濃やかに、大切に見守って何かにつけてお世話をしていらっしゃる。

「昔光る君と聞こえしは、さるまたなき御おぼえながら、そねみ給ふ人うち添ひ、母方の御後見なくなどありしに、御心ざまももの深く、世の中を思しなだらめし程に、ならびなき御光を、まばゆからずもてしづめ給ひ、(……)」
――昔、光る君とおっしゃる方は、桐壺帝のまたとないご寵愛を受けながら、妬む方が多かったりした上に、御母方に有力な御後ろ盾がないために、ご性質が考え深く、世の中に対して慎重なご態度で角のたつようなことはなさらなかったのでした。あれほどの並びないご威勢にも、目立たぬように控え目になさり、(明石須磨の大事件をも無事に凌ぎ通されて、来世のための修業も時期を誤らずにお勤めになられたのでした)――

 それに比べて、

「この君は、まだしきに世のおぼえいと過ぎて、思ひあがりたること、こよなくなどぞものし給ふ」
――この薫は、まだお若いうちから世の御声望がありすぎて、誇り高いことはたいへんなものでいらっしゃる――

◆すまひはてず=辞ひ果てず=辞退できず。断れず。

◆写真:女郎花(おみなえし)風俗博物館

ではまた。


源氏物語を読んできて(701)

2010年04月09日 | Weblog
2010.4/9  701回

四十二帖 【匂宮(にほふのみや)の巻】 その(6)

 薫は母宮に対しては、ご自分が何か事実の一端を知っている風に悟られるのは具合が悪いことと思いながらも、どうしても四六時中お心にあって、

「いかなりける事にかは。何の契りにて、かう安からぬ思ひ添ひたる身にしもなり出でけむ」
――いったいどうした事情なのだろう。どういう宿縁で、こうも不安が付きまとう身に生まれてきたのだろう――

 と、独りつぶやいていらっしゃる。

(薫の歌)「おぼつかな誰に問はましいかにしてはじめもはても知らぬわが身ぞ」
――いったい誰に尋ねたらよいのか、気がかりなことよ。自分はどうして生まれ、行く末も分からぬ身の上を――

 もちろん、教えてくださる人とていない。

「事に触れて、わが身につつがある心地するも、ただならずものなげかしくのみ、思ひめぐらしつつ、宮もかく盛りの御容貌をやつし給ひて、何ばかりの御道心にてか、にはかにおもむき給ひけむ、かく思はずなりける事のみだれに、必ず憂しとおぼしなる節ありけむ、人もまさに漏り出で知らじやは、なほつつむべき事のきこえにより、われには気色を知らする人のなきなめり」
――何かにつけて、わが身に障りがあるような心地がして、ただならず薄気味悪くて、ただもの悲しい気持ちにばかりなってしまう。母宮はこのような女盛りの御身で尼姿になられ、いったいどれほどの御道心で急に出家などなさったのか、きっと思いがけない出来事に人知れずお悩みになり、世を憂く思われた訳がおありだったのだろう、他人もまさか漏れ聞いていない筈はないであろうから、やはり隠さねばならない事情があって、それで自分には様子を知らせる人がいないのだろう――

 と、薫はお考えになります。そしてお心の内で、「母宮は、朝夕勤行をなさっておられるけれど、頼りないほどおっとりとしたお勤めなので、これでは真の悟りに入る事は難しそうだ、自分が母宮の御道心をお助けして、同じ事ならせめてその後生でも安らかにして差し上げたい」と思うのでした。

◆つつがある心地=恙(つつが)ある=病気、患いがある

◆ものなげかしく=物嘆かし=何となく嘆かわしい。何となく悲しい。

◆写真:勤行の女三宮  風俗博物館

ではまた。