信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

70歳の学習 その3

2018年01月20日 13時11分48秒 | Weblog
ずっと開くことがごくわずかになっていたパソコン。
便利にスマホをPC代わりに使い一日何度もバッテリ―充電する始末だった。

ところが自分の骨密度の検査の結果を一覧表化したのに火が付き、勢いで今年度の確定申告を
やっつけた。
国は貧乏人から税金を取りすぎていると目が覚めた。
還付金がこんなに・・・・、

続いて1年半前に亡くなった愛犬と、残ったもう1頭の病気が発見されて以来の治療費の一覧表を作ってみた。
動物は健康保険がないから病気になれば実費がかかり、家族同様だからとムスメやムスコにも年金生活者になった
母親の支払金の折半になった。

幸いに診療明細書をずっと保管していたのでこの4,5年分目からの分をそれぞれの犬ごとに
入力してみた。

1年半前に突然12歳で亡くなった犬は短い期間だが、かかった費用は別に表から見えたのは、舌の腫瘍疑いで
半分切除、その後ヘルニア手術、回復した後悪性黒色腫で2回手術、続く抗がん剤点滴、と何と痛い治療を
受けてきたのかと涙が出る。

亡くなった2週間後もう1頭の腹部のがんが見つかり、この1年半抗がん剤の服薬治療を続けてきた。
動物の抗がん剤の効果はもって3か月と言われたが奇跡だった。

しかし抗がん剤は人間も同様だが食欲がなくなる。
まったく、ドッグフードを食べなくなった。
昨年の夏いよいよ、と覚悟したが、主治医から経管栄養を勧められ手術でチューブを埋め込んだ。
流動食を朝夕注入しているが、3か月たった今、体調の回復はめざましかった。

この治療費も一覧表化した。
費用を折半しているムスメやムスコにも納得する表が出来て、たまったら請求している母親も
安堵した。
犬を飼い、10数年一緒に暮らし、苦労続きの辛い年月をどれだけ癒してもらったか
最近はダメだと思った犬と散歩していると笑顔の犬が一生懸命歩いているのを見ると
命の大切さをしみじみ感じることだ。
子犬時代の愛くるしさしかなかった時代は病気になるとは考えもしなかったが、老いて病気になった姿には
飼い主も学ぶことばかりだ。

子供たちと、このかかった費用はそれぞれ3人で超高級犬が1頭ずつ買えるねと笑ったが、
お金に換えることが出来ないのがあるものだ。



昨日の中央アルプス、空木岳 2864m

70歳の学習 その2

2018年01月20日 12時35分20秒 | Weblog
ムスメの出産の面倒を見る役割が年末を挟み約2か月近くあり、夢中で久々の仕事をこなした。

思えば4年前に原村から伊那に家を建てて引っ越し、荷物を整理する間もなく1か月後にマゴが生まれた。
親子は出産後は1か月間家に預かった。
その時の感覚があったので、同じ寒い季節だが何とかなると軽く考えていた。
しかし4年後の今回は病気で介護中の犬がおり、ムスメの家に毎日通って保育園の
マゴやムコの面倒を見なければならない。

11月中旬からこの1月中旬になると出産のために費やした生活のリズムは元に戻ってきたが
70歳の頭の中は呆けていたようだ。
さて、忙し過ぎた毎日が犬との静かな毎日に、ねじを巻きなおすのだが何だか変なのだ。
忙しさに慣れるとこのゆっくりとした自分だけの生活リズムに罪悪感を感じるのだ。
長いこと働き続け、やっと手に入れた自由な時間なのに、女の人は何をしても罪悪感を感じる
動物だという記事を読んだことがあるがまさにその通りかもしれない。

1月15日に3か月ぶりに骨粗鬆症の検査のための通院をする。
主治医からは骨密度のレントゲン検査の結果、まあいいですね、
横ばいですがこのまま服薬を続けましょうと言われ、良かった!と嬉しかった。

1年に1度の検査は悪くなって骨折しないかとそれだけが心配だ。
女優じゃないから今後の残された人生、骨の強さだけが頼りだ。

薬と検査データーをコピーしてもらい帰宅した。

今回は股関節と腰椎との数値を比べたらこの10年間の治療の推移で初めて股関節の数値が
昨年より悪くなり腰椎の骨密度が上昇している。

よし、一覧表にしようと思い立ち、エクセルで腰椎と股関節の骨密度、骨塩量、骨面積をそれぞれ
10年間の数値を記入し一覧評価した。
ついでにその年のエピソードも入れてみた。

よしよし、一覧表化したら一杯色々見えてきた。
4年前に退職してウオーキングを取り入れたがその為骨密度は上昇したが、体重が減ったため
骨塩量や骨面積が下降した。
しかも1昨年から飼い犬が病気になり、特に昨年はそのため散歩の回数も歩数も減った。
それが骨密度に顕著に現れた。

病院で医者に大丈夫と言われて喜んでみても病院から出た瞬間は忘れている始末だ。
生活習慣は自分の体を作りもするし壊しもする。
今年犬の散歩は、それはそれと割り切り、自分の骨のために新たな習慣を作っていこうと
一覧表を作っての決心をした。
3日坊主にならないといいね。


70歳の学習 その1

2018年01月20日 11時49分50秒 | Weblog
1月中旬になり、少し寒さが緩み、自分の生活リズムが戻って来た。
昨年の11月22日、近くに住むムスメが第二子がを出産。
第一子は4歳になるから保育園に通っており、出産が近づいてきた頃から予行演習として
送り迎えを引き受けた。
予定日の4日前にいきなり陣痛が来た。
本当に陣痛かと疑いながら産院に電話し、せかされて入院し、分娩室に寝かされ20分後
出産した。
助産師から20代のお産ねと褒められたが、家族全員大わらわだった。

以後、頭の中に描いていた出産前後の家事代行のシナリオはあっけなく崩れ去り、それからの
毎日はもう思い出されないくらいになってしまった。
朝早く出かけ、夜寝るばかりになって家に戻る。
輝くマゴとの記念写真は、4年前に比べおばあさんは萎びれてヒトには見せたくない代物になった。

まあ、一日中保育園、産院、ムスメの家と自宅の往復、を車を駆使してその間家族の食事作り
マゴの風呂など第一子出産とは大幅に日課は異なりこれだけはやってみなければわからなかった。
文字通り家の中でも走り回っていた。

勤務していた時に社員の焦燥性うつ病の面倒をみていたが、毎日そのことを思い出し
アセアセする気持ちがよくわかった。

同じころ友人が東京で出産するムスメの手伝いに行くと聞き、お互い頑張ろうと励ました。
年賀状の代わりにその友人から手紙が来て、出産手伝いしたのに体を壊し一旦静岡の自宅に戻り
立て直しをした。
恒例の年賀状は書く気力もなく全部無駄にして今後これを機会に出さないことにしたという。
あなたは大丈夫だった?と聞かれたが自分も途中でいきなり気管支炎を起こして病院のお世話になったが
まあ、顔のやつれと生活リズムが激変したくらいで何とか今になったと報告した。

比較的若い時に出産の後の面倒を見るのは、体力的にはこなせるが、親子関係や住んでいる家の距離で
諸々異なり、想像しているのと大幅に違う。
何とか前期新生児を過ぎて、1か月検診を過ぎるころには子どももムスメの健康状態も回復して笑顔が出て
その頃を境におばあさんはクビになり、自宅での元の生活に入って行く。

友人には、子供の面倒をみて役に立ったことを感謝しなくてはならないのねと言われ、はあとうなずいた。
歴史は繰り返されるが、ムスメは子供二人は男の子だから遠い将来出産の面倒を見る
役が回ってくることはないかもしれない。
40年も前の自分の出産のときは、年子のために実家へ帰り兄嫁にすべて面倒をかけた。

もう遅いがこの年になっても頭が上がらない人がいるのは兄嫁であり、
あの世へ行っても感謝し続けることばかりである。