昨年の年末から早や、1月も中旬となる。
地方ではこの11日あたりはどんど焼きといってお正月のしめ飾り、昨年1年のだるまやまゆだまなど
を広場で焼き上げる行事がある。そうこうしているうちに、成人の日や節分などが続く。
本当に寒いのはこれからで小寒、大寒と暦を追って大雪が何回か降るのを耐え忍ばねばならない。
お正月が過ぎ、客も引き、元どうりに生活が戻ってきたが、何だか気が乗らないない毎日が続いた。
マゴも預かり、成長が目覚しくああ、昨年の今頃は静かに寝ていたっけ、息をしているか心配したなど
と思い出す。
1年後にはかんしゃくを起こし、物を投げ、とんがったものを手に持ちたがり、外を手を引かれずに
一人で歩きたがり、こうも自我がどんどん発達するものかと自分の子育てとの違いを嘆く毎日だ。
伊那へ引っ越して1年余経った。新しい土地に慣れるためと広すぎる庭の土地利用に、頭を絞るより
先に体をこき使い、多分能力を開発することより時間に追われ、マゴと野菜作りとで
自分がとても有効にこの土地に馴染んでいると思い込んでいた。
思い返せば怪我が多く、筋肉痛と常に一緒で体は悲鳴を上げていた。
頭脳労働から退職とともに肉体労働に変身し、生活が一変したので怪我も増えたのであろう。
夏の終わりごろには犬がヘルニアになり入院手術をして回復途中に再発。
そして自分も外出先で追突され車は修理に出され1ヶ月間不自由をした。
27年間も運転暦があるのに急激な運転の怖さに捕われ、犬の介護とマゴの保育があるので
元気を装い年末となった。
年末にはムスメ一家やムスコ達と賑やかにお正月まで過ごし無事1年を送った感謝をして
穏やかな今年を臨んだ。
ところがどうだろう、腑抜け状態で心が実は虚ろになっているではないか。
今年の目標や何かやってみようなどといつものように思い浮かばない。
お正月の1週間を過ごし、何だろうと考えた。
多分・・・・・考えられるのは長年、夢と思っていた我が家を手に入れるが現実になった。
夢が無くなった。
現実は忙しく、しかも思った以上に経済的にも厳しさを味わった。
調子に乗って色々やり過ぎたのだと反省がやって来た。
ああ、おいらは疲れたのかと風船がしぼんでいく感じだ。
このまま行ったら腑抜けになり、認知症に片足を突っ込みかねない。
今日は意を決して遅い初詣に出かけた。
昨年の破魔矢をお返しして、厄除けにしようか、交通安全の祈願にしようかと考えて
さて、とカーナビをセットするのにはっとした。
駒ヶ根の地名が出てこない、光前寺の名前が出てこない。
これは大いにまずい。頭の中が考えても空白になった。
1ヵ月ぶりに修理して戻ってきた車で又事故になりたくない恐怖感もあり、
相当自分を前に押し出せなければ一気に老け込む恐れあり。
早太郎の犬の形のおみくじを引くが、おなかの中から出てきた中身は果たして、吉か凶か。
内心どきどきしながら、開いたら、最後に大吉の文字が。
大吉は人生初めて引き当てた。
悪いのは信じないが、これは今年の元気付けのための神様のお年玉かなと心の奥が
ぽっと明るくなった。
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今年の自分をどう過ごすか光前寺の早太郎犬の像をなでながら、模索する事にした。
お寺の背後の千畳敷カールの宝剣岳が白く輝いて秋に登ったのが本当かと思うほどだ。
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地方ではこの11日あたりはどんど焼きといってお正月のしめ飾り、昨年1年のだるまやまゆだまなど
を広場で焼き上げる行事がある。そうこうしているうちに、成人の日や節分などが続く。
本当に寒いのはこれからで小寒、大寒と暦を追って大雪が何回か降るのを耐え忍ばねばならない。
お正月が過ぎ、客も引き、元どうりに生活が戻ってきたが、何だか気が乗らないない毎日が続いた。
マゴも預かり、成長が目覚しくああ、昨年の今頃は静かに寝ていたっけ、息をしているか心配したなど
と思い出す。
1年後にはかんしゃくを起こし、物を投げ、とんがったものを手に持ちたがり、外を手を引かれずに
一人で歩きたがり、こうも自我がどんどん発達するものかと自分の子育てとの違いを嘆く毎日だ。
伊那へ引っ越して1年余経った。新しい土地に慣れるためと広すぎる庭の土地利用に、頭を絞るより
先に体をこき使い、多分能力を開発することより時間に追われ、マゴと野菜作りとで
自分がとても有効にこの土地に馴染んでいると思い込んでいた。
思い返せば怪我が多く、筋肉痛と常に一緒で体は悲鳴を上げていた。
頭脳労働から退職とともに肉体労働に変身し、生活が一変したので怪我も増えたのであろう。
夏の終わりごろには犬がヘルニアになり入院手術をして回復途中に再発。
そして自分も外出先で追突され車は修理に出され1ヶ月間不自由をした。
27年間も運転暦があるのに急激な運転の怖さに捕われ、犬の介護とマゴの保育があるので
元気を装い年末となった。
年末にはムスメ一家やムスコ達と賑やかにお正月まで過ごし無事1年を送った感謝をして
穏やかな今年を臨んだ。
ところがどうだろう、腑抜け状態で心が実は虚ろになっているではないか。
今年の目標や何かやってみようなどといつものように思い浮かばない。
お正月の1週間を過ごし、何だろうと考えた。
多分・・・・・考えられるのは長年、夢と思っていた我が家を手に入れるが現実になった。
夢が無くなった。
現実は忙しく、しかも思った以上に経済的にも厳しさを味わった。
調子に乗って色々やり過ぎたのだと反省がやって来た。
ああ、おいらは疲れたのかと風船がしぼんでいく感じだ。
このまま行ったら腑抜けになり、認知症に片足を突っ込みかねない。
今日は意を決して遅い初詣に出かけた。
昨年の破魔矢をお返しして、厄除けにしようか、交通安全の祈願にしようかと考えて
さて、とカーナビをセットするのにはっとした。
駒ヶ根の地名が出てこない、光前寺の名前が出てこない。
これは大いにまずい。頭の中が考えても空白になった。
1ヵ月ぶりに修理して戻ってきた車で又事故になりたくない恐怖感もあり、
相当自分を前に押し出せなければ一気に老け込む恐れあり。
早太郎の犬の形のおみくじを引くが、おなかの中から出てきた中身は果たして、吉か凶か。
内心どきどきしながら、開いたら、最後に大吉の文字が。
大吉は人生初めて引き当てた。
悪いのは信じないが、これは今年の元気付けのための神様のお年玉かなと心の奥が
ぽっと明るくなった。
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今年の自分をどう過ごすか光前寺の早太郎犬の像をなでながら、模索する事にした。
お寺の背後の千畳敷カールの宝剣岳が白く輝いて秋に登ったのが本当かと思うほどだ。
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