信州スロウライフ12ヵ月

野菜や草花と暮らす生活

70歳の学習 その1

2018年01月20日 11時49分50秒 | Weblog
1月中旬になり、少し寒さが緩み、自分の生活リズムが戻って来た。
昨年の11月22日、近くに住むムスメが第二子がを出産。
第一子は4歳になるから保育園に通っており、出産が近づいてきた頃から予行演習として
送り迎えを引き受けた。
予定日の4日前にいきなり陣痛が来た。
本当に陣痛かと疑いながら産院に電話し、せかされて入院し、分娩室に寝かされ20分後
出産した。
助産師から20代のお産ねと褒められたが、家族全員大わらわだった。

以後、頭の中に描いていた出産前後の家事代行のシナリオはあっけなく崩れ去り、それからの
毎日はもう思い出されないくらいになってしまった。
朝早く出かけ、夜寝るばかりになって家に戻る。
輝くマゴとの記念写真は、4年前に比べおばあさんは萎びれてヒトには見せたくない代物になった。

まあ、一日中保育園、産院、ムスメの家と自宅の往復、を車を駆使してその間家族の食事作り
マゴの風呂など第一子出産とは大幅に日課は異なりこれだけはやってみなければわからなかった。
文字通り家の中でも走り回っていた。

勤務していた時に社員の焦燥性うつ病の面倒をみていたが、毎日そのことを思い出し
アセアセする気持ちがよくわかった。

同じころ友人が東京で出産するムスメの手伝いに行くと聞き、お互い頑張ろうと励ました。
年賀状の代わりにその友人から手紙が来て、出産手伝いしたのに体を壊し一旦静岡の自宅に戻り
立て直しをした。
恒例の年賀状は書く気力もなく全部無駄にして今後これを機会に出さないことにしたという。
あなたは大丈夫だった?と聞かれたが自分も途中でいきなり気管支炎を起こして病院のお世話になったが
まあ、顔のやつれと生活リズムが激変したくらいで何とか今になったと報告した。

比較的若い時に出産の後の面倒を見るのは、体力的にはこなせるが、親子関係や住んでいる家の距離で
諸々異なり、想像しているのと大幅に違う。
何とか前期新生児を過ぎて、1か月検診を過ぎるころには子どももムスメの健康状態も回復して笑顔が出て
その頃を境におばあさんはクビになり、自宅での元の生活に入って行く。

友人には、子供の面倒をみて役に立ったことを感謝しなくてはならないのねと言われ、はあとうなずいた。
歴史は繰り返されるが、ムスメは子供二人は男の子だから遠い将来出産の面倒を見る
役が回ってくることはないかもしれない。
40年も前の自分の出産のときは、年子のために実家へ帰り兄嫁にすべて面倒をかけた。

もう遅いがこの年になっても頭が上がらない人がいるのは兄嫁であり、
あの世へ行っても感謝し続けることばかりである。



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