伊那に引っ越してから、美容院をさて、どうしたものか?と迷っていた。
これまでの長い人生、化粧より髪の毛が如何に見苦しくなく、そのために自分で自分を嫌になることなく
朝から不機嫌になることなく職場に出かけられるかが毎日の課題だった。
思えば本当に長い心がけで生きているではないか。
年とともに薄毛や分け目の広がり、生え際の後退、などそれこそ加齢ですよといわれる分野に
とっくに加入した。
たった一つ、母親似で白髪がないことが財産になった。
しかし、猫毛、柔らかい、髪が少なくなったなどは従来どおり持ち越している。
テレビのCMでやたらにレディースアデランスの放映が多くなってきて目障りに感じるが
時代か・・・
ニーズも高いのであろう。
女性は老化しても髪の毛はフサフサ、インプラントで歯がきれいに揃って真っ白、しわも少なく首から上は
美容整形の進化でアンチエイジングを手に入れるお金持ちが羨ましい。
などは少なくとも50代の頃は考えもしなかった老化の範疇だった。
美容院を先に伊那に移住した娘から紹介され難しい自分の髪の毛を手名付けられる美容師に
お目にかかりたいと思ったら運のよさでそれから2ヵ月ごとにお世話になっている。
伊那市は美容院の数が半端ではなく過当競争の街だそうで、サービスも差が大きい。
さて、20日の土曜日は朝から霙交じりの悪天候で、これまで1週間、解けもせず毎日舞う
雪にうんざりしながら気分を変えに美容院に出かけた。
美容院と言うと、パーマをかける間、手当たり次第目の前に置かれた週刊誌を読んでいく
のが通常だが今回はなぜか手が伸びなかった。
美容院によって置かれる週刊誌の種類は異なるが、料理の本でもなく家庭画報を今回は手にとって見た。
分厚い中身はまさにすむ世界が違う内容であり、これまでだったら何となくパラパラと読み進めては
ほいと週刊誌に手が行っていたが、何だか違った。
新年特大号で由緒深い名家の新年とおせちととらやとなぜかベートーベンの特集でウイーンとボンの都市が紹介された。
仲道幾代がベートーベンが苦手で演奏するのを避けていたが、現地を訪れて目が覚めたそうだ。
編集の仕方で読み手も興味の持ち方が変わるものである。
フアッションも宝石も豪華そのものの記事に毎度のこと場違いな世界を感じながら、同じ日本の中で
年金世代の2か月分の収入がセーター1枚分の値段かと思うと空しい。
空しくなりながらふと、三浦朱門と曾野綾子の連載を読んだ。
三浦朱門は体力が落ち新幹線に乗るために間に合わず走った時に踵しか使っていないのに気づいたそうだ。
歳を取ると歩き方も変わり、杖を付くようになる人も増える。
70代を過ぎると老人は社会や家庭から必要とされなくなる。
子供も職場で部下を持っている年代だから親の戒めやアドバイスはもはや効き目はなくなる。
ただひとつ孫に対しては経験が励ましになるという。
曾野綾子は歳を取ってから料理作りが好きになり、嫌いなものは権威を誇る人だそうだ。
きれいな歳の取り方は時間を誰のためでも無くなった自分の時間を自分のために上手に
過ごす事だという。
行き着く先は人間としての中身だが、読み始めた内館牧子の言葉の使い方も読めば読むほど
おかしな世の中になったことを思いながら反省をこめて生き方を探っていかねばならない。
これまでの長い人生、化粧より髪の毛が如何に見苦しくなく、そのために自分で自分を嫌になることなく
朝から不機嫌になることなく職場に出かけられるかが毎日の課題だった。
思えば本当に長い心がけで生きているではないか。
年とともに薄毛や分け目の広がり、生え際の後退、などそれこそ加齢ですよといわれる分野に
とっくに加入した。
たった一つ、母親似で白髪がないことが財産になった。
しかし、猫毛、柔らかい、髪が少なくなったなどは従来どおり持ち越している。
テレビのCMでやたらにレディースアデランスの放映が多くなってきて目障りに感じるが
時代か・・・
ニーズも高いのであろう。
女性は老化しても髪の毛はフサフサ、インプラントで歯がきれいに揃って真っ白、しわも少なく首から上は
美容整形の進化でアンチエイジングを手に入れるお金持ちが羨ましい。
などは少なくとも50代の頃は考えもしなかった老化の範疇だった。
美容院を先に伊那に移住した娘から紹介され難しい自分の髪の毛を手名付けられる美容師に
お目にかかりたいと思ったら運のよさでそれから2ヵ月ごとにお世話になっている。
伊那市は美容院の数が半端ではなく過当競争の街だそうで、サービスも差が大きい。
さて、20日の土曜日は朝から霙交じりの悪天候で、これまで1週間、解けもせず毎日舞う
雪にうんざりしながら気分を変えに美容院に出かけた。
美容院と言うと、パーマをかける間、手当たり次第目の前に置かれた週刊誌を読んでいく
のが通常だが今回はなぜか手が伸びなかった。
美容院によって置かれる週刊誌の種類は異なるが、料理の本でもなく家庭画報を今回は手にとって見た。
分厚い中身はまさにすむ世界が違う内容であり、これまでだったら何となくパラパラと読み進めては
ほいと週刊誌に手が行っていたが、何だか違った。
新年特大号で由緒深い名家の新年とおせちととらやとなぜかベートーベンの特集でウイーンとボンの都市が紹介された。
仲道幾代がベートーベンが苦手で演奏するのを避けていたが、現地を訪れて目が覚めたそうだ。
編集の仕方で読み手も興味の持ち方が変わるものである。
フアッションも宝石も豪華そのものの記事に毎度のこと場違いな世界を感じながら、同じ日本の中で
年金世代の2か月分の収入がセーター1枚分の値段かと思うと空しい。
空しくなりながらふと、三浦朱門と曾野綾子の連載を読んだ。
三浦朱門は体力が落ち新幹線に乗るために間に合わず走った時に踵しか使っていないのに気づいたそうだ。
歳を取ると歩き方も変わり、杖を付くようになる人も増える。
70代を過ぎると老人は社会や家庭から必要とされなくなる。
子供も職場で部下を持っている年代だから親の戒めやアドバイスはもはや効き目はなくなる。
ただひとつ孫に対しては経験が励ましになるという。
曾野綾子は歳を取ってから料理作りが好きになり、嫌いなものは権威を誇る人だそうだ。
きれいな歳の取り方は時間を誰のためでも無くなった自分の時間を自分のために上手に
過ごす事だという。
行き着く先は人間としての中身だが、読み始めた内館牧子の言葉の使い方も読めば読むほど
おかしな世の中になったことを思いながら反省をこめて生き方を探っていかねばならない。