7月31日 水曜日
↓ タヒではない。
2.鹿石
20分位北に走って、“鹿石”へ。
右側の、古い木の柵の中に立っている。高さは、1.5m位。
模様は残っているんだけど、正直、私には鹿(トナカイらしいが)に見えない・・・。本当に鹿(トナカイ)なのかなあ。
鹿石はモンゴルはじめ中央アジアと南シベリアに1,200体以上発見されていて、モンゴル北部のフブスグル県と中央部のアルハンガイ県の鹿石は2023年に「鹿石および青銅器時代の関連遺跡群」として世界遺産に登録されている。まだ、日本語のページがなかったので、Google翻訳したら「モンゴル中央部のハンガイ山脈の斜面にあるこれらの鹿石は、儀式や葬儀に使用されていました。紀元前 1200 年から 600 年頃のもので、高さは最大 4 メートルで、単独またはグループで地面に直接設置されており、ほとんどの場合、キルギスールと呼ばれる大きな埋葬塚や犠牲の祭壇を含む複合施設内にあります。高度に様式化された、または表現的な雄鹿の彫刻で覆われた鹿石は、紀元前 2 千年紀から 1 千年紀の間に発展し、その後徐々に消滅したユーラシア青銅器時代の遊牧民の文化に属する最も重要な現存する建造物です。」だそうだ。
こちらの方のページにも詳しいです。
「紀元前7世紀頃から紀元前3世紀にかけてユーラシアのこの地域を勢力下に置いていた乗馬遊牧民、スキタイ人が手がけたのだと考えられていた。しかし、いくつかの石の近くで発見された馬の頭蓋骨の放射性炭素年代測定は、スキタイ文化が後期青銅器時代(紀元前10世紀前後)に定着する前に作られたことを示しているという。」という事で、良く分からなくなったらしくて、「ムー」のWEBページにも取り上げられてる謎の遺跡らしい。
で、鹿石の周辺には、へラクスル(古代のモンゴルの王権の象徴とされる建造物(Wikipediaより)→私の感想:古代に“モンゴル“という概念はなかったので、カラスク文化かスキタイ文化の貴族の墓だったのではないか)が残る。
↓ 石積があって、直線状に並べられた石がある。
↓ ストーンサークルも3ヵ所見つけた。
周辺は、石が採り易い丘になっている。
3.奇岩とタヒ
さらに東へ向かう。だんだん、緑一色の丘から、花崗岩剥き出しの丘へ。
と、運転手さんがタヒ発見!
確かに稜線に何かいる。肉眼だとこれくらい。さすが運転手さん!
↓ カメラで撮影して、拡大するとこれくらい。
確かに、家畜の馬とは違う!
だが、私は周辺の奇岩に目を奪われる。
↓ 名前があってもいいような岩だ。
↓ 枝がモジャモジャしているのは、ワシ(多分)の巣らしい。
そして、また走る。
そして、また運転手さんがタヒ発見!
さらに走ると、いきなりの土砂降りに。
タヒの観察ポイントに到着。田舎のバス停の待合室よりちょっと小さな建物が2コあって、固定された望遠鏡があり、民族衣装を着たおじさんもいるんだが、雨が凄すぎて、首からかけた自分のカメラをレインジャケットから出す気がせず。おじさんの望遠鏡でタヒを確認したら、ガイドさんにスマホを渡して望遠鏡越しに撮影してもらう。
今年16頭しか生まれていない仔馬もいる。タヒも3回も見られてラッキー!
観察ポイントには欧米人の人も。人石に向かう時にはピクニックしている欧米人もいたけど、よくこの轍しかない公園内で道が分かって自動車を運転できるなあと思っていたら、雨の中、ツーリストキャンプに戻る私たちの自動車を、欧米人が乗った自動車が待っていて、そして後を付いてきた。だよね。
なかなか楽しい国立公園だった。本当は公園内にもっと遺跡があるんだが、ツアーだからしょうがない。
4.夕食 19:00~20:00
↓ サラダ
ランチの時、ツアー客皆に「夕食はチキンとカルボナーラのパスタのどちらにしますか?」と聞かれたので、私が思わず「パスタ!」と答えたら、夕食全員パスタになってしまった。
出てきたパスタはチキンがのったミルク味のパスタだった。どっちみちチキンだった。完食したけど。
デザートにオレンジが出たと思う。
その後、雨は小降りになった。夜は気温15度位あるのでそんなに寒くなないのだが、ツアー客の半分位の人が(最後のゲル泊だから)とストーブに薪を1本くべてもらって気分を味わったそうだ。
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