落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

東京国立博物館【挂甲の武人 国宝指定50周年記念  特別展「はにわ」】その2

2024-12-05 16:45:25 | アート・文化

第二会場

エスカレーターを上がってきた偉そうな会社員の男性2名が「国宝の武人はどこだ?分からないのか?」と入り口のスタッフに大声出してた。きっと時間がないから有名な武人5人衆だけ見ようとしてたんだろう。若い人は、あんな大人にならないで欲しいな。

第4章 国宝 挂甲の武人とその仲間

入り口のビデオで、同じ工房で作成された可能性も指摘もある、兄弟のようによく似た埴輪が5体の挂甲の武人を、ゴレンジャー並みのヒーローに例えて紹介。うちの1体は、現在アメリカのシアトル美術館が所蔵しているので、確かに5体揃い踏みは貴重な機会だ。

5体離れて展示しているのと、各ガラスケースにリスト番号のみが振られていて(しかも番号順にならんではいない)、説明パネルはかなり離れた場所にまとめて展示しているので、正直、誰が誰か分からなくなった。なので、アップで撮った写真は、違う武人の可能性がかなりある。

 

↓ 57.奈良・天理大学附属天理参考館所蔵

 

↓ 59.アメリカ・シアトル美術館

 

↓ 55.東京国立博物館所蔵 たまに考古館の入り口に展示しているのだが

背負っているのは矢を収めた靫(ゆき)

 

↓ 56.相川考古館所蔵

 

↓ 東京国立博物館所蔵の彩色復元

中国の兵馬俑と比べるべきではないと分かってはいるけどさあ。向こうは2,200年前にあのレベルなのにかあ、と思ってしまう。

 

↓ 挂甲 発掘された本物

 

↓ 60.こちらも国宝の挂甲の武人

群馬県立歴史博物館で会ってるな。

 

第五章 物語をつたえる埴輪

「埴輪は複数の人物や動物などを組み合わせて、埴輪劇場とも呼ぶべき何かしらの物語を表現します。ここではその埴輪群像を場面ごとに紹介します。」

力士や踊る人や家形の埴輪を展示。

 

↓ 私が気に入った導水施設型埴輪

大阪の古墳で平成10年頃に相次いで発見されたそうだ。モロッコの砂の砦みたいだ。

 

エピローグ 日本人と埴輪の再会

↓ 帽子をかぶる男子

柴又で渥美清の命日に発見された事もある「寅さん埴輪」と呼ばれているそうだ。「寅さん」でピンとくる私達以上の世代も、そのうち歴史になってしまうんだろうか。

 

↓ 武人埴輪模型

明治天皇陵に埋められた埴輪の模型だそうだ。まだやってたんだと、ちょっとビックリ。

 

常設展 日本の考古(テーマ展示)

お客さん、こちらにも流れて来るかと思ったら、流れてこない。なんでだ? ここにいっぱいあるのに。ちなみに国立博物館所蔵の埴輪は、画像検索すると364点あるらしい。

↑ 入り口の展示は、今回は「重要文化財 埴輪 盛装女子」

↑ こちらも今回は宮城県遠田郡田尻町蕪栗恵比須出土の遮光器土偶

↑ 「僕らも見てよ~」と言っているに違いない。

↑ 石人もこんなに彫刻が残っている像がこっちにはあるのに。

物販コーナーも来た時には、レジ待ちの列が30m位。大人気だなあ。だったらこのエネルギーで、発掘作業がすすみますように。

 

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東京国立博物館【挂甲の武人 国宝指定50周年記念  特別展「はにわ」】その1

2024-12-04 10:31:32 | アート・文化

11月22日 金曜日

14:00頃上野駅到着。

なんだ?この混雑は?

国立西洋美術館では「モネ 睡蓮のとき」をやっていて館外にも列ができていた。

そして東京国立博物館。

表慶館で「ハローキティ展

入り口では30分待ちの表示もあった「はにわ展」だったが、平成館に着いたら待つことなく入場できた。

が、最初の展示「埴輪 踊る人々」の前でこの人々。写真撮影は自由なので皆、スマホで撮りまくる。

なので、混んでいる場所は抜かして「はにわ展」→常設の「日本の考古」→再び「はにわ展」の順序で見学。

第一会場

プロローグ 埴輪の世界

①「埴輪 踊る人々」

このキーホルダー(2体で1組)を前にここで買って、旅行用の財布に付けてたら、海外の空港のセキュリティーでハサミの刃に間違えられてBAGの中身を調べられた。

 

第1章 王の登場

常設展でもその仲間達が並んでる。

 

第2章 大王の埴輪

入って左側のガラスケース内は、宮内庁貸出品のため(なんでだ?)写真撮影禁止。

①水鳥形埴輪

 

②挂甲の武人、捧げ物をする女子、家形埴輪

【「挂甲(けいこう)」とは古代の甲よろいの一種で、革や鉄板の小札を革紐や組み糸で綴じ合わせ、身体を防御する騎兵用の武具のこと。 起源はオリエントにあると考えられ、中国では戦国時代以降に発達、5世紀中葉には馬・騎馬術とともに朝鮮半島を経て日本に伝わった。】そうだ。

 

第3章 埴輪の造形

舟形埴輪

これは国宝の模造だそうだ。立派だ。国宝納得。

 

②椅子型埴輪

椅子型は初めて見たような気がする。群馬県伊勢原市赤堀茶臼山古墳出土。

 

子持家形埴輪

 

天冠をつけた男子

 

あごひげの男子

外国人にしか見えない。

 

挂甲の武人

優しそう。ちょっと弱そう。栃木県真岡市 鶏塚古墳出土。

 

⑦武装石人

九州独自の墓の守。やっぱ、石はいいわ。こっちの方が好きだ。

 

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東京国立近代美術館「ハニワと土偶の近代」&丸の内イルミネーション

2024-12-01 12:48:43 | まち歩き・東京

11月17日 日曜日

夜に友人と有楽町で会う約束があったのでそれまでの時間に。

 

Ⅰ.東京国立近代美術館「ハニワと土偶の近代

東京国立博物館の特別展「はにわ」から流れて来る来場者が多くて混むのかな?と思ったら、混んでなかった。

まあ、趣旨が違うからなあ。

本物のはにわや土偶の展示は3点位で、「ハニワと土偶の近代」というテーマ通り、明治以降“ハニワと土偶”がどのような扱われ方をしたかという展示だ。

写真撮影は、禁止マークがなければOK.

主にアーティストが、ハニワや土偶からインスピレーションを得て、登場させていた作品は主。

自分でも収集していたという岡本太郎の作品などもあった。

怖かったのが、「1-4 神話と戦争と」のコーナー。

「ハニワそのものの「美」が称揚されるようになるのは、1940年を目前にした皇紀2600年の奉祝ムードが高まる頃――日中戦争が開戦し、仏教伝来以前の「日本人の心」に源流を求める動きが高まった時期でした。単純素朴なハニワの顔が「日本人の理想」として、戦意高揚や軍国教育にも使役されていきました。

ええっー! そんな無理やり解釈かい! 確かにハニワの眼は空虚だし、天皇陵を守っていたし。だからって、それを利用するほどの軍事政権の思想管理って怖い!

↓ だから、この絵が怖くて・・・

「神話世界を古墳時代の風俗で描くことは、古事記・日本書紀が聖典とされた戦時下の特徴。本作は戦意高揚を促した航空美術展の出品作。」

そうかあ、古事記・日本書紀が聖典の名残で、宮内庁がそれに記載されている天皇陵を管理して、発掘できないのかあ。もう70年以上たってるのになあ。

蕗谷虹児という人も、今調べたら、竹久夢二の絵のような「叙情画」という言葉の考案者で、自分も元々そんな絵を描いていて、さらに日本のアニメーションの生みの親。想像していた人とは全く違うじゃないか。

そう考えると映画「大魔神」シリーズは、戦国時代が舞台だけど、争いに利用されたハニワの怒りが描かれていたのは、メチャメチャ現代への反戦映画なのだろうか。

 

Ⅱ.皇居お濠周辺

東京国立近代美術館~丸の内まで歩いた。

↓ ダイサギ

このポーズで、水中の魚を探してた。

↓ 和田倉噴水公園

↓ 東京駅

 

Ⅲ.丸の内イルミネーション

さすが日曜日。凄い人だ。

けど、さんざんイルミネーションを見ている私には、「おおっ!」という程ではない。すまん。

写真撮影に励む。

そして、有楽町着

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赤城自然園で歩く、風呂に入る

2024-11-30 12:47:28 | 旅行記・関東

11月7日 木曜日

友人と、赤城自然園でハイキングして、温泉に入るという日帰りバスツアーに参加。

 

Ⅰ.赤城自然園

12時過ぎに赤城自然園に到着。後で友人に聞いたら、横浜の小学生が遠足に行く場所だそだ。

入り口でスタッフの方に簡単に説明を受けると、お弁当と地図を持って後は14:30まで自由散策。

 

セゾンガーデンと自然生態園あたりを歩いた。

【四季ある国、日本ならではの森。唯一無二の森。赤城自然園は生理心理実験によって森の癒し効果が科学的に実証された「森林セラピー基地」です】だそうだが、正直普通の森というか・・・。セゾングループが、ゴルフ場開発だけではなんだからと罪滅ぼしに造った森って感じだった。
 
お腹が空いていたので、早速お弁当を食べる。晴れていて暖かいのだが、お弁当を日陰のベンチで食べたら寒くなってきた。
 
↓ お弁当は登利平の鳥めし
私は会社員の頃、出展していた展示会会場で提供されていた弁当なので、懐かしかった。
 
 
 
紅葉にはまだ早いけど、一生懸命、赤いモミジを探す。
 
 
 
↓ 昆虫館とトンボ池あたり
 
 
 
 
↓ ミズスマシの池
 
 
マムシグサの実
 
毒草です。覚えた。
 
↓ サトミの実(だと思う)
 
 
↓ オニフスベ(かな?)
 
 
↓ 栗 
 
 
↓ リンドウ
 
 
野生のリンドウって、茎が蔓みたいに細くて、地面を這っているので、地面から咲いているように見えるんだ。初めて知った。
 
 
↓ 良い感じに枯れてた紫陽花
 
 
 
 
1時間の入浴なので、ちょっとせわしなかった。面倒なので、顔と髪の毛を洗った後、化粧をしなかった。
 
なかなかインパクトのある建物だ。右奥の建物がビジネスホテルで、その施設らしい。
 
風呂上り、缶ビールを探したけど、自動車でくるお客さんが多いせいか売ってなくて、ヨーグルトを大人しく食べる。
 
この後、バスでグッスリ寝る。
 
健康的な1日であった。
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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その6 土塔と百舌鳥古墳群

2024-11-27 22:09:51 | 旅行記・関西

10月27日 日曜日

8:00頃ホテルをチェックアウトして、出発! 今日は年に1度(位)の、大阪府堺市中区土塔町の土塔の頂上公開の日!

大和八木駅から近鉄奈良線で、大阪難波駅へ。

コインロッカーに荷物を預けて、南海電鉄のなんば駅へ。こんなに歩くんかい! そして、エスカレーターは左側を空ける。大阪だあ!

そして、南海電鉄なんば駅。ホームが8本並んでて、ヨーロッパの始発駅みたいだ。ちょっとワクワク。

9:00頃、堺東駅に到着。

 

Ⅰ.堺市役所21階展望ロビー

1時間に1本の、土塔行きのバス時間と停留所の位置を確認してから、百舌鳥古墳群が見下ろせる、無料の堺市役所の展望台へ。

そして、予想通り!

21階の高さだから、古墳群はただの茂みにしか見えない。

まあ、こんなもんでしょう。

そして、なぜか「ゴルゴ13展」をやっていた。

↑ こんな風にみえるんだったら、土塔に行くのは10:40のバスでもいいかと思ってたけど、やっぱり09:40のバスに乗ることにして急いでバス停へ。

 

Ⅱ.土塔

堺東駅前から、1時間に1本の「あみだ池」行きバスに乗車。バスは仁徳天皇陵や堺市博物館のそばを通ってから、30分後くらいに「土塔」停留所に着。帰りのバス時間を確認して、そこからGoogleマップ10分弱歩く。

そして、あった。土塔だ。堺出身の奈良時代の僧、行基が建立したとされる四十九院のひとつ大野寺の仏塔だ。

2年前に奈良の頭塔に行った時、是非、この土塔にも行ってみたいと思っていたのだ。天気のせいもあるのか、瓦のせいなのか、妙に明るい感じで、奈良の頭塔とは全然違う雰囲気。

やっぱり、管理する組織の差かな?ボランティアの方もいっぱいいて、地元に愛されている感じだった。

頂上の人も楽しそうで。

では、登ろうと、登り口に向かったら

復元して瓦が葺かれているのは、二面だけだった・・・。

↓ 上からの景色

瓦の色がいろいろあるのは、赤は生焼け状態だからだそうだ。上手に焼けた状態の瓦だけを使う訳にはいかなかった、復元の経済事情だったそうだ。

↓ 土塔復元模型

後世の人にこんなに愛されてるなら、行基さんも喜んでいるんだろうなあ。

 

Ⅲ.ランチ

11:02発のバスに乗って、仁徳天皇陵と履中天皇陵の間にある大仙公園内にある「こふん前Cafe IROHA」へ。

日曜日のお昼だけあって、20分以上待つ。お腹が空いて動きたくなかったので、大人しく待つ。

限定20食の“日々是好日”を食べる。

これにデザートとコーヒーが付いて2,000円位。今回の旅行で、初めて観光客らしい、のんびり、美味しいランチとなった。

 

Ⅳ.堺市博物館

大仙公園内にある堺市博物館

常設展「百舌鳥古墳群と堺の歴史・文化」の“古代~古墳の時代~”を重点的に見学。

天皇陵に入れた頃の調査資料が展示されていた。今は入れないからなあ。どうなのよ、それって。

 

↓ 湯山古墳の石棺

石室は高度成長化時代の工事で壊してしまったそうだ。そんなもんさ。

 

↓ 行基様

今年行った高知県と愛媛県では“弘法大師様“だったけど、奈良と大阪は“行基様“。

 

Ⅴ.仁徳天皇陵など百舌鳥古墳群

上の図の仁徳天皇陵の拝所⑦あたりから後円の②あたりまで歩いて、①の反正天皇陵まで行ってみる事にする。

 

1.仁徳天皇陵拝所とお堀と陪塚(ばいちょう)

仁徳天皇陵の陪塚を一つ一つ確認して歩いたのだが

こんな感じでしたあ。まあ、しょうがないか。都会の真ん中だし。仁徳天皇陵のお掘りも、場所によってはよどんだ水溜りみたいな感じの所もあった。

ヘリに乗って見たら楽しいのだろうなあ。3名集まれば、1人あたり16,000円かあ。

 

2.反正天皇陵

こちらは住宅街の中に残る古墳。

仁徳天皇の息子らしい。反正天皇というのはおかしな名前だな、と思ってたら“「正しさに反する」のではなく「正しい状態に返す」という意味”だそうだ。

↓ 後ろから覗きこんだ所

古墳群は予想通り、茂みであった。

堺東駅は、西側があんなに大都会だったのに、東側はとっても可愛い改札だった。

新大阪駅で大混雑にびっくりして(女子トイレなんてトイレ外の壁際に行列を作るように指示する注意書きが当たり前のようにあって、皆行列してた)、でも「大人の休日倶楽部」割引では新幹線の“ひかり”しか乗れないので、ガラガラのホームのベンチに座ることができた。

行きたい所、全てに行った3泊4日の奈良&堺の度はこうして終わった。

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その5 飛鳥

2024-11-24 23:34:46 | 旅行記・関西

10月26日 土曜日

今日は特別公開のキトラ古墳を11:30、牽牛子塚古墳を15:30に予約。キトラの前に益田岩船に寄る。

 

Ⅰ.益田岩船

益田岩船は初めて訪れる。松本清張の「火の路」によると石の宝殿とも関係あるらしい。

近鉄吉野線飛鳥駅の一つ前、8:00頃に岡寺で降りる。新興住宅街を抜けて、山に向かう。

ここを登って、右手へ。遊歩道を少し下る。Googleマップはこの階段までしか表示されないので、通行人に道を教えてもらった。

そしてここから山の中へ入って登る。

一応道はある。

↓ 土が崩れている場所には岩が見える。このような岩を利用して作ったのかな?

おおっ、見えてきた。竹林の中で、なかなか幻想的な雰囲気。こっちは北面になるらしい。

 

1.北面

下の方は格子状に模様が入っている。東西幅11m。高さ4.7メートル。やっぱデカいわ。

 

2.西面

地面が斜面になっているので、なんとか上部が見えるけど、覗きこむことはできない。

 

3.南面

のっぺりしてる。

 

4.東面

南北幅8m。

私以外誰も来なかったので、セルフタイマーで大きさ比較のため自分を撮影。結構、走った。転ばなかったけど。

石室の作り途中説が最近は有力らしいけど、このメロンパンのような切込みが不思議だあ。実物見られて良かった!

 

Ⅱ.ブランチ

岡寺駅周辺には何もないので、1時間に2本の電車に乗って飛鳥駅へ。駅前の「珈琲館 御園(みその)」さんへモーニングを食べに行く。

09:30過ぎに到着。私でちょうど満席。地元の人が週末の朝は家族でモーニングを食べにくるらしい。

このボリュームで740円!なかなか良いお店でした!

 

Ⅲ.キトラ古墳&壁画公開

10:20過ぎに、飛鳥駅から一駅先の壺阪山駅に到着。ここから、飛鳥よりさらに人家のない畑の中を歩く。

11:00前に国営飛鳥歴史公園キトラ古墳周辺地区に到着。壺阪山駅からの歩いた方が、キトラ古墳などには近い。でも結構歩いたなあ。年取って歩くスピードが落ちたのかなあ。

キトラ古墳壁画公開の予約は11:30の回なので、その前後でキトラ古墳壁画体験館「四神の館」と復元されたキトラ古墳を見学。

 

1.キトラ古墳壁画体験館「四神の館」

入場無料。壁画公開も無料。壁画の保存方法に頭を悩ませた結果、壁画を剥いで保存している所です。

↓ 2階が入り口

↓ 1階にも出入口があって、お洒落な造り

石室の壁画のレプリカもあって、入ることができる。ガイドさんの説明付き。

石室の南壁に穴が開けられ盗掘されているけど、高松塚古墳のように壁画が壊される事無く、上手い具合に四神が残っていたそうだ。

あとは壁画の説明と、保存方法の説明のパネル展示。

キトラ・プラネタリウム」というのも見てみた。定員10名なので?と思って行ったら、半球体のキャンプ用のテントの中に、ビーチチェアみたいのが10個。

内容は「秋の星空を舞台にして、キトラ天文図にも描かれている中国の星座と西洋の星座を対比させながら、わかりやすく解説する新番組」で、飽きることなく(プラネタリウムって、結構飽きないか?)ちゃんと面白く観られた。

 

2.キトラ古墳壁画公開「天井・天文図」

こんな風に期間を決めて、ガラスケースに入った、剥いだ壁画を公開している。で、私が行った時は天文図。

3階の展示室に10名位で入室。良く見えるように、双眼鏡を貸してくれた。写真撮影は禁止!

星の金箔が穴あけポンチで大きさ2種類を使ったような感じで面白かった。7世紀末~8世紀初頭に造られたのだから、穴あけポンチくらいあったろうなあ。コンパスの穴の跡も肉眼で確認できたけど、下書きやコンパスの穴を消す手間を惜しんだのはなぜだろう?

エジプトの4,500年前の壁画と比べてはいけないんだろうが、ちょっとなあ。と正直思う。

 

3.キトラ古墳

↓ 古墳前の広場

「古墳鑑賞広場」という名前らしい。隣の家が立派だ。

 

Ⅳ.高取町土佐街道

壺阪山駅からキトラ古墳に行く時に横切った場所。電車時間まで見学。

なかなかお洒落な街並み。街並み保存、大変なんだろうなあ。なんで飛鳥で土佐?と思ったら「飛鳥時代の初期に大和朝廷の都造りに駆り出された土佐(高知)の人々が帰郷できず、この地に住み着いたことが起源とされている。」そうだ。そのまま、地名として残っているんだ。高取町って、飛鳥駅の隣なのに、全然違った雰囲気だ。

 

Ⅴ.岩尾山古墳

飛鳥駅に戻って、15:30予約の牽牛子塚古墳の途中にある岩尾山古墳に寄ってみた。

階段を登ると石室入り口。

なかなか大きい石だ。

中は広くて立派じゃないか! 整然とした立方体の組み合わせ。

勝手に入って良くて、広くて立派で、楽しい!

 

Ⅵ.牽牛子塚(けんごしつか)古墳・越塚御門古墳

飛鳥駅のサイクリングコースの反対側を20分位歩く。

ここも途中の家々が立派。

見えてきた! 15:30からの特別有料エリア(1名500年)を予約していた牽牛子塚古墳・越塚御門古墳。

↓ 模型

上の白い石で覆われた方が牽牛子塚古墳で、下の小さいのが越塚御門古墳。1グループに1名つくガイドさんに連れられて、まずは越塚御門古墳内で、プロジェクターで投影された牽牛子塚越塚御門古墳のビデオ鑑賞。

天智天皇が、牽牛子塚古墳に母である皇極・斉明女帝と姉妹の間人皇女との合葬、自分の娘で皇極・斉明女帝の孫でもある大田皇女を葬した越塚御門古墳について、政治の犠牲になった3人を弔う感動的な物語と、古墳の説明が、要領よくまとめられていた。本物の石室越しの映像をみるのは不思議な感じ。

そして、凝灰岩切石で葺かれた復元された牽牛子塚古墳。

石室に入れるのかと思ったら、階段を降りて、閉まってる鉄柵の間から覗くだけだった。

本当に二つ部屋がある。

天皇のみが祀られている八角墳の説明をガイドさんから聞いたりして、1時間以上滞在。

ただ、復元時は、こんなに白かったのに

たった2年でこれ?

本当に凝灰岩で覆われていたのかな? 復元は、墳丘がその重さで崩れないように石の板を貼っているだけだそうだが、いったい何が流れ出てこんなになってしまったんだ?と、そこが一番の疑問だった。

 

Ⅶ.夕食

大和八木駅近辺には飲み屋が多かったので、八木西口駅の今井町の方に行ってみた。ここも古い町並みが残る地区らしいが、暗くて景色が全く分からない。

そこの古民家カフェ「Hackberry」さんへ。

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その4 飛鳥

2024-11-23 11:17:43 | 旅行記・関西

10月25日 金曜日 その3

 

Ⅷ.ランチ

石舞台のすぐそば。12:30頃到着。「明日香 夢の旬菜館」内の「レストラン ポカフレール」へ。

豚ロースステーキ1,000円+コーヒー200円。見た目はワンプレートなので最初は量が少ないと思ったけど、実際は食べ応えがあった。古墳のそばで食べると、大抵古代米が出てくる。肉も美味しかった。

 

Ⅸ.石舞台

ここも国営飛鳥歴史公園の石舞台地区という事で、広い公園になっている。遠足の中学生が芝生広場で元気よく騒いでいた。

世界の遺跡・ドルメンを見てきたけど、もちろん時代は石舞台の方が全然新しいから(2,000年以上)比べるのはおかしいんだけど、でも大きいわ。石室としての大きさは世界的にも立派だわ。

↓ 中に人が入っている所を、外側から、石の隙間から撮影

↓ ぼやけているのは私です。大きさ比較として。

こんな言い方は良くないが、無駄にデカい。

↓ 中にあったはずの家型石棺の想像復元

この後、おしゃれな街並みを走る。

 

Ⅹ.酒船石遺跡

どかにあるんだ?と思いながら自転車を漕いでたら、「万葉文化館」の駐車場のそばだった。

40年前に来た時は、酒船石しかなかったけど、2,000(平成12)年の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡と呼ばれるようになった。歴史は後世の発見で塗り替えられるから面白い。

 

1.酒船石

40年前は謎の遺跡だったのだ。手塚治虫の「三つ目がとおる」第4話とかさ。酒か薬を調合する道具だとかさ。宇宙人が作ったとかさ。ロマン溢れる遺跡だったのだ。

しかもこちら側(案内所:料金を払う場所の右手の山道を登る)はなぜか無料。

↓ 西暦2,000年前の説明版なので亀形石造物には触れてない。

長さ約5.5メートル、幅約2.3メートル、厚さ約1メートルと大きいので、上手く写真におさまらない。

不思議な形でしょ。

変に切り取られている(ほぞ穴)のは近くの高取城増築する時に、持って行かれたらしい。

↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカでは、こんな風に使われていたんだろうと復元。やっぱり水を使った儀式用庭園の一部だったのかな?

 

2.亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣

こちらは2,000年に発掘された有料地区。お金を払う小屋のおじさんが、親切に説明もしてくれた。

水を流してる木、木を支えてる黄色い石、石垣の補強の黒い土嚢以外は発掘したままの物なんだって。

「万葉文化館」の駐車場のために土を掘ったら出てきたそうだ。説明してくれたおじさんは「日本書紀以外の文献に記述がないのは、あまりの大規模土木事業のため、人々の生活を圧迫したので、良く思われなくて、忌み嫌われたからではないか」という説をあげていた。

確かに広い! 大規模工事だったのに、違いない。また、40年後に来たら、何か発見されているのかなあ。おじさんの話を聞く事ができてラッキーだった。

 

また、おしゃれな街並みを通り抜ける。

飛鳥寺は40年前の記憶があったので、パスする。謎の石はないし。

 

Ⅺ.奈良文化財研究所飛鳥資料館

ここの庭園には、飛鳥の謎の石のレプリカが並んでいる。庭園だけなら無料だ! なんて素晴らしい場所なんだ!

 

1.高松塚古墳の石室のレプリカ

穴は盗掘者が開けたもの。

 

2.高取の猿石

猿石の仲間。高取までは距離があるのでここで見られて良かった!

 

3.京都の料亭に現物がある酒船石

 

4.須弥山石(しゅみせんせき)

石神遺跡出土。噴水の機能を持つ石造物で、使われていた当時のようすを再現しているので、ちゃんと水が出ているのだ。

↓ こちらは館内にある現物

 

5.石人像

技術的には凄いと思うが、飛鳥時代の人はこれを見て美的には感動したのだろうか?

↓ 館内の現物

 

入場料を払って、ちゃんと館内も見学しました。

飛鳥資料館の庭園で大満足。飛鳥の謎の遺跡は、大陸→百済から伝わった、水を操る庭園に使われた物だったんだねえ。亀石は違う気がするけど。

 

満足したし、飛鳥駅のレンタサイクル屋さんに5時まで自転車を返却しなければならので、そのままのんびり駅に向かう。

この頃になると、余裕で自転車を漕ぐことができた。年寄りは適応能力がないな。

↓ この奥が甘樫丘地区

なかなか充実した1日だった。

 

Ⅻ.ホテル

25日と26日は、奈良より飛鳥に近い場所で安いホテルを探した。1ヵ月前で、ここしか空いてなかった。

大和橿原シティホテルのスーペリアシングルルームの素泊まりで、25日が7,700円で26日が土曜日なので8,700円。口コミだとあまり評価が良くなかったが、別になんともなく快適に過ごせた。

【喫煙ルーム】しか空いてなかったが、昭和育ちの私は若い頃吸ってたので、部屋に入って5分もたてば、匂いが分からなくなっていた。

 

XⅢ.夕食

Farmers CAFE and GRILL「奈良食堂」-leaves-に行ったら、「予約でいっぱいです」。大和八木駅周辺は、居酒屋が多くてなんか入り難そうだったので、うどん屋へ。

コンビニでビールとつまみと翌朝分のパンを買って、この後部屋飲み。

 

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「ヴェノム:ザ・ラストダンス」

2024-11-18 19:57:05 | 映画

トム・ハーディが好きだから。

MARVEL映画は飽きたし、「ソニーズ・スパイダーマン・ユニバース」なんか知ったとこではない。冒頭のメキシコのバーのシーンは、スパイダーマンと関係あるらしいが、関係ないわい!

前2作、観てはいるけど、予習せずに行ったけど、丁寧に説明されてたし、「ヌル」と「コーデックス」の関係も良く分かった。コンビニのチャンさんは強烈なキャラだったので、ちゃんと覚えたので、問題なし。まあ“偶然”べガスで会う訳にないけど、映画だからなあ。

今回のトム・ハーディのエディは、メキシコに逃げてきてるせいもあって、Tシャツにアロハシャツを羽織ってひざ丈のパンツ。ヨレヨレで、体も顔もダボダボで全然カッコよくない。ベガスでスーツに着替えたら、少しカッコよくなった。「セクシーな男」に選出されたのもネタになってた。

「インセプション」の時、本当にカッコ良かったのになあ・・・。素敵だったのに。

エディとヴェノムは知り合って1年という設定で、2人の思い出シーンも出てくるんだが、第1作目の2018年の頃は若くてさあ・・・。ヴェノムはCGだから全く変わらないけど、トム・ハーディは生身に人間だからなあ。生身に人間って、やっぱり弱いよねえ。こんな弱い人間が、エイリアンと戦うのって、やっぱり無理だよねえ。

前作に続いて脚本と製作にもトム・ハーディの名を連ねていた。

映画自体は、面白かったよ。登場人物のキャラが、底が浅いと言うか分かり易いというか。女博士2名と将軍も分かり易い性格で。UFO好きのマーティン一家も、いなくてもいいけど、いればまあ感動できるし。ヴェノムはじめ、シンビオート達は皆いい奴ばかりだし。

長~いエンドロールクレジットで2回もエピソードが挿入されているけど、もう見る気はないので、関係ないや。

「靴」の扱いも、しつこい。分かるようで分からない。無くてもいいと思った。

 

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その3 飛鳥

2024-11-17 11:48:40 | 旅行記・関西

10月25日 金曜日 その2

 

Ⅳ.鬼の雪隠&鬼の俎板

欽明天皇陵の陪塚の石室が分離したものと考えられている。

こんだけ古墳があるので、石室や巨石は見慣れているはずなのに、鬼の仕業にした村人が不思議。

なんとこの石の管理は宮内庁!

 

1.鬼の雪隠

農道を西へちょっと走ると畑の中にまずは「雪隠」が見えてくる。

 

2.鬼の俎

道の反対側、斜面を登った林の中にある。

↓ 背面から入り口方面を見る

ステッチみたいな、大きい破線みたいのは、後の誰かが石を切り出そうとした跡だそうだ。

 

Ⅴ.天武・持統天皇陵

「鬼の雪隠&俎」が宮内庁管理であることに驚いて、やはり宮内庁管理の「天武・持統天皇陵」にも寄ってみた。どーせ、入れないけど。

今調べたら、ちゃんと天武天皇と持統天皇のお墓なのに、1235年に滅茶滅茶な盗掘をされていた。気の毒だ。

↓ 後側から見た、古墳部分

 

Ⅵ.亀石

畑の中に唐突に現れる。40年前に飛鳥に行った時より謎が解明されてきた石が多い中、この子は未だ謎のまま。

可愛い! 亀というよりカエルに見える。吉備姫王墓の猿石などとは全くデザインが違っているので、別の流れのような気がする。益田岩船に似てる。

「亀石は当麻の蛇の仕業で湖が干上がって死んでしまった亀を弔ったもので、元は北向きだったものが現在の南西へと向きを変えており、亀が当麻の方向である西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという怖い伝説も残されています。」怖っ!

おおらかなラインだ。

↓ 背面 翌日行った益田岩船のようなメロンパンみたいな大きい格子状の模様が見える。

 

Ⅶ.橘寺

「創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。当初は66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂(太子殿)など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。」

 

1.本堂

 

2.目的の二面石

やっぱり、猿石の仲間のような気がする。これも、今日最後に行った飛鳥資料館庭園に、もっと顔が見やすいレプリカがあった。

私は二面両方共、邪悪な顔にしか見えないのだが・・・。私の心は邪悪なのだろうか?

 

3.方丈池

 

4.往生院(限定公開)

念仏写経研修道場として平成9年(1997)に再建された往生院。その格天井には現代画家らが競作した260点の花の天井画。

 

5.五重塔跡の塔心礎

「一辺2.7mと巨大な塔礎石は、中央には直径約1mの孔が開いています。その周囲には3か所の突出部があり、添え木を入れるために設けられたものと考えられています。橘寺の五重塔は平安時代後期の久安4年(1148)に落雷で焼失し、鎌倉時代の文治年間(1185~1189)に三重塔として再建されましたが多武峰の焼き討ちで再び焼失。以降再建されずに礎石の一部のみが残されています。」

孔は橘の形になっている。

 

6.三光石&阿字池

「三光石は、 聖徳太子が勝鬘経を講讃した際、日、月、星の光を放ったという。阿字池 - 梵字の「ア」を形どって聖徳太子が作ったという。」

太陽・月・星の光ってなんだ?

「推古14年秋7月(606年)、聖徳太子は天皇の仰せによって勝鬘経(しょうまんきょう)を三日間にわたって御講讃になった。
その時、大きな蓮の花が庭に1mも降り積もり(蓮華塚)、南の山に千の仏頭が現れ光明を放ち(仏頭山)、太子の冠から日月星の光が輝き(三光石)、不思議な出来事が起こったので、推古天皇は驚かれて、この地にお寺を建てるように太子に命ぜられた。」

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奈良(主に飛鳥の古墳と石)&堺市 その2 飛鳥

2024-11-11 13:35:14 | 旅行記・関西

10月25日 金曜日 その1

近鉄奈良駅のホテルをチェックアウトし、大和西大寺駅と橿原神宮前駅で乗り換えて9:30過ぎに飛鳥駅に到着。40年前にも来てるけど、1時間近くかかって、3線も乗り換えたっけ? おまけに橿原神宮駅での乗り換えでは、なぜか踏切を渡った・・・。

飛鳥駅で、リュックをコインロッカーに預けて、駅前のレンタサイクルで1,400円の電動自転車を借りる。私のあまりにも下手さに(自転車に乗るのは7年振り)レンタサイクル屋の人に呆れられる。私が事故を起こしたら、飛鳥のサイクリング観光、大打撃だからなあ。

なので電動自転車に慣れるまで、電源を切ってこぐ。高松塚古墳までは、車道の脇の歩道を進む。

 

Ⅰ.高松塚古墳

 

国営の飛鳥歴史公園の1地区になるため、広大な広さだ。歴史公園館の方に自転車を停め、車道したのトンネルを通って、里山というか公園内をかなり歩く。

ドックランまであるんだが・・・。飛鳥にドックランって必要なのかな?

 

1.高松塚壁画館

1ヵ月の前に、この前週の壁画修復作業室の公開に申し込もうとしたらすでに空きがなかった。

壁画の模写がゆっくり鑑賞できる所。「壁画模写は、前田青邨氏のご指導により、昭和49年に平山郁夫 東京芸術大学教授(当時)を監修に、守屋多々志 愛知芸術大学教授(当時)を中心に、20名の方々に制作をお引き受けいただき、約2年の歳月を経て完成しました。」と誇らしげに解説している。

が、今となっては2,000年以降の保存の劣化問題が有名になってしまっているので、ちょっと気の毒な感じも・・・。

↓ 観覧料チケットはこちらを購入

三ヵ所巡るなら200円お得!

あと、ここでゲットした「明日香村 観光マップ」が広げるとA2サイズになる大型地図なので、見やすくて便利だった。

 

2.高松塚古墳

壁画館からちょっと登る。

もちろん復元。2段構成の円墳。

↓ 背面

↓ ここから見えるあの茂みも古墳なんだろうなあ

 

3.展望台

せっかくなので、公園の中を歩く。

おおっ、日本の風景だ! んん?右側の白い三角形は・・・

↓ 翌日ガイドツアーを申し込んでいる牽牛子塚(けんごしづか)古墳だ!目立つなあ!

歴史公園館まで戻って、その右脇の小道から、謎の石巡りへ。この後は、田んぼのあぜ道が自転車用に整備されているので、走り易い!

 

Ⅱ.吉備姫王(きびひめのおおきみ)墓の猿石

民家の間の幅50㎝位の道を登る。吉備姫王は、皇極天皇(642~645)&斉明天皇(655年~661年):同一人物で天智天皇のお母さん、のお母さん。「この墓は欽明天皇陵(梅山古墳)に隣接し、8m程度の小円墳とされるが、考古学的な裏付けはない。古墳ではないとの説もあるが、現在は欽明天皇陵の陪塚とされている。」そうで、かなりあやふやだ。そして宮内庁管轄。

この拝所の柵の向こうに、猿石はいる。18世紀初め頃に付近の水田から掘り出されたもの。「花崗岩」とする文献もあるが、宮内庁の調査報告では材質は石英閃緑岩らしい。

柵の間にスマホを突っ込んで撮影。

↓ 女(左)・山王権現(右)

↓「 山王権現」と言われている像の後姿 。飛鳥資料館の庭園レプリカを撮影。

かなり不気味だ。

 

↓ 僧(左)・男(右)

↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカの「僧」の後ろ姿。あばら骨みたいなのが彫ってある。

↓ 飛鳥資料館の庭園のレプリカの「男」

↓ 「男」の後姿。なんかしゃがんだ人みたいのがくっついてる。

そう、宮内庁管轄のせいで、実物はじっくり見られないのだが、飛鳥資料館の庭園で、レプリカをしっかり見る事ができる。しかも庭園は無料だ。なんて素晴らしい庭園なんだ!

多分、百済から来た人、もしくはその指導を受けた日本人が、天然の石の形を利用して掘って、当時の庭園に飾った石像だと私は思う。

吉備姫王墓の周辺の民家の屋根はこんな感じで立派だった。「煙り出し」と言うのかな?

 

Ⅲ.カナヅカ古墳

吉備姫王墓のちょっと先。看板だけあった。形状は方墳らしい。ここが吉備姫王の真の墓という説もあるらしい。明治時代に壊されてしまって、よく分からないらしい。

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