落ち着いた大人になろう!

旅行やら映画やらの独り言

台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その5 台中&台南&高雄

2025-03-01 14:25:28 | 旅行記・台湾

2月14日 金曜日

今日は、高雄→台北→九份→桃園ランタンフェスティバルというスケジュール。9:00にホテルを出発。

 

Ⅰ.高雄:美麗駅

宿泊していたホテルの直近の地下鉄の駅の1コ隣。アメリカの旅行サイト【Travel & Leisure(トラベルアンドレジャー)】が2012年に「世界で最も美しい駅」第2位に選ばれた美麗島站(美麗駅)

平日の9時過ぎなんて、ラッシュじゃないの?と思って地下に降りたら、閑散としてる。

で、この先にあった。

確かに素晴らしい。音と光のショーもあるそうだ。デザインの意味は、このサイトに詳しい。

でも、乗客がいない。市民の足になってない。

ガイドさん曰く「観光地には行くけど、職場に行く市民の足としてはルートが違う。台北の地下鉄はもっと混んでる。」

ええっー!どんな美しい駅を作ろうが、利用する乗客がいなければ意味じゃん。私が高雄市民なら絶対抗議活動してやる。税金返せ! いったいどんな政治的陰謀があったんだ?

しかも、なぜか江ノ電とタイアップ企画してる。

他にも地下鉄(MRT)と江ノ電のマスコットのポスターとかもあった。

あと、こんなのも。

友人は、ボソッと「京王多摩センター駅の方がいろんな意味でいいかも」と言っていた。調べると確かに。

 

Ⅱ.高雄:高雄港大港橋

若者向け観光スポット「駁二藝術特區」にある、水平に回転して船を通す仕組みの橋。お洒落なウォーターフロント開発計画。

橋の展望台からみる風景。

左側の不思議な白いハチの巣みたいな建物は「海洋文化及流行音樂中心」で、ガイドさんは「ジュディオングの旦那さんが設計した」と言ってたけど、今調べると、なんか違う感じが・・・。

この橋、「550人と自転車が同時に渡れる」そうなんだが、果たしてそんなに渡る人がいるのだろうか? 平日の午後3時には回転のデモンストレーションがあるらしい。

橋を渡った先はこんな感じ。これは雨だし、平日の朝だからこんなに寂れてるけど、週末の夜になったら、きっとお洒落な若者で大混雑のはずだ。たぶん。

 

Ⅲ.高雄:民芸品店

ツアー参加者の義務だ。ツアー受入の地元旅行会社に貢献する時間だ。とは言え、かさばるパイナップルケーキ8個入りが日本円で2,000円以上。他のお客さんは購入しているので、その人たちに任せた。

会社は辞めたし、親兄弟は旅行の土産に興味がない。日本の地元の“世界のお菓子屋さん”で、1箱500円のパイナップルケーキ、マンゴーケーキ、ヌガーは既に購入済。台湾の高級パイナップルケーキよりはパサつくが、「日本で買ったけど雰囲気土産」として親兄弟にはそちらを渡す。

 

Ⅲ.高雄→台北

高雄駅から新幹線で台北まで移動。

↑ 右端のTR Bentoで、お弁当を受け取る。ツアー客だけでなく、一般の人もどんどん購入してた。

見てくれは悪いが、肉とご飯の間には野菜もたっぷり入っていて、美味しかった。高雄駅での待ち時間で食べちゃった。

高雄駅発11:55で台北駅着13:29。

車両は日本の新幹線と同じだし、車窓の風景も同じだし。外国感ゼロ。

台北駅に到着すると、再び観光バスに乗って、九份へ。

 

Ⅳ.台北:九份

また、雨が降り出した・・・。

15:00前に到着して1時間位フリータイムがあったんだが。

↓ 階段を登り切った所にある小学校

結構、不気味だなあ。

なんか、伊香保温泉と江ノ島を混ぜたような観光地。

時間が余ったらお茶でもしようかと友人と話して、ガイドさんからもらったイラスト地図を見ながら、階段を降りて途中のアーケード街を右に進んだ。

そしたら、その地図によるとアーケード街は短かったのに、実際歩いたら長くて、集合時間が近づいてきた。

夜に来たら感動したのかなあ。ただの観光地だった。

私としては金山としての歴史遺構を見た方が楽しかったかもしれない。

 

Ⅴ.夕食

観光バスで台北に戻り、桃園という到着した空港のある市へ移動。

台湾の高速道路って、やたら橋桁が高くて、おまけに同方向の2車線のみで道幅が細い。高所恐怖症の私には怖い造りだ。

↑ 高速道路からの車窓の風景がこれだよ。どんだけ、高い所を走ってるんだ? 

高架を入っている電車をさらに見下ろしてるんだよ。耐震構造なんだろうなあ。

↑ 車窓から見た墓地。じっくり見たかったなあ。墓地って社会人類学的に興味がある。

だんだん晴れてきたのが、うれしい。

夕飯は、桃園空港の近くのホテルのレストランで。だんだん写真も撮らなくなってきたな。

 

Ⅵ.2025台湾ランタンフェスティバルin桃園

毎年開催地を変え、盛大に行われている「台湾ランタンフェスティバル(臺灣燈會)」が今年は桃園で開催。私達が見たのはメイン会場のみと思うが、東京ドーム2~3個分あったかな? よく分からんが。

↑ 駅側の入り口。翌日の土曜日は大混雑でパニックだったらしい。

∞マーク(ガイドさんは今年の干支の蛇と言ってたがそうは見えない)が、今年のメインランタン(これをランタンと言うのか?)で、30分に1度回転してショータイム。

夕食でビールを飲んだ私達二人はトイレに行きたくなったのだが、簡易トイレに行くのも何だしなあ・・・と思ってたら近くにオープンしてるIKEAが! 行ってみたら、地下が普通(IKEAの客でなくても駐車できる)駐車場でトイレもあった。良かった。

その後、落ち着いて、各ランタンを見る。

↓ 一番カッコ良かった龍のライトアップ時

↓ ランタン時

↓ 日本からも企業や県が出展してた

ついつい撮ってしまう。

↓ チラッと見えた、別会場のランタン

無事、時間通り(19:45)ツアー客全員集合。夜なので、台湾語で「私は迷子です。ガイドに電話してください」という、電話番号が記載された迷子札を私達は渡されていたのだ。笑

その後、心配した渋滞に巻き込まれることもなく、21:00には台北のホテルに着いた。

 

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池上庭園 満開の梅 昼間&夜のライトアップ

2025-02-27 19:07:52 | まち歩き・東京

2月26日 水曜日

入っていたバイトに前日キャンセルをくらった。派遣会社から代替案は提示されたけど、それは辞退させていただいて、TVで取り上げられていた、梅満開の“池上庭園”に行ってみた。

家からバス1本で行ける!

区立の公園なので、入場料は100円。これで、夜のライトアップにも再入場できる。駐車場には警備員の方も4~5名もいて、挨拶をしてくれる。なんか申し訳ない。

斜面に梅の木が植えられている。そして右側に回り込むと庭園が続いている。

↓ 斜面の上まで登って、見下ろすとこんな感じ

↓ メジロもいたよ!

斜面を降りると、やたら“座論梅”はこちらの矢印が・・・。完全に特別扱いだ。なので、矢印に従ってみた。

池上梅園のパンフには「蕊(しべ)が複数あるため実が多くなるものをいいますが、当園の座論梅は一つの枝に対になって花が咲きその姿が中国の賢人が座論をかわしている姿に似ていることから命名されました」とあるが、ネットで調べると、違う説もあるし。10年前に書かれたある方のブログによると日本に4本しかないという記述もある。

↑ 座論に見えますか? 私はよく分からん。

他の花も綺麗に咲いてる。

↓ 多分、椿の侘助

↓ 福寿草

甘酒を200円で飲んだりして、一度退園。

池上本門寺を本殿から総門へ。建物が大きい!

そして、“藍屋”で、ビールと5時までOKのランチの宇和島風鯛めし定食! ただ、この藍屋 久が原店は、もうすぐバーミヤンになってしまうらしい。

日没後に再び、池上梅園へ。

↓ 頂上の展望台、高層ビルに隠れているのは富士山に違いない

だんだん、暗くなってきた。

ライトアップの時間帯は、階段のある場所は全て封鎖されていた。

バス1本で気軽に来れる私には、ありがたいライトアップだ。100円なんて申し訳ない。

↓ 昼と夜です

 

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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その4 台中&台南&高雄

2025-02-26 22:11:33 | 旅行記・台湾

2月13日 木曜日 その3

 

Ⅶ.高雄:蓮池潭(れんちたん)

市街地の北にある広さ約42ヘクタールの池。または、この池を中心とする蓮池潭風景区のことを表す。かつて蓮池潭は72haの広さがあったが、孔子廟や環潭道路の建設のために埋め立てられた、一大観光地。

このくまモンみたいのが、高雄市のマスコットらしい。

一大観光地なので、池の周りには龍虎塔以外にも謎の建築物が遠くに見える。

↓ これは北極亭の高さ72mの玄天上帝像。1995年に造られたそうだ。

 

①龍虎塔

本当は龍の口から入って、虎の口から出ると罪が浄化されるらしい。2塔共階段100段で登る事もできるらしい。が、内部のタイルが剥がれ落ちたらしくて現在修復中! で、入れない!

1974年に建てられたそうなので、築51年かあ。

内部に関してはここが詳しい。これを読んで入った気になろう!

 

②慈済宮

龍虎塔の真向かい。保生大帝という医神を祀る道教寺院で、1719年創建で、1960年に現在地に移転。かなり大きくて、きらびやかな建物だ。

↓ お守りなのかな?

慈済宮の前でフルーツの屋台が出ていたので、今まで食べた事のないシャカトウ(お釈迦様の頭に似ているから)を100元(500円)で買っている。リンゴより一回り大きい感じ。ホテルで食べてみた。スプーン2つ付けてくれていた。

 

中は種の入った房状。実は意外と柔らかで、甘い。でも、友人と完食したけど、味は分かったから、もういいかな。

 

Ⅷ.高雄:夕食

 

 

店の看板にはニシキエビがドンとあった割には、とっても家庭的な料理が続いた。

この後の食事では、常に日本では高価なキャベツの炒め物と桜エビを散らしたチャーハンが出るようになる。

店を出たら、不思議な建物があった。勢いのある都会だなあ。

 

Ⅸ.ホテル:FXイン高雄(高雄富驛商旅)(FX INN Kaohsiung Zhonghua Road Branch) 

バスタブはなかったけど、「別に」って感じだった。隣の部屋のテレビの音が聞こえてたけど、寝る時は気にならなかった。
 
 
Ⅹ.六合国際観光夜市
 
正直、今日一日は、バスでの移動のトイレ休憩に、観光が付いているような慌ただしい感じで・・・。
なので、自主的に歩きたくて10分位の夜市へ。ただ、友人は気が乗らないとの事で、一人で出かけた。
 
やっぱり、くまモンがいる・・・。
 
24年前に行った台北の夜市では、手長エビの釣りやらゲームやらがいっぱいあったので、そのイメージで行ったら、通り沿いに食べ物の屋台が並んでるだけだった。
川崎大師の週末の境内の方が賑やかなような。日本人を含む観光客が多いが、勤め帰りの地元の人が夕飯を取っている姿もあった。
 
 
 
お腹はいっぱいなので、ゴマ団子みたいのだけ食べた。
 
↓ ゲームみたいのはここだけだった
帰りにホテルの側の、前金(Cianjin)という地下鉄の駅を覗いてみたんだが、夜の9時過ぎなのに、シーンとしてた。人がいない!この理由は翌日分かった。
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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その3 台中&台南&高雄

2025-02-26 11:32:55 | 旅行記・台湾

2月13日 木曜日 その2

ランチ後、バスに揺られ台南市内に入る。

 

Ⅳ.台南:赤崁楼(せきかんろう)

国連から国として認められていない台湾は、世界遺産の申請もできないので、当然世界遺産はない。台湾独自の“古跡”という括りがあって、ガイドさん曰く100年以上の歴史があると一級古跡となるらしい。ので、ここは古跡。

元は、1653年のオランダ統治時代に建てられた城で、その後改築や取り壊しやらで現在中国風の建物が、土台の上に建っているそうだ。現在、修復中で正面の不思議な絵がかいた幕に隠されているのが海神廟で、その裏に文昌廟が建っている。

でも、いくら“海神廟”を囲う工事用の幕とは言え、この絵柄はどうなのさあ。

マンタ、デカすぎ! 何か意味があるのかな?

 

背後にある文昌廟には入場できる。

1階(2階?)は展示室。

こんな感じで、オランダ統治時代のプロビデンシャ城が建っていたらしい。

↓ 2階(3階)に祀っていた像

筆を持っているから“文”の神様なのかなあ。

↓ 春節飾りかな?

↓ 文昌廟裏手の、400年前のレンがの土台跡

台湾って、この時代以前の歴史は「先史時代」になっちゃうんだよ~。

↓ 庭にいた鳩。水玉模様の襟巻してた。カノコバトというらしい。

 

Ⅴ.台南:孔子廟

「1665年に鄭成功の息子である鄭経によって、人民を教化するために建てられました。台湾各地にある孔子廟ですがここの孔子廟が最も古く、何度も修繕、増築が行われ現在に至っています。」

建物は15あるそうだ。

①明倫堂

このキャラの人形が、いろんな場所に置かれてた。ゆるキャラ推しの台湾。

 

②「文昌閣」もしくは「魁星樓」

 

③文廟

有料エリアなので、隙間から覗く。位牌みたいのが見える。

 

④その他の建物

部屋に入ると、位牌みたいのが並んでた。中国の厦門に土楼を見に行った時も、位牌だけが並んでいる部屋があったなあ。

 

Ⅵ.台南:日本統治時代の建物

↓ 孔子廟の裏側にあった、元台南武徳殿

「日本統治時代(1936年)武道を広めるため台南に建てられた道場で、現在は隣接する小学校の講堂として使われているようです。」

↓ 現 国立台湾文学館 1916年建立

↓ 一般家屋

他にも車窓から見えるんだが、うまく撮影できなかった。

そして、この後、1時間半位、バスで高雄に移動。

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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その2 台中&台南&高雄

2025-02-25 18:30:35 | 旅行記・台湾

2月13日 木曜日 その1

今日は、台中観光2ヵ所→台南観光2ヵ所→高雄観光1か所で宿泊、という、慌ただしい日だ。

おまけに朝、化粧品のベースファンデーションを日本に忘れてきた事に気づく。雨の中、ホテルの側のコンビニ(セブンとファミマ)へ。ファミマでBBクリーム300元(1,500円)をクレジットカードで購入。予想通り、これが台湾でも最高高額購入商品となる。日本だと、1,200円位の商品だ。やっぱり台湾、物価が高いなあ。ってか、日本が弱いのかあ。雨の中、凹む。

朝食後、08:20にホテル出発。

 

Ⅰ.台中:彩虹眷村(さいこうけんそん)

台湾独特の「眷村」(一般的には軍人村)というエリアで、第2次世界大戦後、蒋介石率いる国民党軍が台湾に進駐し、統治を始めた際に60万人(外省人と言われています)が移住してきたため、その人たちが暮らしていた住宅。老朽して取り壊す予定だったのを、黄永阜さんというお爺さんが他の住民はいなくなるし、閑に任せてペンキを塗り出したのが元で、今じゃあインスタ映えで大人気になった場所。

可愛いけど、雨は土砂降りだし、ツアーの一行は“インスタ映え”の世代ではない。

思ったより狭い。

そして、台中市内観光はここだけで終わり。

 

Ⅱ.台中:日月潭(にちげつたん)

高速道路に乗って移動。

台湾は二期作なので、そろそろ田植えの時期だそうだ。

高圧線の鉄塔が、ほとんど下駄履いてる・・・。鉄塔の高さを調整するには、この方が効率いいんだろうなあ。

高速を降りると、ヤシの木みたいな檳榔(ビンロウ)の木が茂り出す。

ガイドさんの「ビンロウの実をタバコ代わりに噛んで、飲み込まないで赤くなったツバを吐き出す」という話を聞いて、ダイビングで訪れたアジアの島でやたら赤いツバを吐き出してたのを思い出した。これだったのか。

日月潭(にちげつたん)は台湾で一番大きい湖で、リゾート地なんだが。湖自体は雨で煙っていて、よく見えない。

 

Ⅱ-1.文武廟

湖の畔に建つ。

1938年の日本統治時代のダム工事の際、水没する二つの違う廟を元の場所から移動して建てられ、1999年の台湾中部大地震で再建された中国宮殿式の建築。使用されている大理石が中国のものやヨーロッパのものがあるそうだ。

「文武廟は中国北朝宮殿式の建築が採用されており、大きく、壮麗な佇まいをしています。廟は三殿に分かれており、前殿二階部分は水雲宮で開基元祖および文昌帝君を、中殿武聖殿には関聖帝君および岳武穆王を、そして後殿大成殿には至聖先師孔子をそれぞれ祀っています。文武廟大成殿は台湾全土で唯一正門を開いている孔子廟です(一般の孔子廟は通常正門を閉めています)。」

 

 

ここが一番、雨が酷かったかな。

で、この青い仏像の素材は何なんだろう?

上まで登ってみる。

おおっ、これが日月潭という湖かあ。

 

Ⅲ.嘉義:ランチ

バスで南下して嘉義という街へ。

この店だ。

 

鶏肉飯だけ個々にでた。

 

ツアーに含まれていた、昼&晩飯はどの食事も、円卓に7~8品出てきた。それを10名位で食べる。自分の分を取ると次に回さなければならないので、慌ただしい。

きちんと人数分の個数が出てくる。間違えて2個取った人は、食べられなかった人に結構ブツブツ言われてた。

振り返ると、ここが1番美味しかったなあ。

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台湾・ランタン祭り&天燈上げの5日間 その1

2025-02-20 13:58:51 | 旅行記・台湾

同い年の友人とどこかに行こう!となって、台湾へ。

彼女は10年前、私は24年前に台北だけ行った事はあるので、今回は台中と高雄とランタン祭り&天燈上げと盛りだくさんのパッケージツアー『夜を彩る幻想的な2つのイベントと台湾桜観賞 煌めきの台湾7都市縦断5日間』というのに参加。旅行代金は140,000円なんだが、燃油サーチャージやら空港使用料などで計162,790円。

添乗員さんなしで、現地ガイドさんがスルーで付く。参加者は計33名で、一人参加の70代男性1名、私たちのような友人同士の女性が3組、後は全て夫婦だった。卒業旅行の女性2名以外は、年配者だ。

 

2月12日 水曜日

Ⅰ.成田空港まで

節約しようと思って、都営線浅草線新橋駅で、乗車券のみで成田空港に行ける10:13発のエアポート快特を待つ。が、京急が遅延しているからダイヤが乱れてると、電光掲示板に表示される。乗っちゃえば1時間で着くからと10:30まで待ったが、青砥行きや印旛日本医大行きの電車は来るが、エアポート快特は来る気配がない。ホームから階段上って、改札まで行って駅員に「エアポート快特って来ますかね?」と聞いたら「しばらく来ないなあ。運休かもね。」と、あっさりした返事。

運休するんだ・・・。乗客には内緒で。

京急やら都営浅草線やら京成やら北総線やらを走る「エアポート快特」には、どの鉄道会社もあまり関心はないらしい。他人事だ。

私「それは困るなあ」

駅員「JRで上野まで行ってスカイライナーに乗った方がいいかもね」

JRで上野駅まで行って、京成上野駅まで歩くのは面倒なので、結局東京駅で11:03発のJRの成田エクスプレスに乗る。チッ! 節約しようと思ったのに。で、ちゃんと旅行会社指定の集合時間までに到着。友人とも合流。

 

Ⅱ.チャイナエアライン

チェックイン&預け荷物のタグ発行が、タッチパネルで乗客が自分でするようになっていた。パスポートの置き方が分かり難くて、結局近くの係員さんにヘルプしてもらう。預け荷物も自分でベルトコンベアーみたに載せるのだが、なぜか機械が止まってしまい、やはり近くの係員さんにヘルプしてもらう。う~ん、私が悪いのかな。

14:35発のCI0101。座席は、3-4-3。エンターテインメントは洋画の吹き替えに日本語がなかったりしてイマイチ。なので、名探偵コナンの映画やテレビアニメを観る。

機内食は美味しかった!

17:40、台湾桃園国際空港着。

33名が揃うのを待つ間、飛行機の行先ボードの表示が、何かオカシイ事に気が付く。

行先の日本の国表示がなくて、札幌、仙台。大阪/関西。沖縄に至っては琉球(沖縄)だ。

Wikipediaで調べたら『「中華民国では、沖縄県地域を「琉球」と称することがある。琉球王国がかつて明朝清朝冊封国であり、沖縄返還が中華民国政府との協議を経ずに進められたことを中華民国側は不満としていたともいわれるが、中華民国政府は、正式には琉球諸島の領有権を主張していない[57]。しかし、例えば桃園国際空港の那覇空港行き便の行き先表示は「琉球」(英字表記は「Okinawa」)である。なお、香港国際空港から那覇行き便の行き先表示は「沖縄島」となっている。」』だそうだ。

この後、バスで2時間30分。現地ガイドさんに二人で5,000円分両替してもらう。元×5で円になるので、1,000元。

キャスターバッグから取り出したおにぎりを友人と食べながら、台中へ。ホテルには現地時間で22:00到着。

 

Ⅲ.ホテル:THE ENTERPRAISER HOTEL(企業家大飯店)

部屋は会議室みたいな部屋が付いた広い部屋だった。ちなみに台湾のトイレは紙が流せない。ホテルも同様で、女性には結構ストレス。歯ブラシなどのアメニティは地球の事を考えて、台湾全土のホテルで提供しなくなったそうだ。

緑のバスが私達のバスで、台湾で計3台乗ったけど、全て2階建てで1階は荷物置き場だった。

 

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神奈川県民ホール「コロッケ 2025コンサート」&横浜中華街

2025-02-17 22:02:48 | 舞台

2月11日

14:00の回を知人たちと鑑賞(と言うのかな?)。いやあ、笑ったわ。楽しかったわい。

ゲストとかはいなくて、司会者とコロッケ、小道具係りもするダンサー4名、あとちょっとだけキーボードとギター。昔のキャバレーの舞台みたいな構成なんだけど、コロッケが次から次へとやってくれるので、2時間(途中休憩15分)、本当に楽しめた。モノマネも徳永英明とか河村隆一とかもやってくれるからさあ。もう懐かしくて、面白くて。

歌手本人の音源は使えなくなったらしくて、コロッケが歌も全部歌ってる。3階の一番後ろの席だったんだけど、スクリーンに顔も衣装も映してくれるから、全席指定一律6,000円でも全く惜しくなかった。

で、ポスターにもあるように「ありがとう“カナケン”!」という事で、3月末で県民ホールは取り壊しになる。

一番最初に県民ホールで観たのは東京キッドブラザースの「哀しみのキッチン」だ。柴田恭兵と純アリス。県民ホールができてわずか5年後の事だ。キャー!私って年寄り!

立て替えた新しいホールに来ることはあるんだろうか。あるな。

中華街やその周辺では春節のランタンが飾ってあった。

翌日から、ランタン祭りを見に、台湾に行った。

 

 

 

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上野動物園にパンダを見に行く

2025-02-03 11:42:22 | まち歩き・東京

1月31日 金曜日

上野に所用があり、せっかく行くのだから、上野公園のどこかに行こうと。

国立西洋美術館のモネ展は、昨年の東京国立博物館の「はにわ展」に行った11月22日で大混雑だったけど、調べたらやっぱり大混雑らしい。なので、上野動物園にパンダを見に行く事にした。

13:30頃、国立西洋美術館の前を通る。

入館まで70分待ちとあった。

上野動物園に向かう。子育てをしてない私は、1980年、大学1年の時以来なので45年振りだ! 入場料600円。

当時、パンダを見た記憶があるのだが、初代のカンカン(雄)は1980.6.30死亡、ランラン(雌)は1979.9.4死亡で、ホアンホアン(雌)1980.1.29来園と「上野公園ジャイアントパンダ情報サイト」にあるから、ホアンホアンを見たのかなあ?

パンダ自体は、2007年に中国の「成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地」でたっぷり見た。本当に生後すぐから大人まで、もの凄い数を見た。

 

1.旧寛永寺五重塔

上野動物園に入らないと見られない、寛永16(1639)年再建され、寛永寺が昭和33(1958)年に東京都に寄付したという、大人の事情がいろいろあったに違いない五重塔。

やたらピカピカしてるが、2014年に改修工事をしたそうだ。10年たってるのに、綺麗だな。

上野動物園の柵の向こうには上野東照宮が見える。神仏分離政策の名残なのか、なんだか、こんな場所にポンと置かれて気の毒だ。

 

ちょこちょこと動物を見ながら、“いそっぷ橋”を渡って、「パンダのもり」がある西園へ。

不忍池では、カワウ(多分ね)が休んでて、池がなかったら、なんかアフリカっぽい。

 

2.パンダのもり

実は行くまで、今、上野公園にパンダが何頭いるのかも知らなかった。シャンシャンが2023.2.21に中国に返還されたのはニュースになってたから知っている。今、いるパンダは、シャンシャンの双子のお兄さんのシャオシャオとお姉さんのレイレイ。親のリーリーとシンシンも2024.9.29 中国に返還されたそうだ。

13:55から並び始める。「40分」と表示されていたが、これは待ち時間じゃなくて、パンダ2頭を見終わる時間。列には外国人が半分位。春節のせいか中国人も多い。都内だから移動時間も少ないし、整然と並んで、落ち着いて見られるから中国より見やすいかも。

⑦の方から並んだので、並んでいる最中にシャオシャオが⑦で笹を食べているのが遠くに見える。

一眼のズームで撮ってるから近く見えるけど。

15名位ずつ、グループ分けされて進むのだが、なんと前のグループの人々が⑦の前に着いたら、シャオシャオは⑥の室内に入ってしまった。幼児は泣いていた。まあ、私のグループは、室内を歩き回るシャオシャオが間近で見られた。

客は大体、1~2分で、移動させられるが、次のブロックに行ってもまあ見られるので、感覚的にはゆっくり見られた。

が、私の2つ後のグループは、⑥の室内にたどり着いたら、シャオシャオは⑦の屋外に移動してしまったので、シャオシャオを見られなかったかも。

↓ とっても広い⑤の屋外放飼場

この先にレイレイがいるのだが、気が付かないで出口に向かってしまう欧米系の観光客もいた。スタッフが「まだ奥にいますよ!」と声をかけていた。

③の屋外放飼場にレイレイ。ただここはアクリルガラス張り。ガラスの前に行くには10分位並ぶけど、ずっとレイレイが見られるので楽しい。

ガラスの前は2ブロックの見学場所があるので、最初のブロックで1~2分、次のブロックで1~2分の時間があるので、家族連れはパンダをバックに結構な枚数写真を撮っていた。

が、この後、ご機嫌で笹や竹を食べていたレイレイは、いきなり歩き出して④の室内に向かって行った。

可愛いけど、見世物じゃなくて、やっぱり動物だ。満足した。

でも、ちょっと寒くなったので、両性爬虫類館で暖を取る。

 

ハシビロコウを見に行く。4羽いるらしいが、寒いからか屋内にいるのが、ガラス越しにボンヤリ見えた。

 

そして、ボチボチ戻る。

 

で、今回の一番のお気に入り!

ヘビクイワシ

脚が長く獲物(ヘビなどの爬虫類や小型の哺乳類や昆虫)を捕らえるときは、脚で踏み気絶させてから食べるそうで、歩き方がジャンプするようで優雅な外見と違ってて可愛い。後頭部は王冠を被ったようになってて、素敵だった。手前の柵にピントが合ってしまうので、写真は撮れなかったけど。

充実した600円だった。

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横浜歴史博物館「縄文のムラの繁栄」&講演会「環状集落からみた縄文時代中期の社会組織」

2025-02-02 17:42:28 | まち歩き・神奈川

1月26日 土曜日 その2

勉強になったわあ。神奈川県って、しっかり東日本の縄文時代の一角を担っていたんだなあ。講演会の前後に、歴史博物館の展示を見たんだが、講演会で話を聞いた後は、見方が変わった。

 

横浜歴史博物館「縄文のムラの繁栄」 同時開催「港北ニュータウン開発と発掘調査」

展示内容をきちんとまとめた、32ページのカラーの立派なパンフレットも貰えた。太っ腹だ。常設展との共通チケットで600円なのに。

 

 

「今からおよそ5,500~4,500年前の縄文時代中期は、縄文時代の中でも、もっとも繁栄した時代と言われています。神奈川県内では中央の広場を囲んで住居が環状に配置される集落〈ムラ〉がつくられ、力強い造形の土器、土偶やユーモラスな形の土製品、県外からもたらされたヒスイや黒曜石などで作られた石器や石製品が大量に出土し、当時の社会や生活をダイナミックに語ってくれます。
本展では、かながわの縄文時代中期を代表する選りすぐりの出土品を一堂に展示し、自然豊かなかながわの地で見られた縄文ムラ繁栄の背景に迫ります。」

相模原市南区、横浜市都筑区、寒川町、綾瀬市などから発掘された、縄文土器や土偶、500点が展示されてた。

↓ 最初に見た時には子孫繁栄の信仰対象と思ったら、講演で出自集団のシンボルでもしかしたら代々受け継がれたかもしれないかもと言われている石棒

 

講演会「環状集落からみた縄文時代中期の社会組織」

講師は、國學院大學考古学研究室の谷口 康浩教授。説明に使ったパワーポイントをプリントアウトした資料も最初に配られた。休憩挟んで2時間。全く飽きることなく楽しめた。

縄文時代中期、真ん中の墓地を取り囲んで住居が並ぶ環状集落が、次第に分節構造に変化していくのを遺跡の実例で説明。

面白いと思った点

■日本地図で縄文中期の遺跡の分布図を見ると、見事な程に東日本のみに存在

■竪穴式住居の跡地の窪みは貝塚(ゴミ捨て場)として利用

■千葉県と茨城県の遺跡では住居跡を死体置き場として利用

■関東と長野や北陸の土器の模様に共通点があるので、交流があったらしい。

■神奈川の縄文遺跡が途絶えるのは、富士山の爆発が関係あるのではないか。

■中期遺構、墓標や死者を祀るモニュメントとして環状列石が出現。私個人としては石棒が環状列石に繋がっていくのではないかと思った。

 

横浜歴史博物館 常設展

スタディサロンという円形の休憩と学習の場所を取り囲むように、各時代の展示室が並んでいる。“環状”だ!

扱う時代が広すぎて、散漫になるのはしょうがない。小学校で教員している友達に、行ったよ~と言ったら、「私も来月生徒連れてまた行くんだ。講師は〇〇さん? 外部の人?」と言ってたので、子供の教育場所として活用されているらしい。

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大塚・歳勝土遺跡公園(おおつか・さいかちどいせきこうえん)

2025-01-30 18:50:28 | まち歩き・神奈川

1月26日 土曜日

神奈川県埋蔵文化財センターの、令和6年度の第7回考古学講座の参加申し込みの抽選に応募して当たった。この手の講座、私のような暇な年寄りが大勢応募するらしくて、結構当選しない。

14:00から横浜市歴史博物館で講演会が始まるので、早目に着いて、隣接する「大塚・歳勝土遺跡公園」をまず見学。

最寄りの駅は、横浜市営地下鉄ブルーラインのセンター北駅。駅前は大型商業ビルがやたら建ってる。入っている店舗はチェーン店ばかり。

何が「センター」かというと、「港北ニュータウン」の北の第1地区と南の第2地区をつなぐ地区を「タウンセンター」と呼ぶらしい。ふ~ん。

実家が横浜市営地下鉄ブルーライン沿いにあるのだが、横浜駅や新横浜駅までは利用するけど、こっちまでは来ないし、港北ニュータウンのある都筑区自体が1994年と私が30歳超えてからできているので馴染もない。友達もいない。正直、あまり横浜感がない。ごめん。

横浜市歴史博物館まで歩いて、歩道橋で「歴博通り」を横切り大塚・歳勝土遺跡公園へ。

こんな感じの坂を登って行くと到着。大塚遺跡(環濠集落)と歳勝土遺跡(方形周溝墓群)の集合体で、弥生時代の同時期のムラの人の集落とお墓なのに、なんで大塚遺跡と歳勝土遺跡と別々に言うのか分からない。

 

1972(昭和47)年に港北ニュータウンの開発に伴う発掘作業で存在が明らかになったらしい。

その当時の主に大塚遺跡の写真 ↓

S16号という文字は、歳勝土遺跡(方形周溝墓群)の墓の番号。

 

で、1995年当時の写真 ↓

そうなの。港北ニュータウンのために大塚遺跡の3分の2はごそっ削られましたあ!これも飛鳥田市長の頃の計画です。

 

Ⅰ.大塚遺跡

外敵を防ぐために周囲には濠と木の塀があって、当時は100人くらいの人々が暮らしていたそうだ。元々90棟ほどあった竪穴住居跡27軒を保存(うち7軒を復元)高床式倉庫、型取り遺構、木橋などが復元している。

 

①型とり遺構

上行寺東遺跡と同じ保存方法だ。当時の流行なのかな?

 

②復元竪穴式住居

竪穴式住居の中には自由に入ることができる。

Y-39 

平均的な大きさだそうだ。

 

Y-51

見た目は大きくないのに、中に入ったら広かった。

復元してない住居跡 ↓

 

③高床式倉庫

説明看板は南向きのせいか、日焼けで読めない・・・

 

Ⅱ.歳勝土遺跡(方形周溝墓群)

「大塚遺跡に住んだ人々のお墓で、方形周溝墓とよばれる形をしています。低い四角形の盛り土と、その四辺を溝で囲んだ形が特長です。発掘当時の状態や木棺を復元し埋葬の様子などが分かるようにしてあります。」

復元された木棺が方形の中心にポンとあったけど、一人の墓としては贅沢過ぎる造りだなあ。溝からも骨が発見されていると案内にあったけど、実際はどんな感じで墓地として使われてんだろうか? ガイドさんに説明を受けないと分からないなあ。

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