礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

安田徳太郎のマサキ=南方語説とアカデミズム

2015-05-07 06:02:38 | コラムと名言

◎安田徳太郎のマサキ=南方語説とアカデミズム

 昨日の鵜崎巨石さんのブログでは、安田徳太郎の『人間の歴史2』(光文社、一九五二)が取り上げられていた。これに便乗して、本日は、安田徳太郎が、同書で展開したマサキ=南方語説を紹介したい。ただし、これは、一九九七年に発表した文章(『刺青の民俗学』の「解説」)の末尾の部分を再録したものである。

 マサキ=南方語説
 さて、安田〔徳太郎〕のイレズミ論についてかなり細かい検討を加えた和歌森〔太郎〕だが、彼は、安田の所論のある箇所に関しては、なぜか何らのコメントも加えなかった。それは、イレズミの古語マサキ(目割)は南方語に由来するとした部分である。これは、安田のイレズミ論の中でも、ベルツに依拠せず、安田自身が主張した部分である。安田の主張を引いてみよう。
《ふしぎなことに、古代日本語のマサキは南方語で、アフリカのマダガスカル島をもふくめた、さきに述べた竹べら圏では、古代からずつとイレズミのことを日本とぜんぜん同じに、マサキ(masak)と呼んでいた。言いかえると、古代南方海人族が移住した地方にだけ、マサキということばが残つたのである。ただし、どこの国でもマサキはたんにイレズミのことで、目じりのイレズミというとくべつな意味はなかつたし、こんにちの南方諸族を見ても口のまわり、あご、頬にはイレズミをするが、目じりなどにはけつしてしていない。
 つまり、古事記の作者は、マサキの語源を知らなかつたから、古代の隼人〈ハヤト〉族、つまりクメル族が、イレズミをしていたという伝説を漢字で書くばあい、マサキを日本流に目割〈マサキ〉と解して、大久米命〈オオクメノミコト〉が目じりにイレズミをしていたというまちがつたお話をつくつてしまつた。このまちがいは、その後、日本の国文学者や歴史家にも気づかれずに、こんにちにいたつている。【『人間の歴史2』一〇〇ぺージ】》
 日本のイレズミは南方起源であるという安田にとって、右はかなり重要な論拠なのである。
 その後、安田のマサキ=南方語説がどのような運命をたどったかは知る由もないが、高山純氏の『縄文人の入墨』(一九六九、講談社)に、次のような記述があるのが目にとまった。
《この「鯨く」〈サク〉という読み方について、市川健二郎氏は興味深い見解を発表された(考古学雑誌四十一巻四号)。すなわち、「目はチャム語でmota.いれずみは同語でsak.クメール語でもsak.であるから、『古事記』・麻跡〈マセキ〉の目割(メサク)は南方語と一致しているのであろうか」と述べられたのである。》
 市川論文「古代呉越の文化」*6が書かれたのは一九五六年。安田徳太郎のマサキ南方語説に遅れること四年である。市川氏にしても、これを引用する高山氏にしても、安田説を知らないはずはないのである。それでいて、右のような安田説を無視した言い方になるのである。
 ここに私はアカデミズムのある一面を見るのである。しかし結果的には、安田説はこういう回りくどい(わかりにくい)言い方で、アカデミズムに認知されたということになるのであろうか。
*6『考古学雑誌』第四一巻第四号(一九五六年六月)所載。市川氏は同論文の第四部で、ほんの数行だけこの問題に触れている。それにしても高山氏は、なぜこのような特殊な論文における数行の記述に「興味」を抱かれたのであろうか。

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