◎佛、魔、塔などは、新たに作った文字
松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その四回目。
それから第二の所謂諧声〔形声〕で、音字にそのものの性質を現はす扁を附した文字は殆んど無数に存するのであつて、人のよく知るところで特にお話しする必要もない位である。佛とか魔とか塔とかいふ字は皆それであります。これらは皆新たに作つた文字である。佛に於てはブツといふ音を現はせばよい、而してこれは人間であるから人扁〈ニンベン〉を附けたのである。ブッドの音を現はすだけならば弗だけでもよいのでるが、これだけでは曖眛で、音か義か判らない。それで特殊の文字として佛となしたのである。支那に始めて仏教が伝はつた時には、これも二字を以て表はしてゐた。今三国志の魏書の註に引用せられてゐる魏略の西戎伝に出てゐる復土といふのが、佛字に当てられた最も古い字形でせう。今の本には立とあるが、立は土の誤写であります。土は、支那古代には𡈽と書く所から立に誤写されたのであります。これは前漢の末支那の景盧〈ケイロ〉といふ人が西域に行き、大月支〈ダイゲッシ〉国に居る中に伊存〈イソン〉といふ人から仏教を口授されたのである。其時に此復土【ブツド】の音字を用ひたものらしい。又同じ処に浮屠経の字もあります。浮屠もブツドの音を写したものであるが、恐らく復土の後に出来たものではなからうかと思ひます。漢代支那に仏経の翻訳された最初のものといはれる四十二章経〈シジュウニショウギョウ〉の今本にも、常に浮屠といふ字が書かれてゐる、又西暦百年代の中葉、漢の桓帝霊帝の頃に襄楷〈ジョウカイ〉といふ人が居たが、其上表の文にも浮屠といふ字が書いてあります。浮屠は本来斯くブツドの音を写したものであるが、六朝時代から浮屠と同音の浮図は塔を意味することゝなつた。兎に角〈トモカク〉復土が浮屠となり、更にそれが一字に約め〈ツヅメ〉られ佛となつたのであります。
魔といふ字も、音以外何等の意義はない。マといふ音だけを現はしたもので、梵語のマーラの下を略したものであります。それで元は磨と書いてゐたものである。だがこれでは意味が判らない、それで梁の武帝がこの磨の下部の石の代りに鬼といふ字を書いたといふことであります。鬼は悪魔の性質を現はしたものである。
又塔も荅だけでよいのであるが、しかし塔の性質を現はすために土扁を附し、塔といふ新しい字を造つたのである。印度のスツーパは俗語ではツーバであり、それから今英語ではトープといつてゐる。この塔は、支那の古墳の墳といふ字と同じで土石を積累したものである。墓には土を盛り上げ饅頭形のものとなす、これが累土であり、塔の本義である。それで塔といふ字にも土扁をつけたのである。現存する支那の塔は煉瓦で建てたものであるから、これには瓦扁でも附けるべきものであり、日本の塔は木造であるから木扁を附けるべきでありませう。近頃は又鉄筋コンクリートのものも出来たから金扁の塔も成り立ち得る訳であります。これらは最も判り易いものであり、何人も皆能く知るところであります。何れも支那の形声即ち字の一方は音を現はし、他の方は其物の性質を現はすといふ原理から成り立つた文字であります。〈236~238ページ〉【以下、次回】
文中、「𡈽」という字がある。この引用では、やむなく、「𡈽」の字を用いたが、原文では、「玉」という字の第一画がない字が使われている(「𡈽」とは、テンの位置が違う)。
松本文三郎『仏教史雑考』(創元社、1944)から、「支那に於ける印度音訳字」という講演記録を紹介している。本日は、その四回目。
それから第二の所謂諧声〔形声〕で、音字にそのものの性質を現はす扁を附した文字は殆んど無数に存するのであつて、人のよく知るところで特にお話しする必要もない位である。佛とか魔とか塔とかいふ字は皆それであります。これらは皆新たに作つた文字である。佛に於てはブツといふ音を現はせばよい、而してこれは人間であるから人扁〈ニンベン〉を附けたのである。ブッドの音を現はすだけならば弗だけでもよいのでるが、これだけでは曖眛で、音か義か判らない。それで特殊の文字として佛となしたのである。支那に始めて仏教が伝はつた時には、これも二字を以て表はしてゐた。今三国志の魏書の註に引用せられてゐる魏略の西戎伝に出てゐる復土といふのが、佛字に当てられた最も古い字形でせう。今の本には立とあるが、立は土の誤写であります。土は、支那古代には𡈽と書く所から立に誤写されたのであります。これは前漢の末支那の景盧〈ケイロ〉といふ人が西域に行き、大月支〈ダイゲッシ〉国に居る中に伊存〈イソン〉といふ人から仏教を口授されたのである。其時に此復土【ブツド】の音字を用ひたものらしい。又同じ処に浮屠経の字もあります。浮屠もブツドの音を写したものであるが、恐らく復土の後に出来たものではなからうかと思ひます。漢代支那に仏経の翻訳された最初のものといはれる四十二章経〈シジュウニショウギョウ〉の今本にも、常に浮屠といふ字が書かれてゐる、又西暦百年代の中葉、漢の桓帝霊帝の頃に襄楷〈ジョウカイ〉といふ人が居たが、其上表の文にも浮屠といふ字が書いてあります。浮屠は本来斯くブツドの音を写したものであるが、六朝時代から浮屠と同音の浮図は塔を意味することゝなつた。兎に角〈トモカク〉復土が浮屠となり、更にそれが一字に約め〈ツヅメ〉られ佛となつたのであります。
魔といふ字も、音以外何等の意義はない。マといふ音だけを現はしたもので、梵語のマーラの下を略したものであります。それで元は磨と書いてゐたものである。だがこれでは意味が判らない、それで梁の武帝がこの磨の下部の石の代りに鬼といふ字を書いたといふことであります。鬼は悪魔の性質を現はしたものである。
又塔も荅だけでよいのであるが、しかし塔の性質を現はすために土扁を附し、塔といふ新しい字を造つたのである。印度のスツーパは俗語ではツーバであり、それから今英語ではトープといつてゐる。この塔は、支那の古墳の墳といふ字と同じで土石を積累したものである。墓には土を盛り上げ饅頭形のものとなす、これが累土であり、塔の本義である。それで塔といふ字にも土扁をつけたのである。現存する支那の塔は煉瓦で建てたものであるから、これには瓦扁でも附けるべきものであり、日本の塔は木造であるから木扁を附けるべきでありませう。近頃は又鉄筋コンクリートのものも出来たから金扁の塔も成り立ち得る訳であります。これらは最も判り易いものであり、何人も皆能く知るところであります。何れも支那の形声即ち字の一方は音を現はし、他の方は其物の性質を現はすといふ原理から成り立つた文字であります。〈236~238ページ〉【以下、次回】
文中、「𡈽」という字がある。この引用では、やむなく、「𡈽」の字を用いたが、原文では、「玉」という字の第一画がない字が使われている(「𡈽」とは、テンの位置が違う)。
※今朝は、かなり冷えこんだが、わが家に自生しているアサガオ二種は、今朝もなお、花をつけていた。葉がハート形で青い花が咲くほうは、二輪が咲き、葉先が三つに分かれていて白い花が咲くほうは、三輪が咲いていた。いったい、いつまで咲いているのだろうか。
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