晴耕雨読なくらし

じねんじょに夢をかけるおじさんの物語

特攻の語べ

2015-04-12 06:33:45 | 人生
つい先日ですが私と同じ犬山市に住んでおられた、
元特別攻撃隊隊員の方が亡くなられました。

昨日、NHK朝ドラ後の番組冒頭での特集でした。



板津さんは知覧から特攻機で出撃したもののゼロ戦の不調のため、
離島に不時着して一命をとりとめられました。



帰還後、板津さんは戦死した全国の特攻隊家族を訪ね歩き、
最期の様子を話し1000人以上の遺影をあずかり、知覧特攻平和会館の設立に奔走され、
初代の館長を務められました。





同じ街に住みながらお話しすることもなかったですが、
最後まで戦争をしてはダメと語られていたそうです。

私も4年前に平和会館を訪ねてきました。
館内は撮影不可だったため外観のみです。





つい先日天皇陛下が訪ねられた玉砕の地パラオ、
ひめゆりに象徴される沖縄の惨禍、
広島・長崎の原爆投下・・・
70年の月日は戦争の恐ろしさを直接語る人を減らしています。

昨今の日本は、何やらあの時代に逆戻りしているかのような雲行きです。
語べたちが訴えたかったのは決して戦争の出来る国でなく、
平和憲法のもとで発展してほしいの一念であったと察します。

最後に知覧から飛び立ち、二度と戻れなかった若者の言葉を紹介します。


枝 幹二 (大尉 昭和20年6月6日出撃戦死 富山県 22歳)

あんまり緑が美しい
今日これから死にいくことすら忘れてしまいそうだ。
真青な空
ぽかんと浮かぶ白い雲
6月の知覧は
もうセミの声がして
夏を思わせる。(作戦指令を待っている間に)

小鳥の声がたのしそう
「俺もこんどは小鳥になるよ」
日のあたる草の上にねころんで
杉本がこんなことを云っている
笑わせるな
本日13時35分
いよいよ知覧を離陸する
なつかしの祖国よ
さらば
使いなれた
万年筆を”かたみ”に
送ります。


コメント (10)
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