何気なくネットのニュースを眺めていましたら、こんなニュースがありました。
「韓国、安部首相に「閣下」の呼称で紛糾」
どうやら、安部首相に「閣下」と呼称をつけたのが問題とか。
こういうのは国際儀礼に則っていけばいいのでは?と思うのですが、ただそれだけのことで紛糾するとは・・・。
韓国ドラマを観ていると、よく宮廷の陰謀等で殺し合いのシーンがありますが、原因はそれほど大事(おおごと)ではありません。
ある意味で伝統を引き継いでいるのだなと。
でも、これは何も隣国のお話ってだけではありません。
日本だって、国会では「些細」なことで審議を止めたりする議員もいるからです。
予算委員会なのに予算とはまったく違う質問をしたりして、ちょっと答えにつまると「鬼の首を取った」かのように勝ち誇る野党議員っていますよね?
予算に関連する質問ならいいのですが、言葉尻を捕らえたりして、あまり有意義な議論とは思えない場面が見受けられます。
でも、これは通常の会社でもありえます。
無駄に会議の多い会社ってありますよね?
映画「清洲会議」ではありませんが、要は事前の根回しと納得させられるプレゼンです。
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YouTube: 「清須会議」予告
これができた人が会議の主導権を握ることができます。
でも、現状の会社はどうでしょう?
たぶん、「会議」「ミーティング」ってだけで一仕事を終えたって感がありますよね。
人によっては「会議」に参加するためだけに会社に来てますって人もいるでしょ?
「会議」「ミーティング」または内閣の「閣議」なんてものはメンバーの意思統一が目的なんです。
なので、その中で反論があっても最悪リーダーの意思を貫けば問題はありません。
責任はリーダーが負うのですから。
でも、会議だけで一日を費やすような組織ってのは、じつはよくあります。
私は社会人なりたての頃にとある本と講習会で聞いたことがあります。
「会議が多く、長い組織ほど死に体だ」と。
ドラマ「半沢直樹」のワンシーンでも、朝の会議は半沢直樹自身が「目標は10分」と冒頭で宣言してます。
「時は金なり」ということわざもあるようにぐずぐずと会議と称して井戸端会議をしている余裕はありませんからね。
だべるのならば仕事が終わった後で居酒屋か喫茶店でやればいいのです。
それにそんな暇があるなら「仕事しろ営業なら1件でも契約取ってこい
」なんですけどね。
合議制は私は悪いとは思ってませんが、それが悪く利用されてるのが現状だと思います。
会議は単なる意思の確認でけして仕事ではありません。
仕事と作業は違うとかつて勤めた会社の社長に教わりました。
作業はルーチンワーク。
仕事は考えて実行に移した結果と。
些細な雑事は作業として、本当の意味で仕事を行うようにすれば、もう少し有意義な会議ができると思いますがいかがでしょう?
今回はややハードな内容でした。