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エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

大人の責任ある態度

2015-11-28 07:43:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
思い違いだらけ、ニッポン!
  「がんばれ、ニッポン」。東京オリンピック招致成功この方、また、耳にする機会が多くなった掛け声ですね。でもね、今日のは「思い違いだらけ、ニッポン」。ゴロが悪い。...
 

 

 いまを生きているようで、知らないうちに過去に自分が体験したことで、折り合いがついていない経験に、いつも戻ってしまってる、ということは、日常茶飯事であることの方が普通です。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p95の、2行目途中から。

 

 

 

 

 

こういった関係で、面白いのは、すべて人間に大人の責任ある態度を求めることが、前世紀の人品の一部だったことです。このようにして、1844年の原稿で、カール・マルクスが主張したことは、あらゆる自然が新しくならなければならないように、人もまた、自分が新しくなっていく行為、すなわち、歴史を持たなくてはならない、ということでした(タッカー 1961)。なぜなら、「何かになる行為」に対して、マルクスはEntstehungsaktという言葉を用いています。その意味は、意識的に「新しい存在になること」、「立ち上がること」、「何かになること」を組合わせた意味になるからです。そこには、その種が成熟するというハッキリとした意味があります。

 

 

 

 

 エリクソンの主張もハッキリしています。大人になることは、新しい存在になること、立ち上がることであって、それは責任のある存在になることです。それは同時に、子どもたちが責任のある存在に立ちあがることを、身を挺してでも手助けすることです。

 ウソとゴマカシのない、責任のある態度こそ、大人の態度です。

 

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お喋りしなかったメーちゃんが、お喋りする幸せ

2015-11-28 02:20:06 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
頭と心は、良い対人関係の中で育つ
  エリクソンのエピジェネティックな見方は、インドの4住期の見方と重なるところがあるのは、人の人生の巡り合わせに共通点があるから。 p225第4パラグラフ。...
 

 

 中国から来た孤児のメーちゃんのおかけで、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どものための感覚運動セラピーが始まったらしい。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.216の、第5パラグラフから。

 

 

 

 

 

 マサチューセッツ州ウォータータウンにある感覚統合クリニックは、素晴らしい室内の遊び場があって、そこには、ブランコもありますし、色とりどりのスーパーボール一杯の小型プールもありますから、身体を隠すことが出来るほどです。また、平均台もありますし、透明チューブで出来た地下室もあります。発泡マットに飛び込める高台に繋がっているハシゴもあったりします。スタッフはイン・メーちゃんをプラスティックのボールが入っている小型プールに入れました。メーちゃんの皮膚に刺激を感じてもらいたかったからです。6週間経ったころ、何かが変化しました。メーちゃんはおしゃべりをし出したんです。

 

 

 

 

 

 なぜ、メーちゃんはお喋りをし始めたのでしょうか?

 理由のいかんにかかわらず、メーちゃんも、メーちゃんの周りの大人も、嬉しかったでしょうね。

 

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ルターは受難者?

2015-11-27 08:16:47 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
法の支配 the rule of law と恣意的支配
  法の支配。民主主義の原理の一つだと思われますが、ここで言う「法」とは、基本法、日本では憲法がこれにあたるそうですね。 ですから、憲法が、日本の政財官だけで...
 

 ルターの信頼は、不寛容と残忍さに落っこちました。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.242の、下から3行目途中から。

 

 

 

 

 

 こういったことがあったのにもかかわらず、ルターが憂鬱を悪化させたのには、他者を寄せ付けない「内因性の」原因があったと考えるなくてはならない、と精神分析かは感じます。つまり、ルターは、調和のとれた人であるはずですし、そうあるべきでした。キルケゴールが再び真実に近づいたのは、真逆に、ルターは殉教者であり続けたと仄めかした時だった、と私は考えます。というのも、ルターはどうしたことか、受難が必要だと感じてたからです。

 

 

 

 

 

 ルターは、そりゃぁ、ひどいことになりました。ひどいこともしでかしました。

それでも、受難者だったらしい?

 

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精神分析法にある、傾聴すべきメッセージ

2015-11-27 07:45:39 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 

 

 

 
人生の巡り合わせを見つめると…。
  基本計画は、最初に決まって後は動かない、というのじゃなくて、それぞれの部分が後々になって発展するというのが、エピジャネティックなものの考え方。後からだんだんで...
 

 倫理も道徳も、大人と子どものやり取りがあって初めて、伝わるもの。

 ウソとゴマカシだらけ、ニッポンは、そのやり取りがないことの最たる証拠。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p94の、ラインから。

 

 

 

 

 

  精神分析法の歴史的相対性

 

 結論で私どもは、もう一度、根源的な精神分析法に戻りますけれども、いま私どもが忘れてはならないのは、精神分析法には、根源的な役割が2つある、ということです。つまりそれは、「ヒポクラテスの誓い」です。それは、大人たちが、子どもの頃からの抑圧的な不安から解放されることですし、すでに生きている人生と人格に、子どもの頃からの不安が影響することから解放されることです。それと同時に、人間が、生育史的に言っても、人間の発達の観点からも、過去のいろんな発達にこだわりを持つことを、独特なやり方で明らかにすることが、研究法であるばかりか、傾聴すべきメッセージがある方法でもある、ということです。

 

 

 

 

 

 何の意識もなく、毎日を平凡に生きているつもりであっても、じつは、子どもの頃の体験とその体験をした時の気持ちに、知らず知らずのうちに、こだわっている、戻ってしまう、ということはごくごく一般的に、日常的にあることです。心理臨床の仕事をしてましたら、そんな例にはごまんと毎日出くわします。

 心理臨床の仕事をしてなくても、皆さんも、本当は毎日出くわしてんですよ。

 

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ストレス解消のために、最初にすること

2015-11-27 02:08:21 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
日本社会の狂気
  昨日は、現代人が、人を大事にできない、ということを抽象的に言った部分。今日はその具体的な部分。 p81第2パラグラフ、11行目途中から。 ...
 

 

 今晩は、ジョン・カバット・ジンさんの『大きな不幸を生き切ること』から、「求めない」の続きに戻ることにしましょう。p26の下から2行目から。

 

 

 

 

 

 人々は、ストレス解消センターに、主治医から紹介され、あるいは自分自身の判断で、やって来ますが、それは、何か異常があるからです。クライアントが最初にやって来るとき、私どもが伺うのは、このプログラムでセラピーをしたいと思う、3つの目標をハッキリさしてください、ということです。でもね、意外なことに、私どもは、8週間、その目的に向かって前進しないでねって、お願いします。特に、その目的の1つが血圧を下げることだったり、痛みや不安を和らげることだったりする場合は、血圧を下げたり、痛みや不安を和らげようなどとしないで、≪いまここ≫を味わって、瞑想の教えに従ってください、と申し上げますね。

 

 

 

 

 面白いですね。目標を3つ挙げても、最初の2ケ月ほどは、その目標のことはいったん忘れてしまうなんて。≪いまここ≫を味わうことって、それほど大事なんですね。逆に言ったら、≪いまここ≫を大事にできないことって、ざらにあることなんでしょうね。トラウマのために、無意識に感情転移をしたり(母親に似た人が嫌いになったり、父親に似た人が好きになったり…)、トラウマのために、在りもしないことで、あれやこれやと不安を感じたり…。

 どうすれば、≪いまここ≫を味わえるのかなぁ?

 

 

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