脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

新型コロナ重症病棟 再放送

2020年12月12日 | 心の葛藤
関東ローカルだけど、
本日再放送される


本年度新聞協会賞受賞番組だって。

精神的につらいけど、見てみようかな。

脳脊髄液減少症なのに地方の医師に、相手にされず、見捨てられ、

そういう患者ばかりを治してきた脳脊髄液減少症の医師たちの闘いは、今後も取材も放送もされないだろうし、

されたとしても、賞なんて取らないだろう。

髄液漏れがひどい患者もいるけど、一見元気そうに見える事もあるから、

テレビ映像的にも、視聴者にはその医師たちの苦労も、患者の苦しみも理解されにくいだろう。

新型コロナウイルスに感染していなくても、
脳脊髄液減少症でも、まるで溺れているように呼吸が苦しくなる事など、
世の中のほとんどの医師が知らないのだろうから。

誰にでもわかりやすい見た目重症者の患者を救おうとする医師たちは、
賞賛され、

脳脊髄液減少症の治療に何年も前から取り組み続ける医師たちの闘いや、

少ない医師に多数の患者で、とっくに医療崩壊している脳脊髄液減少症の現場。

だから、具合が悪くなっても、すぐ診てもらえず、検査も受診も入院も、何ヶ月も何年も順番待ち。

その間に自殺してしまう患者もいた。

これが医療崩壊と言わずに何を医療崩壊というのか?

脳脊髄液減少症なんて、今まで
誰も関心も持たないし、取材なんてしないうちに、
こんな新型コロナウイルスがやってきた。

そして、脳脊髄液減少症患者の私は、
世間と医師の関心をさらう新型ウイルスと、
関心を持たれず、重要視もされてこなかった脳脊髄液減少症との差を思い知らさられる。

脳脊髄液減少症は死なない病だと誤解されてる。

これだけ新型コロナに対しては、高い医療技術のある日本で、

なぜ今もなお、
早くから脳脊髄液減少症の治療に当たってきた医師たちを、バカにしたり、見下げたりするような医師たちが存在するのか?

もう少し、脳脊髄液減少症についても勉強してほしいし、新型コロナが落ち着いたら、
もう少し、脳脊髄液減少症患者に対しても助けてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

助けてあげたい

2020年12月12日 | 本当に"原因不明の症状"ですか?
周囲の人たちから、
不登校や、
ひきこもりと思われている人たちの中に、

きっといる、脳脊髄液減少症の人たち。

周りから「困った人」と思われて、さらにつらい思いをしている事でしょう。

きっと、自分が一番困って悩んで苦しんでいるのに、周りから「働け!」「学校へ行け!」と責められているかもしれない。

自分でも、何がなんだかわからないし、
気づけない、
自分に何が起こっているのかもわからないのに、責められて一番困っているのはあなたなのに。

かつての私と同じ人が、絶対今もいるはず。

あなたの苦しみの原因が、私みたいな場合があるよ、と、
教えて助けてあげたい。

医師も気づけない事。

だけど、私にできる事は、書く事だけ。

いくらブログで脳脊髄液減少症の事伝えようとして、気づいてもらおうとして書いてても、

ネット環境のない人には伝えられない。

助かる命が助からなくなるのはつらい。

脳脊髄液減少症が原因でそうなっているかもしれないのに、

医師も誰も気づけず、
本人も苦しみの原因に気づけないまま、亡くなってしまうのでは、悲しすぎる。

助けてあげたい。

救い出してあげたい。

だけど、私には力が足りない。

ごめんね。

気づかせてあげられなくて。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

患者の心のケアの必要性

2020年12月12日 | 心の葛藤
脳脊髄液減少症を長く見逃され、
医師はもちろん、
職場や学校の友達、家族にも誤解され続け、
その結果て心に深い傷を負ってしまった人はたくさん潜在しているはず。

そうした人には、体の治療だけでなく、心の治療も行う必要があると私は思う。

がん患者さんには、さまざまな専門職がチームを組んで、心のケアも含めて支える仕組みはあるのに、脳脊髄液減少症患者にはない。

あるのかもしれないけど、少なくとも私には無縁。

現状では、髄液漏れの検査と治療の最小限の体の治療しか受けられない。

リハビリだってたった一人で取り組んでここまで回復してきた。


脳脊髄液減少症の患者に対して
対応可能な医師が少なすぎ、それに比例して、
対応可能な病院とスタッフが少なすぎるから。

これから先、いつになったら脳脊髄液減少症の心のケアまで手が回る時代が来るのだろう?

それぐらい、多くの専門職に脳脊髄液減少症が知られる時代にならないと、

一見、不登校やひきこもりとされている人たちの中の、

脳脊髄液減少症患者の存在なんて、
誰も気づかないんだろうな。

それまで長生きして生きていたいな。

そういう時代を見届けたいな。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ重症患者報道がつらすぎる

2020年12月12日 | 心の葛藤
私は、今、

新型コロナウィルス感染症の重症例の患者を必死で対応している医療従事者の映像をテレビで見ると

精神的に非常に辛くなる。

つらくて、見ていられなくなる。

大袈裟ではなく、気が狂いそうな感じ。

津波で恐ろしい目にあったり、肉親を亡くした人が、
いきなり予告もなくテレビで津波の映像を見せられたみたいな心因反応だと思う。

そのため、テレビを消すか、番組を変えるかして苦しみから逃げる。

こう書くと、

脳脊髄液減少症の脳の不調でHSP状態の私が、なんでも過敏すぎて、共感しすぎて
私が医療従事者の大変さを感じてつらくなるのだろう、とか、

重症となってしまった患者の姿に、いたたまれなくなって、つらくなるのだろう。と
思われてしまうと思う。

けれど、そうではない。
まったく違う。

それは、コロナ重症患者に対する、うらやましさからくる苦しさ。

地元医師にも気のせいだと相手にされなかったことが何年も何年も続いた自分を思い出して、
過去の自分の体験と比べて、すぐ大勢の医療従事者に助けてもらえる患者さんに対する
あまりのうらやましさからくる苦しさ。

しっとにも似た複雑な感情。

患者として認められて、患者一人に対して大勢の医療従事者が惜しみない労力を費やして、助けてもらえる姿に、

地元医療従事者に、何年も何年も助けてもらえず、症状を訴えても信じてもらえなかった過去と、

今もなお、地元で脳脊髄液減少症に詳しい医師にさえ出会えていないという現実に、
同じ医療を必要とする患者なのに、
あまりの差を改めて突きつけられる感じがして
つらくなる。

この感情は、発症から1年以内に、脳脊髄液減少症と診断されたような
早期発見組の脳脊髄液減少患者ではわからないと思う。

少なくとも10年以上、髄液漏れたままほったらかされた経験のある患者しかわからないと思う。

家族からは怠け者、ひきこもり、医師にも医療の対象である患者ともみとめられなかったり、

たとえ、医師に患者と認められても、
不定愁訴ばかり訴えて、検査しても体の異常がない、やっかいな神経症患者、精神疾患患者としかみられなかったような、経験のある患者しか、

この気持ちはわからないと思う。

感染症って、誰もが「自分事」としてとらえるから、みんな関心を持つし、克服しようとみんな一生懸命になる。

けれど、自分には関係のない事と思ってしまう疾患に関しては、「他人事」としてみんな興味を持たないし、問題解決に一生懸命にもならない。

そのため患者はほっとかれるし、マスコミはほとんど報道しないし、
テレビでも取り上げない。

たまに取り上げられたとしても、見た人には自分にも明日起こるかもしれない身近な疾患とは思われない。

世界中の多くの医師も興味を持たないから、なかなか研究も進まないし、
医師の中に認知度もあがらない。
それがさらに世間や医師の無関心を呼ぶという悪循環。

私は難病ではないけど、希少難病の人の苦しみが想像できるようになった。

希少難病の研究や薬の開発は、薬を作っても使う人が少ないと売れないから、製薬メーカーも研究者も取り組まないらしい。

悲しすぎる。

その点、新型コロナウィルスは世界中のみんなに関わる事だから、

みんな真剣に研究に取り組み、患者を助けようとみんな必死になるし、
異例の早さでワクチンが開発される。

多くの人にかかわる疾患に真剣になるのは、人類の種の保存の本能から考えても当たり前なんでしょうが、

私の経験と、コロナとのあまりの、医療と世間の関心の差に、
愕然とし、とてもとてもつらくなってくる。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「適応障害」という誤診

2020年12月11日 | 本当に"原因不明の症状"ですか?
先日、
認知症でないのに、長年自分は認知症だと信じ込んでいた例が、テレビ放送された。


医師によって一度病名がついてしまうと、
それが誤診だったとしても、
誤診に気づかない患者の方が多いだろう。

そりゃそうだ。

自分より医学知識があるはずの医師がそういうのなら、と素人が信じ込んでも当たり前だ。

だけど、実際、私は何人もの医師に、脳脊髄液漏出症を見逃された。

だから、認知症でないのに、認知症と診断されていた人がいても驚かない。
むしろ、誤診された人がいて当たり前だと思う。

脳脊髄液減少症になると、しんどくて長く起きていられないから、外出がままならなくやり、家にひきこもりがちになる。

学校にも職場にも行くどころではない体調だから行けないし、
家の中でも家族のいる場所は眩しいし、音がうるさくてつらいから、
カーテン閉め切った自分の部屋にひきこもるしかない。

それは、自分を守るためのいわば、見えない敵から身を守るための本能的、正当防衛だ。

寝ても寝ても眠いから、はたからみたら寝てばかりいる怠け者に見える。

あるいは、以前のように、活発には動けないし、体調の予測ができず、
予定があっても体調が急に悪化しドタキャンする。

だから、この状態は、ひかこもりや不登校の他、医師の考えによっては適応障害とされても少しもおかしくないと思う。

認知症の診断が実はあいまいであるように、
はっきりと医師に「適応障害」と診断されてる人だって、
実は誤診の可能性だってあるはず。


適応障害は生理的反応ともいえます。よって医学的に鑑別できる検査はないです。

ここに書いてあった。

なあんだ、適応障害って認知症の診断よりあいまいなんだ。

でも、まだ、誰も適応障害という、誤診の存在の可能性なんて視点を持たないらしい。

権威ある医師が、とあるお方を「適応障害」と診断したら、
もう、その診断はけっして覆らないのか?

もし、誤診だったら、その診断名に固執するあまり、ミスミス回復の可能性まで見逃していないか?

精神科でうつ病とか、統合失調症とか、内科で自律神経失調症とか、小児科で起立性調節障害とか、

いろいろな病名に診断されていた人たちか、別の専門家の医師の視点で実は原因が脳脊髄液減少症だったってことはよくあるはず。

表に出てこないだけで。

患者は「今まで誤診されてました!」って自分からあまり言わないから。

適応障害についても、別の視点の
精神科ではない医師の視点での
再検証しないのかな?

あの方は本当に 適応障害 ですか?

脳脊髄液減少症になると、
普通の社会にも、生活にも、
精神的肉体的不調で適応できなくなるのを、
私は体験しているんですが?

脳脊髄液減少症患者が最後にたどりつきやすい精神科の、
世界中の医師のすべてが、

脳脊髄液減少症で人間に起こりうるすべての現象を把握しておいていただかないと、
いろんな病名に隠された
脳脊髄液減少症の早期発見と早期治療は難しいと思う。

脳脊髄液減少症は誤診されてる当たり前、
患者の主訴によって、
第三者(医師)からの見え方(病名)が変わる。

それが脳脊髄液減少症だと私は思う。

だから、適応障害 って誤診もありうると思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GoToトラベルのモヤモヤ

2020年12月10日 | 心の葛藤
知人の70代の高齢者が、GoToトラベルで、
すでに5回も旅行をして、今日も旅行に出発した。

それを聞いて、私はなんだか複雑な気持ちになった。

医療従事者が大変な思いをしているうえ、
医療従事者はGoToトラベル 利用どころではないから、できない上に、
職場から、会食まで禁じられているところもあると聞く。

そんな中、60代〜80代で体が元気で、
あちこち自分で動き回れて、
お金も時間もゆとりある人たちだけが、

何度も何度も、GoToトラベルの恩恵に預かって、税金使って安く旅行しているとしたら、不公平な気がした。

でも、もともと、旅は、
お金と時間がないとできないから、

そういうお金と時間と健康がある年代の人たちにどんどん観光してもらって、

飲食、宿泊で、観光地を潤してもらおうというのが、
政府のGoToトラベルの目的なのかもしれない。

でも、なんだかモヤモヤする。

子供が自立し、自由な時間とお金と動ける体があっても、
高齢者は、若い人達より新型コロナウイルスで重症化しやすいというから。

医療従事者を応援したいなら、
高齢者は、
この時期は旅行は控えるべきではないのか?

それとも、ホテルや、飲食店が倒産しないように、
自殺者がでないように、

旅行に行ける人は年齢を問わず、どんどん行ってもらった方がいいのか?

ただ、
もともと、GoToトラベルは、感染が落ち着いてきたらはじめるはずだったけど、
それでは経済が持たないと思って始めちゃったんだと思う。

何が正解なのか、私にはわからないけど、

ただ、今回の話を聞いた私には
なんともいえない不快感だけが残った。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クローズアップ現代+ #こもりびと 感想

2020年12月10日 | つぶやき
長年ひきこもり支援してきた社会福祉士さんも、

脳脊髄液減少症のこと、
きっと、知らないんだろうなってこと。

でも、その社会福祉士さんが、
「ひきこもりの人たちって何も表現をしないってよく言われるんですけども、
実は表現をしたいんだけれども、
表現する機会がない。

あるいは自分が何を感じて何を考えているのかてことをうまく言葉に乗せられないだけではないのかな。

それは私たちが、何か緊張してうまくものが言えなかったり、

やはり安心安全じゃない所では話せないって言う事とつながっているんじゃないかと思う。」っていう言葉だけは、

共感した。

脳脊髄液減少症の症状は文字にして伝えようとする事自体が難しく、

やっと文字や言葉にしても、理解されないと、もう伝えようとする気力もなくなってくるから、

見た目働けそうな、ひきこもりの人も、

今置かれている自分の状況を、文字や言葉にして人に伝える事は、とても難しいんだろうと思うし、

たとえ、やっと言葉にしてもなかなか理解されないと絶望して、

もう話さなくなってしまうのだろうな、と思った。

私も、脳脊髄液減少症になり周りの無理解の経験がなければ、

こんな風に、ひきこもりの人たちの世界を考える事もなかったと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虐待の後遺症は精神的なものだけじゃない!

2020年12月10日 | つぶやき

虐待で「フラッシュバック」など後遺症 支援求め署名活動


を読んで感じた事。

親から虐待受けた人が、
大人になっても精神的後遺症に苦しんで
生きづらさを感じるというけれど、

親から身体的暴力を受ければ、
髄液漏れが起こっている可能性があるわけで、

それによって、
突然の動悸や、吐き気や、

不安や恐怖といった、
身体的、精神的症状が出てる可能性だってあると私は思う。

それなのに、虐待を受けた子供の後遺症としての、脳脊髄液減少症の可能性なんか、考える人はほとんどいないと思う。

(ましてや、乳幼児に虐待で命を落とした子の中に、髄液漏れが原因で亡くなったケースの可能性なんて想像する人はいない
と思う。

特に、精神科や臨床心理士、心理カウンセラー、関係団体などにが脳脊髄液減少症に詳しい人材がまだいないに等しい。

たぶんニュースに出てきた団体も、虐待でも起こりうる脳脊髄液減少症なんて知らないんじゃないか?

こんな現状では、
虐待で髄液漏れを起こしているのに、
それを誰にも気づいてもらえず、
適切な治療もうけられず、

すべて精神的後遺症だと誤解されている人たちがいても、
全く救えないと思う。

私の経験からも、脳脊髄液が漏れて減った人間が、精神科にかかると、
鬱や、パニック障害、境界性人格障害や発達障害、閉所恐怖症と診断されてもおかしくない症状が出る。

私は虐待は受けて育っていないのに、そう診断されてもおかしくない症状が実際に出た。

だから、虐待に関わる精神科医ぐらいは、脳脊髄液減少症について詳しく学んでほしいし、
脳脊髄液減少症の研究に加わってほしいと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

慢性腰痛はストレスのせい?

2020年12月09日 | つぶやき
12月5日の、テレビ朝日のお昼の番組

中居正広のニュースな会

という番組で、 

医師が慢性痛は精神的なものでも起こると言ってたけど、私は「脳脊髄液減少症でも起こるよ。知ってるの?先生!」と
心の中で叫んでしまいました。

テレビによく出てる姫野医師が、

「慢性的な痛みは精神的な不調が原因で起こる可能性がある。
人は健康な時には痛みを感じにくくする機能が働く、
不安とかストレスとかでその機能が低下すると、痛みが長引いたり、鎮痛剤を飲んでも痛みが止まらなかったり、ちょっとした痛みをすごく強く感じたりする事がある。」と言ってた。

(この腰痛が物理的な腰痛なのか精神的な腰痛なのかどうやってジャッジしたらいいのかと言う質問に対して)

「鎮痛剤を飲んでも良くならない、薬を変えても効かない、薬が増えていく、筋肉を和らげる薬も効かない場合は、炎症性のものでも、緊張性のものでもない、精神的なものを考えた方がいい。」と、

まるで慢性痛は心が原因みたいな事言ってた。さらに、

「なんかおかしい、
症状がなかなか治らないと思ったら、気軽に心療内科とか、精神科を受診してほしい」と言ってた。

たしかに心が原因で起こる体の症状もあるのは私も認める。

だけど、

ちがうよ!先生!
脳脊髄液減少症患者は、そうやってみんな、精神的なものにされて、髄液漏れという原因を見逃されてきたんだよ!って言いたくなった。

私、なんかおかしいと思ったから、
心療内科も精神科も行ったよ。
脳外科も、神経内科も、整形外科も、婦人科も、
だけどね、当時は誰も症状の原因が、脳脊髄液漏れだなんて気づいてくれなかったよ。

今だって症状から脳脊髄液減少症を見抜ける医師は少ないよ。

だから、私は、原因不明の症状とか、痛みとかある人は、

精神科とか、心療内科へ行くより先に、脳脊髄液減少症の症状と似た症状がないか自分で良く、調べて、

脳脊髄液漏れを起こすような事故や怪我や転倒が、
その症状が出始める前になかったか?よく思い出してほしいよ。

複数の医師に気のせい、精神的なものと言われても、

あまりに症状がつらくて、

慢性腰痛や頭痛や、

パニック障害みたいな呼吸困難や、
夜中の動悸や
睡眠障害や、
痛みやだるさやめまいが続いていて、

しかも、それ以前に何か転倒とか事故とかあったら、
脳脊髄液減少症の検査も診断もできる医師を探して、受診してほしいと思う。

脳脊髄液減少症患者が多くの医師に見逃されて最後に流れつくのが
精神科と心療内科の場合が多いのだから、

最低限、精神科と心療内科の医師ぐらいは、脳脊髄液減少症の症状の全てを知っておいてほしいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病的ひきこもりと、自然なひきこもり

2020年12月09日 | つぶやき
昨日、
NHKのひきこもりキャンペーンの
#こもりびとサイトの当事者の声を読んだ。

で、気づいた。

ひきこもりの定義では、半年以上、家や部屋にひきこもっている人としているけど、

同じひきこもりでも、人間の当たり前の反応としての当然のなりゆきでのひきこもりと、

自然なひきこもりが、長引いてそのままなりゆきのひきこもりになっているのと

そうではない、躊躇なく緊急医療福祉支援が必要な病的ひきこもりと

いくつかのパターンがある事に。

何かショックがあったり、大切な人が亡くなって、半年一年、外にあまり出なくなって家にひきこもったとしても、
きちんと食べて、寝て、トイレにいって、お風呂に入れているなら、
私はそれは人としての自然な心因反応だと思う。

だけど、電気やガスや水道が止められ、ゴミで埋もれた家にひとりいるのは、自然なひきこもりとは言えない。

それなのに、".ひきこもり"とひとまとめにして、支援の方法が一律では、うまくいかないのも当たり前だと思った。 

対応を人により変えていたとしても、死なせてしまっているという事は、当事者の「支援拒否」のせいではなく、支援者側の
「支援失敗」のせいだと私は思う。

ひきこもりのパターンを見抜き、
パターンごとの適切な支援をしないと、助かる命も助けられないのは当然だ。

特に、誰も家族がなく、電気やガスや水道が止められた中で、命の危機が迫っているのがあきらかに予測できる病的なひきこもり状態の人には、

ただ様子を見に行くだけとか、食料を置いてくるだけとか、本人が支援を断るからといってそのまま帰ってくるというのでは、「支援」とは言えないと思う。

もし、法的に、強制的に命を救う支援ができないなら、法律を変えないと、
ひきこもり死は防げないと思う。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クローズアップ現代+ "こもりびとの本音"

2020年12月09日 | 情報
2020年12月9日、
今夜10時のNHKのクローズアップ現代プラス 

で、ひきこもりの人たちの事をとりあげるようです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロナ検査してもらえず死後に検査して陽性

2020年12月08日 | つぶやき
金沢大学に単身赴任していた42才の准教授が、コロナの検査を望みながら受けられず、
自宅近くのクリニックでコロナではないと言われたと妻にメッセージを送ってから音信不通になり、
その後、亡くなっているのが発見されたそうだ。

死後の検査で、コロナ陽性が判明したそうだ。

これって人災ですよね。

医師の誤診ですよね。


によると、
11月16日に強い倦怠感が現れ、4日後の
11月20日に39度の発熱。翌日の
21日午前中、近くのクリニックを受診し、
インフルエンザの検査を受けたが陰性。
薬を処方される。午後には37度台まで熱が下がる。
石川県発熱患者等受診相談センターに電話してPCR検査を受けたいと伝えたが、「かかりつけ医の判断がなければ検査は受けられない」と告げられたという。

翌日の22日(日曜日)にせきとのどの痛みを訴える。
翌日23日(月曜日)は祝日のため、土日月の3連休明けの火曜日の
24日同じクリニックを再受診。
後「コロナではないと言われた。と妻にメッセージを、送った。」そうだ。
25日の朝音信不通に。
妻が連絡し、金沢大学職員が自宅に出向き、死亡している高橋准教授を発見。

とのこと。

東京新聞によると、
県健康推進課の相川広一課長は「個別の案件は把握していない」とし、「センターは通常通り対応した。検査するかは患者を診た医師が判断することだ」と話した

って、確かにそうなんだけど、
脳脊髄液減少症の場合も同じだから、医師が絶対で、患者の希望が通らない現状の問題点はすごくよくわかる。

妻は、
「検査が間に合い入院できたら、夫は助かった」と悔やんだ。さらに「検査するかどうかの判断が、医師に限られていることは良くない。ちょっとでも具合が悪いと思ったら、すぐ検査を受けられるようにしてほしい」と訴えた。

奥様の残念さ悔しさは、いかばかりかと思うとつらくなる。
持病の喘息持ってたなら尚更もっと真剣に医師が診てほしかったと、思う。

死因は「不詳の病死」直接死因に関係ない病名としてCOVID19陽性 (新型コロナウイルス陽性)とは書かれていたというが、

逆になんで、直接死因に関係ないってわかるんだろ?)こんな死体検案書では、遺族も納得がいかないだろう。

42歳の若くて優秀な人材が、こんな事で命を落とすなんて、残念でしかたがない。

自分の医療不信が蘇る。
脳脊髄液減少症の私も、患者が先に事の重大さに気付いても医師が気づかないために、なかなか検査に至らなかった事があった。

患者が自分で調べて調べて先に「これは脳脊髄液減少症かも?」と確信しても、 

受診した医師に「髄液漏れてる人が歩いて一人で病院に来れるわけないから髄液漏れの検査なんてする必要ないよ。紹介状なんて書かないよ。」と言われてしまえば

いくら患者が望んでも髄液漏れの検査にはたどりつけない。

それでもあきらめずに髄液漏れかどうかの検査してほしいと医師にいうと、
医師は内心、
「ネットで調べて勝手に自分は病気だと思い込む困った患者」だと思い、「少し安定剤でも試してみますか?」とか「精神科に紹介しますから」なんて方向に向かい始める。

たった一人のかかりつけ医の判断がすべて正しいわけじゃないのに、医師の判断が絶対で、患者の判断は軽視されるのが日本の医療。

だけど、患者をバカにしないで!

私だって自分で調べて、症状の原因にたどり着いたんだから。

迷路には、多くの人が迷いこんでいく道がいくつもあったけど、慢性疲労症候群の方にも、線維筋痛症の方向にも、うつ病やパニック障害の道にも迷い込まず、

脳脊髄液減少症の診断にたどりつけたんだから。

これは、交通事故後からの状況と経過と症状からして、
髄液漏れが真犯人だ!と探偵よろしく探り当てたんだから。

患者は、自分の体の調子は医師より一番知ってるから、いつもと違う異常だって誰よりもよくわかる。

だって生まれてからずっと、自分の体を観察し続けているんだから。

なのに医師は何か勘違いしてる。

患者の体に一番正しい判断するのは医師の自分だと思い込んでる。

医者は絶対、医師の判断がないと検査も受けられない。

患者本人の本能的直感が当たっていたのに、
他人の医師の考えが優先され、
その挙句に命を落とす。

なんて怖い国。

ひきこもりの人だって、私は、医療の対象者だと思ってる。

人間、心か体か、その、両方か病まないとひきこもらないと思うから。

「緩慢な死」を、医師が医療の対象ではないと、相手にしないで見て見ぬふりをしているから行政もその判断に従うしかなく、
人の命を見捨てているのと同じだと思ってる。

医師は神様ではないのだから、「複数かかりつけ医」制度にして、

行政も「最初にかかった医師ではない、違う医師を受診してみてください」と勧められるようになってほしいと思う。

それよりも、患者があちこち動き回って感染を、広げないように、医師の判断が絶対でなくても、患者が望むなら自費でもいいからとにかくすぐ検査する体制が必要だけどもね。

私は自費で検査を受け続けてここまで回復したけど、検査や治療が健康保険適用になるのを待ってたら、おそらく生きてはいられなかったと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰にも助けてもらえない人たち

2020年12月07日 | つぶやき
脳脊髄液減少症だった私のケースだけど、

脳脊髄液減少症だとわかる前は、主にあちこちの医師に相談し、

脳脊髄液減少症だとわかったあとは、

私は症状が悪化したり、一人ではできない事で困ると、
いつも、ちゃんと地域のあちこちに助けて!とSOSを出してきた。

けれど、

結局助けてくれたのは、自宅から何百キロも離れた主治医だけだった。

地域の人たちは誰も積極的に私にかかわろうとはしなかった。

行政の保健師も、
精神保健センターも、

地域の何人もの医師達も、
病院の地域医療連携室のソーシャルワーカーも、

社会福祉協議会の社会福祉士も、

行政の年金課の職員にも、

地域の社会保険労務士も、

地域の弁護士も、

地域の被害者支援センターの職員にも、
そこの精神科医も、

いくつもの何人ものクリニックの医師も、

近くのヘルパーステーションも、

訪問看護ステーションも、

近くのリハビリ施設も、

障害者の相談窓口も、

高次脳機能障害の相談センターも、 

もともとの性格は積極的な私だから、
必死で助けを求めた。

だけど、私に積極的にかかわり、具体的に手を差し伸べてくれようとする人も、仕組みも、この国には存在しないとわかった。

絶望感の中であきらめた。

脳脊髄液減少症だとわかってからも、
主治医だけを頼って、家族に生活を支えてもらい、自分でリハビリをして、
ここまで生き延びた。

でも、相手から見たら、私が自ら「支援拒否をした」事になるのだろう。

私はもう、この人たちに、相談しても無駄だと感じていただけなのに。

もともと積極的で行動的な私でさえ、誰にも助けてもらえない、人は頼れない、自分でやるしかないと絶望したんだから。

だからね。

なんとなく、中高年のひきこもりの人の追い込まれた状況や
絶望感みたいな気持ちが想像できるの。

「支援を拒否」してるんじゃなくて、それ以前に、あまりの人の冷たさに、繰り返し打ちのめされて、相当、人間不信で絶望してるんじゃないかな?

この国は、世の中に、認知度の高い病名や障害名が、医師によってつけられた人には、

さまざまな医療サービスも、福祉サービスも、生活支援のヘルパー制度も整っているけど、

地域の医師に、医療や福祉の支援が必要な人と、認められない分野の人たちは、

どんなに困っていても、
どんなに医療や福祉の支援が必要な状態が現実にあっても、
積極的にには支援のレールには乗せてもらえない。

それどころか、

みんなに相手にされない、見て見ぬふりされ、やっかいもの扱いされる。

これが現実。

今は、「認知症」と言われ、
介護保険でさまざなサービスで支えられてている人たちも、

ちょっと前まで、「痴呆症」とか「ボケ老人」と言われてた。

それよりもっと昔は、
病気でそうなっているのに、
さげすまれたり、厄介者扱いされていた時代があったはず。

認知症で脳が病んで、
一人で着替えられなくなったり、一人で食べられなくなったり、料理がてきなくなつたり、入浴できなくなったりすると、

介護保険も、デイサービスもない時代は、
家族にも冷たくされていた人もいただろう。

今は、高齢化に伴い、認知症の人の人権を守る動きや、医療福祉サービスも整ってきた。

けれど、そういう社会が支える制度が全くない人たちが今も存在する。

私のような、地域の医師にも、理解がない見た目なまけものにしか見えない脳脊髄液減少症患者とか、

親を亡くした
ひきこもりの中高年の人とか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「繊細さん」に伝えたい事

2020年12月06日 | 本当に"原因不明の症状"ですか?
どうやら、生まれつきでなくても、

脳といつものは、何かの原因で変化し、
それまで平気だったささいな事に、
過敏になり、
「繊細さん」に変身してしまう事もあるようです。

たとえば、私みたいに、髄液漏れが原因で。

普通の音、光、が苦痛で、外に出られなくなり、
人の話し声さえ耳に普通で、会うのも苦痛になりました。
人の些細な言葉にも過敏に反応し、落ち込み傷つき、怒り、
共感力が過敏すぎて、悲しいニュースや、ハラハラドキドキするテレビはつらくて見られない。

私は、脳脊髄液減少症で脳が過敏になり一時ものすごい「繊細さん」になりましたよ。

が、
髄液漏れを止める治療を何度か受けたら、
音、光、の過敏さはおさまりましたし、

ささいな事で感情が激しく揺さぶられる事もなくなり、怒りっぽくもなくなり、大泣きすることもなくなりました。

人間の脳とは不思議なものです。

同じ音や光でも、脳の置かれた状態によっても、感じ方が変わるようです。

この事は、やがて脳脊髄液減少の精神科分野の研究が進んだ未来になれば、

私の言っている事が、科学的にも医学的にも証明される日が必ず来ると思います。

なかなか世界中の研究者にも、脳脊髄液減少症に関心がもたれないから、

あと、50年くらい先かもしれないけど。

コロナウイルスの研究は世界中の人が自分に関係あるから、みんなが真剣に研究するから、

恐ろしい早さで、解明されてるけど。

脳脊髄液減少症は感染しないし、自分らには関係ないと、皆が勘違いしてるから、

研究が、進むのは、まだまだ先だな。

このクリニックの先生も、脳脊髄液減少症のこと知らないんだろうな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ひきこもり支援での言葉づかい

2020年12月06日 | つぶやき
NHKスペシャル 「あるひきこもりの死」
の感想の続きです。

支援者が、当事者たちに介入しようとする時の、言葉使いがタメ口なのが、私はちよっと気になりました。

堅苦しい敬語より、当事者に打ち解けてもらうために、親さを示すためにタメ口になってしまうのかもしれないけど、

私が当事者だったら、支援者にタメ口きかれたら、なんか自分が見下げられているみたいでよけいみじめになって嫌だな。

タメ口だと、自分を見さげて、自分たちは安定した仕事についていて、仕事でやむなく、こんな自分にイヤイヤ関わっているのかと感じちゃったら、

自分をこんな扱いする人の世話になんかなりたくないって思っちゃうな。

それが、「支援の辞退」につながるのかもしれないと思いました。

あくまでも当事者を尊重した話し方で、
人対人で対等に話し、
私は今は仕事でここには来てはいるけど、あなたを心から心配している。 

あなたには元気になって生きてもらいたい。
私はあなたの力になりたい。
だから、私からの支援の提案を受け入れてくれませんか?」

という、支援者の真剣な思いが伝わらないと、支援を受け入れてはもらえないと、私は思いました。

私は病院で、よく、患者として処置を受ける時など、
看護師さんや若い医師に、タメ口で幼児に話しかけるような言葉をかけられる事がありました。

特に、もうろうとしている時や、具合悪すぎて問いかけにちゃんと応答できない時、弱っている時に、そういう扱いを受ける傾向がありました。

つまり、こちらが弱者になって相手に対抗できない状況で、
相手がこちらより優位で強者にあると相手が認識した時、
無意識にタメ口で話されてしまうとかもしれないと何度か感じてきました。

タメ口で幼児に話しかけるように話されると、話せなくてもちゃんと聞こえてるからなんか嫌でした。

老人ホームなんかでもよくある話で、

若い人が、幼児を扱うような言葉づかいで高齢者を扱う事は、あります。

親しげな話し方を嬉しがる人もいるかもしれないけど、

見た目、老人でも、頭がはっきりしている人は、若い子に子供扱いされるのはやはり嫌な人もいると思います。

ALSで体は動かなくなっていくのに頭がはっきりしている人は、
同じように支援者やヘルパーに、幼児のような口調で扱われたりしていたら、
つらいだろうな。

ひきこもりの人にも、高齢者にも、病気の人にも、
健常者の支援者、医療者は言葉づかいに気をつけて、
基本、敬語で話してほしいと、思うのは私だけかな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする