津波の被害状況を知るにつけ、暗澹たる思いになります。
この世の地獄とはこのことです。自然の力の前に人間は無力です。
日本はいったいどうなるのかという不安はありますが、
今はとにかく早く地震が収まることを祈っています。
お亡くなりになった方、被災された方、こころからお悔やみ申し上げます。
地震の当日は和裁のお稽古で、立川の古いビルの5階にいた。
揺れた事、揺れた事、いつまでたっても揺れが収まらない。不安を鎮めるように声を掛け合った。
そして2回目の地震。車の二人はすぐに帰った。
保育所に勤め、たまたま休みだった方は勤務先から呼び出しが来たが
電車が止まっているだろうし、行く方法がない。
その後モノレールとバスが動いているという情報があり、二人帰った。
電車が動かない限り帰れないのは3人。仕方ないので和裁を続けた。
家族からのメールで今日中にJRの復興は無理ときいた。
5時に和裁のお店を閉めるというので、とりあえず駅に向かい情報を集めたが、避難所は昭和記念公園と言うばかり。
駅は駅ビルを閉め、コンコースも人を排除していた。
一人は立川の親戚に行く事に決めた。
友人と私はホテルに泊まるつもりだったがこの状態ではもう満杯だろうと判断。
とりあえず、コンビニでホカロンたくさんと食料を買い集めた。
一応ホテルに行って聞いて見たが、やはり宿泊は無理。
体力消耗を防がねばと、歩くのはやめ、近くのスタバ風コーヒー屋に席を見つけた。
ここはよかった。ゆっくりメールで家族と連絡を取り合い、
友人は近くのすいているj公衆電話で、自宅に連絡を取ることができた。
(携帯はメールしかつながらないが、公衆電話は普通に通じた)
ここで、立川中のホテルがロビーとレストランを開放しているのを知り、
コーヒー屋閉店後は、近くのホテルに行き、迎えの家族を待った。
自宅まで電車で17分のところが3時間もかかったがその日のうちに帰ることができた。
危うく帰宅難民になる所だったが、暖かい所で過ごすことができたのはラッキーだった。
娘は新宿にいたが、1時間半ほど歩き、息子の所に泊まった。
千葉に住む姪っ子は会社から帰れず、姪の夫が一時間半自転車を飛ばして帰り、
無事保育所に預けた子どもを引き取ることができた。
災害をこれほど身近に感じたことは初めてだ。
いざというときの準備をいろいろ考えなければいけない。
非常持ち出し、情報の確保、連絡の取り方、災害時の集合場所、財産の整理、
自宅の要らないもの廃棄、・・・・・・・
自宅にはケーブルテレビの地震情報サービスを頼んでいるが、大活躍している。
「 地震がきます!地震がきます!10、9、8、7、6、5、4、3、2、1・・・・・・」
大声で叫んでいる。
不気味です。
今息子からメール。
日本が気になるようだが、明日からバンコクに出張だそうだ。