連休中の話です。
5月3日、日帰りで御柱祭りを見に行きました。
今回は上社の里曳き。
御柱は4月2、3、4日に 町なかを曳行(穴山大曲り)→木落とし→川越し→御柱屋敷で約1か月お休み (前回の旅行)
そして5月3、4日で→里曳き→柱建て という順番で、祭りの終了となる。
このうち柱建ては6年前に見たので、あと里曳きを見れば、上社の行事は全て見学完了。
行く度に、ますます壮大な規模の祭りだと実感する。
諏訪大社は上社と下社があり、上社は本宮と前宮がある。
里曳きは、柱を建てる前に、本宮は神社の近くに4本の柱を、前宮は境内の中に4本の柱を運ぶという行事。
前回の木落とし、川越しに比べればずっと地味でのんびりしているけれど、御柱祭りの空気を
傍でじっくりと味わう事ができ、楽しい。
今回は簡単に写真をどうぞ
まずは、前宮の前に陣取る。
本宮二の柱がやって来た。
三の柱が来るまで時間があったので、下社を参拝。
山の上にあります。
急な階段には板が敷かれ、ここを御柱が通る。
境内には、柱を建てる穴が掘られている
本宮三の柱がやってきた。
道路が狭いので、人が溢れる。
熱気をすぐそばで感じ、祭の一員のような気分
このあと昼食時間となり、御柱の行列は暫し休憩。
法被と、ニッカボッカ?の似合う男性達。
祭りのベテラン達はかっこいい
真ん中の男性 腕章に 「斧長」と書いてある。 後ろにしょっているのは斧 斧隊の隊長さんです。
斧長の後ろの方は、日本酒を水筒のごとく斜め掛けしている。 お酒が手軽に飲める工夫ね。
皆いろいろな腕章を付けていた。
大総代、自治会長、喇叭隊長、清掃隊、命綱係、斧隊、仕掛け人、木遣り隊長、その他もろもろ。
これだけの人数ですもの、一目でわからなくてはいけないですね。
私達はその間、少し歩き 「神長官守矢史料館」に行ってみた。 (藤森照信設計)
守矢家は代々諏訪大社の神官だったので、諏訪大社に関する資料が保管されている。
本宮四の柱を見て、気がついたら、前宮の里曳きが見えてきた。
神社に登る階段を、人海戦術で引っ張る。
太い綱
見えてきました
前宮一、二、三の柱の里曳きを見て、帰宅する事にした。
帰宅の前に上社本宮に寄った。
4日の柱建てに備え、お休みしている本宮の御柱。
本宮では明日の柱建てに備え、木遣り隊が木遣りを奉納していた。
境内に子供たちの木遣りが心地よく響いていた。
帰宅してからすぐにブログを書こうと思っていたが、
残念なことに次の日・4日の柱建てで死者がでてしまった。
6年前も2人の死者が出ており、今回は安全対策を十分に取っていると聞いていた。
事故を防ぎきれなかった事に、現地の方達はどんなにガッカリされたことか!!
あんなに安全対策を考えていたのに、防ぎきれなかった悔しさを感じてしまった。
働き盛りを失ったご家族もどんなに悲しい思いをされている事でしょうか。
それを思うと、すぐにブログを書く気にならなかった。
ネットを見ると、毎回死者が出る危険な祭りをなぜ許可しているのか?とか祭りをやめるべきだ との意見も見かける。
世の中の流れで、危険なものを排除する傾向もある。
このままで行くと、御柱祭りも、世論からバッシングを浴びる日が無いとも限らない。
無事に6年後の神事・御柱祭り迎えられるよう、祈らずにはいられない。
御柱祭りの記事終了です。
御柱に入れ込んだ1か月、楽しかったです。
3月からのの着物・・・・・今年に入ってからあまり着ていなかった。
目黒雅叙園に着て行った。 毎週集まるサークルの仲間と4月に桜見物。
帯は祖母の物。 仕付け付きでお安く買ったウールの着物。気持ちが弾む着物。
自作の村山大島。もらい物の帯。 昔から着ているブルー大島。G店の音楽会に着用。
派手なのでソロソロ限界かしら?