先週の23日月曜日に自宅に戻ってきました。
19日水曜日にガス工事や細かな大工仕事が完了。
20日から本格的な片付けと掃除。娘が仕事なので、わからない収納はそのままに。
その夜から右腕に酷い痛みが走る。右腕に何かが触れるだけで「ギャー!」
勿論横になって寝る事もできない。
鎮痛薬を飲みロキソニンテープを貼り、明け方にやっとまどろむことが出来た。
次の日から2日間、痛みで殆ど何もできず片付いた和室で療養となった。
私の療養所。
ここで本を読み、片付けに奮闘している娘を横目に見ながら、娘の入れたコーヒー飲んで・・・・良い休養でした。和室って落ち着いていいなぁ♬
夜は黒い温泉の「桜湯」へ連れて行ってもらった。とても温まる温泉です。
右手が動かないので、着替えを手伝ってもらい、背中を洗ってもらった。
これって、介護されてる!! 介護される気分て落ち着かないですね。
原因はコレ!!
吸引力は素晴らしいけどやたらと重い。
掃除しても掃除してもゴミが出てくるので1日何回も掃除機をかけた。
右手でブンブン前後させ、そして雑巾掛けもたびたび。
腕が悲鳴を上げるわけです。
23日月曜日に夫に迎えに来てもらい、帰宅。
途中、5月が父の命日だったので、保土ヶ谷の実家の墓参りをして久しぶりの中華街でランチ。
写真撮るのも痛いので、これ一枚。 トマトと豚肉のピリ辛ご飯と点心。
お気に入りの同發で。
耐震工事の結果です。
赤いグラフが補強前。見積ではこのグリーンのグラフに強化される。
工事後。グリーンのグラフが実際の工事の結果です。
見積よりもずっと強化され、1.4に近いレベル。
1.5以上が倒壊しないレベルなので、かなり強化された。
特に二階のY方向は1.5の倒壊しないというレベルまでに。
これで安心。4月12日から約ひと月半、長い工事でした。
残りの人生の大問題を一つ片づけた気分。
耐震工事(リフォーム工事全般に言えますが)は体力と神経を使うので、
今やって良かった。
来年なら、もう年齢的に耐えられなかったでしょう。
また、ロシアのウクライナ侵攻への影響が大きく、合板は殆どがロシア製のため、今は品薄状態。
販売店に入荷してくるのが10枚程度と言う状態なので、あちこちで工事が滞っているらしい。
今回の耐震工事に使用する合板は値上げ前に発注していたので何とか助かったが、来年工事となると価格の上昇が避けられないそうだ。
毎日朝、お参りした近所の神社。
清潔に掃き清められた神社は気分が引き締まりますね。
工事の無事と家内安全、そしてウクライナの平和を祈って朝が始まります。
わが家の近くにもこんな神社があると良いのですが。
実家で見つけたもの。
写真は殆ど処分したのですが、母のアルバムが1冊残ってました。
戦前、戦中、戦後の女性たちが様子が伺えます。
昭和17年。友人達と井の頭公園に行った帰りに撮ったので皆疲れた顔をしている・・・・とメモが残っていた。 この頃は遊びの帰りでも写真館で写真を撮ったのですね。
この写真は何と昭和20年1月のもの。終戦の年です。
この日付の写真が何枚か残っていた。
結婚式など何かの行事かしら。サザエさんのヘアースタイルです。
庶民は戦中であろうとこんな時に着飾る楽しみを見つけたのでしょう。
昭和20年と言うと皆がモンペを着ていたと思いますが、時には発散していた?
これは昭和22年。三姉妹で。穏やかな感じが好きです。
これは昭和13年~15年ごろの兄弟姉妹の写真。皆笑顔。
亡き叔母が、祖父が写真好きで、何か行事がある度に写真屋を呼んで皆で写真を撮ったと言っていた。
写真は写真屋が撮る。そんな時代だったのでしょうね。どの写真も良く撮れている。
このほかに写真館で取ったものが多数残されていた。
本人だけでなく友人達の写真もあり、皆着飾ったポートレートが素敵。
皆写真を撮る時はここぞとばかりに、ヘアスタイル、洋服に力を入れたのですね。
時代が香る昭和前期の写真ばかりでした。
27日は立川に 夫婦で用事があり、久しぶりに魚耕でお寿司。
腕の痛みも取れ、今週からやっと日常生活復帰です♬♬