浦添城の築城年代を示す歴史的な史料は存在しない
伝承によると十二世紀頃、瞬天王統の時代から
築城されたと伝えられている
瞬天王を始めとする瞬天王は1187~1259年
三代で73年間、浦添地域を統治する
1260~1349年五代続いて90年英祖王統が
浦添グシクの城主に成る英祖王統最後の西威王の後を
継いだのが察度1350年浦添城主に成る
この察度王が琉球で初めて明国(中国)に1372年に朝貢を年行い
経済、文化の発展に多大な功績をもただす
二代目武寧が明国の冊封を受け琉球が初めて
明国皇帝から中山王としての称号を受ける
南山の承察度も1380年、北山の怕尼芝も1383年に朝貢を行う
その頃各地域には多くの按司(地方の領主)たちが
群雄割拠していたが強力な按司が現れ三つの国にまとまっていった
これが北山・中山・南山である
後に歴史的に三山時代(百年続く)と呼称されるようになる
浦添地域は中山と呼ばれた
察度王統は(1350~1405年)二代で56年浦添を統治する
上記の三王統、十人の王が220年で統治し
浦添城を増築・改築してきた