人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

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中城城 【5】

2019年12月10日 00時00分26秒 | 日記

 護佐丸は第一王統尚巴志王から尚泰久までの

六代の王に仕え功臣と伝えられ

 

琉球歴史上最も名声を残した

武将として語り継がれている

 

護佐丸は謀反を疑われ

阿麻和利が率いる王府軍に囲まれた

 

王府に逆らう事は出来ないと

王への忠義を示すため反攻する事なく

妻・長男・三男もろとも自害した

 

伝承によると幼児であった三男、盛親は

乳母とともに城を脱出することに成功し

乳母の生まれ故郷に逃げのびた

 

その後第二王統尚円王に見いだされ

豊見城間切の総地頭職に任じられ

 

豊見城親方盛親を名乗りその子孫は繁栄し

一族から三司官や王府の主要な役職に多数就いた

 

琉球五大性名門の一つと成り

その子孫は現在十万人以上いると言われている

 

中城城は護佐丸(1458年)亡き後は王府の直轄地となり

その一族が 1469年まで治める

1470年以降、中城の領地は中城王子の採地となる

 

1729年に中城間切の番所が置かれる

明治になると学校、村役場などになり

 

第二次世界大戦のとき焼失し城郭内は無地域となる

1955年に琉球政府の重要文化財史跡として指定される

 

2000年にはユネスコ世界遺産に

中城城跡として登録される

 

現在城内に六ケ所の御嶽と

グシク周辺に二十か所以上の御嶽と御願所があり

年中行事祭祀が執り行われている

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