雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森 216 池澤夏樹さん著『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』集英社文庫

2012年07月14日 19時42分30秒 | 本と映像の森
本と映像の森 216 池澤夏樹さん著『パレオマニア 大英博物館からの13の旅』集英社文庫、集英社、2008年(平成20年)8月25日第1刷~2011年9月10日第3刷、529ページ、定価857円+消費税、原著2004年単行本

 大英博物館は無料です。その大英博物館にある世界の遺物から「男」が好みの13点を選んで、その遺物が現存した現地を旅する本です。

 博物館と現場をいったりきたりする素敵な遺物と男、現地と博物館の「対話」の本です。

 ギリシャのオトメの像、ナイルの船、イランの獅子、北米のサンダーバードの木像、ケルト人の死体、ウルの王墓の山羊象、アナトリアの銀の牝牛、新羅の優しい石仏などなど…。

 お勧め本です。できたら大英博物館へ行って…。

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 京都でおしえている美大の先生が、美術と対話する、1時間でも2時間でもじっと見て対話することを呼び掛けています。そうするとだいたい、美術館の館員がとんできて、追い出されるそうですが。

 絵とは、絵の解説を読んで絵を見て「なるほど」と立ち去るものではない…と。そのとおりだと思います。

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 なお「パレオマニア」とは「古代妄想狂」のことです「誇大妄想」に等しい?かも。

 

浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 3 徳川家康さんの東照宮の謎

2012年07月14日 06時09分03秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 3 徳川家康さんの東照宮の謎

 つい数日前に、NHKラジオ第1の「深夜便」で、久能山東照宮のことを紹介していました。

 ぼくもまだ久能山東照宮には行ったことがないので、初耳でしたが、家康さんのお墓は、実は西を向いているのだそうです。つまり、当時、対立していた豊臣系の大名の多い西日本を向いていたようです。

 お墓が西を向いているというのは、たとえば西に向いている出雲大社と同じで、興味深いです。

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 そして家康さんは、生地の岡崎城から浜松城、江戸城とどんどん東へ向かっていったのに、なぜお墓が西を向いているかというと、一つは、夕陽と死に向かっているということでしょうか。

 もう一つは天皇家の初代、神武天皇さんは、最初、西から大阪湾に攻め込んで見事敗北、南へ逃れて、熊野から北上して、近畿中枢の敵に東側から、つまり「太陽を背に」して闘って日本の支配者になりました。

 同じことをしたのが、天智朝廷に反乱をおこした天武さんです。天武さんは、吉野から尾張へ脱出して、関ヶ原付近で天智朝廷に東から、つまり太陽を背にして攻撃して勝利します。

 この2例を家康さんは、心に深く刻んでいたように思います。なぜ?は、別途、考えます。

 ① 家康さんが岡崎から浜松へ侵攻したとき、西から曳馬城を攻めないで、いったん東へ陣を置いてから東から西へ攻めた
 ② 三方原の武田信玄との決戦でも家康は東から西へ攻撃を仕掛けた
   (ただし、このときは失敗でした)
 ③ 関ヶ原のたたかいでも、家康さんサイドは東から攻撃しています。これはもちろん同じ場所で闘った天武天皇をまねたものです。
 ④ 豊臣家との大阪城の決戦でも、家康さんサイドは、東から攻めています。

 織田・徳川連合軍のたたかいである、姉川のたたかいや、長篠のたたかいでは、東西軸ではなくて、織田=徳川が南側になっていt、東西原則からはずれています。織田信長さんは、方角など「迷信」(信長さんにとって、です)は、余りきにしなかったんでしょうね。

 江戸時代の終わり、徳川家の終わる鳥羽伏見のたたかいでは、こういう話とは逆に、徳川が西から攻撃していますから、負ける運命だったんでしょうね(?!)。

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 14日の夜の捕捉

 三方原戦争(通常「三方原の戦い」と呼んでますが、軍事史的に「戦争」と呼ぶことにします)は家康さんからは東から西に攻める、通常なら日を背負った戦争ですが、武田信玄さんの方が霊的に一枚上手で戦争開始を引き延ばして夕方にしたので、逆に家康さんにとっては「太陽を攻める戦争」になってしまいました。

 ただし、この日に晴れていたかどうかは、確認していませんが。

 
 

  

雨宮日記 7月13日(金) 則子さんはお盆に、ぼくは会議に。九州は龍か蛇がのたうって…

2012年07月14日 05時30分14秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 7月13日(金) 則子さんはお盆に、ぼくは会議に。九州は龍か蛇がのたうって…

 このところ集中豪雨がひどくて「経験したことのない大雨」と予報でも言ってます。雨域図を見ると、むかしよく言った「湿舌」よりもっと細く長く、今は九州や関東を、まるで雨を降らす龍か蛇がのたうっているようです。

 こう書いたら、ちょっと恐くなりました。地球のエネルギーの変化で以前より雨の降り方がひどくなっただけなのでしょうが、昔の人風に言えば、「愚かな人間がしたことに竜神さまが怒っていらっしゃる」と言うのでしょうね。自然科学的には正しくはないですが、感覚的には、正しいと思います。

 竜神さまに祈れ…なんていうと、ますます神がかってきますね(ま、それは周知のことですか)。

 則子さんが横で「そういう誤解を生むような霊的表現はやめてくださいね」と言ってます。

 あれ、晴れることを祈るんなら、てるてる坊主に祈らないとだめですよね。つまり、「照る照る坊主」とは「天照らす大神」の前身ですね。


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 夜は、「基地のない平和な浜松をつくる会」の幹事会でしたが、ボクの叔父さんの奥さんの初盆に呼ばれたので、雨宮家の名代として則子さんに行ってもらいました。

 午後6時半からというので、時間の余裕を見て午後5時半にボクが車を運転して則子さんを乗せて十軒町を出ました。淺田まで、かなり車が多くて、着いたのは6時5分頃でしたので、早く出て正解でした。

 則子さんを下ろして、ぼくは会議の会場へ。

 会場へ行ったら、事務局長のHさんが、なんと例の「オスプレイ」のラジコン操縦模型を持ってきてました。ほんとうにプロペラが回って飛ぶんですよ。ところが、Hさんはふつうの縦型の軍用ヘリの飛行模型と2種類買って来て、ふつうのヘリはちゃんと屋内で飛ぶのに、オスプレイはすごく不安定で、すぐにぶつかって墜落してしまいます。

 みんなで「やっぱりオスプレイは欠陥機だ」と大笑いしました。

 秋の浜松基地反対運動の基本構想を論議して確認しました。

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 かなり暑くなってきて、夜中の仕事中も、車の冷房をかけないと汗がだらだらになってきました。

 夜中、仕事で事務所の仕事場を開けたら、なぜか仕事場の冷暖房のリモコンが見つかりません。機械文明というのは、ほんとうに不便です。Wさん、リモコン、探しといてくださいね。