雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 7月30日(月)朝 ロンドン五輪、男子サッカー日本対モロッコをラジオで聞く

2012年07月30日 06時29分12秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月30日(月)朝 ロンドン五輪、男子サッカー日本対モロッコをラジオで聞く

 29日深夜の、午前1時から始まった、ロンドン五輪・男子サッカー、日本VSモロッコ戦を、仕事で運転中にずっと車のラジオで聞きました。

 第1戦で「優勝候補」スペインに「1対0」で勝った日本ですが、前半戦では玉の保持率は半々、後半戦ではモロッコ65%と日本35%と、めためたです。これで、よく勝てましたよね。

 それも、後半戦の終了まぎわの38分に、日本の永井さんが、ゴール近くで玉を受けて、右足の外側でフワッと「ループシュート」をあげて、それが守備とキーパーの頭の上をフワッと越えて、ぽん、ぽんと地上を転がってゴールに転がり込みました。

 しかも、そのあと、モロッコ側の猛攻で日本の守備を、ぜんぶ抜けて、日本のキーパーと1対1になって、全力でうつ!1階はキーパーが、2回目は戻って来た守備陣の吉田さんが見事、クリアーしました。

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 原発反対活動家としては、それより、29日の国会包囲行動を書かないとfだめですね。やっぱりすごいです。歴史の転換点になってほしいのですが。なるでしょうか?

 主催者発表では20万人、警察発表では1万数千人。この、とんでもない差は何でしょうか?公的な行政としての警察は、私的な市民に対して説明義務があるはずです。警察はどういう法的根拠に基ずいて、この数字を出しているのでしょうか。

 それと同時に、それぞれのマスコミは、独自に推定した参加者数を出すべきだと思います。

 


雨宮日記 7月29日(日) 次女のIさんは遠くに出かけて、ぼくは「父本」の原稿打ち他

2012年07月30日 06時09分13秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月29日(日) 次女のIさんは遠くに出かけて、ぼくは「父本」の原稿打ち他

 お昼前に目が覚めると、則子さんの部屋で寝ていて(それは、朝、則子さんの部屋に寝に来たんだから、でも、そのときに則子さんがいたかどうか記憶になくて・・こわいです…)、起きて1階に降りていくと、則子さんが「お昼、食べる?」と聞くので「まだ、いらない。もう少し寝る」と答えて、2階へ戻ってもうすこし寝ました。

 日曜日だからといって、通常の「生活リズム」を崩すと、後できついんですよね。「生活リズム」という言葉は、結婚したての頃、保母さんだった則子さんから教えてもらいました。それまで、「生活リズム」などとは、およそ無縁な、大学での「政治活動家」生活をしていたので、恋人としてつきあい始めた、当時、まだお互い独身だった伊藤則子さんの言葉は新鮮でした。

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 夏までに父の本の原稿を売ってしまいたい、と公約したのであと1ヶ月です。「自分史」は、あとわずかで、「文芸評論」は7割くらいかな。8月末までに原稿打ちは仕上げる見通しがでてきました。

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 午後11時過ぎに、まだ台所で原稿を打っていると、玄関が開いた音がしました。あ、次女のIさんが帰って来た、と思って、廊下に出て「おかえり」と声をかけると「ただいま」と声が返ってきました。

 Iさんが台所に来て、小さな包みを「これ、おみやげ」と言うので、うれしくなって(親というのは、どんな小さいことでも嬉しいんですね)、「ありがとう」とすぐに開けると、なんと京都の「清水寺}のミニミニ提灯でした。「しみずでら」と呼ばないでくださいね。「きよみずでら」です。

 「ありがとう、これ、坂上田村麻呂が創建したお寺だよ」と言うと「それ、だれ?」と言うので「浜松にいくつもある神社が、朝鮮からの渡来氏族の坂上氏の系統の神社だから、清水寺とは深い関係だと思う」と。

 Iさんは、大阪でコンサートに夜行って、その前に京都を観光してきたようです。Iさんの祖父(ぼくの父)には、貴船神社のお菓子を買ってきました。貴船神社も、遠州にはいくつもあるので、こういう謎も解いていきたいと思います。

 


雨宮日記 7月28日(土) 暑い中、則子さんと静岡市へ浜岡裁判会議

2012年07月30日 05時43分32秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月28日(土) 暑い中、則子さんと静岡市へ浜岡裁判会議

 暑い中、午前11時半、家を出て遠鉄電車で浜松駅へ、行きは、新幹線こだまで車内で則子さんが握ってくれた海苔おむすびを食べて、静岡駅へ。暑いし、遠いので、タクシーで静岡弁護士会館へ。浜岡原発永久停止裁判の県段階の弁護団・原告団共同会議に参加しました。

 なお、お握り・おむすびは基本的にすべて海苔を巻かないと、おいしくないです、とボクは思います。子どもの頃、母親にお弁当を作ってもらうときは、他のおかずを入れても、必ず「海苔弁当」にしてもらっていました。いや、あるいは母親の好みだったのか?

 今日は、主に地質と地震の学習と言うことで、静岡大の50代?の地質学者の林先生のお話でした。林先生は、自分の確認したことだけをしゃべりますという感じで、とても感銘しました。地震や断層のことが、少し「深く」文字通り「深いところまで」理解できた感じです。詳しく、別途書かないといけませんね。ここで、雨宮ブログで書くか、それとも「浜岡原発永久停止裁判」「共同ブログ」で書くか、まだ未定。

 帰りは、歩いて駿府城の中を歩いて突っ切って、静岡駅まで夕方のまだ暑い中、二人で歩きました。一人でこれだけ歩くと消耗しますが、則子さんと二人で感想やなんか、話ながら歩くと、不思議に、いつのまにか静岡駅につきます。

 帰りは、ほんとうは父が一人で食事をするのはいやがるので、早く帰りたいところですが、どうせ間に合わないんだから、ということで、東海道線の各駅停車の電車で帰りました。

 今日は、有名な安倍川の花火だったので、静岡駅でも浴衣の若い女性も多くて、静岡駅の次の安倍川駅で、若者がどっと降りて、そこから座れました。あー、よかった。

 ちょうど袋井や掛川付近で、沈む夕陽のオレンジ色が、すごくきれいでした。

 行きに新幹線や静岡駅からのタクシーで出費したので、帰りは、「浜松駅からタクシーで帰ろうよ」と則子さんに提案できなくて、遠鉄電車になりました。

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 本当は、この記事は土曜日の夜に書かないと、と思うのですが、今、月曜日の早朝、ちょうど午前6時です。家の近くであっちから、こっちから、シャアシャアシャアシャと、クマゼミのうるさい声が聞こえてきます。

 いや、クマゼミくん、キミ!、樹じゃなくて、どっか隣りの家で鳴いてるだろ!余りに近すぎるよ!

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 夜は、近づくと則子さんが暑がるので、2階の則子さんの部屋も、1階の3人がいつも使う居間も使わないで、奥の台所に則子さんの部屋のノートパソコンを移動させて、父の本の原稿打ちをしました。夜中は少しネットをして、夜中から朝まで、2階の本来の自分の寝室(半ば倉庫になっている)で寝たので、則子さんの部屋には、誓って(別に誓わなくてもいいんですけど)、朝まで行ってません。