雨宮日記 2月8日(土)の2 浜松「雪」情報
テレビで見たら関東は関東はこれから大雪とのこと。浜松はいま、雨が止んでいます。静岡県の海岸部はちょうど雪と雨の境のラインが静岡県の山間部を東西に通っていて、いまのところ雪は降ってません。
風も静かです。
これなら夜の学習会もやれそうかな。
雨宮日記 2月8日(土)の2 浜松「雪」情報
テレビで見たら関東は関東はこれから大雪とのこと。浜松はいま、雨が止んでいます。静岡県の海岸部はちょうど雪と雨の境のラインが静岡県の山間部を東西に通っていて、いまのところ雪は降ってません。
風も静かです。
これなら夜の学習会もやれそうかな。
雨宮家の歴史 15 「落葉松 第2部 Ⅰー12 祖母の影」
明治四十二年(1909年)暮に上京した福男は、大正七年(1918年)に浜松に帰るが、大正九年祖父卓二が亡くなった。その時は元城149番地で、今のホテル・コンコルド付近である。
三男武は大正九年四月に鴨江で生まれたが、大正十四年三月、僅か五年の短い生涯を閉じた。
(九) 亡き吾子の青写真の道具いでにけり 言葉少なく仕舞いけるかも
( 大正十四年 )
住まいの移り変わりを見ると、下垂(尾張町)ー元城ー鴨江ーそして私の生まれた東伊場に落ち着くこともなく、その年のうちに紺屋町に移った。
現在の連尺ー谷島屋本店裏通りの、谷島屋駐車場になっている所である。奥の方に二軒長屋の平屋建てがあり、前は広く空いていた。隣は渡辺さんで、今も近くに住んで居られる。
(十) 移り来ていまだなじまぬこの家に 夜更けし雨の音静かなり
( 大正十二年 )
ここで三男武が亡くなり、弟二人が生まれた。ここは谷島屋の所有地だったようである。以後私たち一家は谷島屋に関係した家に住むようになる。
(十一) 事々に口差しいだす母の性質 朝目覚めて聞きいたりけり
( 大正十五年 )
祖父が福井に赴任する時、先妻に同行を断られ、しゃしゃり出てきたと言われた祖母まつはそれだけ気が強く、何事にも口を出さねば気が済まなかった。
反対に母は無口な堅い性格であった。この祖母に仕えて、忍従の一生を過ごした。母のみならず、祖母の口出す性格は、私たち兄弟の身にも及んだ。私の消極的な、人より一歩先んじようとしない、人の後ろに着いて行く性質は、多分に祖母の影響する所があったと思っている。何かすると、叱るのは祖母であり、親はそれに口を出すことも出来なかった。
(十二) 言に出でて言わむは安ししかすがに 母と思えば黙しけるかも
( 大正十五年 )
雨宮日記 2月8日(土)の1 関東は雪、浜松はまだ雨です
おはようございます。すごく寒いので、珍しく部屋に電気ヒーターをつけています。
浜松はまだ雨です。静岡県南岸に雨のゾーンができています。テレビを見たら、関東は雪でした。このまま雨で終わってくれるといいんですけど。
風は少しあります。
低気圧がまだ遠いのでしょうね。