雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月8日(火)の5 ボクの肩が痛い、腰が痛い‥‥

2015年09月08日 20時01分14秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月8日(火)の5 ボクの肩が痛い、腰が痛い‥‥

 腰の痛いのは「本屋の職業病」で長いあいだ、治らなかったのですが、最近、良くなってきて、歩く姿勢もよくなりました(自己賛美ですが)。

 たぶん則子さんに聞けば「まだ智彦くんの歩く姿勢へんですよ」と言うと思います。

   ☆

 ところが最近、肩が痛くなって、肩こりなんて、64年間、したことがないのです。

 頭がクリアーに過ぎて、たぶん、過労状態で、指を使いすぎているんだと思います。

 今までとちがい、ずっとパソコンを打っていられるので。

 これは労働災害、労災ですね。

 30年前に、則子さんが事務局長で、ボクが事務局員で、「浜松労災打ち切り撤回裁判」を粘り強くやった当人なのに。

 自分がそうなるとは、まさか思わないんですね。 

   ☆

 パソコンを打つ時間を制限しないといけないのかな。

 ボクにとって「考える」「思考する」とは「パソコンを打つ」「思考を文字に固定する」ことです。

 ちょっと、制限するのは、つらいですね。

雨宮日記 9月8日(火)の4 夜になって小雨になりました

2015年09月08日 19時02分28秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月8日(火)の4 夜になって小雨になりました

 午後7時、ボクが窓を開けて「小雨になったね」
 
 則子さん「小雨になったのは、前からだよ」

 浜松の1時間雨量を知るにはネットで「アメダス 浜松」と検索すると、一番上に、浜松のその日の1時間気象データがでます。

 リアルタイムで見れるわけです。

http://www.jma.go.jp/jp/amedas_h/today-50456.html

 
 なお、川の水位情報もリアルタイムで見れます。たとえば「浜松 馬込川 水位」で検索すればヒットしたと思います。





雨宮家の歴史37 雨宮の父の自伝史「『落葉松』第4部 Ⅱ-36 長男と次男の出生」

2015年09月08日 18時55分46秒 | 雨宮日誌
雨宮家の歴史37 雨宮の父の自伝史「『落葉松』第4部 Ⅱ-36 長男と次男の出生」

 たいへん、お待たせしました(待ってないか)。「落葉松」再開します。


  夏になり、虹ヶ浜は海水浴客で賑わった。ここはキャンプ場もある。夕食を済ますと、山陽線の踏切りと国道を横切って、静かになった虹ヶ浜の波打ち際にゴザを敷いて、周防灘の彼方に沈んでいく真っ赤な太陽を見ながら、暗くなるまで座っていた。

 妻が躰の異変に気づいて、病院に行ったのは梅雨に入りかけた頃であったが、予定日は来年の三月初めと分かった。産婆さんは.自転車に乗って気軽に往診に来てくれていた。お腹が小さいから女の子だろうという。女の子か、それならちょうどよい、白百合寮の名を取って「百合子」とつけようと二人で話し合っていた。「百合子」という名については、もう一つの理由があった。

 光市産の宮本顕治の妻も百合子であり、十七才の時「貧しき人びとの群れ」で作家として出発し、戦後も「播州平野」をいち早く出版していた。「播州平野」には、顕治の実家の島田の家や。叔父の野原の家のことが出てくる。百合子は顕治が釈放されるまでの十二年間に、九回も光を訪れている。ちょうど枕崎台風に襲われて水害に会い、釈放された顕治に会うべく帰京することが描かれている。

 奇遇なことに、妻の光子は百合子に会っているのである。妻の池袋の家は巣鴨拘置所の近くであった。現在、サンシャインビルが建っている所は、拘置所の跡地である。(「48 巣鴨拘置所」参照)。顕治はこの巣鴨に拘置されて裁判中であり、百合子は週一回は面会に来ていた。刑務所や拘置所の収監者たちは、食料・日用品・衣類など自弁が認められており、それらを家人からの依頼で届けることを業とする差入屋が,刑務所や拘置所には必ずあった。

 光子はその差入屋に勤めていた。百合子はよく気がつく、しっかりした女性であり、同じように面会に来る家族たちからも慕われて何くれとなく面倒をみてやっていた。弁護士の関係者や、差入屋に働く人たちに心づかいを配り、光子は百合子から帯止めをもらっている。空襲で池袋一帯が焼けてしまった時、刑務所だけは米軍も戦後処理を考えてか焼け残り、戦犯を収容する「巣鴨プリズン」となった。

 こんな訳で女の子なら「百合子」は既定事実尾のようなものであった。しかし、三月十二日、生まれたのは男の子であった。光子の母が東京から出産の手伝いに来ていた。化粧石鹸がなくて、進駐軍のものを闇で買っておいた。男の子なら男の子でよいが、男の名前までは考えていなかった。

 結局、即席で「百合子」が「由利夫」になってしまったが、本人が何と思っているか、有り難くない名前だと思っているかもしれない。学生時代から演劇活動をしているが、芸名「なか としお」で通している。私の「節三」も三月三日生まれだったので、節句の三月より考えたものであろうか、私は不幸な日に生まれたものだと思っている。

 五月二十日は結婚記念日であるが、室積の普賢寺の祭日でもある。この寺は漁師たちの安全を守るための寺であり、「普賢祭」と言って昔より近在の漁師たちが舟で集まって大賑いである。戦前の鴨江寺のお彼岸のようであった。この日、由利夫を光子がねんねこで背負って、初めて外出した。

 よちよち歩きのようになる前から、衣川さんが毎日、自分の子供のようにさあっと連れていってしまう。衣川さんの子供は小学生で昼間は用がないので専ら由利夫のお守りをしてくれる。可愛くて仕方ないのである。自分の子供のようなものであった。その衣川さんも主人は既に亡く、奥さんは息子と下関にいるが,九十才は超えたと思う。

 夏には、まだ光子の妹で、まだ独身だった千代子が一人でやってきた。二人は少女時代から、学校へも、勤めにも一緒に行く仲良しであったが正確は全然反対で、光子はおとなしかったが千代子は気が強く、それで気が合ったのかも知れない。見合いをしても大抵断っていた。一日、由利夫を連れて皆で宮島に遊んだ。

 一年おいた昭和二十六年八月二十七日、次男の信和が生まれた。今度は私の父母が揃って来た。信和の出生前に、由利夫は父に連れられて北九州の小倉へ行き、デパートで玩具の電車を買って貰いご機嫌であった。ある日、私は父母を伴って宮島へ出かけ。ゆっくりして貰った。宮島はいつ行っても観光客で賑やかである。私は光を去ってからもを含めて、宮島を五回訪れている。

 父は仕事の都合で先に帰り、母は次男の出産後しばらくして徳山から急行で帰った。ホームから客車まで入って見送った。生憎満席だったが、そばの男性が立って籍を譲ってくれた。母が浜松へ着くのは翌朝である。こんなに長い一人旅などしたことはない母を心配したが、譲ってくれた男性に感謝した。

 < 次回は「台風」>

 偶然、明日は東海・近畿に台風が接近しますね。


雨宮日記 9月8日(火)の3 上島2丁目の水路の水位も上昇

2015年09月08日 14時56分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月8日(火)の3 上島2丁目の水路の水位も上昇

 上島2丁目の郵便局や遠鉄タクシーの横を南北に流れる水路です。

 これも上昇、まだ溢れる水位ではありませんが、以前、集中豪雨で氾濫して保育園が床上浸水したところです。
 
 要注意の水路です。

雨宮日記 9月8日(火)の2 小さな曳馬川も水位上昇

2015年09月08日 14時28分15秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月8日(火)の2 小さな曳馬川も水位上昇

 あまり聞かない名前だと思いますけど、曳馬川は細い水路で、高林のイシグロのあたりから東南に流れて、遠鉄電車・助信駅の北を超えて、クリエイトのあたりから南に曲がり、八幡中の東を通り、野口公園のあたりで馬込川に注ぐ川です。

 ここもかなり上昇しています。

 以後、明日にかけて何か変化があればレポートします。

 停電してもバッテリーで打てますからね。

雨宮日記 9月8日(火)の1 馬込川の水位がかなり上昇しています

2015年09月08日 14時24分09秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月8日(火)の1 馬込川の水位がかなり上昇しています

 いま午後2時。馬込川を見に行ったら、かなり上昇しています。三浦端のところで、目測あと2mくらいでしょうか。

 この雨はいったん小雨になるようですが、明日の台風の時が危ないかもしれません。