青い銀河とオレンジの花 断片 15 横井久美子さんのうたと歩んだぼくの道 20210313
今年の1月17日の朝、新聞『赤旗』を見ていたぼくはビックリして則子さんを呼んでしまった。
「なあに」
「横井久美子さん14日に亡くなったって」
「あら病気?」
「うん・・・・・腎盂って書いてある・・・76才だって」
「私たちと同世代ね」
そうだ。その後見たネット記事では「60年代から50年間歌ってきた」と書いてあるけど、ボクは70年代からずっと横井久美子さんの歌を聞いてきた。
最初に聞いた(見た)のは1975年ごろか?名古屋の大高緑地で開かれた名古屋赤旗まつりで横井久美子さんの歌を聞いた時だ。
そのとき自分のカメラで撮った古い写真をずっと大事にとってあった。
今年の1月17日の朝、新聞『赤旗』を見ていたぼくはビックリして則子さんを呼んでしまった。
「なあに」
「横井久美子さん14日に亡くなったって」
「あら病気?」
「うん・・・・・腎盂って書いてある・・・76才だって」
「私たちと同世代ね」
そうだ。その後見たネット記事では「60年代から50年間歌ってきた」と書いてあるけど、ボクは70年代からずっと横井久美子さんの歌を聞いてきた。
最初に聞いた(見た)のは1975年ごろか?名古屋の大高緑地で開かれた名古屋赤旗まつりで横井久美子さんの歌を聞いた時だ。
そのとき自分のカメラで撮った古い写真をずっと大事にとってあった。
その後、浜松に戻ってから横井久美子さんのCDはいろいろ買ってある。好きな曲のタイトルをあげておく。
「戦車は通さない」
「自転車に乗って」
「ガソリンまみれのオートバイ」
「名も告げずに」
「4月のカーネーション」
「ノーモアスモンのうた」
「人生のはじまり」
「明日はワルシャワ」
「うた」
「歌って愛して」
「おいでいっしょに」
「風の中のレクイエム」
・・・・・・・・・・・・
まだまだあるけど、全部は思い出せない。もちろん、なんだか気に入らないうたもたくさんある。抽象的なうたは横井久美子さんには合わないと思う。
いわば横井久美子さんはみんなの吟遊詩人だったと思う。自分のうたを歌っていたんじゃなくて、みんなのうた・だれか他のひとのうたを歌っていたんだと思う。
横井久美子さんのCDを引っ張り出して「横井久美子さん三昧」をしようと思う。
浜松へ戻ってから横井久美子さんのミニコンサートを浜松で聞いた。その時のことは別にどうしても書かなければならない。
ぼくも今年夏に70才になる。死んだときに「いい人生だったね」と、少なくとも則子さんには言ってもらえる人生でありたい。