雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州の遺跡・寺社 特別編 坂上田村麻呂さん伝説関係の場所の東西線と南北線

2012年04月20日 19時18分42秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 特別編 坂上田村麻呂さん伝説関係の場所の東西線と南北線

 ひとつひとつの遺跡・寺社を見虫の目で、個別に見て行くことも大事ですが、広い地域の中に、遺跡・寺社をはめこんで具体的に見て行くと、発見してしまうことがあります。つまり、鳥の目(バーズアイ)ですね。

 遠州の坂上田村麻呂伝説の場所を地図で見て行くと、あることを発見しました。

 ① 中区上島7丁目の赤池薬師は、旧将軍社と経度がほぼ同じで、南北に並んでいます。

 ② 旧湘軍社は新しい新俊光神社(有玉神社)と緯度がほぼ同じで東西線に並んでいます

 ③ から赤池薬師の方向は西から約30度南に振れていて、冬至の日没方向(28度)に近いです

 ④ 法源堂は (有玉神社)と経度がかなり近くで、約5度ずれているだけです。

 考えられるのは、最初にあったのは赤池薬師でしょう。三方原台地の東の崖で湧き水の出ているという条件からして。

 赤池薬師から真北に、何かの理由で、旧俊光将軍社をつくった。そして、その旧俊光将軍社から真東へ、位置は赤池薬師から夏至の方向(逆に言えば新俊光神社から冬至の方向)に新俊光神社をつくったというプロセスでしょうか。

 または、船岡山の法源堂が起点という考えもあるかもしれません。

 以下は、グーグルで表示している北緯・東経です。①から⑤が事実かどうか、みなさん、地図で自分の目で確認してください。

法源堂   34.77765,  137.747392

有玉神社  34.751662,  137.750128

将軍社   34.751698,    137.739764

赤池薬師   34.747133,  137.739775

岩水寺薬師 34.845561,  137.793467

田村神社  34.846494,  137.789648

椎ヶ脇神社 34.853538,  137.802587

 (2012年4月20日雨宮智彦執筆)

 


浜松・放射線量測定情報 4月20日(金) 雨宮自宅定点 0.050μSv/h

2012年04月20日 19時12分35秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 4月20日(金) 雨宮自宅定点 0.050μSv/h

 2012年(平成24年)4月20日(金)16時10分、小雨、無風

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.052 μSv/h 
  最大値 0.054 μSv/h 
  最小値 0.048 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.048 μSv/h 

  最大値 0.053 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.050 μSv/h 
  最大値 0.054 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月18日(水)、19日(木)

2012年04月20日 06時18分39秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月18日(水)、19日(木)

 2012年(平成24年)4月19日(木)16時12分、くもり(90%)、風少しあり

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.043 μSv/h 
  最大値 0.050 μSv/h 
  最小値 0.037 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.044 μSv/h  

  最大値 0.048 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.043 μSv/h 
  最大値 0.050 μSv/h 
  最小値 0.037 μSv/h 

 2012年(平成24年)4月18日(水)15時51分、晴れ(20%)、微風

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.048 μSv/h 
  最小値 0.041 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.047 μSv/h  

  最大値 0.050 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.046 μSv/h 
  最大値 0.050 μSv/h 
  最小値 0.041 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦


防災ニュース はままつ 浜松市博物館 テーマ展「浜松の災害史」 おすすめです 

2012年04月20日 05時55分39秒 | 地震・津浪・防災

防災ニュース はままつ 浜松市博物館 テーマ展「浜松の災害史」 おすすめです

 4月19日(木)、浜松市中区蜆塚にある浜松市博物館のテーマ展示「浜松の災害史」を見に行ってきました。則子さんに「博物館にいくけど、いく?」と聞いたら、「洗濯物入れないといけないし」「配達もしないといけないし」と言うので、「じゃあ、ぼく、行ってくるね」「行ってらっしゃい」と送り出してくれました。

 夕方、民放テレビでこの展示の特集をしていたので「則子さん、見て」と台所から居間へ呼んで見てもらいました。則子さんは「智彦くん、昼間、これを見に行ったの?」「うん」「ちゃんと言ってくれれば、一緒に行ったのに!」と。ぼくは「まだ、ずっとやってるから、またいくよ」と。

 展示は、まず地質変動で海底に沈んだ遺跡と遺物で、浜名湖や遠州灘の地底から発掘された土器の展示から始まります。

 そして、舞阪などの海岸地帯の津波の時の絵図や、津波から住民が避難した高台の紹介をしています。

 則子さんが昨年から強調している、高塚の熊野神社も、ちゃんと展示されています。

 それから、地震や津波の時の住民の反応や記録を、その原文で展示しています。貴重な物です。地震や津波に不安のある浜松市民は、必見ですね。

 この展示の内容が、そのまま3月発行の『浜松市博物館報 第24号』のp7からp21に「浜名湖周辺の地震災害に関する絵図と古文書」というタイトルで掲載されていますので、博物館で購入できます。貴重な地震文献です。

 


遠州の遺跡・寺社 71 坂上田村麻呂伝説、東区半田山の船岡山・法源堂

2012年04月19日 17時40分24秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 71 坂上田村麻呂伝説、東区半田山の船岡山・法源堂

 遠州の遺跡・寺社 70 浜北区根堅・岩水寺の「赤池」 2012年04月18日 を書いてから「法源堂」について書いてないことを気づいたので、今日アップします。

 写真は見つかり次第掲載します。

 場所は浜松市東区の半田町、東西に大きな道路、浜松環状線が走っています。道路の向かい側(北側)に「エイデン浜松半田店」があり、南側に「カーテンじゅうたん王国半田店」の西側にお堂があります。それが「法源堂」です。

 法源堂のすぐ西に日米戦争の時代の、戦争中の陣地「トーチカ」があります。

 この船岡山が坂上田村麻呂将軍が東征するときに「岩田の海」が荒れていて海を渡れずに陣地を敷いた場所です。将軍は海が静まるように薬師様に祈願しました。現地の女性「玉袖」をめとり、出産を覗くと玉袖は大蛇で、将軍に水を鎮める玉を渡して、岩水寺の奥の赤池に身を潜めます。

 それが前回の「赤池」です。では、上島の赤池は?

 この半田町の付近は地名の「半田」のとおり、朝鮮からの渡来人の「秦(はた)氏」など渡来人が多かったところです。「八幡(やはた)」の「幡」も同じです。浜松には「八幡(はちまん)さま」「八幡神社(やはたじんじゃ)」がたくさんあります。

 つまり、坂上田村麻呂伝説は、その朝鮮からの渡来人たちのいちばんの出世頭である坂上田村麻呂さんを祀った「伝説」でしょう。

 


雨宮日記 4月18日(水) 久しぶりに則子さんと馬込川の堤防を散歩

2012年04月19日 06時05分40秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月18日(水) 久しぶりに則子さんと馬込川の堤防を散歩

 仕事をまだ、始めていないのに、妻の則子さんは、市民運動や家事や家庭内のお世話で忙しいのです。ボクは、前線司令官である則子さんの指示で、参謀または秘書として、文書やら提案やらを書くのが任務(役割)です。

 今日の昼間は、則子さんを誘って、久しぶりの、2人で馬込川堤防を、春の太陽を満喫しながら、春の花たちを鑑賞しながら、歩きました。

 「菜の花、きれいだね」

 「これ、日本タンポポね。セイヨウタンポポと感じが、繊細で、違う」

 「まだ、オオバンが4羽もいるよ。このまま、いつかないかな」

 「ほら!、ここにナナホシテントウムシ」

 「これ、シャガだね」

 「ツバメが楽しそうに飛んでる」

 「あそこ!コイのあいだに、ミシシッピーアカガメだよ」

 「これ、外来種のナガミヒナゲシだよ」「残酷だけど、抜いちゃお」

 夫婦で、こういう、大地と生命についての交感、うれしいです。

 もっと、もっと、一緒に生きたいな。

  ☆

 写真は早朝の総合庁舎前から三日月の出た東の空を撮影。月齢は午前5時に26.2です(誠文堂新光社『天文年鑑 2012』p26「4月の空」の午後9時の値から計算)。

 


遠州の遺跡・寺社 70 浜北区根堅・岩水寺の「赤池」

2012年04月18日 06時06分03秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 70 浜北区根堅・岩水寺の「赤池」

 岩水寺の回りを流れる川に沿って上流に向かうと、目の前に「金城稲荷社」と「白山神社」があります。

 その左側に池があって、そこになんと「赤池」と書いてありました。びっくりです。写真を参照してください。

 以前に下記で紹介しました。同じ「赤池」です。どっちが元でしょうか。

 古代の朝鮮系倭人(坂上系の渡来人武人)と、土着系倭人(蛇=龍の女性)の絆=結婚については、さらに考えたいと思います。

  遠州の遺跡・寺社13 坂上伝説1 「旧俊光将軍社跡」 2010年06月11日 05時26分31秒

  遠州の遺跡・寺社14 坂上伝説2 有玉神社内「俊光将軍社」 2010年06月15日 15時51分52秒

  遠州の遺跡・寺社16 中区上島7丁目の赤池薬師(白寺) 2010年07月14日 05時27分34秒 

 ☆補正 掲載した写真が間違えて、岩水寺薬師の青い竜(手水場の)になっていたので、4月26日(木)、ほんとの「赤池」の写真に取り替えました。

 「赤池」の「赤」は、地名の「赤座(あかざ)」の「赤」と同じだと思いますが、意味はなんでしょうか。色の赤?

 

 

 


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月17日(火) 0.047μSv/h

2012年04月18日 05時56分03秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月17日(火) 0.047μSv/h

 2012年(平成24年)4月17日(火)16時39分、晴れ(うすぐも40%)、風少しあり

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.048 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.046 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦


遠州の遺跡・寺社 69 浜北区の岩水寺(がんすいじ)

2012年04月17日 05時50分17秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 69 浜北区の岩水寺(がんすいじ)

 岩水寺は浜北区根堅にある真言宗のお寺です。行基さんが725年に開基したという伝承で、総本山は薬師如来さんです。

 名前のように「岩石」と「水」の信仰だと思います。 

 6世紀初頭の北九州の「王」=磐井さんの名前と同じです。つまり、「井」は井戸のことで、水ですから、岩+水です。

 こういう岩+水、の組み合わせが、他の地域にあるんでしょうか。遠州は古代には、大和政権の外側で、防人に動員されて北九州へ送られる地域です。

 山号は「龍宮山」ですから、まさに天竜川と関係有ります。竜神信仰だけあって、岩水寺のまわりを川が、まるで中世のお城のお堀のように水で取り囲んでいます。これは、霊的バリアーでしょうか。

 境内の手水(ちょうず)も青い龍でした。

 さらに征夷大将軍の坂上田村麻呂さんにゆかりのお寺で、厄除け子安地蔵という安産の仏さまとして遠州地方では有名です。

 安産の仏さまですから、つまり、元々は女性信仰なのでしょうね。

 薬師観音さまは、太陽信仰で東向きが多いです。

 でも、ここ岩水寺は、もう天神様信仰で南北信仰の時代なのか、南向きでした。

 岩水寺はいろんな社があって、その周辺にも古墳や、いろんな興味深いスポットがあるので、歴史と伝説を思考しながら紹介していきます。

 

 


原発ニュース 4月16日(月) 仙谷さんが「原発を直ちに止めると日本の集団自殺」と

2012年04月16日 21時50分46秒 | 原発・放射能ニュース

原発ニュース 4月16日(月) 仙谷さんが「原発を直ちに止めると日本の集団自殺」と

 民主党の仙谷由人さん(政調会長代行)は、16日に、名古屋での講演で「原発を直ちに止めた場合、日本の経済と生活がどうなるか考えておかないと、これはある意味で、日本が集団自殺するようなことになってしまうのではないか」と述べたそうです。

 これは「原発ゼロ」=「日本の集団自殺」という考えのようですが、こういうことを実態の調査抜きにいうのは、インテリヤクザの言葉による脅迫で、政治家としては「自殺行為」ではないでしょうか、仙谷さん?

 原発を全部とめても、電力供給はだいじょうぶという具体的議論・提案は、いっぱい出ているのですから、そういう具体的提案をきちんと事実と道理に基づいて批判するのが、まともな「原発再稼働派」では、ないかと思います。

  ボクは、「原発再稼働」の意見を頭から否定するのではありません。政治家であれ、科学者であれ、議論は、「集団自殺」というような脅かしではなくて、事実に基づいておこなう時期だと思います。

 


雨宮日記 4月16日(月) 岡崎からもらってきた「豆苗(まめなえ)」が育ちました

2012年04月16日 21時27分03秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月16日(月) 岡崎からもらってきた「マメな絵」ではなく「豆苗(まめなえ)」が育ちました

 4月8日(日)に岡崎からおみやげでもらってきた「豆苗」が育ちました。「えんどう豆の新芽」です。食べたら、またお知らせします。

 ☆

 今日は、午後、まだ花粉症が治らない則子さんを久しぶりの遺跡・寺社巡りに連れ出しました。まだ則子さんは仕事に行ってません。のんびりした生活から抜けるのも、決意がいりますね。

 夜は則子さんは昼間、近くの上島7丁目にある文具屋に行って写真アルバムを買ってきて、写真の整理を始めました。整理をして2人の娘にあげるのだそうです。

 


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月16日(月) 0.047μSv/h

2012年04月16日 21時20分54秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月16日(月) 0.047μSv/h

 2012年(平成24年)4月16日(月)17時36分、うすぐもり(70%)、微風

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.046 μSv/h 
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.042 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.049 μSv/h 
  最大値 0.055 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.047 μSv/h 
  最大値 0.055 μSv/h 
  最小値 0.042 μSv/h 

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦


遠州の遺跡・寺社 68 浜北区根堅(ねがた)の根堅遺跡・浜北人発掘跡

2012年04月16日 20時50分23秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 68 浜北区根堅(ねがた)の根堅遺跡・浜北人発掘跡

 暖かくなったので、則子さんと遺跡・寺社巡りを再開しました。

 以前に「遠州古代史2 浜北人・三ヶ日人・牛川人の年代測定 2010年02月23日 20時06分07秒」で紹介しました。

 むかし東海地方の旧石器時代の人骨として「牛川人」「三ヶ日人」「浜北人」と言っていたうち、牛川人と三ヶ日人は炭素年代測定で縄文人の骨と言うことがわかり、いまは沖縄以外で一番古い人骨が旧石器時代の1万8千年前と1万4千年前の2つの地層から出てきた浜北人と言うことになっています。

 というより旧石器時代の日本列島では沖縄と浜北だけで旧石器人の人骨が確認されていると言うことです。

 つまり、浜松市の歴史の始まりのような場所です。ここは、石灰岩を採掘していた採掘場で、1961年に初めて人の歯の化石が見つかり、1961年から1963年まで東京大学によって発掘がおこなわれました。

 場所は岩水寺(がんすいじ)の数百m西、参道へ行く道路を左へ(西へ)「岩水寺 臨時大駐車場(300台)収容」と書いてある位置へ坂を車で登っていき、駐車場と言うより大きな広場・空間に行くと「岩水寺さくらの里」と書いてある空間です。

 北側から西側に石灰岩を採掘した跡でしょうか、高い石灰岩の岩壁がそびえています。どこかでウグイスが啼いています。

 広場の西南の目立たない位置に、「浜北人骨発見の地」という柱が立っています。そのそば、広場のいちばん南に大看板が立っていますが、それ以外に何もありません。

 「洞窟」っぽい北側の岩壁を写真でお見せします。

 浜北旧石器人の人骨そのものは東京大学にあるそうです。複製はなゆた浜北で見れるそうです。

 浜北人の発掘の正式報告書が出たのか、どうか、浜松市博物館に聞いて見ようと思います。


雨宮日記 4月15日(日) 「浜岡原発はいらない浜松の会」事務局長のお話を聞きました

2012年04月16日 05時51分20秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 4月15日(日) 「浜岡原発はいらない浜松の会」事務局長のお話を聞きました

 今日は、午後、則子さんと2人で、則子さんの古巣のT保育園へでかけました。

 駐車場は「太鼓」の親子の車でいっぱいでした。

 昨年5月から毎週日曜日に、浜松駅前で浜岡原発を廃炉に、と署名を集めている「浜岡原発はいらない浜松の会」の事務局長のお話を聞きました。

 共感するお話がいっぱいで、やはり「人類と原発は共存できない」「原発を滅ぼすか、人類が滅びるか」の岐路に立っている、という感じです。

  ☆

 夕方、帰って来て、則子さんは夕食づくり、ぼくはパソコンに向かいました。最近は、ぼく、食べるばかりで、則子さんに甘えてしまってすみません。30数年の結婚生活で、則子さんが仕事と子育てで忙しい頃は、ぼくも夕食を、時々、作っていました(言い訳ですねえ)。

 今の瞬間は、則子さんが生涯で珍しく、仕事をしていなくて、月12万円の年金(とボクの稼ぎ14万5千円から生活費として則子さんに毎月渡す8万円)で生活しているので、則子さんに夕食作りをお願いしてしまいます。ごめんね。

 でも則子さま、このとんかつ、でかいです。もっと小さいのがぼくの好みです(次女のIさんも言ってました「お母さんのは、でかい」)、

 ☆

 夜、少し2Fの則子さんの部屋で仮眠して、午後9時頃目が覚めて、下へ降りていったら、居間で、次女のIさんと則子さんが、宝の映像を見ていました。

 ☆

 夜12時、則子さんが昔の写真の整理を、こんな時間に始めたので「則子さん、仕事してないからって、不規則になっちゃだめ。もう寝てね」と言って、仕事に出かけました。