雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月15日(日) 0.045μSv/h

2012年04月16日 05時46分53秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月15日(日) 0.045μSv/h

 2012年(平成24年)4月15日(日)17時15分、くもり、微風

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.046 μSv/h 
  最大値 0.048 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.043 μSv/h 
  最大値 0.046 μSv/h 
  最小値 0.041 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.048 μSv/h 
  最小値 0.041 μSv/h 
 
 今日も、4月14日に引き続き、0.05台の計測値がなくて、すべて0.04台でした

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦


浜松・放射線量測定情報 4月15日(日) 上島2丁目 T保育園にて 

2012年04月16日 05時38分46秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 4月15日(日) 上島2丁目 T保育園にて 

 則子さんが長く働いていた浜松市中区上島2丁目のT保育園で会合があったので、測定しました。

  屋内        0.083 μSv/h

  園庭 土の上   0.065 μSv/jh

  コンクリ駐車場  0.047 μSv/jh

  コンクリの建物屋内 > 土の上 > コンクリの上 という傾向はどこも同じです。

  コンクリ野駐車場の測定値は、雨宮自宅と、ほぼ同じ測定値です。


本と映像の森 198 松本清張さん著『Dの複合』新潮文庫、1973年(昭和48年)

2012年04月14日 15時40分38秒 | 本と映像の森

本と映像の森 198 松本清張さん著『Dの複合』新潮文庫、新潮社、1973年(昭和48年)12月25日~平成21年12月20日第64刷、524ページ、定価705円+消費税5%、(原著、光文社、1968年(昭和43年))

 やっと読めました。松本清張さんの「Dの複合」。以下、ネタバレがあるので、注意!

 ストーリーの初めは、売れない作家の伊瀬忠隆さんは月刊雑誌『草枕』からの執筆依頼で、同誌の編集者・浜中三夫さんと浦島伝説・羽衣伝説を追う取材の旅に出ます。

 その旅先でなぜか殺人事件に遭遇する2人。

 なお、タイトルの「D」は「経度」「緯度」の「度」のことです。

  ☆

 作品的には、前半くらいまでの民俗学的・歴史学的追求はとてもいいのですが、途中から殺人事件の犯行の謎と犯人の追求だけに話がいってしまい、「D」の謎は中途半端になってしまっているというのがボクの感想です。

 つまり、35度線の追求が弱いですね。「D」線は、古代権力・近世権力が引いた線ですから、これを追求する人間は…とか、そういう話にシテ欲しかったですね。

 関連内容として、雨宮ブログ内の以下の記事も参照して下さい。

 日本古代史 12 水谷慶一さん著本と映像の森87 水谷慶一さん『知られざる古代』NHK 2010年09月28日 05時30分38秒 |水谷慶一さん『知られざる古代 ー謎の北緯三四度二二分をゆくー 』日本放送出版協会、1980年2月15日第1刷、324ページ、定価1300円 

 『続 知られざる古代 龍王の来た道』 2011年07月23日 20時50分09秒

 浜松と遠州の歴史 徳川・豊臣・織田の謎を解く基礎資料1 2012年04月09日 21時22分39秒

 浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 1 2012年04月10日 14時15分43秒

 浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ 2012年04月11日 14時40分10秒

 

 


本と映像の森 197 浜松基地自衛官人権裁判を支える会編『自衛官の人権は、いま』社会評論社

2012年04月14日 15時24分00秒 | 本と映像の森

本と映像の森 197 浜松基地自衛官人権裁判を支える会編『自衛官の人権は、いま』社会評論社、2012年3月10日初版第1刷、237ページ、定価1800円+消費税5%

 「 雨宮日記 3月10日(土) 「はままつ共同法律事務所」の開設10周年記念パーティ 」でこの本のことは触れましたが、ここで紹介するのを忘れていました。

 第1部 自衛官人権裁判に勝利を!全国集会
 第2部 空自浜松基地自衛官人権裁判
  1 浜松基地自衛官人権裁判の内容と判決の意義 
  2 浜松基地自衛官人権裁判・判決の評価と感想
  3 浜松基地自衛官人権裁判の経過と支援運動
  4 浜松基地自衛官人権裁判を支援して
 第3部 自衛官の人権確立に向けて

 則子さんも「第2部 4」で「裁判勝利への思いをひとつに」というタイトルで179~180ページに書いています。わが妻とは言えど、いい文章ですね!

 雨宮も則子さんも取り扱っていますので、リアル雨宮や、リアル則子さんをご存知の方は、ぜひ「本が欲しい」と声を掛けてください。

 リアル雨宮やリアル則子さんを知らない方は、ぜひ、このブログへ「メッセージ」か「コメント」を、送り先の住所とお名前を指定してください。郵便振替口座がありますので、郵送させていただきます。

 みんながんばって普及していて、いま300冊を売り切りそうで、増刷をするようです。


 


遠州の遺跡・寺社 67 磐田市竜洋町の万葉石碑「遠江白羽の磯と…」

2012年04月14日 14時35分39秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社 67 磐田市竜洋町の万葉石碑「遠江白羽の磯と…」  

 2月12日に則子さんと車で天竜川を渡り、竜洋町の「なぎの木会館」に行った時に、なぎの木会館の庭にあった万葉石碑です。

 「遠江白羽の磯と 贄(にへ)の浦と 合ひてしあらば 言(こと)も通はむ」

 原文「等倍多保美 志留波乃伊宗等 ニヘ乃宇良等 安比テ之安良婆 己等母加波牟」

万葉集「巻二十」の4324首で、作者は「右一首 同郡丈部川相」とあり、「同郡」というのは前首(4323)で「防人山名郡丈部真麿」とあるように「山名郡」のことです。

 山名郡(やまなのこほり)は古代の郡で、今の磐田市の東南部と袋井市の南部のあたりです。つまり、防人として出兵した山名郡の丈部(はつせかべ)川相(かはい)さんが作った歌です。

 問題は「白羽(しろは)の磯」と「贄の浦」ですが。「しるは」は「白羽」でいいとすると、この竜洋町には石碑の建っている場所から西南に1kmくらいで竜洋町白羽という地名があります。

 ところが、ネットで検索するとわかるように「白羽」の候補地が、御前崎市白羽、磐田市竜洋町白羽、浜松市南区白羽、浜松市北区三ヶ日町白羽と4カ所もあります。

 この歌の解釈は2種類あって、白羽の磯と贄の浦は遠く離れていて、もし近くにあったら、妻と会話が通じるのに、というのが一つ目です。この場合は、作者は白羽の磯か、贄の浦か、どちらかにいるはずです。

 解釈の2つめは、作者の目の前に隣接して見える白羽の磯と贄の浦のように、近くにいれば、妻と会話が通じるのに、という解釈です。この場合は白羽の磯と贄の浦は間近にないといけません。

 この「謎とき」、解決は、また別途書きます。

 これまで紹介した遠州の万葉歌碑は以下の通りです。遠州と三河くらいは全部行きたいと思っています。

遠州の遺跡・寺社2 遠江「若倭部」の万葉歌と木簡 2009年11月21日 00時06分31秒 

遠州の遺跡・寺社 45 中区の三日月稲荷神社内の万葉「引馬」歌碑 2011年01月14日 13時45分09秒 

遠州の遺跡・寺社 47 浜北・あらたま公民館の万葉石碑 2011年02月01日 05時44分34秒


浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月14日(土) 0.045 μSv/h

2012年04月14日 14時25分54秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月14日(土) 0.045 μSv/h

 2012年(平成24年)4月14日(土)14時09分、小雨(うすぐもり、日が差している)、無風、16.5度C

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.049 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.044 μSv/h 
  最大値 0.048 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.045 μSv/h 
  最大値 0.049 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 
 
 今日は、0.05台の計測値がなくて、すべて0.04台でした

 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦


本と映像の森 196 矢部史郎さん著『原子力都市』以文社、2010年3月初版

2012年04月14日 06時12分06秒 | 本と映像の森
本と映像の森 196 矢部(やぶ)史郎さん著『原子力都市』以文社、2010年3月15日初版第1刷、189ページ、定価1600円+消費税

 本来はカテゴリー「地震・原発・津波・防災情報」で書くべき内容でしょうけど、原発問題を越えて、人間と社会の根幹をえぐっているので、こっちで書きました。

 著者の矢部さんは、日本の各地を編集長とルポして歩きます。

 そのなかで、東京の電力をささえる新潟県柏崎市(東電柏崎原発のあるところ)は、「柏崎には何もない」「見えない都市」と特徴付け、「不可視性」「見えなさ」が、2000年1月28日に柏崎市中心部の住宅街で発見された「少女10年監禁事件」を起こしたと推理します。

 「呉」、海上自衛隊の拠点では、自衛隊員は「国家公務員」であり、「海の男の顔つき」がないと規定します。

 そして、呉の「大和ミュージアム」と映画「男たちの大和」の共通点として、広い海はまったく感じられない。戦艦大和は、広大な海に、まったく無関心なのだ。

 今年はNHK大河ドラマ「平清盛」なので、清盛さんは、どうでしょうか?

 もしかしたら、ドラマの低視聴率の原因の一つは、平家及び清盛さんと「海」の関係を、きちんと描けなかったことかな?

 思いつきで書きますが、木下順二さんの戯曲「子午線の祀り」では、平氏滅亡の宇宙的環境が、描かれていました。岩波文庫で出ています。

  ☆

 つまり「賛成」も危険だし、「反対」はさらに危険だ。そういうことに「関心」はないことにしよう。「無関心」でいれば、賛否両論の間で、自分が、引き裂かれずにすむ。

 原子力都市は、現在にも、未来にも、過去にも「無関心」な都市です。

 原子力都市・原子炉は、宇宙にも、地球にも、大地にも、人間にも、まったく無関心な、無関係なのです。

  ☆

 今日は語りきれないので、酒井さんの「ピラミッド」伝説と、「NANA」は検討課題で残しておきますね。


 

雨宮日記 4月13日(金) 則子さんは平和行進実行委へ、ぼくは家で整理・片付け

2012年04月14日 05時58分00秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月13日(金) 則子さんは平和行進実行委へ、ぼくは家で整理・片付け

 則子さんは、今日は昔のハガキの片付けをしていました。昔から「郵趣」が趣味のぼくは、そのハガキの切手と消印部分だけをデジカメの接写機能で撮影しました。

 むかしの「40円ハガキ」とか「41円」ハガキとか、おもしろいです。

  ☆

 則子さんは、夕食の準備をしてから、5時頃に静岡へ。平和行進の静岡県実行委員会に参加です。帰って来てから、則子さんが言うには、過去にないくらい、いろんな意見が出たけど、今年には間に合わないので、今年は、きちんとまとめの県実行委員会をすることにしたそうです。

 ここ十数年間、浜松の「西遠平和行進実行委員会」では、必ず行進を歩いた後、全団体から感想・アンケートをもらい、それに基づいて論議し、来年に改善することを必ず決めてきました。

 静岡県実行委員会が、やっと、そういうレベルに追いついてきたということでしょうか?

  ☆

 福島県に「桜前線」が到達したそうですが、浜松市内は、どこも桜が散り始めて、明日の14日(土)夜が、今年最後の「花見夜」でしょうか。

 ぼくは、昨日身体を冷やしたせいか、これ、ぜんそくではなくて、風邪のせきかもしれません。夜、汗が出たのは、自分の部屋の片付けをしたせいと思いましたが、そうではなくて、風邪のせい?

 早く治すために、車で運転中、暖房をめいっぱい効かせて、熱くしていました。

 則子さま、今からボクの熱を吸い取ってもらいに、お布団に入りに行くので、よろしくおねがいします。

 

雨宮日記 4月12日(木) 午後は浜岡原発裁判の事務局会議でした

2012年04月13日 06時05分06秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月12日(木) 午後は浜岡原発裁判の事務局会議でした

 今朝は、あまり飲んでないので、早めにお昼12時前に目が覚めました。ボンヤリしながら、着替えを持って1階へ降りて、お風呂場へ。シャワーを浴びて、身体を清めました。

 まあ、身体を清めたから、どうということもないのですが…則子さんと、するわけでもないし…。

 則子さんは、部屋の片付けで忙しくて、そんなひまはありません。

  ☆

 午後は3時から中央街区の「はままつ共同法律事務所」の会議室をお借りして、浜岡原発裁判の「原告・弁護団・県西部の会」の第5回共同事務局会議で、午後2時半前に、則子さんと自宅を出て、遠鉄電車に乗りました。

 すごく暖かい日で、持っている温度計は、20度以上ありました。

 「浜岡原発停止」の一点で、どう広げるか、いろいろ論議しました。

  ☆

 以下、俳句でも短歌でも詩でもない、雨宮の「詩的メッセージ」です。


 「天上のアイスクリームを
  セブンイレブンで買う妻
  兜卒天の食は おいしい?」

 「春夜の雨
  ひらひら舞うシジミチョウのごと
  車に 白い花びら つきて」


 

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月12日(木) 0.048 μSv/h

2012年04月13日 06時02分05秒 | 地震・原発・津波・防災情報

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月12日(木) 0.048 μSv/h

 2012年(平成24年)4月12日(木)14時15分、快晴(0%)、風少し

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.047 μSv/h 
  最大値 0.051 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.048 μSv/h 
  最大値 0.056 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.048 μSv/h 
  最大値 0.056 μSv/h 
  最小値 0.040 μSv/h 


 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦


雨宮日記 4月11日(水) 則子さんは洋服と写真の片付けしてました。夜は大雨でした。

2012年04月12日 06時01分45秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月11日(水) 則子さんは洋服と写真の片付けしてました。夜は大雨でした。

 ぼくが午後目が覚めると、則子さんは2階の押し入れの中に埋もれていた、昔からの洋服や毛布を、片付けていました。

 そして、その後で、今度は写真アルバムの片付けを始めました。来月末に、則子さんが若い頃勤務していた滋賀県の近江学園時代の職員の同窓会があるので、近江学園と、伊豆の駿豆学園時代の写真アルバムから写真をはがして、必要な写真を残す作業を始めました。

 ☆

 夕方から雨が強くなり、午後8時過ぎに短時間でしたが、すごい豪雨になりました。

 則子さんが「あっ!タナゴが」と言って、1階へ慌てて降りていきました。

 ぼくも降りていくと、玄関で水で満杯になったバケツから水をくみ出していました。

 「どう?いる?」と聞くと「タナゴ、2匹いる。だいじょうぶ」と言いました。

 先週の豪雨の時は、バケツが洪水なのに気づかず、5匹のタナゴのうち3匹は、どこかに逃げてしまいました。 

 8時半過ぎに止んだので、則子さんと2人で車で、毎週水曜日の定期的な作業にでかけました。則子さんの古巣のたんぽぽ保育園の横を通る細い道路に車を乗り入れたら、道路に水が溢れて、「川」になっていました。

 ゆっくり車を走らせて、なんとか無事でしたが、何年も前に、たんぽぽ保育園で「床上浸水」した時以来の、豪雨でした。

 今回は、雨が短時間ですぐに止んだので、だいじょうぶでした。


浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ

2012年04月11日 14時40分10秒 | 浜松静岡郷土史
浜松と遠州の歴史 徳川・織田・豊臣の謎を考える 2 源氏は東へ、平家は西へ

 いまNHK大河ドラマは「平清盛」ですが、12世紀の平氏は、当時の中国の宋との交易で栄え、最後は京都から西へ兵庫県の福原港に都を移転しました。

 それに対して、源氏は頼朝が鎌倉に幕府を開きましたが、東へ向かい、武士の独立国家をつくる路線でした。

 同じような状況が戦国末期に繰り返されます。

 統一国家を作ろうとした織田・豊臣・徳川のうち、織田と豊臣は商業や産業で得た富を駆使して朝鮮や中国を征服する西へ向かう路線でした。

 それに対して、徳川は東へ向かい、鎌倉幕府のような武士国家をうちたてる路線でした。

 源平時代と違って、名古屋にいた織田と、岡崎にいた徳川は、軍事同盟を結び、お互いの背後からの危険を遮断してから、織田は西へ、徳川は東へ向かうのが、大きな違いですね。

  ☆

 そしてせっかく天下をとった豊臣家が朝鮮侵略で冨を浪費し、疲弊して、威信を喪失したことは、日本と朝鮮との関係を考えるときに興味深い点です。

 古代から近代まで、日本の朝鮮への出兵は3回ありました。

 1、古代の「倭国」時代 7世紀の白村江の戦いで大きな打撃を受けて倭国は滅び、701年、日本国が日本を統一する
   (なお、このことは、通常「倭国の名前を日本国に変更した」という単なる看板の掛け替えみたいに矮小化されています)

 2、近世の豊臣時代 豊臣氏の権威は低下し、関ヶ原と2回の大阪の陣で豊臣は滅び、徳川が日本を統一する

 3、近代 大日本帝国が朝鮮を「併合」するが、それが遠因となって「15年戦争」となり、大日本帝国は滅ぶ

 こう見てみると、朝鮮半島を侵略した国は、3回とも滅んでいます。

 どこへも征服戦争をおこさず「300年の平和」を守った徳川氏がいちばん理性があったと思います。


雨宮日記 4月10日(火) 則子さんの日記は、紙のノートで、3年連記

2012年04月11日 06時19分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月10日(火) 則子さんの日記は、紙のノートで、3年連記

 ぼくは紙の日記を付けていたのは、則子さんと結婚して(則子さん以外とは結婚していません、ただ一度です)から、忙しくて、なかなか自宅(当時の松城町の林泉書房)でも会話の時間がとれませんでした。

 生まれたての長女をどっちが家に居て見るか、あるいは自分の参加する会議にいっしょにつれて出るか、今日の体験したこと、などなど、いろいろ「交換ノート」に書いていました。

 今、その当時の12冊の「交換ノート」が手元に残っています。

 これを、なんとか活字化して「雨宮夫妻 12年の交換ノート」という題で本にしたいです。

 もちろん、宮本顕治さんと宮本百合子さん夫妻の「12年の手紙」を手本にしています。

  ☆

 今は、ぼくも、ブログで「雨宮日記」ですので、紙には残りません。則子さんは、自分で買って来たノートを縦に3分割して「3年日記」にしています。


 則子さんが言うには「昨年とか、2年前の日記を読むと、怒れちゃうことあがあるの」と。

 それは無理もないけど、過去のことを自分一人で怒っても、なんの利益もないから、怒るなら、ほかの人がいるところで、怒りましょう。

雨宮日記 4月9日(月) 「智彦くん、猫背で姿勢悪いよ」と則子さんが言いました

2012年04月11日 06時03分53秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 4月9日(月) 「智彦くん、猫背で姿勢悪いよ」と則子さんが言いました

 今朝は、深夜の仕事が休みなので、昨夜からのんびり寝て、遅く起きました。

 浜松の桜は、そろそろ花びらが舞い始めました。

 午後2時に、則子さんといっしょに、市議の小啓子さんとAさんの対話に参加、4人で、これまで生きてきた生き方や、苦労したこと、家族のことなど、2時間近く、あっちへ飛んで、こっちへ飛び、いろいろ対話しました。

 対話を終えて、市役所の駐車場を歩いていると、則子さんが「智彦くん、猫背で、姿勢悪いよ」と突然、言うので、アッと思って「ぼく先週から腰が痛くて、それでかな」と答えました。

 日曜日に、岡崎ですこし無理して歩いたせいもあるでしょうね。

 以前の仕事、自営業の「本屋」の仕事は、本が重くて、腰痛が職業病です。今でも、深夜の配送の仕事は、重量があるので、うっかりすると、腰に負担がかかって、腰が痛くなります。

 いちおう、今の深夜の仕事は65才まではするつもりなので、無理をせず、腰をかばいながら、続けようと思っています。

 この仕事をしている限り、午前中は寝ているし、午後もあまり早くから行動できないし、困るのですが。

  ☆

 民主党政府・野田首相らの、おおい原発再稼働最優先がひどくなってきました。

 壊れたのは東電福島第1原発だけではないんですね。
 
 すでに壊れていたのは日本の保守政治・官僚・大企業・科学技術者たち・マスコミ、などですね。

 もう人間ではないです。

 悲しいです。

浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月10日(火) 0.0460μSV/h

2012年04月11日 05時59分52秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 雨宮自宅定点 4月10日(火) 0.0460μSV/h

 4月10日(火)18時15分、晴れ(50%)、風中ぐらい

 11回目から20回目、10回測定
  平均値 0.052 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.046 μSv/h 

 21回目から30回目、10回測定
  平均値 0.043 μSv/h 
  最大値 0.045 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 

 11回目から30回目、20回合計 
  平均値 0.046 μSv/h 
  最大値 0.057 μSv/h 
  最小値 0.043 μSv/h 


 測定器 :堀場製作所「RadI PA-1000」
 単位  :μSv/h (マイクロシーベルト/時)
 測定精度:±10%
 測定回数:スイッチオン後10回(1分40秒)パスして、
      10秒ごとに60秒積算値を自動表示、20回観測
      11~20回と21~30回に分けて結果を表示します
 (注:昨年は10回パスして10回観測でしたが、今年1月5日(木)から20回観測に切り替えました。)
 測定高さ:地上1m
 測定位置:雨宮夫妻自宅の駐車場(コンクリ舗装)のA地点
 測定者及び記録者:特記ないかぎり雨宮智彦