雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2月6日(木) 朝は診療所へ、午後は走り回る

2014年02月07日 17時59分05秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月6日(木) 朝は診療所へ、午後は走り回る

 数日間、日記をさぼりました。

 朝は、父を乗せて月1回、佐藤町診療所へ通院している父の付き添いで、佐藤町診療所へ。いつもどおりの体調で、いつもどおりのクスリと言うことで帰宅。

 午後はあちこち車で走り回る。

 夜、則子さんが夕方帰宅して作った食事と洗濯物を持って長女夫妻のアパートへ。「紙オムツが足りなくなりそう」というので、指定の紙オムツを買いにいったら、カーマ、天王のきょうりんどう、新津町のクリエイト、新津町のきょうりんどうと4店に行ってもどこも見つかりません。

 誰か、買い占めているの?それともマスコミで宣伝して殺到した?しかたなく、長女に電話して他の商品を指定してもらって買って届けました。

 明日朝は、浜松は零下3度という予報でした。

 次女がピアニスト・清塚さんの東京コンサートのDVDを貸してくれたので、さっそく見ました。名古屋のコンサートは生で見たのですが、映像も、指のタッチが目の前に見れるので、いいですね。とくに、幻想即興曲とマゼッパは最高です。

 


雨宮日記 2月5日(水) 佐村河内さんは作曲者ではなかった!

2014年02月07日 17時50分13秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月5日(水) 佐村河内さんは作曲者ではなかった!

 新聞各紙に、現代のクラシック作曲家・佐村河内(さむらごうち)さんは、実は作曲者ではなく、18年間、影のゴーストライターがいて、その影武者の男性が名乗り出たという記事を読みました。

 曲自体が変わるわけではないのですが、やはりショックです。則子さんと数年前、京都に「交響曲第1番 ヒロシマ」の全曲初演を聞きに行き、CDも2枚持っています。

 聞いて良い曲だと思っているのに、こんなことをするから、もうこの曲はたぶん、みんな聞けなくなるんですよね。コンサートもすべて中止、CDは発売中止だそうです。

 なぜ自分の作曲でもないものを、そう発表したのか。具体的な動機と経過を聞きたいですね。自分で作曲ができなくて、たんにクラシックの作曲家という名声が欲しかったのか。

  夜は、3人で浜松市原水協の事務局会議を喫茶店でやりました。総会準備です。あー、また議案を書く時期になったのかあ。

  ☆

 写真は馬込川の堤防で誰かが植えた水仙の群。

 

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 130の3 三浦神社の謎解き

2014年02月03日 20時16分46秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 130の3 三浦神社の謎解き

 なぜ、曳馬の三浦神社は、東南(東から南へ45度振れる)を向いているか?

 この「推理小説」を解く鍵に気がつきました。それは、祭神が「大物主」であることです。

 『日本書紀』の「崇神天皇紀」に、崇神天皇の叔母・ヤマトビモモソヒメノミコトが大物主神の妻となるという話が載っていて、自分の夫・大物主神がいつも夜来て、顔も見れないので、昼来て下さいとお願いしたら、「明日の朝、あなたの櫛箱に入っていよう」というので、朝開けたら、可愛い小さな蛇が入っていたのです。

 つまり、大物主は蛇なのです。

 蛇というと、十二支では、「巳」で、「子丑寅辰巳」という十二支で、「子午線」というのは、「子」は北で、「午」は南です。つまり、「辰巳」は、龍と蛇で、東南の方角になります。

 白川静さんによれば、中国では龍と蛇はまったく別とのことですが、日本列島では、融合して区別されないのではないでしょうか。

 つまり、大物主神が、自分の本体である龍蛇の方向である東南を向いているのは、当然のことです。

 ☆

 もともとの、奈良県の大神神社は西の方向を向いてるのですが、遠州の三浦神社は、後から中国から入って来た「十二支の方角」に引きずられて、東南の方向になったのでしょうか。

 それにしても、この三浦神社を建立した氏族が、いつ頃の、どんな古代氏族なのか、わかりません。

 「天竜川」の「竜」にも関係有るかも知れませんが、解明できれば、と思います。探求を続けます。

 そのためには、近くの阿弥陀遺跡の遺物を研究しないとと思います。

 


雨宮日記 2月1日(土) 則子さんは夜勤です

2014年02月01日 18時31分50秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 2月1日(土) 則子さんは夜勤です

 2月なのに暖かいので、則子さんが「智彦くん、散歩行く?」と誘ってくれたので、喜んででかけました。

 三浦橋の付近は、黒と白の制服の紳士淑女のオオバンが占拠していました。いつもだともっとカモ類が多いのですが、今年は少ないです。オオバンを数えたら43羽でした。太鼓橋の南にも22羽いたので、合計65羽です。

 三浦橋の南で、カイツブリが2羽、川面に浮かんではすぐ潜り、魚を食べていました。クチバシの色が違うので、オスとメスのカップルでしょうか。オオバンやカモは草食ですが、カイツブリや鵜は魚食です。

 春の花はまだまだですが、すでにタンポポとオドリコソウとカタバミは咲いていました。

    2人で歩く堤防 どこまでも続くといいな

    カイツブリも 2羽で 泳いでいく馬込川

    「ほら!見て!カタバミ」と 君がいれば言える

   ☆

 午後3時半には夜勤で出勤なので、午後は則子さんは少しだけ仮眠しました。3時近くなったので「3時だよ」と起こすと、「ビブリアの夢だった」と言いました。

 ビブリアとは今、話題の「古本屋推理小説」の第5巻で、数日前に買って来て、すぐ読んで則子さんに貸しているやつです。

 鎌倉の鎌倉北駅の横にある古本屋「ビブリア古書堂」の若い独身女主人「栞子(しおりこ)」が不器用な青年店員「五浦大輔」と古本にまつわる謎を解決していく「古書ミステリー」なのですが、二人のなかなか進展しない恋がからまってもつれる傑作シリーズです。

 「え?なに?それ、どういう配役?則子さんが栞子さん?」と、ぼく。

 「わかんないけど、古本屋で、自分が本を縛っているところで目が覚めた」

 「それって、ボクの蔵書を全部捨てたいという、たんなる願望じゃないの?」

 わが家はもともと本屋だったので、則子さんがボクのお嫁さんに来た時は、ボクは本屋でした。でも、則子さんはずっと保母をしていて、そのあいだに、「林泉書房」は廃業にしたので、ついに、則子さんが「本屋さん」をすることはありませんでした。

 

 

 

 


遠州の遺跡・寺社・地名 130の2 二つの三浦神社の謎

2014年02月01日 18時15分55秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 130の2 二つの三浦神社の謎

遠州の遺跡・寺社・地名 130 中区十軒町の三浦神社 2014年02月01日 05時11分23秒 | の続きです。

 つまりこういうことです。

 曳馬三浦神社は、東南向き(東から45度、時計方向に振れる)に建っている。参拝者は北西を見て拝む。当然のことですが、神殿の中の「大物主命」は、東南を向いている。

 十軒三浦神社は、南西向き(南から45度、時計方向に振れる)に建っている。参拝者は北東の方向を見て神さまを拝む。神殿のなかの「大物主命」は、南西の方を向いている。

 十軒三浦神社から、地図上でまっすぐ南西方向に線を引くと、びっくりすることに、曳馬三浦神社の真横につきあたる。

 つまり十軒三浦神社の大物主命さんは、曳馬三浦神社の大物主命さんの真横・横顔を見ていることになります。

  ☆

 神社の一般的傾向からは、太陽信仰の東西方向が最初で、天神信仰の南北方向は後という傾向ですし、十軒三浦神社が最初で、その後、曳馬三浦神社がその神さま視線のなかに自分の横顔を割り込ませるというのも不自然だと思います。

 やはり、曳馬三浦神社が東西信仰の変形としての東南方向に建てられて、その後の南北信仰に変化していく中で、南北ではなく、曳馬三浦神社と「同じように45度時計方向に振らせば」、ちょうど十軒三浦神社の神さまが、元の曳馬三浦神社を向くということを誰かが思いついたのではないでしょうか。

 では、なぜ曳馬三浦神社は「なぜ、南西を向いているか」を、次回、考えます。

 ヒントは大物主神とは、誰か、という問題です。

 


雨宮家の物 21 リサイクルカメラ(使い捨てカメラ)

2014年02月01日 05時47分19秒 | 雨宮家の物

雨宮家の物 21 リサイクルカメラ(使い捨てカメラ)

 今は、もう使いませんが、家に残っていたので、撮影しました。富士の「写るんです」。

 こういう物もあったんだんというのを記録しておかないと、この時代のことが忘れられてしまうので。


雨宮日記 1月31日(金) 睦月が終わり、明日から如月(きさらぎ)

2014年02月01日 05時31分56秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 1月31日(金) 睦月が終わり、明日から如月(きさらぎ)

 馬込川に、いま黒い衣装に白いクチバシのオオバンが、たくさん、います。三浦橋のあたりに330羽くらいいるのですが、近所のYさんと話していたら「もっと下流、助信あたりにも同じくらいいるよ」と言っていたので、何羽いるのでしょうか。

 近縁種でバンも一匹いるし、越冬ツバメも今日は20羽くらいの群が川の上を飛んでいるのを見ました。

 去年は飛来したコハクチョウは、今年は、見かけません。

 


遠州の遺跡・寺社・地名 130 中区十軒町の三浦神社

2014年02月01日 05時11分23秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社・地名 130 中区十軒町の三浦神社

 前回、曳馬4丁目の三浦神社を取り上げましたが( 遠州の遺跡・寺社・地名 129 中区曳馬4丁目の三浦神社2014年01月26日 15時17分47秒 | 遠州古代史 )今回も三浦神社で、同じ名前です。

 位置的には、同じ馬込川を北へ少しさかのぼって、同じ西岸、十軒町の北端、神島3丁目との境、大きなマンション「藤和ハイタウン」のすぐ南です。

  祭神は、同じ大物主命。  非常に面白いのは、神社に向かった確度が真北ではなくて、東へ46度振れていることです。つまり、北東です。ということは、神社自体は南西へ向いていて、つまり祭神の大物主命は、南西を向いています。

 大きな地図上で、この神社から南西へ直線を引くと、なんと、曳馬4丁目の三浦神社を通ります。つまり、 この十軒町の大物主命は、曳馬4丁目の大物主命の横顔を見ていることになります。

 なぜか、ということまでは現段階では、わかりません。

 この2つの神社が古いとすると、当然、この神社を祭った人々の所在としては、すぐ西の、現在、上島小学校付近にある「阿弥陀遺跡」のことが頭に浮かびますが、どうでしょうか?