雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月16日(日)の4 深夜に家から見えた謎の写真

2015年08月16日 21時16分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月16日(日)の4 深夜に家から見えた謎の写真

 2階のベランダから夜、南東の方向に、道路と道路のあいだに見えた謎の光。

 最初、川の上の橋の光かなと思いました。

 それにしても、おかしい。

 道路のはるか上に見える。

 則子さんに来てもらったら「イトーヨーカ堂」とか「大規模ショップ」の屋上の光じゃない?と意見でした。

 ぼくのカメラで拡大して撮ると‥‥謎解きは明日に

雨宮日記 8月16日(日)の3 生ビールと缶ビールと瓶ビールは同じ物です

2015年08月16日 21時03分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月16日(日)の3 生ビールと缶ビールと瓶ビールは同じ物です


 くだらない番組も多いテレビですけど、ぼくはテレビ番組表を見て、いいなと思う番組を録画して見ます。

 今日昼間、偶然付けた番組で「ビールの差」というのをやっていました。

 昔のビールには「加熱」工程があり、「熱を加えない」のが生ビールだったのですが、今のビールは、フィルターでこすのが精密になったので、加熱は、ほとんどしていない。
  
 つまり店で飲む「生ビール」も店で飲む「瓶ビール」も、家で飲む「缶ビール」も同じ物です。

 家で飲む缶ビールをおいしく飲むには、缶ビールを開けて直接口を付けて飲むのではなく、冷えたコップにビールを何回かに分けて注いで、十分泡立てて飲むのがいいそうです。あまりビールを冷やしすぎると味が分からなくなるので、冷やしすぎないでと言ってました。

 早速、63才の今夜から実践します。

 ああ、アルコールを飲むようになって40数年経ってから、やっといいことを聞きました。

 写真はセミの抜け殻。

雨宮日記 8月16日(日)の2 被爆者聴き捕りDVD「第2巻 広島・長崎の証言 2」完成!

2015年08月16日 20時39分39秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月16日(日)の2 被爆者聴き捕りDVD「第2巻 広島・長崎の証言 2」完成!

 苦労していた「被爆者聴き捕りDVD」がやっと完成。難航しました。

 聞き取りにくいので、かなり「文字」を入れました。

 戦争中の用語ですから、未来の世代はだいたい知らないですね。

 もっとも、当たり前にみんな知ってる時代②なったら怖いです。

 


雨宮日記 8月16日(日)の1 「駐車場」に「打ち水」をすると蝶々が水を吸いにきました

2015年08月16日 20時22分42秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月16日(日)の1 「駐車場」に「打ち水」をすると蝶々が水を吸いにきました

 一日に何回か、駐車場に「打ち水」をします。

 しばらくは涼感を感じますね。

 今日はアゲハチョウが飛んで来て、止まって水を吸ってました。

 1つ、いいことをした気分ですね。

雨宮日記 8月15日(土)の2 鹿児島県川内原発の再稼働と見事に一致した桜島火山の噴火警報

2015年08月15日 18時55分17秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月15日(土)の2 鹿児島県川内原発の再稼働と見事に一致した桜島火山の噴火警報

 自然現象と社会現象は、ほんらい無関係のはずですが、偶然時期が一致したのでしょうか。

 まるで川内原発の再稼働を「予知」したかのような、桜島火山の火山性地震活発化。

 かなり大きな噴火がくるようです。

 川内原発は、ただちに止めなくていいのでしょうか。桜島ー姶良カルデラも「カルデラ噴火」しますからね。

  

雨宮日記 8月15日(土)の1 8月15日は何の日?

2015年08月15日 18時41分03秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月15日(土)の1 8月15日は何の日?

 今日も家の前のうちのクマゼミがうるさい。最近、家の駐車場に1日何回か、「打ち水」のするのがボクの日課になりました。効果を狙ってではありません、「打ち水」は日本の文化です。

 以前、浜岡原発の広報館に行ったら「原子力文化」という雑誌がおいてありました。「へえ、原子力にも文化があるのか」と思い、もらって後で読みましたが、どう見ても「原発」に文化は希薄でした。むしろ「反文化」「反人間」「反自由」を本質とするという感じでした。

 さて、8月15日は何の日でしょうか。

 「敗戦」「終戦」「降伏」‥‥ぼくは「敗戦の表明の日」だと思います。

 実際は各地で戦争は続いたんですね。

 満州や北海道や沖縄でも長く続いたし、小野田さんに至っては1970年代まで続いた。

 そして「敗戦に伴う占領状態」も2015年の今でも続いている、それが日本の悲劇の一因だと言えるのではないでしょうか。

 70年も続く「占領」「米軍基地」が終わらなければ戦後は終わらない。
 
 逆に安倍に代表される新右翼による「ニュー戦前」がいま始まっている。

雨宮日記 8月14日(金)の1 今日は「戦後70周年安倍首相談話」

2015年08月14日 20時58分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月14日(金)の1 今日夕方は「戦後70周年安倍首相談話」です、戦争法案通すため妥協するでしょう

 まだニュースを見ていません。

 でも戦争法案通すため、「戦後70周年安倍首相談話」では妥協するでしょう。

 今日は夜、あちこちで花火の音が聞こえます。
 
 戦争体験者の方は、花火の音が「戦争の音」に聞こえて、花火を楽しめない方もいるそうです。

 傷は肉体の傷だけではない、心の傷もあるのですね。

 いわゆるPTSDです。

 遅発性PTSDもあるそうです。何十年も経ってから発症します。

 米軍兵士でも同じです。

 

8月12日(水) 浜松市博物館の「発掘回顧展」と「縄文展」に則子さんと行ってきました

2015年08月14日 19時22分45秒 | 雨宮日誌
8月12日(水) 浜松市博物館の「発掘回顧展」と「縄文展」に則子さんと行ってきました

 今日は則子さんが終日「休み」。

 午後、浜松市博物館と復興記念館の沖縄戦展に行ってきました。沖縄戦展は「ピース浜松」に乗せます。

 博物館は夏休みで子どもたちが「勾玉を作る」行事とかあって、駐車場がいっぱい

 2時間くらい見て、満足。

 いろいろ発見もあり、今後書いていきます。

 写真は都田川の「岡の平遺跡(おかのひらいせき)」

 説明では「都田川下流の、中川の平野を望む段丘の上に立地する集落の遺跡です。集落の祭の場所から、、建てられたままの石棒(せきぼう)が出土しました。 縄文時代後期=奈良時代 北区細江町」となっていました。

 どう見ても、この「石棒」は、性器信仰そのもので、ペニスをでかくしたものだろうと思います。つまり「肉棒」の拡大化ですね。

 同じ会場に、浜松市の他の縄文遺跡から出土した、リアルサイズの「石棒」が展示されていました。

 巨大「石棒」の根本に並べられた「石棒」は「陰毛」を表現しているのでしょうか。

 古代人の「精神」「文化」にまで、迫りたいと思います。

 周智郡森町の神社に、現在も建てられている「石棒」があるそうです。一度、見に行きたいと思っています。

 

雨宮日記 8月12日(水) 日航123便墜落事故30年の日です

2015年08月13日 02時59分50秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月12日(水) 日航123便墜落事故30年の日です

 30年目の「8・12」あるいは「日航123便墜落事故」の疑問についてのメモ


 今は多忙なため、正確な論文を書く時間がない。あるいは、書く時間がついになかったときのためにメモを残しておく。

 なお昨日10日夜のテレビ番組で「空自パイロットが日航123便の機体の異常を目撃」という新聞のテレビ番組紹介がのりました。

 さっき「自衛隊機は、空自戦闘機F4ファントムは日航機が墜落してから緊急発進したはずです」と書いてしまいましたが

 ネットで確認したら「偶然、通りかった輸送機C-1」のパイロットでした。

 尾翼のない日航123便を偶然、目視したのです。


 以下、「ピース浜松」で連載します。

 

雨宮日記 8月11日(火)の2 向かいの空き屋(借家)のクマゼミ

2015年08月11日 19時10分06秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月11日(火)の2 向かいの空き屋(借家)のクマゼミ

 うちの真向かいが、2階建ての立派な一軒家の借家で、いまは空き屋です。
 
 それをいいことに、たった1本立っている庭木でクマゼミが1日中鳴いています。

 近所迷惑ですね。

雨宮日記 8月11日(火)の1 暑いので夕方、涼しくなってから則子さんと散歩

2015年08月11日 19時04分07秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月11日(火)の1 暑いので夕方、涼しくなってから則子さんと散歩

 相変わらず猛暑です。冷蔵庫に置いてある麦茶のボトル(1リットル)を2個から1個増やして3個にしました。消費に生産がおいつかないからです。

 自宅前のコンクリの駐車場に1日、何回か「打ち水」をするのもボクの日課になりました。気休めというか、文化です。

  ☆

 夕食後、涼しくなってから、則子さんと散歩に行きました。散歩に行くというより、則子さんは俳句の題材さがし、ぼくは写真の被写体さがしです。

 最初に自宅の「庭」の百合を取りました。

雨宮日記 8月9日(日) 長崎原爆の日、1日中、明日の浜岡原発パンフ編集会議の準備

2015年08月09日 20時36分05秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月9日(日) 長崎原爆の日、1日中、明日の浜岡原発パンフ編集会議の準備

 最近は朝、目覚めるのが6時頃で早いです。早く寝てるんですけどね。 

 朝7時に起きて、台所に行ったら、則子さんと次女が朝食を食べてました。「おはよう」あいさつして、麦茶を飲んで、自分の部屋へ。朝早く活動するいわれもないので、しばらく、また寝てから起きてパソコンを打ってました。

 午前中は、できるだけ活動せずに、自分の部屋で、のんびりぐうたら寝ているか、のんびりネット検索をするか、しています。

 午後か夜に、できるだけ1つ、会議や行動を入れます。「できるだけ1日に1つ」です。それ以上は、できるだけ避けます。「最大限、1日に2つ」です。

 「24時間働けます」といえば、そのうち壊れるので。

 現に、ぼくは20年前に壊れました。

 則子さんは遅番で仕事に行ったので、則子さんの部屋に行って「中日新聞」と「しんぶん赤旗」を読んでいたら、11時2分に、浜松市にサイレンが鳴りました。


 浜松市原水協事務局長のSさん(則子さんは事務局次長)がハンドマイクと道路使用許可証を取りに来たので、渡しました。今日は、ぼくは、行動はくついので不参加です。

 無理すると、完全脱落しちゃいますから、現場は、他の人におまかせすることもあります。

  ☆

 父とのお昼は、則子さんが湯がいてくれたソーメンを2人で食べました。

  ☆

 午後は、浜岡原発パンフの原稿書き。

  ☆

 夜は「日航123便墜落事故」のネットで文献調査。かなり分かってきました。自衛隊の「謀略工作と隠蔽工作」です。

 時間のあるときに、まとめて書きます。

 出発点は「なぜ、翌朝、明るくなるまで、墜落地点に到達できなかったか」です。そこに、すべての始まりがあります。
 
 つまり、明るくなるまで到達できない状態にしておいて、何かが行われていました。

 川上慶子さんは「暗い中で懐中電灯の光が見えた」と証言しています。つまり、明るく成る前に、地上で到達した誰かがいたのです。

 それは誰なのか?が、真相を解く鍵だと思います。

  ☆

 午後8時、則子さんが「納豆、どうして捨てちゃうの!?」と詰問してきました。それは前から冷蔵庫に残っていた古い納豆だと思ったので。

 「家に、いないのに、家のことを支配しないでよ」と内心、思いましたが、もちろん、「ごめんなさい。古い納豆だと思ったので」と、しおらしく謝りました。

 ああ、この対等平等では、ない、支配従属関係。

 でも、それが幸せと感じているボクかも、マゾですかね。