雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 2018年3月21日(水) 1日中、雨です

2018年03月21日 21時34分45秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 2018年3月21日(水) 1日中、雨です

 朝から夜までずっと雨です。

 夕方から夜まで、ビデオ編集作業。3・1ビキニデー集会のビデオを2本完成。大石又七さんの車椅子での発言と、津軽三味線の演奏。

 1日で2本も完成したのは、初めて。4人の撮影を編集。
 


古代ブログ 36 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 20 北区引佐町の天白岩座遺跡<再録>

2018年03月20日 23時46分14秒 | 遠州古代史

古代ブログ 36 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 20 北区引佐町の天白岩座遺跡<再録>

「遠州の遺跡・寺社6 天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡
2010年04月11日 21時32分18秒 | 遠州古代史

 今日4月11日(日)は暖かくて、N子さんと2人で、お弁当(おにぎり)を持って北区引佐町まで出かけました。
 
 今日の一番の目的地は「天白磐座遺跡」です。数年前に初めて行ったことがあり、今回が2回目です。

 渭伊神社の駐車場に車を止めて、「むささびがいます」という看板を見て、ゲートボールをしているおじいさん・おばあさんたちの横を通り、渭伊(いい)神社の境内に入りました。
 N子さんは、ぼくの神社趣味を知っているので別に驚かないのですが、「ここが何か特別な神社?」と怪訝な顔でした。
 N子さんの前に立って、渭伊神社さんの前で(今日は裏を見せてもらいますよ、よろしくと)拝んでから、神社の横をすり抜けて裏山に登っていきました。
 
 急な山を登っていくと、現われました。
 山の途中に、いくつもの大きな石が土の中から露出していて、山頂(標高は約42m)にはひときわ巨大な岩が3つ、とくに2つの石が大きく、その真ん中が空間になっていて、異様な空間です。
 「すごい、なにこれ」とN子さんも感嘆し「誰かがこれ運んできたの?」と言います。確かに、まるでダイダラボッチか誰かが、大きな磐を3つここに運んできて置いたみたいな状況ですが、それはないだろう、むしろ、逆に、誰かがこの位置に埋まっていた巨石を土の中から掘り出したのではないか、と思います。

 辰巳和弘さんなどが、この遺跡を発見し発掘調査をした結果、周囲の土の中から、古墳時代を中心に、縄文時代から江戸時代までの祭祀遺物が発見され、縄文時代から江戸時代まで続く祭祀遺跡であることが明らかになりました。

 おもしろいのは、3つの巨磐に囲まれた山頂部分には、古墳時代の遺物は見つからないことです。つまり、最盛期の古墳時代には、この3つの磐に囲まれた地は、立ち入ってはならない神聖な空間だったということになります。

 全国でも数少ない、遠州地方でも画期的な遺跡です。
 何よりも、この大きな磐やたくさんの岩と、森と山がつくりだす異様な、結界のような空間は、まさに神が降りてくるにふさわしい、一人きりではこわくなるような「異界」です。

 それにしても、これほど重要な遺跡なのに、ほとんど人は来ません。僕たちがいた時間帯も、中年の男性が1人来ていただけでした。まあ観光地化して、人がこの神聖な結界をけがしても困りますが。
 
 山頂から南西部の山裾のぎりぎり、もう向こうは神宮司川という地点にも大きな岩とそれに重なって少し小さい岩があって、「鳴岩」というそうです。
 これは山頂の磐とは違って、磐と磐のあいだがほとんどありません。
 こちらは、小さめの厚みの薄い磐は、もしかしたら、運べた可能性もあるのではないでしょうか。
 2つか3つの磐またはその磐と磐のあいだの空間を神聖視するという基本点は変わらないとすれば、そういう空間を作り出すために、小さめの磐を運んだという可能性も考えていいのではないかと、思います。

 もちろん、事実に基づく考察の範囲内である考古学では、そういう空想や推理は範囲外ですが、僕たちがそれに縛られる必要はもうとうないので、思いきり空想の翼を羽ばたかせたいと思います。

 この山のすぐ北と西を青い水の神宮司川(じんぐうじがわ)が流れていて、まさに「引佐」町は、土着豪族の「井伊(いい)氏」が支配してきた「井(い)」の町であり、同時に「石(いし)」の町であることを痛感します。

 参考文献としては、辰巳和弘さん著『聖なる水の祀りと古代王権・天白磐座遺跡』<シリーズ「遺跡を学ぶ」033>、新泉社、2006年12月2日発行、定価1575円が一番でしょうか。

 もちろん、正式の発掘報告書も出ています。辰巳和弘さん編で『天白磐座遺跡』引佐町教育委員会発行、1992年刊、です。

 浜松市に問い合わせれば、まだ在庫があるかもしれません。私は数年前に旧引佐町役場で買いました。

 なお「磐座」という言葉がここで使われたかどうか明確でないことから、「渭伊神社境内遺跡(いいじんじゃ けいだいいせき)」と呼ぶ人もいます。

 蛇足ですが、木谷恭介さんが『遠州姫街道殺人事件』というのを祥伝社から出しています。まだ読んでいませんが、手に入れて読んだら「本と映像の森」にアップします。

 さて、まだ問題があります。それは「天白(てんぱく)」という地名です。この「天白」とは、静岡県から三重県にかけて「天白神社」という神社が分布していて、その関係かとも思います。
 中区十軒町のわが家のそばの上島5丁目にも「天白神社」があります。この「天白神社」について調べると、何か「天白磐座遺跡」の謎に一歩近づけるかもしれません。

 それと、やはり日本全体での、磐座信仰・岩信仰を調べないといけないということでしょうか。

 さっき書いた「井の国」と「石信仰」の結びつきという点では、やはり注目すべきは、あの有名な北九州の「磐井の乱」(乱なのかどうかは異説が出ていますが)の「磐井(いわい)」でしょう。
 記紀では、近畿天皇家に反抗した地方勢力で北九州の王、ということになっていますが。
 まさしく、水と石の信仰を体現した名前です。
 これ、どういうことなんでしょうか。

 半日の歴史ツアーから帰ってきて、上島の行きつけのコーヒ-(雨宮は)や紅茶(N子さんは)のおいしい喫茶店「シーン」で、N子さんいわく「自分の地域にいろんな,おもしろいものがあるのね。」
 これから暇を創って、いっしょに地域の歴史を回ろうという話になりました。

 今日の話の続き、まだアップします。
 次は「石庭」です。」


「遠州の遺跡・寺社9 天白岩座遺跡幻想
2010年04月23日 23時19分56秒 | 遠州古代史

 引佐町の「石の聖地」「天白磐座遺跡」に似たものは,実は日本列島内にもう1カ所あります。あると思います。

 それは、北九州の玄界灘にある、宗像大社の辺津宮にあたる「沖ノ島」の中腹にある古代祭祀遺跡です。
 別名「海の正倉院」と呼ばれています。 

 沖ノ島の中腹にある23の巨岩の岩上・岩陰・半岩陰・半露天・露天の遺跡から4世紀の古墳時代から10世紀の平安時代に至る、大量の祭祀異物が出土しています。

 さて問題は、この西日本の沖ノ島遺跡は航海の安全を祈った遺跡とされている点です。遺物の規模はともかく非常に似通った遺跡である東日本の天白磐座遺跡は、在地の「井伊氏」だけによる地元の祭祀であるといえるのでしょうか?

 いずれ報告書はきちんと読み込みたいと思いますが、類似性から行っても、沖ノ島遺跡が朝鮮海峡を渡る航海・敵地へ渡る旅の安全を祈願する遺跡であるなら、浜名湖から都田川・神宮司川とつながっている天白磐座遺跡が、たとえば尾張政権・たとえば大和政権、あるいは西日本との関連でもっと空想するなら筑紫政権のいずれかが「東海」の船旅、たとえば関東への旅を祈っておこなった祭祀の場であるとは言えないでしょうか。
 今のところは1つの可能性、雨宮の幻想ですが。

 沖ノ島遺跡については、正木晃さん著『宗像大社・古代祭祀の原風景』NHKブックス、日本放送出版協会、2008年8月30日第1刷、定価970円+消費税、205ページ、を参照しました。

 ネットで「沖ノ島遺跡」で検索すると「沖ノ島バーチャルミュージアム」や「沖ノ島・祭祀遺跡」などいろいろなサイトで、カラーでいろんな写真が見れます。

 記紀」にはヤマトタケルさんの旅が書かれていますが、あれは明らかに陸上ではなく、船による海上の旅(侵略の?それとも友好を求める旅?)です。
 ヤマトタケルさんは、名前は「ヤマト」と称しているのに、東日本から帰ってきて熱田の妻のところにいついてしまい、ヤマト天皇にまず報告にもいかないのはおかしいですね。
 ヤマトタケルさんの本拠地は熱田で、尾張政権の一員ではないでしょうか。

 偶然でしたが、今年は「井伊共保さん生誕1000年だそうです。もうすこし井伊氏や郷土の古代史を追いたいと思います。」

 


雨宮日記 2018年3月19日(月) 桜が開化

2018年03月19日 21時17分56秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 2018年3月19日(月) 桜が開化

 暖かくなりました。

 桜の開花日が静岡市は昨日の予想でした。浜松も同じくらいでしょう。去年は余裕が無かったので、今年は則子さんと一緒に行きたいな。

 満開予想は3月27日ごろだそうです。

 数日前、車椅子の物理学者ホーキングさんが亡くなりました。車椅子だからっていっしょにはなりませんが、なんとなく同じ車椅子だと親近感がわきますね。

 古い写真プリントをスキャナーでパソコンに取り込んでいる。1日に数十枚取り込めばやっと。いま574枚をパソコンに移した。

 


古代ブログ 35 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 19 冨幕山の謎の新羅堂< 再録 >

2018年03月18日 21時42分04秒 | 遠州古代史

古代ブログ 35 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 19 冨幕山の謎の新羅堂< 再録 >

2010年から、探求は進んでいません。再録します。

「遠州の遺跡・寺社10 冨幕山の謎の新羅堂(しんらどう)
2010年04月28日 05時28分51秒 | 遠州古代史

 引佐町の冨幕山(とんまくやま)に「新羅堂」というところがあります。
 ネットで検索すると、たとえばこう出てきます。
 
 「新羅堂(しんらどう) 古代寺院遺跡か朝鮮式山城(創筑年代)弘仁11年(820年)か(創筑者)不明 静岡県引佐郡引佐町富幕 (現状)石段 礎石」

 そして別のネット「遠州修験の道を歩く」では「『遠州の霊山と山岳信仰』によれば「富幕山(鳳来山・扇山)西側山中には大福寺の前身である幡教寺が、東側山中には新羅堂がそれぞれ存在する。」という」と書かれています。

 さらに別のネットでも、新羅堂の位置がわからないので教えて、という問いが書かれていました。

 いまや、その位置さえ謎になってるようです。
 古代朝鮮の「新羅」と関係あるのは確かなようなので、調査したいと思います。

 一つ考えられるのは、北九州の山岳信仰では新羅系の渡来信仰が濃厚なことです。
 この浜名湖・湖北地域での山岳信仰が盛んなことからいっても、この山岳信仰が新羅系である可能性は大きいのではないでしょうか。

 まだ現地踏査していませんので、写真はなしです。」

 


新・本と映像の森 121 映画・アニメ『ちはやぶる』

2018年03月17日 23時57分20秒 | 本と映像の森

新・本と映像の森 121 映画・アニメ『ちはやぶる』

 テレビで映画「ちはやぶる」をやってたので、ちょっと見ました。百人一首カルタ競技の映画ですが、題材としてはすきですが、あまり感覚がすきではない感じです。

 ところがネットでアニメ(見れたのが25回まで)があり、これが5人の部員の人物造形・感情造形がすごくいいんです。

 同じストーリーでも。

 映画は1巻目の半分を見田だけ。アニメはおすすめです。

 とくに日本文化がすきで、万葉集も好きな少女が、いいですね。

彼女は百人一首にはないけど、「むらさき野ゆき、しめ野ゆゆき」の歌がすきです。

 


古代ブログ 33 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 18 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって

2018年03月16日 22時27分44秒 | 遠州古代史

古代ブログ 33 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 18 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって

 「遠州の遺跡・寺社5」の再録です。

「遠州の遺跡・寺社5 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって
2010年02月23日 04時25分09秒 | 遠州古代史

遠州の遺跡・寺社5 不動寺(秋葉山)の天狗は羽があって飛べる

 浜松市浜北区の「不動寺」に行ってきました。
 三方原台地の東の崖線に位置していて、台地の上は「万葉の森公園」になっています。

 湧き出す泉があって、「弁天様」の社があって、「不動寺」の建物には、龍の彫り物がまきついていて、明らかに「水神信仰」です。

 おもしろいのは「不動寺」の奥に、天狗の社があって、写真のような説明がされていることです。

 「烏天狗(からすてんぐ)」は「大天狗」の弟子のようですが。
 古代のシャーマンの鳥信仰とも関係ありそうです。

 『日本書紀』「巻九 神功皇后 気長足姫尊」に「羽白熊鷲」が出てきたり、キリスト教のイメージで「天使に羽があって空を飛ぶ」こととも関係ありそうです。

 「神功皇后紀」では熊襲「服従」のあと、荷物田村の羽白熊鷲という強健で翼があり高く飛べる人がいて、人民を掠めているので神功皇后が殺したとあります。
 「羽の白い熊鷲」というのですから、まさに鳥シャーマンです。
 もちろん、実際に羽が生えていたはずはなく、そういう格好をしていた呪術師ということでしょう。」

 


雨宮日記 2018年3月15日(木) 索引づくり・・

2018年03月15日 22時39分39秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 2018年3月15日(木) 索引づくり・・

 主な書籍の索引作りを始めて、しばらくになる。

 たとえば『資本論』、新日本出版社の上製版。全3巻を5冊に分けている。そのうち第1巻を2冊に分けている。

 今できいるので、1冊目が11ページ、2冊目が同じく11ページ、第2巻が10ページ、4冊目が6ページ、5冊目が8ページというところ。

 例としてその最初の1ページをかかげる。

「< 資本論新日本上製版 =資上Ⅰa >

 あとから 資上Ⅰa p128、153
  → 分析
 表わす        資上Ⅰa p71、87、88、159、161
 アリストテレス 資上Ⅰa p101~103、281
 現われる       資上Ⅰa p71、72、88、89、107、195

 意識的計画的管理 資上Ⅰa p135
 依存 資上Ⅰa p131
  人格的依存 資上Ⅰa p131
 一般的
  一般的価値形態 資上Ⅰa p120
  一般的社会的形態  資上Ⅰa p114
  一般的譲渡 資上Ⅰa p186
  一般的等価形態 資上Ⅰa p118
  一般的等価物 資上Ⅰa p118、152
   → 等価物
  一般的商品 資上Ⅰa p152
 入れ替わり      資上Ⅰa p97
 インカ国家 Inkastaat 資上Ⅰa p149
 インド的共同体 資上Ⅰa p72

 売り手と買い手 資上Ⅰa p188
 運動       資上Ⅰa p128、194~196、259、262、263、264
  → 形態運動
  資本の運動 資上Ⅰa p259

 同じ度合いで     資上Ⅰa p148

 外観
  虚偽の外観 資上Ⅰa p157
 外的 資上Ⅰa p105、177、192
*外的対立       資上Ⅰa p105、177
 外部 資上Ⅰa p88
  内部 資上Ⅰa p88
 価格 資上Ⅰa p172~176
  価格形態 資上Ⅰa p120、173
  価格総額 資上Ⅰa p199~200
   → 諸商品の価格総額、流通手段の総量
  価格の度量基準 資上Ⅰa p165
  価格表現 資上Ⅰa p162
  価格変動 資上Ⅰa p200
  未耕地の価格 資上Ⅰa p174
 過剰人口 資上Ⅰa p463
 家族 資上Ⅰa p132
 価値 資上Ⅰa p65、92
→ 商品価値
  価値関係  資上Ⅰa p84~85、101
  価値規定 資上Ⅰa p96
  価値規定の内容 資上Ⅰa p122
  価値鏡 資上Ⅰa p100
  価値形態 資上Ⅰa p112,137~138
  価値尺度 資上Ⅰa p165、229
価値尺度の二重化 資上Ⅰa p163
  価値体       資上Ⅰa p88、90、109
  価値対称性 資上Ⅰa p81
  価値の大きさ 資上Ⅰa p91、94
  価値表現      資上Ⅰa p82~85、101、104、106
   等価表現 資上Ⅰa p87
  価値物       資上Ⅰa p81、86、90
  価値変動 資上Ⅰa p166~167
 過程 資上Ⅰa p265
 可能性        資上Ⅰa p176、192」

 まだまだ未完成です。

 欲しい人がもしいたら、無料であげます。

 


雨宮日記 2018年3月14日(水) 責任の所在は

2018年03月14日 21時20分00秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 2018年3月14日(水) 責任の所在は

 文書「偽造」の責任は誰に?安部さんや麻生さんが「適材適所」で配置した佐川さんでは、ありえない。

 責任は責任者がとるから、チームでありうるんですね。今の政府は、もう1つのチームではないです。

 また、これほどの問題を局長ごときが勝手にやったといいはるんなら、以前から1つの政府ではないですね。

 自分の所属するチームがまともなチームになっているか、すべての人が自己点検を迫られるでしょう。

 けっして安部さんや麻生さんだけの問題では、ないです。

 あなたのチームの責任者は、責任のとれる人ですか?

 


雨宮日記 2018年3月13日(火) 異変のきざし

2018年03月13日 19時21分23秒 | 雨宮日誌

 

 雨宮日記 2018年3月13日(火) 異変のきざし

 今から書くことはボクの妄想です。根拠はありません。

 この北朝鮮危機の真っ最中に、この安部政変、というか「コントロール」されているはずの安部政治の一部の「反乱」が起きたように見える。
 
 安倍首相が佐川さんを切り捨てたように、トランプさんも安部さんを切り捨てたのではないか。

 こんな時期的に一致することがあるだろうか。

 いまだに「対話のための対話は意味がない」と言い続ける安部さんたちはアメリカにとっても妨害物になっているのではないか。

 たとえば、北朝鮮=アメリカ首脳会談をやるなら、ぜひ中間の日本で、と言うぐらいの提案をしてもいいのではないか、と思います。

 北朝鮮=アメリカ首脳会談の後では日本=北朝鮮の首脳会談が日程にのぼる、とのニュースもあるくらいです。

 安部さんでは二重の意味で無理かな?

 


雨宮日記 2018年3月12日(月) ビデオ編集

2018年03月13日 10時53分56秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 2018年3月12日(月) ビデオ編集

 則子さん仕事は休日。午前中はケアマネさんの交替で来る。

 午後、ボクは久しぶりにビデオ編集。2月の浜松総がかり行動を編集。短時間の簡潔なビデオ作品に仕上げる。これから3/1の編集をするのが、楽しみです。

 政府の「書き換え文書」=「捏造文書」発表される。思っていた以上に、ひどい。18年前の2000年の「旧石器捏造」事件を思い出した。

 あの時も「直接の犯行者」である藤村さんと、「真の犯罪者集団」が推定されていましたね。今回も、「直接の犯行者」である佐川さんだけでないと思います。

 


雨宮日記 2018年3月11日(日)の1 7年目の3月11日

2018年03月11日 12時00分15秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 2018年3月11日(日)の1 7年目の3月11日

 7年目の3月11日です。7年前の「間宮日記」を再録します。まだ、あの頃は夜中の仕事をしていたので、仕事から帰ってきてパソコンを打ったものです。

 以下、再録。当時の全記録は見ることができますので、どうぞごらんください。
「雨宮日記 3月11日(金) 東日本の東北沖でかってない超巨大地震
2011年03月12日 05時48分13秒 | 雨宮日誌

 午後の早めに目が覚めて、里山へ車を走らせました。

 前日に、上島の「小西商店」で3000円で買った気温・水温両用の「温度計」で
 池の水温を測っていたら、携帯電話が鳴りました。

 うわ、則子さんだ。
 出ないわけに、いかないので、出ると
 「智彦くん!地震よ!目が覚めた?」と言うので
 「え!いま里山の谷だけど、揺れてるの気づかなかった」

 則子さんのいうには、ちょうど浜松市役所の1階のATMのところにいて
 なんだか視界がフラフラ揺れて、あれ、めまいかなと、思ったのだそうです。

 7階の、則子さんの職場に戻ったら、Oさんが、机の下で携帯電話をしているので
 「あれ、どうしたんですか?」と則子さんが言ったら
 「地震よ!」と

 夜、家に帰ってから、テレビにかじりつきました。
 映像がすごいですね。
 こわくなりました。

 いろいろ感じたことがありますので、言いたいこと、続きます。」

 


新・本と映像の森 120 松谷みよ子『死の国からのバトン ー 直樹とゆう子の物語ー』偕成社、1976年

2018年03月10日 19時08分53秒 | 雨宮日誌

新・本と映像の森 120 松谷みよ子『死の国からのバトン ー 直樹とゆう子の物語ー』偕成社、1976年

254ページ、定価1200円(1996年22刷)

 児童文学なのですが、大人向けの小説を越える感動が、ボクはありました。ボクが主人公の直樹と同一化できるからかもしれません。

 直樹もゆう子も、前作『ふたりのイーダ』でのように異界と交流できる能力があります。

直樹は、東京に住む小学6年生の男の子。家族はルポライターの母と、妹とネコのルー。父は亡くなっていない。

 冬に富山の父の田舎へ行く前、ネコのルーが行動がおかしくなり、家出したうえ、死んでしまった。

 物語は、富山の田舎で、ネコのルーの死の謎とかくらしを守る先祖の苦闘をめぐって進行する。

 小正月、鳥追い。風俗が美しく、懐かしい。

  風よなあ 
  どうどと
  山やま わたれよなあ

   ☆

  うっつけ かみつけ
  カズラの葉
  ええ もう と!

   ☆

 山を焼くぞう
 山を焼くぞう
 山のばばさどの
 おゆるしくだされい
 大蛇どのもごめんなされい
 はう虫ははうていけ
 とぶ虫はとんでいけ
 ひっこむ虫はひっこめ
 あぶらむけそうけ

  ☆

 幻想の世界で、直樹はネコたちやルーとともに、死出の旅を歩く。

 「ねこたちには、どんなかなしいおもいがあったというのだろう。いやおもいよいうより、どうにもならん苦しみだったかもしれない。まえをみてもねこの群れ、ふりかえってもねこの群れの中で。直樹は・・・・」(p128)

 直樹は「山のばばさ」に会う。

 「人も殺してしもうたがや。ほして、これからものう、殺しつづけるやろ。直樹、おまえも殺されるかもしれん。」
 「そんな・・・・そんなこと。」
 「山のばばは、うそはいわん。」

 
 ねんねこや
 ねんねこや
 山の木の数 萱の数
 天にのぼって星の数
 田んぼにくだって稲の数
 稲の数よりなおかわいい
 おまえのねんねがなおかわいい
 ねんねこ
 ねんねこや

  ☆

 現実に戻って、おもしろいのは「百万遍の供養」。

 さいのきのひこべえや
 でやにあづつのはばしんや
 あぶらやにしんのぜんざいもん
 かしやはなざいけのなおしちに
 ばんじょうもぐさがつどうて
 わすれじとおがみまつる
 なまんだあなまんだあなまんだあ
 なまんだあなまんだあなまんだあ

 小学6年生の直樹は、これから現代を生きていかねばなりません。

 1976年に12才だとすると、2018年には54才のはずです。直樹は、どんな大人になって、どう生き抜いているでしょうか。

 


古代ブログ 33 古代資料 2 法隆寺広目天(こうもくてん)像後背銘

2018年03月09日 15時33分04秒 | 遠州古代史

古代ブログ 33 古代資料 2  法隆寺広目天(こうもくてん)像後背銘

 法隆寺広目天(こうもくてん)像後背銘

 山口大口費上而次
 木☆二人作 也

 文字は縦に2行。
 ☆は、「門」に中が「牛」。
 字の大きさは不揃い。

 参考文献 『図説 日本文化の歴史 2』p39

 法隆寺広目天像は、金堂にある日本現存最古の四天王像の1つで、西方を護る。高さ約1.33メートル。

 銘文は作者が彫ったと推定されている。

 


雨宮日記 2018年3月8日(木) また大雨の日の夜

2018年03月08日 20時31分54秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 2018年3月8日(木) また大雨の日の夜

 東富士演習場で大雨で雪崩。都市型訓練施設で働く民間人が2人亡くなった。2人ともボクより年上。

 テレビニュースで「東富士駐屯地」というのは間違いです。正しくは「富士駐屯地」でしょう。

 今日も夜、大雨の予報。

 我が家の給湯器がつかない。

 3.5インチのフロッピーが6枚ほど出てきたので、友達から3.5インチをよめる端末を借りて読む。テキストファイルは読める。2001年とか2000年、古いファイルは1993年ごろ。

 あとはワープロ「松」の「BUN」ファイルが読めるといいんですが。

 


古代ブログ 32 古代資料 1 奈良県天理市の東大寺山古墳鉄刀銘文

2018年03月07日 20時20分37秒 | 遠州古代史

古代ブログ 32 古代資料 1 奈良県天理市の東大寺山古墳鉄刀銘文

 奈良県天理市の東大寺山古墳から1962年に出土した長さ110cmの鉄刀の銘文。24文字が刻まれていた。

 後漢の2世紀の年号「中平」は西暦181年から189年にあたる。この刀が作られたのがいつか、どこで作られたかは不明。

 後漢王朝から倭国への下賜説もある。

中平□□
 五月丙午
造作支刀
百練清剛
上応星宿
□□□□

 参考文献
  家永三郎編『日本の歴史 1』p72
  ネット「ウィキペディア 鉄剣・鉄刀銘文」