雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 80 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 3 藤枝市の鬼岩寺(きがんじ) <再掲>

2018年07月18日 15時23分44秒 | 遠州古代史

 古代ブログ 80 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 3 藤枝市の鬼岩寺(きがんじ) <再掲>


 いまは直接探索がなかなかできないのですが、「鬼」にされたのは誰か、ということですね。「魔魅(まみ)」とは誰か。時間があるとき、考えてみたいです。

「東海の遺跡・寺社・地名 3 藤枝市の鬼岩寺(きがんじ)
2013年04月02日 05時36分53秒 | 東海の古代史

 藤枝市の生涯学習センターへ会議で行きましたが、ちょっと会議前の時間があったので、すぐ横の「鬼岩寺(きがんじ)」へ寄りました。

 「鬼の岩の寺」という名前が、興味深かったからです。

 鬼岩寺という名前のいわれは、昔、この付近に悪鬼(説明板では「魔魅(まみ)」とも)が出現して、「史跡 鬼かき石」で里人を悩ましたそうです。

 そこで、空海(くうかい)さん=弘法大師(こうぼうだいし)さん(8~9世紀の人ですね)が「真言秘密の法」という「超能力」で、鬼を石に封じ込めたということで「鬼岩寺」という名前になったそうです。

 つまり、古代のSFですよね。

 境内を探索しましたが、なかなか興味深い、一筋縄ではいかないお寺のようです。別途、書きます。

 古い古い、「石の文明」と、どうつきあうのか。鬼を中に封じ込められて、つまり「牢獄」の役割を果たしている「石」はどう思っているのでしょうか。

 鬼岩寺は南向きです。」

 


古代ブログ 79 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」 <再掲>

2018年07月17日 12時52分29秒 | 遠州古代史


古代ブログ 79 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」 <再掲>


「東海の遺跡・寺社・地名 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」
2012年11月23日 06時41分31秒 | 東海の古代史

東海の遺跡・寺社・地名 2 御前崎市の桜ヶ池にある「池宮神社」

 桜ヶ池へ車で南から入っていくと、池の手前に鳥居があって、その左に駐車場があると書いてあるので駐車しました。カンカラに100円を入れます。

 鳥居の左側には、「忠魂碑」などがあります。鳥居をくぐって北へ、池へ向かって歩くと、肝心の「池宮神社」など、すべて東向きで、つまり日の出方向です。

 行って解説板を読んで初めて知ったのは、祭神は「瀬降津比め命」「事代主命」「建御名方命」の3神です。つまり「事代主命」は大國主の国譲りの時の長男的存在で海へ身を投げた、「建御名方命」は次男的存在で力比べで負けて諏訪湖まで逃げて降服した。

 だとすると「瀬織津媛命」も出雲に関係する女神と推定できますが、古事記・日本書紀には出てこないようです。

 「祝詞」には出てくるようですが、謎の女神、この意味を解きたいですね。

 なぜ封印されたのか?なぜ秘密にされたのか?

 竜神と関係ありそうですが、これから調べて行きます。ここが出発点です。

 則子さんとお握りを食べていたら、あじゃりさまの柱にハシブトガラスが飛んで来て、ガーガーとだみ声で鳴いていました。「お前、もしかして、神のお使いの八咫烏か?」と秘かに聞いて見ましたが、しらをきって答えてくれませんでした。

 つまり「八咫烏」とは神のお使いの天使族の「カラス天狗」さまでしょ?うわ、こんなこと書いて「神がかり」と誤解されたら、どうしよう。」

 


雨宮日記 7月17日(火) だんだん「ノート」が増えた

2018年07月17日 12時50分36秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 7月17日(火) だんだん「ノート」が増えた

 いま過去の紙資料を分野別の「ノート」に整理している。「ノート」はB5版のいわゆる「大学ノート」で新品とは限らない。過去に使ったものでも、未使用のところからチラシや紙を糊で貼っていく。

 「整理している」と書いたが、正確には貼る時点では「整理していない」。無差別に貼っていく。確認するのは前にそれと同じものは貼っていないこと。

 第2段階の整理する作業はこれから本格的になる。これはパソコン上でやっていく。最初、ページ順に「Ⅱー42」の「年月日」「内容」を打ち込んで.次にこれを「年月日」順にソートしていく。

 いま例えば「個人史ノート」「浜松基地ノート」は3冊できた。たぶん「浜松基地ノート」は10冊以上になると思う。あんまり「捨てる」作業ではありませんね。

 でも毎日、すこしづつでもゴミを出すので則子さんはごきげん(たぶん)。



 むかえの家の木のセミが何度も「ジーーー!ジーーーー!」と警戒音を発して必死で逃げること何回か。

 何がいるのだろうか?カマキリ?野鳥?

 セミは夏の2週間くらいの命だけど。必死に逃げる。必死に生きている。

 


古代ブログ 78 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって <再掲>

2018年07月16日 15時17分19秒 | 遠州古代史


古代ブログ 78 東海の遺跡・古墳・地名・寺社 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって <再掲>

 浜岡原発のある御前崎町ですが、昔の浜岡町佐倉に桜ヶ池があります。桜ヶ池についてボクが考え始めた最初のものです。

 以下、再掲。

「東海の遺跡・寺社・地名 1 御前崎市佐倉の「桜ヶ池」は諏訪湖につながって
2012年11月20日 05時51分37秒 | 東海の古代史

 「遠州古代史」のカテゴリーの中に「東海の遺跡・寺社・地名」というのも変ですが、いわゆる「遠州」(静岡県西部)の範囲を超えて、日帰りであるいは1泊で行ける範囲で、「古代探索」を広げてみようということで「東海の遺跡・寺社・地名」を始めます。

 本来の古代の「遠江」jは「駿河」との国境である大井川以西ですから、「桜ヶ池」も「遠州」でいいのですが、現代では「遠州」の範囲はかなり縮まって、磐田や遠州森町くらいまでという実感もあるので、適当に「遠州」と「東海」を使っていきます。

 昔の浜岡町佐倉にある桜ヶ池は、約2万年前の氷河時代に、山から川で運ばれた砂が堆積して池になった「せきとめ湖」だと書いてありました。

 面積は2万平方m。行って見ると、北側と東側・西側は高く森が茂っていて、南側だけが開けていて、池にはカモたちが浮かんでいました。

 桜の名所というのですが、地名は昔の浜岡町佐倉で、あきらかに「さくら」の「さ」は「早乙女」とか「早苗」というように、稲の神さまの「さ」です。

 桜の花の咲くのを、稲の豊作を祈って(予祝ですね)、みんなでお酒や食べ物を神さまにお供えしてから、みんなでお祝いするのが「お花見」です。

 ☆

 この桜ヶ池がおもしろいのは、地下が底なしで、実は長野県の諏訪湖とつながっているという伝承があることです。

 そして竜神信仰との関係で、平安時代末期に比叡山の「あじゃり」上人が、56億年後に降臨するという弥勒菩薩に「教えを請う」と言って桜ヶ池に身を投げて、大蛇になったという伝説があるということです。

 いつの、どんな文書か、まだ不明。調べます。

 遠州と信濃が地下水路でつながっているという伝説は、いろいろあるようなので、遠州側からと信州側から調べて、報告します。おもしろそうです。

 日本列島の他の地域では、こういう「遠州と信州」の「地下水路」のようなものは、あまり聞いていませんが、ぼくの情報不足でしょうか?」

 


新・本と映像の森 156 手塚治虫『戦争の記憶』三栄書房、2015年

2018年07月16日 13時09分28秒 | 雨宮日誌


新・本と映像の森 156 手塚治虫『戦争の記憶』三栄書房、2015年

 <サンエイムック、手塚治虫セレクション>、442ページ、定価本体537円

 たぶんボクがコンビニで買った本というよりムック。短編集です。たぶん、このムック禹自体は、もう売っていないと思う。

 裏表紙の文章をそのまま借りると「二度と戦争を起こしてはならない!次世代に伝えたい「戦争」を描いた名作を一挙掲載!」

 短編のタイトルを、以下に掲げる。みなさんは、どこかでこれらの短編に出会えるものとボクは思う。

 ゴッドファーザーの息子
 紙の砦
 すきっ腹のブルース
 ガチャボイ一代記
 どついたれ(抜萃)
 モンモン山が泣いているよ
 ZEPHYRUS
 大将軍森へ行く(「メタモルフォーゼ」より)
 てんてけマーチ
 やり残しの家(「ブラック・ジャック」より)
 カノン
 1985への出発
 溶けた男(「ザ・クレーター」より)

 「虫マニア
  天文マニアにして
  メシよりマンガ好き」(p115)

 手塚治虫さんの青春の生活の貧困と女性への憧れの物語だと思う。

 戦争がなければ手塚治さんは岡田京子さんと結ばれたかも知れない。
 戦後の食料買い出しと闇摘発がなければ、手塚治さんは編集者の河原和子さんの部屋へ行けたかも知れない。
 太鼓打ちの三兵は片腕を失わなければ、どんな一生を送っただろうか。

 戦争は、ほかにありえないほど大規模に人生を断ち切り、ねじ曲げる。
 
 なぜ戦争はいけないか、みんなでじっくり語り合う夏にしたい。

 どうやって戦争を減らすのか、どうやって戦争をなくすのか、みんなでじっくり語り合う夏にしたい。

 


雨宮日記 7月15日(日)の2 洪水動画を見て感じたこと

2018年07月15日 23時01分28秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 7月15日(日)の2 洪水動画を見て感じたこと

広島県・岡山県・愛媛県の決壊洪水動画を見て感じたこと。見た感じ、かなり東日本大震災の津波映像に似てる。

 泥の濁流が押し寄せてくること。後の災害被害の映像も。がれきの山も。

 本質は違うだろうけど、現象は似てくるということか。よくわからん。

 


雨宮日記 7月15日(日) 日本列島「亜熱帯化」

2018年07月15日 20時27分32秒 | 雨宮日誌


雨宮日記 7月15日(日) 日本列島「亜熱帯化」

日本列島「亜熱帯化」という感じ。各地で猛暑日。「亜熱帯」とはもうちょっと南かも知れない。

 災害地で結膜炎がはやり出している。泥が乾いてホコリが飛んで。

 暑いんで,夕食の前にお風呂に入る。

 それから、則子さんは職場の納涼祭の準備で、夜7時前に職場に行った。ご苦労さま。

 今日の夜中、サッカーワールドカップ決勝。フランス=クロアチア。どうしようか。見ようかな。

 


古代ブログ 77 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 45 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係?<再掲>

2018年07月15日 06時18分17秒 | 遠州古代史

古代ブログ 77 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 45 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係?<再掲>

「遠州古代史 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係?
2012年08月21日 05時47分28秒 | 遠州古代史

 浜松楽器博物館で開かれている古代琴の展示を見に行ったら、音の出る楽器つながりでしょうか、三方原古墳群出土の「七鈴鏡」が展示されていました。

 この「鈴鏡」は周囲に鈴が7個ある「七鈴鏡」ですが、各地で出土する「鈴鏡」の鈴の数は3個から9個と、変化します。

 鈴鏡の7割は関東に、とくに北関東の「上野」国と「下野」国に集中しています。

 考古学的な分布観からいえば、こういう「鈴鏡」分布から、「鈴鏡」文明があり、その中心は「北関東」にあったというのが普通の結論だろうと思います。

 ところが学会では、鏡は 日本列島の一定の中心地で独占的に輸入あるいは作られ、① 輸入の舶載鏡、② 国産の鏡、③ 国産の鈴鏡の順序でつくられ、それが東日本に一番遅れて供給されたから、見かけの中心地が北関東になるのだということのようです。

 ネット「考古学データの“裏”を読む ~「ある・ない」論の墜とし穴~」公正徹箭。「古墳時代、関東に「鈴の文明」圏があった?」参照

 あるいは、鈴鏡が好きな関東人がヤマトから輸入したとか。

 そんなの、ありでしょうか?

 普通の考えでは、これらの鈴鏡は、北関東を中心にしたどこかで作られた、というのが理知的でしょう。

 そして鈴鏡の最盛期である5世紀の関東古墳史を分析することが大事だと思います。

 もうひとつだいじなのは、「鈴」は、鏡だけではなく、馬具についた鈴がたくさんあります。つまり鈴のついた馬との関連も、これから考えたいと思います。

  ☆

 浜松人にとってだいじなのは、古墳時代に、関東と浜松など東海地域が強く結びついていることです。

 なお、写真はピンぼけでした。ごめんなさい。」


古代ブログ 76 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 44 七鈴鏡と三方原学園内4号墳(円墳)<再掲>

2018年07月14日 20時33分31秒 | 遠州古代史

古代ブログ 76 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 44 七鈴鏡と三方原学園内4号墳(円墳)<再掲>

遠州の遺跡・寺社・地名 100 七鈴鏡と三方原学園内4号墳(円墳)
2012年11月02日 19時20分04秒 | 遠州古代史

 三方原学園内の4号墳は、主古墳の5号墳(千人塚古墳)のすぐ北東にあッて、5号墳よりも東の崖に近い古墳です。円墳で直径は25m、文献では、5号墳が5世紀中葉にたいしてそのすぐ後、5世紀後半とされています。

 意味があるかどうかわかりませんが、5号墳が直径49mですから、4号墳の直径はその半分になります。

 埴輪あり。そして有名な「七鈴鏡」が出土しました。七鈴鏡の写真は以下に掲載しました。


 遠州古代史 三方原古墳群出土の「七鈴鏡」は関東「鈴文明」との関係? 2012年08月21日 05時47分28秒 | 遠州古代史

 さあ、この4号墳の被葬者は誰なのでしょうか?関東から来た武人?それとも関東からお嫁に来た女性?それとも地元の人間で単に「七鈴鏡」が好きなだけ?

 焼津市には焼津市指定文化財の「奥屋敷1号墳(猪之谷神社)の六鈴鏡」があります。

 浜松市西区の村櫛町には御山塚という山があってその頂上にあった「御山塚古墳」から「五鈴鏡」が出土しています。(HP「村櫛町自治会」のなかの、松下康文さん執筆「村櫛の歴史3」を参照)

 HP「國學院大學デジタルミュージアム 柴田常恵写真資料」の「浅間神社」に鈴鏡の破片(半面で鈴は2つ、五鈴鏡でしょうか?)が掲載されています。

 関東が中心ですが、中部地方でも静岡県外で出土例はありますが、西日本ではどうでしょうか?

 その位置に、4号墳の立て札がないのは残念です。」

 


雨宮日記 7月14日(土) ビデオ作業日

2018年07月14日 20時30分28秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月14日(土) ビデオ作業日

 今日も暑い。各地で熱中症の犠牲者。伊豆で90代のおじいさんが農作業で死亡。洪水被害のところは大変。各地で片付けボランティアが活動し活躍。

 ボクは3・1のビデオを創る。ハレルヤくんの三味線の3回目を完成。それと浜松総がかり行動のビデオ目次を完成しアップ。

 アニメ「カムイ外伝」をYouTubeに発見。少し見る。いいですね。原作をある程度尊重している。

 


新・本と映像の森 155 灰谷健次郎『兎の眼』理論社、原書1974

2018年07月13日 17時20分50秒 | 本と映像の森


新・本と映像の森 155 灰谷健次郎『兎の眼』理論社、原書1974

 286ページ、1986年第59刷、定価980円。

 舞台はS町。H工業地帯のなか、T駅の近くの学校など。学校のとなりには「塵埃処理所」がある。つまり焼却場である。

 いま『兎の眼』を読み返して、物語の舞台に焼却場とゴミ問題が大きな役割を果たしているのを気がついた。不思議なことにゴミ環境ネットの運動をやっていた時は、そのことをまったく思い出さなかった。

 登場「人物」を登場順に書いていくのが本書の紹介になると思う。では最初から。

  小谷芙美先生 結婚10日目。小学校の先生.1年4組の担任
  臼井鉄三  長屋の子ども。小学生。ハエたちを飼っているハエ博士。
  教頭先生
  カエルたち 鉄三にふみつぶされる
  ハエたち
  子どもたち
  文治
  バクじいさん 鉄三の祖父
  文治の父
  鳩たち
  足立先生
  キチ  鉄三の犬
  功 長屋の子ども
  芳吉 長屋の子ども
  純 長屋の子ども
  四郎 長屋の子ども
  武男 長屋の子ども
  銀色の目をしたネズミ
  海のカメ
  春川きみ  2年生
  春川諭(さとし) 1年生
  ショウジョウバエたち
  ミドリキンバエたち
  イエバエたち
  村野康子先生
  瀬沼浩二
  折橋先生
  徳治  鳩ぐるい。鳩をとろうとして製鋼所の屋根から転落して入院
  キンタロウ  鳩。徳治がいちばん可愛がっている鳩
  ゴンタ 鳩。いちばんの年寄り
  小谷先生の夫 名前不明。もっと前に出てきたけどメモに取り忘れた
  建築士
  善財童子 
  小谷先生の高校時代の恩師
  セミたち
  木村幸子先生
  みさえ  純の妹
  恵子
  金龍生
  伊藤みな子
  淳一
  勇二
  照江
  みな子のおばあちゃん
  道子
  清
  やよい
  毛虫
  山内先生
  太田先生
  みな子のお母さん
  ヒヨコたち
  ミドリガメたち
  小谷先生の家に入ったドロボー
  犬とりたち
  警察署長
  せっしゃのオッチャン
  勝一
  校長先生
  課長
江川洋子先生
  小谷先生の両親と夫の両親
  指導主事
  トンビ

 286ページ。これで、いちおう登場「人物」一覧は終わり。ところが本のタイトルの「兎の目」や「ウサギ」は出てこない。

 それで困って、ボクがいま思いついた解決。

 小谷先生は「ウサギ」年で、その「ウサギ」年の小谷先生から見たことを小説にしたってこと。違うかな?

 もちろん、著者の灰谷健次郎さんは、足立先生に投影されていると思う。  

 あと、これは作品のなかから、ボクが気のついた珠玉のほんの一部。

 「「ほかにもよい作品があるのに、あなたが見落としているかもしれないということ。作品だけでなしに人間もね。」
 そういわれて、小谷先生はきゅうに不安になった。
 「臼井鉄三に手こずっているようだけど、ぼくの経験からいうと、ああいう子にこそタラモノはいっぱいつまっているもんだ」」(p13)

 「心の冷えていくのが小谷先生にわかった。わたしのつらいことは、あなのいっているつらいこととまるっきりちがう、と小谷先生はいいたかったが、もう口がひらかなかった。
 その夜、小谷先生はウィスキーをがぶのみした。そして自分がこの世でひとり生まれてきたようなさびしい気持ちになった。
 ウィスキーのビンの口にハエが1匹とまった。おっぱらわないで、じっとそれを見た。小谷先生はいつまでも、そのハエを見つめていた。」(p59)
 

 


雨宮日記 7月13日(金)の1 いま、ここから前へ生きるとは

2018年07月13日 10時44分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 7月13日(金)の1 いま、ここから前へ生きるとは

 「いま、ここ」から前へ生きるとは。「いま、ここ」までの成果に安住するのなら、生きてるとは言えない。もう君は死んでいる。ゲーテ『ファウスト』を見よ。

 生きるためには、過去を捨て去らねばならない。

 過去を捨てるために、過去を回顧するんだけどね。過去を「よかったね」と賛美するためではない。

 「青い地球とオレンジの花」は過去の徹底批判でなければならない。自分のしてきた運動の賛美ではない。

    ☆

 大雨洪水の本質に迫った報道がすこしは出ている。すこしです。

 ① 人間があまりにも山に近づき過ぎた。 
 ② 山がときどき崩れるのは山の本質である 
 ③ じゃあ、どうすればいいのか、という解決策はわからない。誰もまだそれには触れてはいないと思う。


雨宮日記 7月12日(木)の3 お昼過ぎ、急に暗くなって豪雨

2018年07月12日 12時21分06秒 | 雨宮日誌

 
 雨宮日記 7月12日(木)の3 お昼過ぎ、急に暗くなって豪雨

 いま午後0時20分。さっきから天気急変で大雨です。慌てて不自由な肉体で、開いている窓を閉めました。

 ネットの「静岡県の雨雲の動き」を開いたら、静岡県はところどころ大雨です。


雨宮日記 7月12日(木)の2 晴れているけど雨が降っている

2018年07月12日 10時03分33秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 7月12日(木)の2 晴れているけど雨が降っている

 いわゆる「きつねの嫁入り」。どうしてそう言うのかは知りません。陽は照っているのに、雨が降っている変な天気。

 則子さんは西来院、お寺さんへ行った。おじいちゃん(父)の用事で。年2回行く。ぼくらは用事は無いんだけど。ご苦労様。

 


雨宮日記 7月12日(木)の1 再び倉敷市より支援について

2018年07月12日 09時56分01秒 | 雨宮日誌


 雨宮日記 7月12日(木)の1 再び倉敷市より支援について

 倉敷市の災害対策情報「2018年07月10日 13時58分」です
「倉敷市をご支援していただいている皆様へ

 現在までに全国の多くの自治体や企業様等より、支援物資を送っていただいており、本当にありがとうございます。
 倉敷市ではいただいた支援物資を全力で被災された皆様にお配りをしていますが、避難所への配送作業に滞りが出てまいりました。
 皆様からのご厚意の支援物資を、必要とされている方に届ける整理を行うため、 ここで一時的に支援物資の受け入れを休止させて頂きたいと存じます。
 今後、必要なる物資につきまして、その都度、情報発信させて頂き皆様からのご支援をお願いしたいと存じますので、一時的受け入れ休止につきまして、ご理解をお願いいたします。
 今後ともよろしくお願いいたします。

 倉敷市長 伊東 香織」

 注意、これは倉敷の場合。各地は千差万別だと思います。支援・行動は、思い込みや決めつけでは無くよく調べて慎重におこなってください。