「無愛想」という前回記事で、
白洲次郎、正子さんの自宅にあった
「PLAY FAST(プレイ・ファースト)」
というプライベート・バーに触れましたが。
そのBARの名前に関わる
次郎さんのゴルフ四方山話を少しだけ。
「白州次郎って誰よ!?」
という方がいらっしゃいましたら、
以下にリンクした過去記事やネットなどを
ググっていただければと。
僕さんがとても好きな方なのです。
ええ。ええ。
「カンパイで(^^)」
「琵琶湖徒然」
「琵琶湖徒然 2」
「無愛想」
長野県に
「軽井沢ゴルフ倶楽部」
というゴルフクラブがありまして。
ゴルフ好きの人であれば知らない人はいない?
であろう名門中の名門クラブ。
そのイメージは、
日本のゴルフ場では7番目に古いという成りたちの歴史や、
初期から現在に至るまでの錚々たる会員の顔ぶれなどが
強い影響を与えているかとも思われます。
「ゴルフ倶楽部とはかくあるべし」
という、
この国におけるそんな哲学や文化にも
大きな影響を与えて来たクラブとしても有名ではないかと。
そして、そんな誉れ高いクラブの基本的な規範を定め、
確立もさせた1番の立役者で功労者というのが
白洲次郎さんでもあるわけです。
もしかしたら、人によっては、
ゴルフというものは少々贅沢なものというイメージが
無きにしも非ずで。
お金もかかるし、どこか貴族趣味的で敷居が高く。
階級的で排他的な要素もあるスポーツ、趣味......
なんていう感覚がある人もいるかもしれません。
僕さんなんか典型的にそんな人でしたけど......
ただ、僕が知る次郎さんのゴルフ逸話に関しては、
そんなイメージを変えてくれる素敵さがあるように思えていまして。
僕のゴルフに対するネガティブ部分の印象を
変えてくれた人の1人でもあります。
以下にはそんな逸話を少しだけ。
倶楽部と言いつつ、
国や権力者さん達へのお話しなのきゃ!?的な。
ええ。ええ。(^^)
============================
——————1922年。
「軽井沢ゴルフ倶楽部」開場。
——————その後、太平洋戦争の状況悪化により閉鎖。
——————終戦後、米軍に領地として接収され、
乗馬訓練や飛行機の滑走訓練に使われる。
——————6年後、米軍による接収が解除。
ゴルフ場として再開。
——————この再会時のメンバーに次郎さんも入る。
——————その後、74歳の時にクラブの常任理事に就任。
——————この時、
次郎さんが倶楽部の「第一義」として掲げたことが
「PLAY FAST(プレイは早く)」
——————他にも
「会員ノゴルフ練習ニ供シ 兼テ其ノ親睦ヲ図ルを目的トス」
という、他のクラブには無い、
「倶楽部の目的は競技ではなく親睦と練習である」
旨の条文を定める。
これは、次郎さんが
「会員による、会員のためのクラブ」
という基本的な理念(プリンシプル)を
徹底して目指していたということであり、
日本有数の名門倶楽部でありながら、
現在まで倶楽部の専属プロがいないことの理由でもある。
よって、倶楽部は社団法人でも株式会社でもなく、
あくまで同好の士が集まった任意団体として運営される。
——————よって、
プロ競技のためのフルバックティは設けられていない。
——————日本ゴルフ協会にも加盟していない。
——————ビジターのラウンドは可能だが
「プロゴルファー」は出入り禁止。
——————新聞記者や要人の警護人や秘書や運転手なども
原則クラブハウスには立ち入り禁止。
——————個室は作らない。
——————予約のシステムは設けず、
プレイヤーは来場順にスタート。
——————反面、
コースコンディションには非常なこだわりと丁寧さがあり、
いつでもプロのトーナメントが開催できるような最高の状態にある。
それが倶楽部のプライドともなっている。
——————次郎さんは、
倶楽部は会員やその家族がリラックスして楽しめる
リゾートコースと考え、服装規定を緩めた。
以前の会則にあったジャケット着用の義務も無くし、
Tシャツでもラウンドできるようにした。
——————次郎さんは原則のPRのために
「PLAY FAST」と書かれたTシャツを作り、
よく、自ら着込んでラウンドをしていた。
——————ある日、
「倶楽部の中に商品の広告がチラチラするのはけしからん。
広告にはすべて絆創膏を貼ってしまえ」
と次郎さんが言い出し、
それが理事会で決定される。
以降、冷蔵庫やアイスボックスに至るまで広告的なものは
全て紙で隠されるようになる。
——————この「紙隠し」を目にした旧肥後熊本藩、
細川家第17代当主、第2次近衛内閣の内閣総理大臣秘書官
「細川護貞(ほそかわもりさだ)」さんは、
次郎さんがラウンドスタートする時に、いたずらで
「ちょっと待った」
と次郎さんのプレイを止め。
次郎さんが
「なんだ!」
と不快な声をあげると、
細川さんは笑いながら
「あなたは商品の広告に全部絆創膏を貼れといわれたが、
あなたのそのボール(商品名)にも
私が絆創膏を貼ってあげましょう」
と言った。
すると次郎さんは
「バカ野郎!」
と言って、
上機嫌でスタートしていった。
——————ある日、
飛ぶ鳥も落とす勢いだった頃の田中角栄総理の秘書が来て
「これから田中がプレーしますので宜しく」
と次郎さんに言うと、
次郎さんは
「田中と言う名前は犬のクソほど沢山あるが、何処の田中だ」
と秘書に聞き返しました。
秘書が
「総理大臣の田中です」
と答えると、
次郎さんは
「それは会員なのかね?」
と聞き返し、
秘書が
「会員ではありませんが、総理です」
と答えると、
次郎さんは
「ここは会員の為のゴルフ場だ、そうで無いなら帰りなさい」
と言い、
秘書を唖然とさせた。
——————その後、正式に会員となった田中角栄総理。
ゴルフ場のトイレには
「洗面所のタオルを無断で持ち出さないで下さい」
と張り紙がしてあったが、ある日、
角栄さんはそれを無視してタオルを持ち出そうとしました。
すると、次郎さんは一言
「おい、お前は日本語が読めねえのか!」
——————ある夏の日曜日。
田中角栄総理がアメリカ大使を連れてきて、
次郎さんに倶楽部でプレーをさせて欲しいと依頼。
次郎さんは
「日曜日はメンバーズ・オンリー」
と流暢な英語で大使にお断りした。
——————大汗かきで「腰手ぬぐい」が
田中角栄総理のプレイスタイル。
その「腰手ぬぐい」が服装として俱楽部で問題となった時、
次郎さんは
「腰手ぬぐいは、角栄さんの必需品」
と言って笑い飛ばし、許諾をした。
——————次郎さんは常に従業員への対応を手厚くしていた。
そんな次郎さんが急逝した後、倶楽部会報の企画で
「女子従業員による白洲理事長を思い出す座談会」
を開いたのだが、その時、女性たちは全員涙ぐみ、
嗚咽をするだけで座談会にならなかった。
============================
僕はやっぱり、
次郎さんのことはとても好きなのです。
ゴルフは純粋な趣味であるということを貫く。
そうであるために定められた原則を貫く。
プライベートな倶楽部とは何かを極めんとする。
「Principle(プリンシプル)=原理、原則、根本方針、主義......」
次郎さんがとても大切にしていたもの。
倶楽部とは国?
角栄さんは某国大統領?
なんて捉える読み方も一興でしょうか......
現在、倶楽部の10番ティの前には
次郎さんが植えた桜の老樹が残されているそうです。(^^)
今、僕さんが愛用しているウェッジとアイアンさん達。
テーラーメイド(TaylorMade)さんのP7 TWと
MILLED GRIND 2 TW。
ナニカト言い訳が出来ないクラブ。
3年ほど前にライブ制作会社のEしゃちょーさんに誘って頂いて、
超久々にゴルフをしてみたら......
まぁ、ホント、ひどい有様で......
15年以上まともにやっていなかったということもありましたが、
その時の情けなさと悔しさで、
僕さんはもう一度全てをやり直し、
スイングやプレイを立て直すことを決意。
「もう一度70台のスコアを3回出したら、
ご褒美でアイアンを買い変えよう......」
と決めて手に入れたお気に入りの宝物さん。
ご褒美と出来るまで2年ほどもかかっちまいまちたけど......
ちなみに、前のアイアンはにゃんと!
2009年から!
ずっと使い続けていたクラブさんでしたの。
ええ。ええ。
今のところ道具だけわ無敵なんす♪( ̄+ー ̄)キラーン☆
皆様におかれましては、何卒、無敵の!
年末年始をお過ごし下さいませ。(^ν^)
毎年この時期に問い合わせをいただく
「初詣」に関するエトセトラはこちらの過去記事迄。
「初詣小話」
白洲次郎、正子さんの自宅にあった
「PLAY FAST(プレイ・ファースト)」
というプライベート・バーに触れましたが。
そのBARの名前に関わる
次郎さんのゴルフ四方山話を少しだけ。
「白州次郎って誰よ!?」
という方がいらっしゃいましたら、
以下にリンクした過去記事やネットなどを
ググっていただければと。
僕さんがとても好きな方なのです。
ええ。ええ。
「カンパイで(^^)」
「琵琶湖徒然」
「琵琶湖徒然 2」
「無愛想」
長野県に
「軽井沢ゴルフ倶楽部」
というゴルフクラブがありまして。
ゴルフ好きの人であれば知らない人はいない?
であろう名門中の名門クラブ。
そのイメージは、
日本のゴルフ場では7番目に古いという成りたちの歴史や、
初期から現在に至るまでの錚々たる会員の顔ぶれなどが
強い影響を与えているかとも思われます。
「ゴルフ倶楽部とはかくあるべし」
という、
この国におけるそんな哲学や文化にも
大きな影響を与えて来たクラブとしても有名ではないかと。
そして、そんな誉れ高いクラブの基本的な規範を定め、
確立もさせた1番の立役者で功労者というのが
白洲次郎さんでもあるわけです。
もしかしたら、人によっては、
ゴルフというものは少々贅沢なものというイメージが
無きにしも非ずで。
お金もかかるし、どこか貴族趣味的で敷居が高く。
階級的で排他的な要素もあるスポーツ、趣味......
なんていう感覚がある人もいるかもしれません。
僕さんなんか典型的にそんな人でしたけど......
ただ、僕が知る次郎さんのゴルフ逸話に関しては、
そんなイメージを変えてくれる素敵さがあるように思えていまして。
僕のゴルフに対するネガティブ部分の印象を
変えてくれた人の1人でもあります。
以下にはそんな逸話を少しだけ。
倶楽部と言いつつ、
国や権力者さん達へのお話しなのきゃ!?的な。
ええ。ええ。(^^)
============================
——————1922年。
「軽井沢ゴルフ倶楽部」開場。
——————その後、太平洋戦争の状況悪化により閉鎖。
——————終戦後、米軍に領地として接収され、
乗馬訓練や飛行機の滑走訓練に使われる。
——————6年後、米軍による接収が解除。
ゴルフ場として再開。
——————この再会時のメンバーに次郎さんも入る。
——————その後、74歳の時にクラブの常任理事に就任。
——————この時、
次郎さんが倶楽部の「第一義」として掲げたことが
「PLAY FAST(プレイは早く)」
——————他にも
「会員ノゴルフ練習ニ供シ 兼テ其ノ親睦ヲ図ルを目的トス」
という、他のクラブには無い、
「倶楽部の目的は競技ではなく親睦と練習である」
旨の条文を定める。
これは、次郎さんが
「会員による、会員のためのクラブ」
という基本的な理念(プリンシプル)を
徹底して目指していたということであり、
日本有数の名門倶楽部でありながら、
現在まで倶楽部の専属プロがいないことの理由でもある。
よって、倶楽部は社団法人でも株式会社でもなく、
あくまで同好の士が集まった任意団体として運営される。
——————よって、
プロ競技のためのフルバックティは設けられていない。
——————日本ゴルフ協会にも加盟していない。
——————ビジターのラウンドは可能だが
「プロゴルファー」は出入り禁止。
——————新聞記者や要人の警護人や秘書や運転手なども
原則クラブハウスには立ち入り禁止。
——————個室は作らない。
——————予約のシステムは設けず、
プレイヤーは来場順にスタート。
——————反面、
コースコンディションには非常なこだわりと丁寧さがあり、
いつでもプロのトーナメントが開催できるような最高の状態にある。
それが倶楽部のプライドともなっている。
——————次郎さんは、
倶楽部は会員やその家族がリラックスして楽しめる
リゾートコースと考え、服装規定を緩めた。
以前の会則にあったジャケット着用の義務も無くし、
Tシャツでもラウンドできるようにした。
——————次郎さんは原則のPRのために
「PLAY FAST」と書かれたTシャツを作り、
よく、自ら着込んでラウンドをしていた。
——————ある日、
「倶楽部の中に商品の広告がチラチラするのはけしからん。
広告にはすべて絆創膏を貼ってしまえ」
と次郎さんが言い出し、
それが理事会で決定される。
以降、冷蔵庫やアイスボックスに至るまで広告的なものは
全て紙で隠されるようになる。
——————この「紙隠し」を目にした旧肥後熊本藩、
細川家第17代当主、第2次近衛内閣の内閣総理大臣秘書官
「細川護貞(ほそかわもりさだ)」さんは、
次郎さんがラウンドスタートする時に、いたずらで
「ちょっと待った」
と次郎さんのプレイを止め。
次郎さんが
「なんだ!」
と不快な声をあげると、
細川さんは笑いながら
「あなたは商品の広告に全部絆創膏を貼れといわれたが、
あなたのそのボール(商品名)にも
私が絆創膏を貼ってあげましょう」
と言った。
すると次郎さんは
「バカ野郎!」
と言って、
上機嫌でスタートしていった。
——————ある日、
飛ぶ鳥も落とす勢いだった頃の田中角栄総理の秘書が来て
「これから田中がプレーしますので宜しく」
と次郎さんに言うと、
次郎さんは
「田中と言う名前は犬のクソほど沢山あるが、何処の田中だ」
と秘書に聞き返しました。
秘書が
「総理大臣の田中です」
と答えると、
次郎さんは
「それは会員なのかね?」
と聞き返し、
秘書が
「会員ではありませんが、総理です」
と答えると、
次郎さんは
「ここは会員の為のゴルフ場だ、そうで無いなら帰りなさい」
と言い、
秘書を唖然とさせた。
——————その後、正式に会員となった田中角栄総理。
ゴルフ場のトイレには
「洗面所のタオルを無断で持ち出さないで下さい」
と張り紙がしてあったが、ある日、
角栄さんはそれを無視してタオルを持ち出そうとしました。
すると、次郎さんは一言
「おい、お前は日本語が読めねえのか!」
——————ある夏の日曜日。
田中角栄総理がアメリカ大使を連れてきて、
次郎さんに倶楽部でプレーをさせて欲しいと依頼。
次郎さんは
「日曜日はメンバーズ・オンリー」
と流暢な英語で大使にお断りした。
——————大汗かきで「腰手ぬぐい」が
田中角栄総理のプレイスタイル。
その「腰手ぬぐい」が服装として俱楽部で問題となった時、
次郎さんは
「腰手ぬぐいは、角栄さんの必需品」
と言って笑い飛ばし、許諾をした。
——————次郎さんは常に従業員への対応を手厚くしていた。
そんな次郎さんが急逝した後、倶楽部会報の企画で
「女子従業員による白洲理事長を思い出す座談会」
を開いたのだが、その時、女性たちは全員涙ぐみ、
嗚咽をするだけで座談会にならなかった。
============================
僕はやっぱり、
次郎さんのことはとても好きなのです。
ゴルフは純粋な趣味であるということを貫く。
そうであるために定められた原則を貫く。
プライベートな倶楽部とは何かを極めんとする。
「Principle(プリンシプル)=原理、原則、根本方針、主義......」
次郎さんがとても大切にしていたもの。
倶楽部とは国?
角栄さんは某国大統領?
なんて捉える読み方も一興でしょうか......
現在、倶楽部の10番ティの前には
次郎さんが植えた桜の老樹が残されているそうです。(^^)
今、僕さんが愛用しているウェッジとアイアンさん達。
テーラーメイド(TaylorMade)さんのP7 TWと
MILLED GRIND 2 TW。
ナニカト言い訳が出来ないクラブ。
3年ほど前にライブ制作会社のEしゃちょーさんに誘って頂いて、
超久々にゴルフをしてみたら......
まぁ、ホント、ひどい有様で......
15年以上まともにやっていなかったということもありましたが、
その時の情けなさと悔しさで、
僕さんはもう一度全てをやり直し、
スイングやプレイを立て直すことを決意。
「もう一度70台のスコアを3回出したら、
ご褒美でアイアンを買い変えよう......」
と決めて手に入れたお気に入りの宝物さん。
ご褒美と出来るまで2年ほどもかかっちまいまちたけど......
ちなみに、前のアイアンはにゃんと!
2009年から!
ずっと使い続けていたクラブさんでしたの。
ええ。ええ。
今のところ道具だけわ無敵なんす♪( ̄+ー ̄)キラーン☆
皆様におかれましては、何卒、無敵の!
年末年始をお過ごし下さいませ。(^ν^)
毎年この時期に問い合わせをいただく
「初詣」に関するエトセトラはこちらの過去記事迄。
「初詣小話」
今年も本当にIさんのご活動とご尽力に心より感謝します。
今の日本、地球が存続出来てるのは、Iさんやノナさんのご尽力だと思ってます。心から感謝します。ありがとうございます。🤗
来年も神神様やIさん ノナ様達の良き年でありますように❤️
そんな、おおきなことわぁぁ、、、
でも、こんな言葉を言われることなんてないので、
本当に嬉しいです。
ありがとうございます。
良き年越しができそうです。
通りすがりさんも何卒、良き年末年始を(^^)
今年最後の記事に角栄さんの登場。新潟県民としてはなんだか嬉しい思いです。そして「理念」。これは来年以降の課題となりそうです。ひゃ~難しい😣と逃げてばかりはいられない、そんなかんじでしょうか。
今年も、その時々に心に響くお言葉をたくさんいただき、特にお弥彦様に関しては大変お世話になりました。まさかの展開にびっくり、ではありましたが、だからこそ特別な1年にもなりました。ありがとうございました。
来年も、IさんM子さんのご活躍をお祈り致します。
良いお年をお迎えください。
良き年末年始をお過ごしくださいませ!
吉田茂首相の流れを汲んだ、田中首相ですが、吉田首相の側近でなかったとしても、田中首相にはものを自分の考えをはっきりと伝えたでしょうね。GHQマックァーサー総帥にも、きちんと意見をできたかたですから。
記事の中にあった倶楽部を国に、田中首相を大統領に。。。とありましたが、まさにそのとおりだと思いました。同様に勤務している組織だけでなく、私が仕事以外にかかわっている組織などの中で、自分自身の意見が言える人が少なくなったと感じております。上司やその組織のトップに同調する意見ばかりで。。。自分自身のプリンシプルを持ち、自分の意見をはっきりと言える人にならなければならない、また、そういった指導ができる人にならなければならないとあらためて感じました。
20年以上前に白洲次郎さんのプリンシプルのない日本を薦めてもらったのを思い出しました。ありがとうございました。
まとまりませんが、本年もよろしくお願いします。
パターくださーい♪