「平将門の首塚って行ったことある?大手町にあるらしいけど」
僕はひと言、こう答えました。
「はかりかねる場所だな」
......続く。
東京、大手町の高層ビルの谷間にひっそりと、ポツン......と在る首塚。
僕はその地に対する個人的な見解と経験とをプリリンねーさんに話しました。
ソレは前回の記事に記したとおりのことで......
「どうしてそんな所に俺が行かないといけないのだろうか?」
......個人的にはあまり気が進まない地なのです。
その時彼女から返ってきた説明を要約すると、どうも、僕等と縁のある
「荒熊神社」さんの祭祀進行役を務める男性が名古屋の方に住んでいらして、
名前は「O」さんと言うらしく。
その方とプリリンねーさんは、過日、
彼が東京に遊びに来た際に幾人かで連れ立って神田明神に参拝に行ったのだそうで。
どうして神田明神だったのか?と言うと、
Oさんは平将門の御霊(みたま)を宿しているという方らしく、
それで行ったのだと。
また、それが荒熊神社とOさんとの深い縁の元ともなっているのだ、と。
————————荒熊神社の神様も、
神田明神の神様も首塚も、青き炎.....
スサノオ(須佐之男、素盞嗚)さんの御霊(みたま)の系譜だということです。
強い力を持ちながらも、時に理不尽に捻じ曲げられ、
消されもして来た魂達の象徴でもあるということです————————————
その後名古屋に戻ったOさんは、どういうわけか?
今度はどうしても首塚(将軍塚)が気になりだし、
そこに行かなければイケナイ様な気がして仕方がなくなったのだとか。
それで、今度東京に行った時に必ず行こうと決心し、
「その際、神田明神の時と同じように付き添ってもらえないか?」
と、そんなお願いがねーさんに入ったのだそうで......
その話を聞いた時、
ねーさんには平将門さんから言葉が降りて来たらしく、それが
「Uzmetも一緒に連れてこい......」
と。そー言うコトらしいのです。
この時の将門さんの言葉をそのまま記せば
「平将門だ。首塚に行ってくれるなら、連れて行かないとダメだよ。
uzmetだよ。
一緒に行くならいいが、ネーサンとOでは危ないからな。
強い渦がある場所だよ。
私というより、古代からの渦がある場所なのだよ。
戦争がいつもあったからな。
戦争は忘れてはいけないからだよ。
だから、あの場所は忘れないように残してあるのだよ。
来てくれるのなら、uzmetに一緒にと、頼んでくれよ。
のーーーーりーーーーとーーーー頼むよ」
ソレは僕がねーさんに話したコトと同じ内容ではありましたが、
だから、故に、二人だけでは後々大変なことになるから、と。
危険だと。
僕さんを連れてくれば力のバランスが整い、
そういうリスクも無くなる。
そして、首塚の地に鬱積している禍々しい黒い渦も少しは?
綺麗にできるから、それで僕を一緒に連れて来るのだ、と。
アマテラス祝詞もあげて欲しいのだ......と。
将門の分霊を宿す名古屋のOさんには般若心経をあげてもらいたいのだ、と。
さて......
予想通りというか。なんというか。
やっぱり、この時からしばらく、
僕さん大変で......(o´_`o)ハァ...
突然、背中や腰が痛みまくって仕事もまっとうに出来ず。
ヒドイ日は早退したりなんかして。
ソレが少し治まったか?と思ったら、
今度は「ある所」に住まう大きなキツネさんが飛んできて、
「首塚には行かせへんでーっ!」
ってな感じで数日に渡り右の肩を噛むわ噛むわ......なんて状況で。
ねーさんはねーさんで、家でコロンで米びつに頭をぶつけ。
米びつが大破。
米櫃がプラスチック製だったから良かったものの、
もしカタイものだったら......的な......
「コレは......やっぱり、タダゴトじゃなくなってるなぁ.....」
と。
「やっぱり、気がすすまないなぁ、、」
と。
そんな行こうか行くまいか迷う日々の中、
今度は「ハイパーみゆきちゃん」からこんなラインが入って来て.....
「おはようございます☆
最近、夢で何度か透明な湖?と日輪を見ます!
支笏湖とか...北海道かなぁ(´ー`)」
ナルホド。これも僕さんへのメッセージなのか......
この時みゆきちゃんに返した返事と会話はこんな感じで.......
「むかーし、むかし、の東京湾かもね。それ。
みゆきちゃんからライン来ると思ってたよ。しにそー。。」
「そーです!今朝も見ました」
「東京湾だろうな。昔は美しかったんだよ。。」
「昔の東京湾は透明だったんですか!調べてみよう( ゚д゚)
とっても綺麗でした☆」
「それはそーだべよ。
世界中、どこもかしこも美しかったはずだよ。
みゆきちゃんが見たのはどーも、正確には香取の海ってやつだ。
調べてごらん」
「はい、調べてきます(^_^)」
「湖みたいなもんだけどね。
それが東京湾とも繋がっていたハズだよ」
と、下にある様な地図をネットで拾って送ってみると......
これは貝塚の地図なのですが......
「見た瞬間、風が吹いたので香取の海で間違い無いと思います☆
昔はこんなに綺麗だったのですね...!」
「将門が来てるんだよ。今。
香取の海に住んでいた皆の代表として。。
とてつもなく重い。地球に沈みそう。
歩くのも大変になって来た......ぐぬぬ......
何日かはまともに動けないな。コレ、、」
「なんか昔の光景が頭に浮かんで涙が出る(;_;)
平将門は重いですね。ずーんとします!」
「この国で一番重い御霊(みたま)だよ。
みゆきちゃんはあまり波長を合わせないほうが良いよ。
昔、ひどい経験があってさ、
それから距離を置いていたんだけどね......
みゆきちゃんにまでコールがかかるということは、
いよいよ、役が回って来たのかな。。」
上の「香取海」の地図を少しアレンジすれば、
こんな感じにもなるのですが......
「香取の海」と呼ばれる、
今の霞ヶ浦を数倍も大きくした関東平野の内海は、
現在で言えば茨城県沖の海......鹿島神宮のある所から内陸深くにまで入り込んでいて、
大宮氷川神社の辺りで東京湾とも繋がっていたと考えられます。
将門さんの首塚は、見た通り、
この頃から江戸時代以前ぐらい迄においては東京湾の入江の要害地。
武蔵野を流れる川の河口でもあり、江(こう)の戸口でもあります。
即ち「江戸」。
江戸とは本来、首塚の地を指す言葉なのかも知れません。
そして容易に想像できるのは、
埋め立てられる以前のこの辺り一帯は
淡水と海水が入り混じる遠浅の海であり、
一面の葦原だったのでしょう。
言ってみれば日本一広大な葦原の海。
記紀神話的用語を使うのであれば!?葦原中国(あしはらなかつくに)。
首塚の地というのは、
そんな古代の東京湾や香取海沿岸に暮らしていた多くの人やモノ、
関東の王国にとっての重要地であったということも
計り知れて来るというわけで。
色々な歴史が埋まっている地でもあるのかも知れません。
そんなモノモノの力なのか?重みなのか?
僕は数日に渡り強烈な体の痛みと戦っていたのですが、
みゆきちゃんとこんな会話をした日の翌日!の朝。
仕事に行こうと自宅の玄関を出て、フト、見上げた太陽が......
「来い!って......か......( ̄ー ̄;」
僕さん、朝の玄関前でしばし熟考......
「マジで将門さんの助太刀に行くのであれば、
それ相応の準備がいるな.....
こうなったら、もう、腹を決めて、ソレしか無いか......」
僕は、みゆきちゃんやねーさん達みんなに
朝の日輪写真をリアルタイムで送りつつ、
「了解。行くことにします。」
と、返事を入れました。
......続く。
☆「青き炎」シリーズ記事☆
「青き炎」「2」「3」「4」
「大和編」
「海賊編」 「2」
「番外編」
「氷川編」
「素粒子編」
「首塚編」
僕はひと言、こう答えました。
「はかりかねる場所だな」
......続く。
東京、大手町の高層ビルの谷間にひっそりと、ポツン......と在る首塚。
僕はその地に対する個人的な見解と経験とをプリリンねーさんに話しました。
ソレは前回の記事に記したとおりのことで......
「どうしてそんな所に俺が行かないといけないのだろうか?」
......個人的にはあまり気が進まない地なのです。
その時彼女から返ってきた説明を要約すると、どうも、僕等と縁のある
「荒熊神社」さんの祭祀進行役を務める男性が名古屋の方に住んでいらして、
名前は「O」さんと言うらしく。
その方とプリリンねーさんは、過日、
彼が東京に遊びに来た際に幾人かで連れ立って神田明神に参拝に行ったのだそうで。
どうして神田明神だったのか?と言うと、
Oさんは平将門の御霊(みたま)を宿しているという方らしく、
それで行ったのだと。
また、それが荒熊神社とOさんとの深い縁の元ともなっているのだ、と。
————————荒熊神社の神様も、
神田明神の神様も首塚も、青き炎.....
スサノオ(須佐之男、素盞嗚)さんの御霊(みたま)の系譜だということです。
強い力を持ちながらも、時に理不尽に捻じ曲げられ、
消されもして来た魂達の象徴でもあるということです————————————
その後名古屋に戻ったOさんは、どういうわけか?
今度はどうしても首塚(将軍塚)が気になりだし、
そこに行かなければイケナイ様な気がして仕方がなくなったのだとか。
それで、今度東京に行った時に必ず行こうと決心し、
「その際、神田明神の時と同じように付き添ってもらえないか?」
と、そんなお願いがねーさんに入ったのだそうで......
その話を聞いた時、
ねーさんには平将門さんから言葉が降りて来たらしく、それが
「Uzmetも一緒に連れてこい......」
と。そー言うコトらしいのです。
この時の将門さんの言葉をそのまま記せば
「平将門だ。首塚に行ってくれるなら、連れて行かないとダメだよ。
uzmetだよ。
一緒に行くならいいが、ネーサンとOでは危ないからな。
強い渦がある場所だよ。
私というより、古代からの渦がある場所なのだよ。
戦争がいつもあったからな。
戦争は忘れてはいけないからだよ。
だから、あの場所は忘れないように残してあるのだよ。
来てくれるのなら、uzmetに一緒にと、頼んでくれよ。
のーーーーりーーーーとーーーー頼むよ」
ソレは僕がねーさんに話したコトと同じ内容ではありましたが、
だから、故に、二人だけでは後々大変なことになるから、と。
危険だと。
僕さんを連れてくれば力のバランスが整い、
そういうリスクも無くなる。
そして、首塚の地に鬱積している禍々しい黒い渦も少しは?
綺麗にできるから、それで僕を一緒に連れて来るのだ、と。
アマテラス祝詞もあげて欲しいのだ......と。
将門の分霊を宿す名古屋のOさんには般若心経をあげてもらいたいのだ、と。
さて......
予想通りというか。なんというか。
やっぱり、この時からしばらく、
僕さん大変で......(o´_`o)ハァ...
突然、背中や腰が痛みまくって仕事もまっとうに出来ず。
ヒドイ日は早退したりなんかして。
ソレが少し治まったか?と思ったら、
今度は「ある所」に住まう大きなキツネさんが飛んできて、
「首塚には行かせへんでーっ!」
ってな感じで数日に渡り右の肩を噛むわ噛むわ......なんて状況で。
ねーさんはねーさんで、家でコロンで米びつに頭をぶつけ。
米びつが大破。
米櫃がプラスチック製だったから良かったものの、
もしカタイものだったら......的な......
「コレは......やっぱり、タダゴトじゃなくなってるなぁ.....」
と。
「やっぱり、気がすすまないなぁ、、」
と。
そんな行こうか行くまいか迷う日々の中、
今度は「ハイパーみゆきちゃん」からこんなラインが入って来て.....
「おはようございます☆
最近、夢で何度か透明な湖?と日輪を見ます!
支笏湖とか...北海道かなぁ(´ー`)」
ナルホド。これも僕さんへのメッセージなのか......
この時みゆきちゃんに返した返事と会話はこんな感じで.......
「むかーし、むかし、の東京湾かもね。それ。
みゆきちゃんからライン来ると思ってたよ。しにそー。。」
「そーです!今朝も見ました」
「東京湾だろうな。昔は美しかったんだよ。。」
「昔の東京湾は透明だったんですか!調べてみよう( ゚д゚)
とっても綺麗でした☆」
「それはそーだべよ。
世界中、どこもかしこも美しかったはずだよ。
みゆきちゃんが見たのはどーも、正確には香取の海ってやつだ。
調べてごらん」
「はい、調べてきます(^_^)」
「湖みたいなもんだけどね。
それが東京湾とも繋がっていたハズだよ」
と、下にある様な地図をネットで拾って送ってみると......
これは貝塚の地図なのですが......
「見た瞬間、風が吹いたので香取の海で間違い無いと思います☆
昔はこんなに綺麗だったのですね...!」
「将門が来てるんだよ。今。
香取の海に住んでいた皆の代表として。。
とてつもなく重い。地球に沈みそう。
歩くのも大変になって来た......ぐぬぬ......
何日かはまともに動けないな。コレ、、」
「なんか昔の光景が頭に浮かんで涙が出る(;_;)
平将門は重いですね。ずーんとします!」
「この国で一番重い御霊(みたま)だよ。
みゆきちゃんはあまり波長を合わせないほうが良いよ。
昔、ひどい経験があってさ、
それから距離を置いていたんだけどね......
みゆきちゃんにまでコールがかかるということは、
いよいよ、役が回って来たのかな。。」
上の「香取海」の地図を少しアレンジすれば、
こんな感じにもなるのですが......
「香取の海」と呼ばれる、
今の霞ヶ浦を数倍も大きくした関東平野の内海は、
現在で言えば茨城県沖の海......鹿島神宮のある所から内陸深くにまで入り込んでいて、
大宮氷川神社の辺りで東京湾とも繋がっていたと考えられます。
将門さんの首塚は、見た通り、
この頃から江戸時代以前ぐらい迄においては東京湾の入江の要害地。
武蔵野を流れる川の河口でもあり、江(こう)の戸口でもあります。
即ち「江戸」。
江戸とは本来、首塚の地を指す言葉なのかも知れません。
そして容易に想像できるのは、
埋め立てられる以前のこの辺り一帯は
淡水と海水が入り混じる遠浅の海であり、
一面の葦原だったのでしょう。
言ってみれば日本一広大な葦原の海。
記紀神話的用語を使うのであれば!?葦原中国(あしはらなかつくに)。
首塚の地というのは、
そんな古代の東京湾や香取海沿岸に暮らしていた多くの人やモノ、
関東の王国にとっての重要地であったということも
計り知れて来るというわけで。
色々な歴史が埋まっている地でもあるのかも知れません。
そんなモノモノの力なのか?重みなのか?
僕は数日に渡り強烈な体の痛みと戦っていたのですが、
みゆきちゃんとこんな会話をした日の翌日!の朝。
仕事に行こうと自宅の玄関を出て、フト、見上げた太陽が......
「来い!って......か......( ̄ー ̄;」
僕さん、朝の玄関前でしばし熟考......
「マジで将門さんの助太刀に行くのであれば、
それ相応の準備がいるな.....
こうなったら、もう、腹を決めて、ソレしか無いか......」
僕は、みゆきちゃんやねーさん達みんなに
朝の日輪写真をリアルタイムで送りつつ、
「了解。行くことにします。」
と、返事を入れました。
......続く。
☆「青き炎」シリーズ記事☆
「青き炎」「2」「3」「4」
「大和編」
「海賊編」 「2」
「番外編」
「氷川編」
「素粒子編」
「首塚編」
地図で見ると、よくわかりました。
今日も、スクナヒコが同じ話をしていました。
やっぱり、神田明神にスクナヒコが祭られているのは、納得でした。
それにしても、みゆきちゃんとのリアル会話でしたね。
また、ポンチキが溢れてしまいました。(笑)