「いつやるの?今でしょ!」
なんだか流行ってますなぁ......
今......IMA......いま......
劇場公開も一段落して。
レンタル含めDVDも出そうな感じですから
「今が書き時なのかなぁ......」
と。昨年から個人的にとてーも楽しみにしていた!
ウォシャウスキー姉弟の最新映画
「CLOUD ATLAS=クラウド・アトラス」
原作はデヴィッド・ミッチェルさんのベストセラー小説で、
なんと、6つもの物語が並行して紡がれていく......上に!さらに!
その複雑な物語を豪華スター陣が1人6役!で演じていく......
なんていうトンデモナイ脚本で映像化されていました。
制作陣には「ラン・ローラ・ラン」の
「トム・ティクヴァ=Tom Tykwer」監督も加わっていて。
なんだか強力な布陣。
気になる全米での評判は......
「ややこしくて難しくて長い......」
「前評判はすべて正しいが、不思議な感動を覚える映像叙事詩だ」
「たとえ “興行失敗” で終わったとしても、
そのチャレンジ精神だけは高く評価したい」
「将来の誰かが “クラウドアトラス” を通じて誰もが歓呼できる
新しい映画ジャンルを構築し、映画史に残る人物になるかもしれない」
「2012年最悪の映画だ」
......(@。@)ヒィィィィ!
賛否両論!?実験作!?
興行的には会議室の会話がちょっと気まずい雰囲気に!?
なるような感じ。
でも個人的には......
良かったっす~!(●´ω`●)/
じみーーーーに、
じわぁーーーーーーりとぉぉぉぉ、
よかったっす~。
今の所、今年のナンバーワン子!でございます。
マニア向け!?
はい。はい。
批判は甘んじて受け子受け子......( ̄。 ̄;A)アセアセ...
お話としては、冒頭にも記した様に
「時空を越えて繋がって生きる、多くの人々や魂の関わり合いの物語」
という感じで。
嘘か?誠か?
「縁」とは何か?
そんなものが本当にあるのか......?
そんなことを静かに問うという、そんなお話。
そんなテーマ自体が根本的に持っている性質も含めて、
色々な解釈や感想、
評価の分かれる映画だと言うことは間違いの無いことなのでしょう。
ただ、「命を永遠と定義」して、
その永遠の命の輪廻と、
そこにある意味を真摯に追求し、描こうとすれば、
それは常にどんな物語でも、
「今」ということの意味や重さや、ソレを考える事の大切さ......
なんていう所に立ち返ってしまうのではないかと。
僕にはそんな風に思えました。
「今をどう生きるか?」
そんなコトがこの映画に幸か不幸か?
偶然か必然か?
意図してか?しなくてか?
宿ってしまったもう一つのストーリーのように感じられました。
きっと、監督や役者さん達は
そんなことは全く考えずに作っているのかもしれませんが、
一観客として見た僕としては、
永遠の命を描いている物語とは対象的に、
「今とは何か?」
という様なコトを静かに問いかけられているような
映画に感じられました。
「それわ考え過ぎだぁーよ。おたく......」
ハイ~(((;´ω`)......
それはそうだとも思いますが。
しかし、そんな風に思えた所も、
僕がこの映画をなんだかとても好きな理由だったりするのです。
アインシュタインが「相対性理論」で解き明かした
「時間」というものの実態は、実は一定では無く。
変化するものでした。
「動いている人と、
止まっている人では流れている時間が違う」
「存在するソレゾレに、皆、違う時間が流れている」
と、そんなこと。
そして実際、そんな変化する時間において、
「今という過ぎ行く一瞬を表してみよう!」
とすると、
それを表すには時間をひたすら短く短く......刻んでいって。
0.0000000000000000000000.......1秒なんてことになって。
そんなふうにどこまでも短くしていったとしても、
ソコには必ず「長さ」というものが残ってしまいます。
「一瞬とはあくまで時間の長さである」
という事実はどこまで刻んでも無くならない事実。
なので、時間というのは「今」とか「一瞬」として
部分的に切り取ることも出来ないのです。
「今という時間」や「瞬間」というのは、物理的には、
ソコに立った瞬間にはもう次の瞬間に移ってしまうという、
そんな刹那の事であり、泡の様なもの。
「決して掴めないもの」
であり、
「存在しないことに等しい概念」
だから「今」を感じるという事は、
実はとても難しいことなのだと思うわけです。
それでも、
僕らの意識の中には「今」というものは確かにある。
ソレはソレで
「じゃぁいったいどういうことなのさぁっ!?(´・_・`)」
と、考えちゃったりして。
最終的にそれは、きっと、
「今とは、存在ソノモノのことなのではないか......」
と、僕には思えるのです。
僕ら一人一人が生きている、
その事実と瞬間こそが「存在」という事なのではないのか?
と思います。
自らの存在を自分自身でしっかりと感じることが出来たなら、
その瞬間が......
それが「今」というモノに成るのではないのか?
と思います。
「今=瞬間=存在」という等価変換のイメージ。
「クラウド アトラス」は輪廻転生という
テーマを描く映画ではありましたが、
そんな転生というものを描けば描くほど......
時に後悔の気持ちが湧いてしまうくらいに。
過去を振り返れば振り返るほど......
時に不安な気持ちに苛まれてしまうくらいに。
未来を見れば見るほど......
現実や問題に追い込まれれば追い込まれるほど.....
最終的には
「自分が力を及ぼすことが出来るのは “今” しか無いのだ......」
という答えに立ち戻ってしまうということを
改めて思い知らされる映画に思えました。
そんなことも偶然にも?
描いている作品の様にも思えました。
「今=自分の存在......とは何か?」
を再確認させられるような、
考えさせられてしまうような作品。
そして更に面白かったのは、
1人6役をこなしている俳優陣が、
「誰がどの役を何処でやっていたのか?」
なんていうことを作品を見ながら探したり出来るところ。
最後のエンディングロールにその答えが出てくる......
なんていう仕掛け。
劇中では僕も一部しか分からなかったコトなので、
それを映画の最後で見つけることが出来るように
なっていてた構成は楽しかったです。(^^)
当然、本編の鑑賞中は役者さんと物語の
「今」に集中して見てしまっていたりするので、
「エンドロールでこんな楽しませ方も出来るのかぁ......」
なんて思わされたりもして。
そんなエンドロールは、
「映画の今」にだけ集中して作品を見ていた自分自身を、
最後の最後で省みさせられる......
なんていうところもあって。
そのへんのニュアンスもとても面白かったのです。
映画鑑賞中の自分の姿を、
客観的に感じさせられるということでしょうか。
それが、なんだかとても「神」的な視点?感覚?
のように思わされたりもして。
「もしかしたら、
この映画はこんなことまで意図して創られているのか!?」
なんて思ったりなんかも。
「相手はウォシャウスキー姉弟?兄弟?。
もしかしたら美しい映像の裏に、
そんな深遠なテーマを隠しているかも?しれない......」
なんて疑ってみたり。
まぁ、そんなこんなの少々ややこしい要素でもって、
僕的にはしっかりと「静かに好き」な映画なのでした。(^^)
よく映画を見に行く横浜、桜木町
「みなとみらい」にある「109シネマズ」。
「クラウドアトラス」もここで見ました。
この劇場のロビーからの景色はなんだかとても気持ちよく。
開演前の待ち時間も心地よく過ごせます。
窓の左の方には日産の本社ビルや、
マリノスの広い練習グラウンド、クラブハウスなども見渡せて。
中村俊輔さんも練習していたり......
小さくてよくわかりませんけど......
そんなロビーでコーヒーを買って、
大きなポップコーンを買って......
バターが無いのがタマに傷なのですけど。
この「みなとみらい」はもう長いこと
土地の開発ラッシュが続いていて、
「もう、何処までやるの?横浜さん?」
ってなくらい来るたびに風景が変り続けてます。
今や神戸港2つ分以上!?の大きさは優にありますし。
「凄い開発予算だなぁ......」
と。このまま開発が進むと、
「完全に日本の上海?と言うより香港かなぁ......」
みたいになっちゃう感じ。
ホント、凄いです。
大好きな映画館の一つなのです。(^^)
なんだか流行ってますなぁ......
今......IMA......いま......
劇場公開も一段落して。
レンタル含めDVDも出そうな感じですから
「今が書き時なのかなぁ......」
と。昨年から個人的にとてーも楽しみにしていた!
ウォシャウスキー姉弟の最新映画
「CLOUD ATLAS=クラウド・アトラス」
原作はデヴィッド・ミッチェルさんのベストセラー小説で、
なんと、6つもの物語が並行して紡がれていく......上に!さらに!
その複雑な物語を豪華スター陣が1人6役!で演じていく......
なんていうトンデモナイ脚本で映像化されていました。
制作陣には「ラン・ローラ・ラン」の
「トム・ティクヴァ=Tom Tykwer」監督も加わっていて。
なんだか強力な布陣。
気になる全米での評判は......
「ややこしくて難しくて長い......」
「前評判はすべて正しいが、不思議な感動を覚える映像叙事詩だ」
「たとえ “興行失敗” で終わったとしても、
そのチャレンジ精神だけは高く評価したい」
「将来の誰かが “クラウドアトラス” を通じて誰もが歓呼できる
新しい映画ジャンルを構築し、映画史に残る人物になるかもしれない」
「2012年最悪の映画だ」
......(@。@)ヒィィィィ!
賛否両論!?実験作!?
興行的には会議室の会話がちょっと気まずい雰囲気に!?
なるような感じ。
でも個人的には......
良かったっす~!(●´ω`●)/
じみーーーーに、
じわぁーーーーーーりとぉぉぉぉ、
よかったっす~。
今の所、今年のナンバーワン子!でございます。
マニア向け!?
はい。はい。
批判は甘んじて受け子受け子......( ̄。 ̄;A)アセアセ...
お話としては、冒頭にも記した様に
「時空を越えて繋がって生きる、多くの人々や魂の関わり合いの物語」
という感じで。
嘘か?誠か?
「縁」とは何か?
そんなものが本当にあるのか......?
そんなことを静かに問うという、そんなお話。
そんなテーマ自体が根本的に持っている性質も含めて、
色々な解釈や感想、
評価の分かれる映画だと言うことは間違いの無いことなのでしょう。
ただ、「命を永遠と定義」して、
その永遠の命の輪廻と、
そこにある意味を真摯に追求し、描こうとすれば、
それは常にどんな物語でも、
「今」ということの意味や重さや、ソレを考える事の大切さ......
なんていう所に立ち返ってしまうのではないかと。
僕にはそんな風に思えました。
「今をどう生きるか?」
そんなコトがこの映画に幸か不幸か?
偶然か必然か?
意図してか?しなくてか?
宿ってしまったもう一つのストーリーのように感じられました。
きっと、監督や役者さん達は
そんなことは全く考えずに作っているのかもしれませんが、
一観客として見た僕としては、
永遠の命を描いている物語とは対象的に、
「今とは何か?」
という様なコトを静かに問いかけられているような
映画に感じられました。
「それわ考え過ぎだぁーよ。おたく......」
ハイ~(((;´ω`)......
それはそうだとも思いますが。
しかし、そんな風に思えた所も、
僕がこの映画をなんだかとても好きな理由だったりするのです。
アインシュタインが「相対性理論」で解き明かした
「時間」というものの実態は、実は一定では無く。
変化するものでした。
「動いている人と、
止まっている人では流れている時間が違う」
「存在するソレゾレに、皆、違う時間が流れている」
と、そんなこと。
そして実際、そんな変化する時間において、
「今という過ぎ行く一瞬を表してみよう!」
とすると、
それを表すには時間をひたすら短く短く......刻んでいって。
0.0000000000000000000000.......1秒なんてことになって。
そんなふうにどこまでも短くしていったとしても、
ソコには必ず「長さ」というものが残ってしまいます。
「一瞬とはあくまで時間の長さである」
という事実はどこまで刻んでも無くならない事実。
なので、時間というのは「今」とか「一瞬」として
部分的に切り取ることも出来ないのです。
「今という時間」や「瞬間」というのは、物理的には、
ソコに立った瞬間にはもう次の瞬間に移ってしまうという、
そんな刹那の事であり、泡の様なもの。
「決して掴めないもの」
であり、
「存在しないことに等しい概念」
だから「今」を感じるという事は、
実はとても難しいことなのだと思うわけです。
それでも、
僕らの意識の中には「今」というものは確かにある。
ソレはソレで
「じゃぁいったいどういうことなのさぁっ!?(´・_・`)」
と、考えちゃったりして。
最終的にそれは、きっと、
「今とは、存在ソノモノのことなのではないか......」
と、僕には思えるのです。
僕ら一人一人が生きている、
その事実と瞬間こそが「存在」という事なのではないのか?
と思います。
自らの存在を自分自身でしっかりと感じることが出来たなら、
その瞬間が......
それが「今」というモノに成るのではないのか?
と思います。
「今=瞬間=存在」という等価変換のイメージ。
「クラウド アトラス」は輪廻転生という
テーマを描く映画ではありましたが、
そんな転生というものを描けば描くほど......
時に後悔の気持ちが湧いてしまうくらいに。
過去を振り返れば振り返るほど......
時に不安な気持ちに苛まれてしまうくらいに。
未来を見れば見るほど......
現実や問題に追い込まれれば追い込まれるほど.....
最終的には
「自分が力を及ぼすことが出来るのは “今” しか無いのだ......」
という答えに立ち戻ってしまうということを
改めて思い知らされる映画に思えました。
そんなことも偶然にも?
描いている作品の様にも思えました。
「今=自分の存在......とは何か?」
を再確認させられるような、
考えさせられてしまうような作品。
そして更に面白かったのは、
1人6役をこなしている俳優陣が、
「誰がどの役を何処でやっていたのか?」
なんていうことを作品を見ながら探したり出来るところ。
最後のエンディングロールにその答えが出てくる......
なんていう仕掛け。
劇中では僕も一部しか分からなかったコトなので、
それを映画の最後で見つけることが出来るように
なっていてた構成は楽しかったです。(^^)
当然、本編の鑑賞中は役者さんと物語の
「今」に集中して見てしまっていたりするので、
「エンドロールでこんな楽しませ方も出来るのかぁ......」
なんて思わされたりもして。
そんなエンドロールは、
「映画の今」にだけ集中して作品を見ていた自分自身を、
最後の最後で省みさせられる......
なんていうところもあって。
そのへんのニュアンスもとても面白かったのです。
映画鑑賞中の自分の姿を、
客観的に感じさせられるということでしょうか。
それが、なんだかとても「神」的な視点?感覚?
のように思わされたりもして。
「もしかしたら、
この映画はこんなことまで意図して創られているのか!?」
なんて思ったりなんかも。
「相手はウォシャウスキー姉弟?兄弟?。
もしかしたら美しい映像の裏に、
そんな深遠なテーマを隠しているかも?しれない......」
なんて疑ってみたり。
まぁ、そんなこんなの少々ややこしい要素でもって、
僕的にはしっかりと「静かに好き」な映画なのでした。(^^)
よく映画を見に行く横浜、桜木町
「みなとみらい」にある「109シネマズ」。
「クラウドアトラス」もここで見ました。
この劇場のロビーからの景色はなんだかとても気持ちよく。
開演前の待ち時間も心地よく過ごせます。
窓の左の方には日産の本社ビルや、
マリノスの広い練習グラウンド、クラブハウスなども見渡せて。
中村俊輔さんも練習していたり......
小さくてよくわかりませんけど......
そんなロビーでコーヒーを買って、
大きなポップコーンを買って......
バターが無いのがタマに傷なのですけど。
この「みなとみらい」はもう長いこと
土地の開発ラッシュが続いていて、
「もう、何処までやるの?横浜さん?」
ってなくらい来るたびに風景が変り続けてます。
今や神戸港2つ分以上!?の大きさは優にありますし。
「凄い開発予算だなぁ......」
と。このまま開発が進むと、
「完全に日本の上海?と言うより香港かなぁ......」
みたいになっちゃう感じ。
ホント、凄いです。
大好きな映画館の一つなのです。(^^)
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