「三鷹に来て欲しいって言うのよ......」
数日前、不思議な力を持つプリリンねーさんからそんな話が来ました。
なんでも、
僕等がアーだコーだとお話しをしていたトアル女神様からのお言葉らしく。
このオネーサンが預かる言葉の毎度毎度の正確無比さには、
最早何の疑念も抱かない僕なので、
「ふぅぅーーん。。三鷹ねぇ。。」
と、僕は思いを巡らしていました。
「誰も知ら無い忘れ去られたトコロにいる......と言うのよ......わかる?」
そー言われて、
僕にはその女神様のコトと三鷹の地とを重ね合わせて、
2つの候補地が浮かんでいました......
「ナントナク......わかると思うよ......行ってみるか......」
「三鷹徒然」の始まり!でございます(^_^)
三鷹市というのは東京23区のすぐ外側にある市で、
23区内に住んでいる人や東京以外の人様からは、もしかしたら?
馴染みの薄い場所かも?知れません。
有名な所では今やチッケット入手も困難な
「三鷹の森ジブリ美術館」
あたりともなるのでしょうか。
著名な作家さん達も沢山住んでいた街でもあり、
名前をあげれば太宰治、武者小路実篤、三木露風、山本有三......など、
どことなく創造的な力も漂わせる街。
ちなみにコレが小説「路傍の石」の石さんだおっ!(・ω・)ノ
この地の東には「吉祥寺」という今や大人気の街や、
深い緑と趣のある池と共に人々の憩いの場となっている「井の頭公園」もあって。
西には湧水地でもある広くて美しい緑地公園があります。
その公園からは「野川」という綺麗な川も流れ出ていて、
「玉川上水」という江戸時代に作られたこんな古水道も流れています。
北にはコレまた緑の多い武蔵野市があり、
南には昔から「お蕎麦」で有名な「深大寺=じんだいじ」という、
調布市と隣接している、これまた!
水の湧き出る美しき森林丘陵と寺院があります。
この写真の辺りは住所的には調布市となっている様なのですが、
深大寺では僕はこの「湧水」というお蕎麦屋さんが好きなのでつ!(。・ω・。)ノ
しかしながら、この三鷹という地。
僕の様な神社好きのポンチキヤローからすると、実は、
「とても凄くてヤバァァ~~イ!(>_<)/ 」
ところでもあるのです。
先ず、なんてったって凄い!のは、
この辺りは広大な武蔵野平野の中程にあって小高く盛り上がった地形であり、
ソコに豊かな「水」が湧き出でているというところ。
田畑にも適している広大な平野のど真ん中に、
綺麗な水が湧く地があるわけですから、
古(いにしえ)の人々にとってはトテモ貴重で
大切な地であったということは容易に想像できちゃいます。
ソレはもう「聖地」といっても良いくらいの価値が生まれるとも考えられます。
水回りの神様!?
なども沢山住まわれているかもしれません。
上記した「深大寺=じんだいじ」というのは、
そんな豊かな湧き水でもって「蕎麦どころ」となったわけで。
大切な水の湧くそんな森林丘陵を護るべく、
人々に寺社として囲われたような所以(ゆえん)もあります。
寺院の裏山の最奥には「神代植物公園」なんていう公園もあって。
ココを見ればそんなコトの全ては、モウ、一目瞭然。
「深大寺とは元々は神代寺」
であり。この地が記紀(古事記&日本書紀)にある
「神話の時代=神代=しんだい」
から人々が集っていた地であるということは明白なわけです。
そこへ来て、日本全国で未だたった6基しか発見されていないという
「上円下方墳=じょうえんかほうふん」
なる、現皇室における墓陵の一形態ともなっている貴重な古墳も
この地ではシッカリと発見されていて。
この形の古墳は、他にはすぐ近くの府中市や、静岡、福島、埼玉にあり。
あの奈良県の「石舞台古墳」もこの古墳形態でなのではないか?
と言われているような貴重な形。
———————実は、この古墳域が女神様候補地の「1」
そして、そんな貴重で稀なる古墳まであるということは、
上記した「地の利」も含めて考えてみるに、
この三鷹の地には古代より力のある「大きな国」があったということも
容易に想像することができるのです。
その「大きな国」とは、
少なくとも大和朝廷時代にまでは遡ることはできて。
更に、朝廷のルーツとなる様な部分まで考えてみれば、その前の時代......
もしかしたらこの三鷹の地には、
弥生時代や縄文時代の頃から多くの人々が集まり、
暮らしていたとも考えられるのです。
そんなことを物語るかの様に、
隣接する「井の頭公園」では
縄文時代の貴重な土器や遺跡がゴロゴロと発掘されていますし。
そんな遺跡は三鷹市内だけでも55カ所以上も発見されています。
なのでそれは、最早当たり前の事実とも言えるのではないでしょうか。
そしてそんな時代の日本国といえば、
このブログを見てくれている方々であればもうピン!
と来てしまっているとは思いますが。
もちろん!ソレは!
「青き炎」大王スサノオさんが打ち立てて、
ニギハヤヒ、大国主へと継がれ、
拡大もされてきた王国ということになります。
この三鷹の地というのは
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命
=あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」
の統治する国の「一部」があったということです。
ココは関東の地における要害地の一つであったということです。
冒頭に記した「三鷹の森ジブリ美術館」に関しても、
宮崎駿さんの作品には神話的なものが多かったり。
主要登場人物にニギハヤヒをイメージした人物が描かれていたり。
そもそも、スタジオ・ジブリの美術館自体がこの三鷹の地におかれていたり。
そんな事実に考えを巡らせてみれば......ちょっと興味深く。
個人的には駿さんとこの地との
興味深い縁(えにし)を感じてしまったりもするのです。(^^)
ジブリのオフィスやスタジオがある小金井市にしてもスグ隣ですし。ね。
———————そんなジブリの森の辺り。ソレが女神様候補地の「2」
そして、この2つの候補地から僕は「2」の地の方を選び。
巫女力の高い!?
親愛なるikuちゃんとmikoちゃんとプッチンプリリンねーさんの4人とを連れ、
休日の午前中、まだ清らかな空気が残る中、この地を訪れてみました。
そして僕らは、ネットでどんなに検索しようと、
グーグルマップや昭文社マップルをどんなに拡大してみても、
決して載っていなかった、
小さな小さな、
古ぼけて崩れてしまいそうな社(やしろ)を......
発見したのです......
まるで何かに導かれる様に、一発で。
奇跡の出会い......
か......
ソレは、
古(いにしえ)の美しき女神様の宿る小さな社でした。
この時、僕は、
三鷹の地というのは広大な武蔵野の大地の中でも、
とても大切な場所の一つなのだと、改めて強く思わされた次第なのです。
僕らはその見つけた社の周りを綺麗に掃除して。
女神様が大好きだと言うので用意をしてきたライラックの花と、
ライラック系の紫色をした花々を添え。
女神様の夫神様も来ているというので、
彼が大好きだというお酒も持っていき、添え......しばし.......
参道のような道なんかも。うふうふ(´ω`*)
......いやいや、マサカ、こんな社が本当にあるとは。
人々に忘れ去られ、名前すら何処にも残っていない様な中で、
こんなトコロに存在している?いた?とは。
僕的にはかなりの感動を覚えたのであります。。(T . T)ぶぇぇ
三鷹徒然。
ナカナカに素晴らしき一日でした。
一緒に歩いてくれた親愛なる3人の女神様達にもとても感謝なのです。
神様を「信じて」探してみて、本当に良かったのでございます(^_^)
文中に出てくる候補地「1」の「上円下方墳」というのは、
実は「国立天文台」の敷地内にあるのです。
原則「立ち入り禁止!」の、
コレマタわかりにく~い場所ではあるのですが......
ちょっと見、普通の小高い丘にしか見えず。
よほど意識して訪れない限りは発見でき無い様な場所......
周囲とは隔絶された雰囲気を持つ古墳の頂上に立つと、
古墳から真っ直ぐ上へと、
空へと立ち昇る神気の柱の中にいる様な気がしてしまいます。
凄いパワー......
コレもパワースポット!?
なるものなのか......
宇宙へと繋がる貴重なる聖地の一つの様にも思える不思議な場所です。
ちなみに、ハワイ島、マウナケアの山頂にある昴天文台もココ、
国立天文台の所有管理物です。
この地も、例によって、
なーーーーーーーーーーんにも無い!?様な場所ですが、
天文台にある古き望遠鏡も不思議と、とても良く似合います。
天から降り注ぐ力を読み解こうとするような気持ちが、
この地にはとても良く似合うようにも思えます(^_^)
☆続き記事☆
「ぷりーず!」
数日前、不思議な力を持つプリリンねーさんからそんな話が来ました。
なんでも、
僕等がアーだコーだとお話しをしていたトアル女神様からのお言葉らしく。
このオネーサンが預かる言葉の毎度毎度の正確無比さには、
最早何の疑念も抱かない僕なので、
「ふぅぅーーん。。三鷹ねぇ。。」
と、僕は思いを巡らしていました。
「誰も知ら無い忘れ去られたトコロにいる......と言うのよ......わかる?」
そー言われて、
僕にはその女神様のコトと三鷹の地とを重ね合わせて、
2つの候補地が浮かんでいました......
「ナントナク......わかると思うよ......行ってみるか......」
「三鷹徒然」の始まり!でございます(^_^)
三鷹市というのは東京23区のすぐ外側にある市で、
23区内に住んでいる人や東京以外の人様からは、もしかしたら?
馴染みの薄い場所かも?知れません。
有名な所では今やチッケット入手も困難な
「三鷹の森ジブリ美術館」
あたりともなるのでしょうか。
著名な作家さん達も沢山住んでいた街でもあり、
名前をあげれば太宰治、武者小路実篤、三木露風、山本有三......など、
どことなく創造的な力も漂わせる街。
ちなみにコレが小説「路傍の石」の石さんだおっ!(・ω・)ノ
この地の東には「吉祥寺」という今や大人気の街や、
深い緑と趣のある池と共に人々の憩いの場となっている「井の頭公園」もあって。
西には湧水地でもある広くて美しい緑地公園があります。
その公園からは「野川」という綺麗な川も流れ出ていて、
「玉川上水」という江戸時代に作られたこんな古水道も流れています。
北にはコレまた緑の多い武蔵野市があり、
南には昔から「お蕎麦」で有名な「深大寺=じんだいじ」という、
調布市と隣接している、これまた!
水の湧き出る美しき森林丘陵と寺院があります。
この写真の辺りは住所的には調布市となっている様なのですが、
深大寺では僕はこの「湧水」というお蕎麦屋さんが好きなのでつ!(。・ω・。)ノ
しかしながら、この三鷹という地。
僕の様な神社好きのポンチキヤローからすると、実は、
「とても凄くてヤバァァ~~イ!(>_<)/ 」
ところでもあるのです。
先ず、なんてったって凄い!のは、
この辺りは広大な武蔵野平野の中程にあって小高く盛り上がった地形であり、
ソコに豊かな「水」が湧き出でているというところ。
田畑にも適している広大な平野のど真ん中に、
綺麗な水が湧く地があるわけですから、
古(いにしえ)の人々にとってはトテモ貴重で
大切な地であったということは容易に想像できちゃいます。
ソレはもう「聖地」といっても良いくらいの価値が生まれるとも考えられます。
水回りの神様!?
なども沢山住まわれているかもしれません。
上記した「深大寺=じんだいじ」というのは、
そんな豊かな湧き水でもって「蕎麦どころ」となったわけで。
大切な水の湧くそんな森林丘陵を護るべく、
人々に寺社として囲われたような所以(ゆえん)もあります。
寺院の裏山の最奥には「神代植物公園」なんていう公園もあって。
ココを見ればそんなコトの全ては、モウ、一目瞭然。
「深大寺とは元々は神代寺」
であり。この地が記紀(古事記&日本書紀)にある
「神話の時代=神代=しんだい」
から人々が集っていた地であるということは明白なわけです。
そこへ来て、日本全国で未だたった6基しか発見されていないという
「上円下方墳=じょうえんかほうふん」
なる、現皇室における墓陵の一形態ともなっている貴重な古墳も
この地ではシッカリと発見されていて。
この形の古墳は、他にはすぐ近くの府中市や、静岡、福島、埼玉にあり。
あの奈良県の「石舞台古墳」もこの古墳形態でなのではないか?
と言われているような貴重な形。
———————実は、この古墳域が女神様候補地の「1」
そして、そんな貴重で稀なる古墳まであるということは、
上記した「地の利」も含めて考えてみるに、
この三鷹の地には古代より力のある「大きな国」があったということも
容易に想像することができるのです。
その「大きな国」とは、
少なくとも大和朝廷時代にまでは遡ることはできて。
更に、朝廷のルーツとなる様な部分まで考えてみれば、その前の時代......
もしかしたらこの三鷹の地には、
弥生時代や縄文時代の頃から多くの人々が集まり、
暮らしていたとも考えられるのです。
そんなことを物語るかの様に、
隣接する「井の頭公園」では
縄文時代の貴重な土器や遺跡がゴロゴロと発掘されていますし。
そんな遺跡は三鷹市内だけでも55カ所以上も発見されています。
なのでそれは、最早当たり前の事実とも言えるのではないでしょうか。
そしてそんな時代の日本国といえば、
このブログを見てくれている方々であればもうピン!
と来てしまっているとは思いますが。
もちろん!ソレは!
「青き炎」大王スサノオさんが打ち立てて、
ニギハヤヒ、大国主へと継がれ、
拡大もされてきた王国ということになります。
この三鷹の地というのは
「天照国照彦火明櫛玉饒速日命
=あまてる くにてる ひこ ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」
の統治する国の「一部」があったということです。
ココは関東の地における要害地の一つであったということです。
冒頭に記した「三鷹の森ジブリ美術館」に関しても、
宮崎駿さんの作品には神話的なものが多かったり。
主要登場人物にニギハヤヒをイメージした人物が描かれていたり。
そもそも、スタジオ・ジブリの美術館自体がこの三鷹の地におかれていたり。
そんな事実に考えを巡らせてみれば......ちょっと興味深く。
個人的には駿さんとこの地との
興味深い縁(えにし)を感じてしまったりもするのです。(^^)
ジブリのオフィスやスタジオがある小金井市にしてもスグ隣ですし。ね。
———————そんなジブリの森の辺り。ソレが女神様候補地の「2」
そして、この2つの候補地から僕は「2」の地の方を選び。
巫女力の高い!?
親愛なるikuちゃんとmikoちゃんとプッチンプリリンねーさんの4人とを連れ、
休日の午前中、まだ清らかな空気が残る中、この地を訪れてみました。
そして僕らは、ネットでどんなに検索しようと、
グーグルマップや昭文社マップルをどんなに拡大してみても、
決して載っていなかった、
小さな小さな、
古ぼけて崩れてしまいそうな社(やしろ)を......
発見したのです......
まるで何かに導かれる様に、一発で。
奇跡の出会い......
か......
ソレは、
古(いにしえ)の美しき女神様の宿る小さな社でした。
この時、僕は、
三鷹の地というのは広大な武蔵野の大地の中でも、
とても大切な場所の一つなのだと、改めて強く思わされた次第なのです。
僕らはその見つけた社の周りを綺麗に掃除して。
女神様が大好きだと言うので用意をしてきたライラックの花と、
ライラック系の紫色をした花々を添え。
女神様の夫神様も来ているというので、
彼が大好きだというお酒も持っていき、添え......しばし.......
参道のような道なんかも。うふうふ(´ω`*)
......いやいや、マサカ、こんな社が本当にあるとは。
人々に忘れ去られ、名前すら何処にも残っていない様な中で、
こんなトコロに存在している?いた?とは。
僕的にはかなりの感動を覚えたのであります。。(T . T)ぶぇぇ
三鷹徒然。
ナカナカに素晴らしき一日でした。
一緒に歩いてくれた親愛なる3人の女神様達にもとても感謝なのです。
神様を「信じて」探してみて、本当に良かったのでございます(^_^)
文中に出てくる候補地「1」の「上円下方墳」というのは、
実は「国立天文台」の敷地内にあるのです。
原則「立ち入り禁止!」の、
コレマタわかりにく~い場所ではあるのですが......
ちょっと見、普通の小高い丘にしか見えず。
よほど意識して訪れない限りは発見でき無い様な場所......
周囲とは隔絶された雰囲気を持つ古墳の頂上に立つと、
古墳から真っ直ぐ上へと、
空へと立ち昇る神気の柱の中にいる様な気がしてしまいます。
凄いパワー......
コレもパワースポット!?
なるものなのか......
宇宙へと繋がる貴重なる聖地の一つの様にも思える不思議な場所です。
ちなみに、ハワイ島、マウナケアの山頂にある昴天文台もココ、
国立天文台の所有管理物です。
この地も、例によって、
なーーーーーーーーーーんにも無い!?様な場所ですが、
天文台にある古き望遠鏡も不思議と、とても良く似合います。
天から降り注ぐ力を読み解こうとするような気持ちが、
この地にはとても良く似合うようにも思えます(^_^)
☆続き記事☆
「ぷりーず!」
つながる土地なんですね!
amenouzmetさんとM子さんのブログを読んで
ぜひ旗神社にお詣りしたくなりました。
いま出張で東京に来ているので、明日の朝
アメノウズメ様のお好きなライラック色の花を
お供えしてきますね(*^-^*)
今朝は、品川神社にお詣りできました。
もし東京近郊で他にもおすすめ場所があれば、
よかったら教えてくださると嬉しいです☆ミ
P.S.三鷹の近くにいる今、タイミングよく
「もののけ姫」が放送されています✨
それを読んでいただけると三鷹のことはよくわかると思います。
特に最後の「13」の回に真相?を記しています。
あのあと旗神社へ無事お詣りできました。
「鍔とアイヌ」の記事も丁寧に読み返して^-^
紫色のお花を持っていってみると、
まだ綺麗なお花やお供え物が飾られていて、
ブログ仲間の皆様が大切にされている様子が
とてもよく感じられました✨
そんな旗神社の写真をお送りしようか迷う間に
お礼を逸してしまい、すみませんでした。
枝からぶら下がった1枚の葉っぱが
とっても軽やかにくるくると舞っていて、
アメノウズメ様がいらっしゃるのかな~と
微笑ましく眺めていました(*^-^*)
どこかの記事で、
アメノウズメ様とタヂカラヲ様は
ニギハヤヒ様の子守り役をされていた?
というようなことを伺った気がするので、
富士王朝も含めて関心が深まるばかりです。
子守役ですか......えーっと、僕の認識では「養育係」です。
古代、王家では生みの親と育ての親は違うことが多いのです。
「乳母」という言葉に表されている様に、お乳が沢山出る女性は昔はそうはいなくて。
主にそんな女性が子供の養育係になることが多く、事実上の親代わりでもあり。
諸事の先生でもあり。
記紀神話では、ウズメさんがオッパイを出して踊る......なんて、
小洒落た書かれ方をしていますが......そういうことです。
ウズメさんは神々の母とも言える様な偉大な方なわけです。
いつかまた折を見て記してみますね。