1.肩関節の外転運動の機序
①肩甲上腕関節において、凸面である上腕骨と比較して凹面である肩甲骨関節窩は比較的広い。これにより上腕骨頭が上下に辷る仕組みがある。
②上腕骨頭を回転させて上腕を外転させるには、まず上腕骨頭の回転軸を定めなければならない。そのため肩腱板が緊張して上腕骨頭と肩甲骨関節窩を固定させる必要がある。固定させる役割は肩腱板(とくに棘上筋部)が担当する。回転軸を固定した後に、三角筋中部線維が収縮して上腕骨の外転運動が行われる。
③上腕骨の外転90°までは、手掌を下にしても動かすことはできるが、それ以上の外転では、上腕骨大結節が肩峰に衝突するのでできない。
④上腕骨の大結節が肩峰にぶつからないようにするには、上腕骨を外旋し上腕骨大結節を肩峰に潜らす必要がある。そのためには手掌を上に向けた状態(外旋位)で外転させるのことで、外転180度できるようになる。
2.棘上筋の退行変性の病態生理
肩関節疾患のほとんどは上腕ROM制限と痛みを生ずる。上腕外転筋は、棘上筋と三角筋中部線維である。両筋に障害を生ずるのは、肩腱板炎・肩腱板部分断裂・凍結肩など主要な肩疾患である。
上述したように上腕を外転させる機能があるのは三角筋中部線維と棘上筋である。この両者では、圧倒的に棘上筋と棘上筋につづく腱板部分が脆弱である。この部分は肩峰下滑液包や肩甲棘に圧迫されたり、摩擦されたりするため虚血が生じやすく、変形・断裂・石灰沈着などを引き起こしやすい。この部をカリエは危険区域と称した。現在でも筋腱付着部症(エンテソパチー enthesopathy)とよばれる病態になる。棘上筋の筋力自体の低下により外転制限が生じているわけではない。
筋が緊張し、短縮すると腱に加わる牽引力は増し、とくに構造的に脆弱な腱付着部に大きな負担が加わる。腱付着部に微小外傷が生じ、その発生と修復のバランスが崩れることで症状が引き起こされる。病態としては腱炎そのものである。
肩腱板のすぐ上には肩峰下滑液包があり、腱板の炎症は二次的に肩峰下滑液包炎を起こしやすい。そして肩峰下滑液包炎の程度が強ければ、夜間痛関節の腫脹・熱感など急性の関節炎症状を併発する。
なお肩腱板炎は肩腱板部分断裂と問診や理学検査のみからは鑑別がつきにくいが、高齢者ではほとんどが肩腱板部分断裂である。
4)腱板炎の炎症拡大
肩腱板に生じた炎症は、すぐ上方に接する肩峰下滑液包に波及し、摩擦を減らすために滑液量滑量が増えたり滑膜が肥厚してくる。この状態を肩峰下滑液包炎とよぶ。滑液包の体積が増すので、肩峰下との摩擦はさらに増加して痛みも増加する。筋の滑りが悪くなった結果、上腕をぐるぐる回すと、そのたびに肩峰の奥あたりがコキコキあるいはジャリジャリ音を発し、音がするというあたりに術者の手を当てると、震動を感じることができる。
3.肩関節外転制限の針灸治療技法
1)肩髃から棘上筋腱への刺針
肩腱板炎の多くは棘上腱に相当する腱板部位に限局して痛む。棘上筋腱は、大結節に付着するので、本稿ではこの部に肩髃をとる。座位で患側の腕を自分の腰にあてがい、肩関節45度外転位とする。肩髃(大結節と肩峰間)を刺入点に刺針点とし、床に平衡に3㎝程度刺入すると、針先が棘上筋腱の虚血好発部(カリエのいう危険区域)に達する。
この肢位で刺針する理由は、肩を外転すると肩腱板の筋収縮により上腕骨頭が降下して肩関節腔が開き、刺入しやすくなるためである。以前筆者は、後述する<肩井の斜刺>に比べて効果が少ないと考えていたが、3㎝以上刺入(したがって寸6ではなく2寸針を使用)することで、治療効果を得ることができた。以前の2㎝程度の深さの針では針先が危険区域に達しなかったらしい。
この治療では肩髃を刺入点として棘上筋腱に沿って深刺水平刺するが、それだけでは効き目が弱い場合を考え、肩髎を刺入点として棘上筋腱を側面から刺激することを併用することも考えてよいだろう。
2)肩井から棘上筋腱への刺針
肩井から直刺深刺すると、僧帽筋→肩峰下滑液包→棘上筋→肩甲骨に入るが、これでは治療効果が得られない。棘上筋の障害部は棘上筋の筋よりも腱部分なので、肩井から肩峰方向に刺針して棘上筋腱に命中させるのがよい。側臥位または座位で行う。僧帽筋→肩峰下滑液包→棘上筋と入れ、痛くない範囲で上腕の外転運動を行わせる。この施術は3寸針を使った斜刺になる。治療効果は高い、強刺激になりやすいという欠点がある。なお本法では患者自身の手を腰に当てさせる必要はない。
3)三角筋停止部刺針(臂臑)
頻度は少ないが、料理人や美容師などなど腕を長時間上げて作業することの多い職業では、上腕骨の三角筋粗面(三角筋の上腕骨停止部)に骨付着部炎(エンテソパチー)を生じ、上腕が上がらないことがある。この圧痛点の存在を患者は気づかないことも多い。前述の肩腱板の障害では「肩を上げる際の痛み」になるのに対し、三角筋の障害では、肩を上げ続ける肢位できない」というようになる。
本症も三角筋停止部の筋腱付着部症(=エンテソパチー)である。
三角筋停止部刺針(臂臑)の圧痛点に刺針しながら肩の自動外転運動を行わせると改善することが多い。なお臂臑は、腕の付け根と肘を結んだの中央にとるとされるが、実際には三角筋停止部に取穴した方がよい。
臂臑(大腸):上腕骨外側の上(肩髃)から曲池に向かう線で上1/3。三角筋停止部。
「腕を長くは上げていられない」という特徴的な訴えになる。「鍼灸治療は痛む姿勢にして、痛む処を施術すればよい」というのが治療の定石なので、本例も施術体位に一工夫する。患者を椅子に座らせ、患側肩が正面にくるよう患者と直角位置に術者も座る。患者の患肢を術者の肩井あたりに載せる。この姿勢で腕を上げるよう指示し、術者はその腕を抑えることで。三角筋の等尺性収縮となり、その時生ずる運動痛(=圧痛点)である臑兪を施術するのがよい。
※使用した経穴の位置(現行の学校協会の方法とは異なる)
肩前(新穴)
上腕骨頭部前面、結節間溝部。この結節間溝に上腕二頭筋長頭腱が走る。実際には上腕二頭筋長頭腱々炎はまれな疾患であり、肩前に圧痛が現れることは少ない。すなわち実際に肩前穴に治療点を求める機会はマレである。
肩髃(大腸)
教科書には「上腕90度外転時、肩関節付近にできる2つの穴のうち、前方の穴」と記載されている。本稿では中国の文献に従い、肩峰と大結節間にできる溝中を肩髃穴とした。
肩髃穴は棘上筋腱が大結節に起始する部位なので、臨床で使う機会は非常に多い。
肩髎(三焦)
教科書には「上腕90度外転時、肩関節付近にできる2つの穴のうち、後方の穴」とある。本稿では肩峰外端の後下際にとる。大結節を挟んで、前方が肩前穴、後方に肩髎。本穴は棘上筋腱を側面から刺激する意味がある。