駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

「丁目」は まさに一丁だった !(江戸の日本橋・京橋地区などの町割のプロトタイプ ・ 駿府碁盤割地区=現中心市街地)

3008年12月02日 10時11分39秒 | 碁盤の目地区

 

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この記事を最上段に表示させるために投稿日を先付けにしてあります。 (実際の投稿日は2008年12月2日)
 
◇ 江戸の八百八町に対して駿府は九十六か町と言われています。
(武家地、寺社地は原則として町名は付けられていません。また、江戸時代末期の江戸は1600ほどの町があったといわれています。
  なお、「◯◯町◯丁目」で一つの町として機能しているので、「◯ 丁目」は番地のような町の下位区分ではなく町名の一部 ととらえるべきです。
 したがって、96か町というのは「◯◯町◯丁目」で1町と数えます。静岡市の旧町名の碑はその原則を無視して単に両替町などとして碑を設置していますが、丁目ごとに設置するのが無理ならせめて「両替町一丁目~六丁目」とすべきでしょう。)

   駿府は今も一丁四方(約109m×109m)の慶長の町割りでできた碁盤割地区が中心市街地となっています。  
   その駿府城下の碁盤割地区の位置を分かりやすくするために、
現状(2008年12月現在)の建物・施設等を重ねてみました。
   当然のことながら当時とは道幅も違うこともあり、現施設等の本来の位置や広さとは違います。
     
▽ 上方向が駿府城
(現駿府城公園)、右手方向が現JR静岡駅方面(現在の静岡駅附近は安倍郡南安東村で駿府の市中ではなかった)です。

▽ 江戸期の町名は、原則として通り沿い(通りの両側が同じ町)の1丁ごとに町名が付けられていました。
     (現在の※住居表示制度よりも、はるかに分かりやすい)

▽ 家の向きは原則として横丁(図の緑)には向いていないで
 いわゆる「通り
(図の赤と黄色)」に向いていたため横丁には町名が付けられていません。
  横丁でも町に準じるような箇所では玄南横丁、中之店
(なかんたな)のように名前がついていたところもあります。

 ▽ 碁盤割地区では、整然と1丁
(約109m)ごとの街区になっていて、
 「◯ 丁目」 は文字通り1丁ごと でした。
    ( したがって、呉服町一丁目から六丁目まで歩けば、測らなくても約650m歩いたことになる。)
 現在、呉服町通りと平行の街路は、半丁ごとになっていますがこれは静岡大火
(1940年)のあと、街区の中間に設けられたものです。

 ▽ 中心部には江戸期の町名がかなり残っているようでも、この地図からその実態は大きく変えられてしまっていることが分かると思います。

   (町名が改正されたのは1940年の静岡大火後で、施行は1945年9月20日)

▽ 新谷町と旧紺屋町通りは、1930年に御幸通りが開通したとき御幸通りと接続する部分が直線から曲線状に付け替えられてしまったので
 現在その一角は碁盤の目状の街区が破壊されてしまっています。
(現伝馬町通りは江川町通りと直角に交わっていた。)

◆ この地域内で失われた町名は → こ ち ら


※ 住居表示制度
1962年から始められた住所・所在地を土地の地番(いわゆる番地)でなく
「街区符号+ハウス番号」とし、「〇〇町(又は〇〇✕丁目) ✕番 ✕号」と表示する制度
  なお、住居表示が実施されても従前の番地は廃止されるわけではなく
  土地の登記や固定資産税の課税には従来どおりの番地が使われます。


 参 考:江戸時代の駿府 新考(若尾俊平著 静岡谷島屋発行 絶版)ほか

 

碁盤の目地区(現中心市街地)で失われた町名

2008年12月02日 09時11分11秒 | 碁盤の目地区
この地域内で失われた町名
 
エ:江川町、江尻町

 カ:鍛冶町
(かじちょう)、上魚町(おおむね現金座町)、上大工町(おおむね現在の大工町)
 上石町
(かみごくちょう)一丁目、上石町二丁目(○丁目を削除した上石町としては存続。なお、「石町」とは江戸の本石町と同じように米問屋に由来)

 コ:呉服町三丁目、呉服町四丁目、呉服町五丁目、呉服町六丁目
(呉服町一丁目、呉服町二丁目は町名としては存続していますが、江戸期とは範囲(位置)が異なります。
    おおむね一丁目、二丁目、三丁目は現呉服町一丁目、四丁目、五丁目、六丁目は現呉服町二丁目)

 シ:下魚町、下桶屋町、七間町一丁目、七間町二丁目、七間町三丁目
(○丁目を削除した七間町としては存続)
 下石町
(しもごくちょう)一丁目、下石町二丁目、下石町三丁目、常慶町、新谷町(しんがいちょう)

テ:寺町一丁目、寺町二丁目、寺町三丁目、寺町四丁目、

ト:藤右衛門町

ニ:西寺町

 ヒ:人宿町三丁目
(現人宿町二丁目はおおむね旧二丁目、旧三丁目を併合させたものです。)

 フ:札之辻町
(ふだんつじちょう)

 ヨ:四足町
(おおむね現在の中町)

 リ:両替町三丁目、両替町四丁目、両替町五丁目、両替町六丁目
(両替町一丁目、両替町二丁目は町名としては存続しているが、江戸期とは範囲(位置)が異なります。
    おおむね一丁目、二丁目、三丁目は現両替町一丁目、四丁目、五丁目、六丁目は現両替町二丁目)




※ 参 考:江戸時代の駿府 新考(若尾俊平著 静岡谷島屋発行 絶版)ほか

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