▽ 遊歩道の夏ミカン並木、左手に見えるのは巽櫓 (たつみやぐら、巽=辰巳=東南)
駿府城二之丸の中堀沿い遊歩道に植栽されている夏ミカンの並木
この夏ミカンの品種はスルガエレガントだそうです。
毎年、この時期になると黄色く色づき
ここを通る人の目を楽しませてくれます。
静岡の人にとっては
ミカンが色づく風景を見ても特段の感動もないのですが
東北などミカン類が育たない寒冷地の人には
とても珍しいようです。
※ 以下余談です。
中堀(なかぼり)は、内堀と言われることも多いのですが
駿府城は本来、三重の堀で「中堀」という方がより正確です。
1897年(M30年)、歩兵34連隊を誘致するため
市民を動員して天守台を破却、内堀も埋められてしまいました。
(そのほか、大字北安東に練兵場(現在の城東町)がつくられました。)
現在の価値観でいうと、なぜそんなことをしたのかと思われるかもしれませんが
明治時代においては、徳川家は逆賊の立場で徳川家ゆかりの静岡市としては
政府に忠節を尽くす態度を示すことが重要だったのでしょう。
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この夏ミカンの品種はスルガエレガントだそうです。
毎年、この時期になると黄色く色づき
ここを通る人の目を楽しませてくれます。
静岡の人にとっては
ミカンが色づく風景を見ても特段の感動もないのですが
東北などミカン類が育たない寒冷地の人には
とても珍しいようです。
※ 以下余談です。
中堀(なかぼり)は、内堀と言われることも多いのですが
駿府城は本来、三重の堀で「中堀」という方がより正確です。
1897年(M30年)、歩兵34連隊を誘致するため
市民を動員して天守台を破却、内堀も埋められてしまいました。
(そのほか、大字北安東に練兵場(現在の城東町)がつくられました。)
現在の価値観でいうと、なぜそんなことをしたのかと思われるかもしれませんが
明治時代においては、徳川家は逆賊の立場で徳川家ゆかりの静岡市としては
政府に忠節を尽くす態度を示すことが重要だったのでしょう。
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