▽1階部分だけ左隣に移転したサンドラッグ(葵区呉服町二丁目3番地附近・1月29日)
呉服町通りでは、一昔前はメガネ屋が増えていましたが
それが一段落して(寡占化が進んだためか?)から
ここ5~6年は薬局が増えていました。
(この間に、和菓子屋さんはほぼ絶滅してしまった)
薬局と言っても江戸時代からある唐木屋(旧呉服町四丁目)のようないわゆる薬屋さんではなく
ドラッグストアと言った方がいいのかもしれません。
一時は薬局街のような趣もあったくらいでしたが
今は、次第に淘汰されて競争に勝ち残った店だけが
何店か残っているといった状況でしょう。
そんな店のひとつがサンドラッグですが
今までの店(元新月堂があったところだと思われる)の2階だけ残して
1階部分は隣接の野澤屋ビルの1階に移転していました。
2階だけ残してというのはやや不思議な感じで
今後この1階がどうなるのか、少々気になってしまいました。
余談ながら
夜の早い静岡ですが、さすがに金・土曜の夜は人が多いです。
呉服町通りでは、一昔前はメガネ屋が増えていましたが
それが一段落して(寡占化が進んだためか?)から
ここ5~6年は薬局が増えていました。
(この間に、和菓子屋さんはほぼ絶滅してしまった)
薬局と言っても江戸時代からある唐木屋(旧呉服町四丁目)のようないわゆる薬屋さんではなく
ドラッグストアと言った方がいいのかもしれません。
一時は薬局街のような趣もあったくらいでしたが
今は、次第に淘汰されて競争に勝ち残った店だけが
何店か残っているといった状況でしょう。
そんな店のひとつがサンドラッグですが
今までの店(元新月堂があったところだと思われる)の2階だけ残して
1階部分は隣接の野澤屋ビルの1階に移転していました。
2階だけ残してというのはやや不思議な感じで
今後この1階がどうなるのか、少々気になってしまいました。
余談ながら
夜の早い静岡ですが、さすがに金・土曜の夜は人が多いです。
こちらで取り上げた常磐町の看板の表示の件ですが
27日、昭和通りにあるこの店の前を通ったとき何気なく看板を見ると
なんと正しい字に修正されているではないですか。
▽「盤」の地が正しく「磐」という字に訂正されている。(葵区常磐町二丁目3番地の8)
まあ、このブログへ取り上げたのがきっかけではないとは思いますが
訂正されることはないと思っていたのでちとびっくりです。
なお、電柱にある町名表示は相変わらず間違えたままです。
▽よくみると上から貼り直しているのが分かる。
もともと正しい字で発注したのに看板屋さんが間違えたという可能性もありますね。
27日、昭和通りにあるこの店の前を通ったとき何気なく看板を見ると
なんと正しい字に修正されているではないですか。
▽「盤」の地が正しく「磐」という字に訂正されている。(葵区常磐町二丁目3番地の8)
まあ、このブログへ取り上げたのがきっかけではないとは思いますが
訂正されることはないと思っていたのでちとびっくりです。
なお、電柱にある町名表示は相変わらず間違えたままです。
▽よくみると上から貼り直しているのが分かる。
もともと正しい字で発注したのに看板屋さんが間違えたという可能性もありますね。
ここは葵区御幸町7番地付近
ここに、雪国では一般的だと言う縦型信号機があります。
もちろん静岡では雪は全く降りませんから
横型の信号機が一般的なのは言うまでもありません。
多分、この縦型信号機が設置してあるところは
道路の幅員が狭いという理由からだと思われます。
(ここは一方通行の出口なので、この信号機は実質的には自転車用
また、スクランブル式交差点なので歩行者は歩行者専用信号機を見て渡ることになる。)
それでも、狭い道は数あれど静岡ではあまり目にすることはないでしょう。
すぐ裏手に小梳(おぐし)神社があり
4月の浅間神社廿日会祭の古式稚児行列の山車の集結地(七間町の別雷神社と隔年)となるので
その山車の進入の邪魔になるからか・・・なんて考えたりしましたが
静岡の行政がそんな文化的な配慮をすることはあまりないでしょうから
(もしそういう配慮だったら静岡も大したものだと思いますが)
上記に書いたとおり単純に道路の幅員が狭いからということだけなのでしょう。
1月28日追記
▽横から見た縦型信号機です。(電柱に上下を支える形でつけられています。)
▽スカート(排障器)をはいたクハ1506
▽ストライプも撤去され、登場当時のオリジナルな姿に戻されたクハ1507
▽新静岡行きクモハ1007+クハ1507
(現在、静岡鉄道の車両は、すべてこの1000系で、地方私鉄としては稀な自社発注で、東急7200系に準じて製作されたという。)
現在、静岡鉄道では車両前部に
排障器(線路上の障害物を車体下にまきこんで運転に支障することを排除するためのスカート状の機器)の
取り付けが順次進められています。
(新型ATS設置に伴う車上子の保護が主要な目的とか)
近々すべての車両に取り付けが完了する見込みのため、
その前に1000系電車の登場当時のオリジナルな姿を見てもらおうという計らいで、
1007+1507の一編成が登場当時の姿に戻されて運行されています。
オリジナルな姿を見ることができる最後のチャンスだと思われますので、
機会があったら注意して見てみるのも一興かと思われます。
このオリジナルな姿の車両の運行は1時間に1回程度で3月中旬までのようです。
(もちろん、普通の電車は日中6分間隔で運転されています。)
▽ストライプも撤去され、登場当時のオリジナルな姿に戻されたクハ1507
▽新静岡行きクモハ1007+クハ1507
(現在、静岡鉄道の車両は、すべてこの1000系で、地方私鉄としては稀な自社発注で、東急7200系に準じて製作されたという。)
現在、静岡鉄道では車両前部に
排障器(線路上の障害物を車体下にまきこんで運転に支障することを排除するためのスカート状の機器)の
取り付けが順次進められています。
(新型ATS設置に伴う車上子の保護が主要な目的とか)
近々すべての車両に取り付けが完了する見込みのため、
その前に1000系電車の登場当時のオリジナルな姿を見てもらおうという計らいで、
1007+1507の一編成が登場当時の姿に戻されて運行されています。
オリジナルな姿を見ることができる最後のチャンスだと思われますので、
機会があったら注意して見てみるのも一興かと思われます。
このオリジナルな姿の車両の運行は1時間に1回程度で3月中旬までのようです。
(もちろん、普通の電車は日中6分間隔で運転されています。)
▽静岡駅南口駅舎
ここはJR静岡駅南口です。
北口と南口の間は、深夜の数時間を除いてコンコースを自由に通り抜けられます。
在来線が高架になる前は、いちいち入場券を買って通り抜けていたことなど
現在の形しか知らない世代の人にとっては信じられないかも知れません。
ただ、北口広場が以前にくらべ大幅に広げられ整備されているのに対し、南口は整備が遅れています。
静岡駅を発着するバスは、ほとんどが北口からとなっていますが
それでも2路線のバスが南口から発着しています。
そのバスとタクシーだけでも狭いのに、一般車が入り乱れて混雑に拍車をかけ
バスのスムーズな発着を妨げています。
県都の駅前にしては、あまりに狭すぎるようです。
(呉服町通りなど、過剰かと思われるほど駐車違反が取り締まられていますが、
この南口は中央署と南署の管轄界のためなのか、なぜか放置状態。
こういう場所こそ取り締まりが必要かと思われるのですが・・・)
都市計画では,この広場を東側のセンチュリーホテル前まで広げる計画になっているようですが、かなり先のことになると思われます。
北口と南口の間は、深夜の数時間を除いてコンコースを自由に通り抜けられます。
在来線が高架になる前は、いちいち入場券を買って通り抜けていたことなど
現在の形しか知らない世代の人にとっては信じられないかも知れません。
ただ、北口広場が以前にくらべ大幅に広げられ整備されているのに対し、南口は整備が遅れています。
静岡駅を発着するバスは、ほとんどが北口からとなっていますが
それでも2路線のバスが南口から発着しています。
そのバスとタクシーだけでも狭いのに、一般車が入り乱れて混雑に拍車をかけ
バスのスムーズな発着を妨げています。
県都の駅前にしては、あまりに狭すぎるようです。
(呉服町通りなど、過剰かと思われるほど駐車違反が取り締まられていますが、
この南口は中央署と南署の管轄界のためなのか、なぜか放置状態。
こういう場所こそ取り締まりが必要かと思われるのですが・・・)
都市計画では,この広場を東側のセンチュリーホテル前まで広げる計画になっているようですが、かなり先のことになると思われます。
▽南口再開発ビル「エスパティオ」
それはともかく、南口のすぐ目の前にエスパティオという再開発ビルがあり
その8~10階に静岡科学館「る・く・る」が入居しています。
この「る・く・る」の前身は駿府城公園にあった児童会館で
1957年に県により設置され、1973年に静岡市へ移管されたものです。
県で設置した当時は、全国的にも先進施設として注目されたようですが
市へ移管された後は、施設、設備の老朽化は否めず
建て替えが模索され、1980年代には市の総合計画にも建て替えが盛り込まれていたようです。
しかし用地難からなかなか実現されず、80年代後期の一時的な改修を経て
2004年にようやくこの再開発ビル内に「る・く・る」として開設されたものです。
その8~10階に静岡科学館「る・く・る」が入居しています。
この「る・く・る」の前身は駿府城公園にあった児童会館で
1957年に県により設置され、1973年に静岡市へ移管されたものです。
県で設置した当時は、全国的にも先進施設として注目されたようですが
市へ移管された後は、施設、設備の老朽化は否めず
建て替えが模索され、1980年代には市の総合計画にも建て替えが盛り込まれていたようです。
しかし用地難からなかなか実現されず、80年代後期の一時的な改修を経て
2004年にようやくこの再開発ビル内に「る・く・る」として開設されたものです。
▽上部中央が「カンちゃん」
児童会館と言えば、入口にロボットのカンちゃんがいて
入場してくる子どもたちのお出迎えをしていました。
このロボットのデザインは手塚治虫氏のデザインだとか
ただ、色自体はもともとは赤系統の色だったと記憶していますが
80年代後期に児童会館が改修されたとき、ブルー系統に変更されたのだと思われます。
そのカンちゃんですが
2月14日まで「る・く・る」で「ロボットワールド」という企画展示が行われ
そこに、もうとっくに廃棄処分にされてしまったとばかり思ってた「カンちゃん」も出展されているようです。
カンちゃんをなつかしく思う方、ぜひこの機会に会いに行かれたらどうでしょうか・・・
入場してくる子どもたちのお出迎えをしていました。
このロボットのデザインは手塚治虫氏のデザインだとか
ただ、色自体はもともとは赤系統の色だったと記憶していますが
80年代後期に児童会館が改修されたとき、ブルー系統に変更されたのだと思われます。
そのカンちゃんですが
2月14日まで「る・く・る」で「ロボットワールド」という企画展示が行われ
そこに、もうとっくに廃棄処分にされてしまったとばかり思ってた「カンちゃん」も出展されているようです。
カンちゃんをなつかしく思う方、ぜひこの機会に会いに行かれたらどうでしょうか・・・
▽ついでに「る・く・る」のラッピングバス(しずてつジャストラインバス)
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こちらのつづきです。
こちらは、しずおか信用金庫裏側の駿府城址、外堀の石垣の被災現場です。
石垣といっても歩道側に面した方です。
▽1月18日
▽1月19日
▽1月24日
堀の中に土嚢(どのう)が積まれていますが
この土嚢によって一定区画を囲い
その部分の水を抜いて足場を確保して
石垣の積み直しをするのではないかと思われます。
ここは、比較的軽微な被災だったところなので
3月15日までには工事が完了する予定のようです。
※追記
▽2月2日(土嚢で囲んだ部分の水を抜いています。)
こちらは、しずおか信用金庫裏側の駿府城址、外堀の石垣の被災現場です。
石垣といっても歩道側に面した方です。
▽1月18日
▽1月19日
▽1月24日
堀の中に土嚢(どのう)が積まれていますが
この土嚢によって一定区画を囲い
その部分の水を抜いて足場を確保して
石垣の積み直しをするのではないかと思われます。
ここは、比較的軽微な被災だったところなので
3月15日までには工事が完了する予定のようです。
※追記
▽2月2日(土嚢で囲んだ部分の水を抜いています。)
国道1号紺屋町駿府博物館前にある案内標識です。
ここに「総合事務所」とあります。
これは、多分静清合併のあった2003年に静岡市役所を静岡総合事務所、清水市役所を清水総合事務所として
両庁舎にほぼ同一の市役所機能を残して発足したことによる名称である「静岡市役所静岡総合事務所」を指していると思われます。
「総合事務所制」は、合併時には政令指定都市への移行が約束されたいた訳ではなかったための暫定措置だったのでしょうが
合併後、2005年から政令指定都市になることが確実となったために、2004年からはこの「総合事務所制」は廃止され
政令市移行を見越した、いわゆる「分庁方式」になったと記憶しています。
したがって、この案内標識は総合事務所が消滅してから6年近くもそのままの状態であることになります。
まあ、さしあたってこれによって困ることはないのかもしれませんが
民間会社であったら名称が変わってこんなに長期に渡って放置されることはないでしょう。
原因としてはこの標識の設置者がこの支柱に(工事中の看板で見づらくなっている)あるとおり、国土交通省が設置したものであって
静岡市が設置したものではないことにあるのでしょう。
というのは、もう少し静岡駅よりの両替町通りとの交差点附近のこちらのものは「市役所静岡庁舎」となっているからです。
多分、こちらは市あるいは県で設置したものだからなのでしょう。
地方自治体と国との連携がうまくいっていないことがこんなところにも現れているのでしょう。
東京(上野)と常陸国(ひたちのくに)・磐城国(いわきのくに)を結ぶJR常磐線は
もちろん「じょうばんせん」で「ときわせん」ではありません。
もちろん「じょうばんせん」で「ときわせん」ではありません。
ところで,静岡市内には「常磐町」という町があり、こちらは「ときわちょう」です。
全国的には「ときわちょう」を「常磐町」と書く町名は
静岡市・水戸市などの少数派で
多くは「常盤町」と「盤」を使う例が多いようです.
(静岡市の行政町名としては「常磐町一丁目」「常磐町二丁目」「常磐町三丁目」の
3か町で,うち三丁目のみ住居表示が実施され,
一丁目・二丁目は従前どおりの番地表示です)
トキワは一種の瑞祥地名でしょうから意味からすると「盤」より「磐」の方が
よりふさわしいような気がしますが
「磐」が当用漢字(現:常用漢字)になかったことが関係しているのかもしれません.
全国的には「常盤」が使われることが多いためが静岡市の「常磐町」も
しばしば「常盤町」と誤記されることが多いようです.
まあ、私的な文書などでは別にかまわないと思うのですが
公的なものやそれに準ずるようなものでは,
やはり正しく書くことが求められるかと思われます.
そんな例のひとつとして電柱の広告内に記載の町名があります.
もちろん市で取り付けたものではないので,
公的なものとは言えないという見方もあるでしょう.
それでも目に付きやすく頼りにされることも多いでしょうから.
正しく記載されることが求めらるると思われます.
しかし.実際には存外いいかげんなものが多いようです.
この電柱には,正しく表記されていますが・・・・・
なお,行政的には「✕丁目」は町名の一部ですから,私的な手紙等ならともかく,
こういうところに記載する場合は「〇〇町✕丁目」と記載すべきでしょう.
「お好きにどうぞ」と言いたくなります(笑)
七間町通りのオリオン座のすぐ横なので
当然に「人宿町」ではなく「七間町」です.
町名まではチェックの対象ではないかもしれませんが
だからと言って町名が間違っているのは困りものですね.
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恒例の七間町商店街の「正月七日七間町の七草粥」が今年も行われました。
もちろん、七草粥(ななくさがゆ)と七間町(しちけんちょう)に特別な関係などあるわけもなく
単なる七ならびのシャレにすぎないささやかな行事なのですが
こんな行事を垣間見るにつけ
400年前から続くこの町名が今後も変わらないことをあらためて願うものです。
↓ 例年のポスターには「金魚屋前」と書かれていたが今年は「サークルK向い側」というのがなんとも・・・
(去年閉店した金魚屋陶苑の跡はいまだに埋まらない)
↓ 地味な行事にもかかわらず、TV局が3局も取材に来ていて、ややものものしい
↓ こんなとき、おっとりした静岡人はあせる様子など微塵もみせず、静かに順番を待つのが常です。
もちろん、七草粥(ななくさがゆ)と七間町(しちけんちょう)に特別な関係などあるわけもなく
単なる七ならびのシャレにすぎないささやかな行事なのですが
こんな行事を垣間見るにつけ
400年前から続くこの町名が今後も変わらないことをあらためて願うものです。
↓ 例年のポスターには「金魚屋前」と書かれていたが今年は「サークルK向い側」というのがなんとも・・・
(去年閉店した金魚屋陶苑の跡はいまだに埋まらない)
↓ 地味な行事にもかかわらず、TV局が3局も取材に来ていて、ややものものしい
↓ こんなとき、おっとりした静岡人はあせる様子など微塵もみせず、静かに順番を待つのが常です。
↓ 上記の拡大
たまご酒さんのブログにあるように
昨年8月の地震で崩壊した駿府城石垣の修復がなかなか進んでいません。
今年度(H21年度)中に着工するという報道がありましたが
現地ではまだ動きがないようです。
ただ、県庁裏の中堀の石垣については
このような掲示がされていて、近々復旧工事が始まるようです。
報道されている範囲のはなしでは、3箇所の復旧工事の補助金の出所が違うようなので、
その関係で着工が同時ではないのかもしれません。
一日も早い復旧が待たれますが
完全に復旧するのは1年以上先のことになるようです。
▽ 追記 〈1月6日〉
その後の報道によると
3箇所(外堀の市庁舎向かい側・東草深町側、中堀の県庁裏)とも
今月中に復旧工事に着手し
来年3月までには完了する見込みだということです。
また、しずおか信用金庫裏の歩道側については
小規模なため今年3月中には完了するようです。
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