かなり前から気にかかっていることなのですが
接客の現場などで過去形が蔓延(まんえん)しているようです。
とあるチケット売り場のチケット嬢
「○○のコンサートのチケット、1枚でよろしかったでしょうか」
相手の言ったことの確認で「よろしかったでしょうか」という言い方は
過去形で言うことにより、違った場合の自分の責任を棚上げするようで好きになれないので
自分だったら絶対に使いませんが、まあ、容認することにしましょう。
でも
「チラシをきらしていますので、コピーでよろしかったでしょうか」
とのたまわったのには、さすがにちと違和感があります。
こちらからコピーでもいいからほしいと言ったわけでもないのに
「よろしかったでしょうか」と過去形で言われてしまったら
いやですとは言えません。
言葉は生き物で変わっていくもの
でも気になります。
まあ、こんな些細なことにも
いちいち目くじらをたてるのは
当方が齢(よわい)を重ね過ぎたのでしょう・・・・
こんなつまらい話題でよろしかったでしょうか?
▽09年1月29日の富士山、本文とは全く関係ありません。(笑)
接客の現場などで過去形が蔓延(まんえん)しているようです。
とあるチケット売り場のチケット嬢
「○○のコンサートのチケット、1枚でよろしかったでしょうか」
相手の言ったことの確認で「よろしかったでしょうか」という言い方は
過去形で言うことにより、違った場合の自分の責任を棚上げするようで好きになれないので
自分だったら絶対に使いませんが、まあ、容認することにしましょう。
でも
「チラシをきらしていますので、コピーでよろしかったでしょうか」
とのたまわったのには、さすがにちと違和感があります。
こちらからコピーでもいいからほしいと言ったわけでもないのに
「よろしかったでしょうか」と過去形で言われてしまったら
いやですとは言えません。
言葉は生き物で変わっていくもの
でも気になります。
まあ、こんな些細なことにも
いちいち目くじらをたてるのは
当方が齢(よわい)を重ね過ぎたのでしょう・・・・
こんなつまらい話題でよろしかったでしょうか?
▽09年1月29日の富士山、本文とは全く関係ありません。(笑)
▽名古屋が本店のこの店も3月で撤退するという[呉服町二丁目7番地附近・江川町通り]
葵区の中心商店街
このあたりは静岡県内で最も地価が高い地域です。
あらゆる面で浜松市に圧倒されがちな県都静岡市ですが
地価に関しては浜松市の追随を許しません。
そのことが喜ばしいことかどうか分かりませんが(笑)
その中心商店街
最近まで空き店舗はほとんどありませんでした。
テナントが撤退しても、すぐ別の店が入居し
数カ月もシャッターが降りていることなどありませんでした。
それが去年あたりから
1ブロックに1軒は空き店舗ができ
そのあとが、なかなかうまらないないようです。
さらに、最近になって、経済の減速状況が著しいためか
撤退する店が目立つようになってきています。
街のにぎわいは、それほど変わらないようなので
本当に必要なものしか買わなくなったということでしょうか。
全国的にデパートの入店者は減っていないのに
売り上げが落ち込んでいるというのと
同じような状況かもしれません。
地価の高いところですから
高い家賃に見合う利益をあげるのが
むずかしくなってきているのかもしれません。
▽鷹匠町に店舗を統合し、呉服町からは撤退するという告示が・・・[呉服町二丁目4番地附近]
▽ここは半年くらい空いていると思われるが・・・[呉服町二丁目3番地附近]
▽こちらは撤退でなく改装のため休業なので期待することにしましょう![呉服町二丁目5番地附近]
▽七間町にしてはめずらしく(?)後継の店舗がすぐ入るようだ[七間町5番地附近]
(呉服町通りより家賃が安いのがメリットとなる業種もあるのかも)
葵区の中心商店街
このあたりは静岡県内で最も地価が高い地域です。
あらゆる面で浜松市に圧倒されがちな県都静岡市ですが
地価に関しては浜松市の追随を許しません。
そのことが喜ばしいことかどうか分かりませんが(笑)
その中心商店街
最近まで空き店舗はほとんどありませんでした。
テナントが撤退しても、すぐ別の店が入居し
数カ月もシャッターが降りていることなどありませんでした。
それが去年あたりから
1ブロックに1軒は空き店舗ができ
そのあとが、なかなかうまらないないようです。
さらに、最近になって、経済の減速状況が著しいためか
撤退する店が目立つようになってきています。
街のにぎわいは、それほど変わらないようなので
本当に必要なものしか買わなくなったということでしょうか。
全国的にデパートの入店者は減っていないのに
売り上げが落ち込んでいるというのと
同じような状況かもしれません。
地価の高いところですから
高い家賃に見合う利益をあげるのが
むずかしくなってきているのかもしれません。
▽鷹匠町に店舗を統合し、呉服町からは撤退するという告示が・・・[呉服町二丁目4番地附近]
▽ここは半年くらい空いていると思われるが・・・[呉服町二丁目3番地附近]
▽こちらは撤退でなく改装のため休業なので期待することにしましょう![呉服町二丁目5番地附近]
▽七間町にしてはめずらしく(?)後継の店舗がすぐ入るようだ[七間町5番地附近]
(呉服町通りより家賃が安いのがメリットとなる業種もあるのかも)
△商店街に貼りだされている
「シズオカ シネマパーク フェスティバル」のポスター
2月13日からの1週間
七間町の東宝やピカデリーでの名画の上映はもちろん
街角では映画にまつわる各種イベントが
予定されているようです。
かつて行われていた映画祭が途絶えて久しいような気がしますが
どんな形にしろ復活することは
街の活性化につながり喜ばしいことでしょう。
街が映画一色にというのは、ややおおげさなのでしょうが・・・
ちなみに静岡市はどういうわけか
“ふらんす”のカンヌ市と姉妹都市になっています。
両者の結び付きにちと必然性がないような気もしますが
姉妹都市にそんな気使いなどいらないのかも(笑)
▽こちらは、図書の紹介
1月25日の静岡駅前工事に伴う交通規制などの予告ポスター
ここに「雨天の場合は工事を順延します」とある。
これだけ見ると25日が雨なら26日~に、26日も雨なら27日~にということだと
理解するのが一般的な解釈であるだろう。
ところが、市のHPを見るとそうではないらしく「2月1日に順延する」とある。
前回の同様な工事でも同じような表現をしていた。
つまり静岡市役所では、順延は延期と同義語だと理解しているらしい。
もちろん言葉は時代とともに変わるもので
「流れに棹さす」とか「確信犯」など、本来の意味と違って覚えている人が多数派であるらしい。
あと数十年もすれば、それが正しいものとされてしまうのだろう。
でも、役所で率先して間違った使い方をするのはいかがなものだろうか。
例えば「雨天順延」という言葉は、
「当日が雨なら次の日、次の日も雨ならその次の日」ということを
簡潔に表現できて非常に便利な言葉なのであるが、
静岡市役所ではそういう場合でも、
「雨天の場合は○日に、○日も雨なら○日に順延」などといちいち表記するのだろうか?
いやはや、恥ずかしい政令市である。
JR静岡駅前の公共地下歩道、
小学校の修学期間にも及ぼうかというほど長く工事をしていたのですが
最近やっと工事がはほぼ終了して
もう当分通行制限などないと思っていたら
また、松坂屋方面へ通じる通路の半分がふさがれています。
発注者を見るとこれは国の工事のようですから
最近まで市で実施していた工事とは直接関係ないのでしょうが
もう少し効率よくできないのかと思ってしまいますよね。
△通路が狭くなって、非常に通りにくくなっています。
余談ながら、「駿府公園」の表示は、「駿府城址(駿府公園)」にした方がいいのでは?
「駿府公園=駿府城址」というのは、近在の人には自明のことであっても、
遠方から来る人にとっては必ずしもそうではないのです。
全国的には静岡に城があったことさえ知らない人も少なくないのですから・・・
△まだ半年も工事が続くのかぁ・・・・
小学校の修学期間にも及ぼうかというほど長く工事をしていたのですが
最近やっと工事がはほぼ終了して
もう当分通行制限などないと思っていたら
また、松坂屋方面へ通じる通路の半分がふさがれています。
発注者を見るとこれは国の工事のようですから
最近まで市で実施していた工事とは直接関係ないのでしょうが
もう少し効率よくできないのかと思ってしまいますよね。
△通路が狭くなって、非常に通りにくくなっています。
余談ながら、「駿府公園」の表示は、「駿府城址(駿府公園)」にした方がいいのでは?
「駿府公園=駿府城址」というのは、近在の人には自明のことであっても、
遠方から来る人にとっては必ずしもそうではないのです。
全国的には静岡に城があったことさえ知らない人も少なくないのですから・・・
△まだ半年も工事が続くのかぁ・・・・
旧静岡市民なら先刻ご承知でしょうが
「金魚屋」といっても、金魚を売っているわけではありません。
正式名称は「金魚屋陶苑」で、陶器類を売っているお店です。
創業は大正8(1919)年で、90年近い歴史があるようです。
その金魚屋が七間町の店を閉めるそうです。
七間町から田辺陶芸堂がなくなり、谷澤漆器店も店舗を縮小して
もう商店街でこの種の商売はむずかしい時代なのでしょうか。
商店街の魅力と言うのは、
ひとつのコンセプトで店舗展開する大型店と違って、
猥雑さを含めたその多様性にあると思われます。
そういう意味で、身近なものを扱う商店の相次ぐ閉店は
だんだん商店街がのっぺらぼうな街になっていくようで残念です。
いずれにしても今後の七間町がどうなっていくのか、大いに気になるところです。
明治の御代、朝敵たる徳川宗家(そうけ)ゆかりの静岡としては
政府に媚(こび)を売らなければならなかったためか
陸軍歩兵34連隊の静岡誘致が積極的に行われたようです。
その結果、駿府城址の三重の堀のうち
中堀(二の丸堀)内の諸施設は破壊され
最も内側の内堀(本丸堀)は埋められて
34連隊用地にされてしまいました。
現在、中堀内は駿府公園として市民に開放されていますが
城として肝心な中心部が破壊されてしまっているため
城跡としての風情が乏しいのはなんとも残念なことです。
その最も中心部たる「駿府城天守閣跡」ですが
公園内の矢印案内にしたがって探してもなかなか見つけられません。
それもそのはず、天守閣跡にあるのは写真の説明板しかありませんから・・・
天守閣は無理だとしても、天守台ぐらい再建してほしいところですが
それもにわかには無理だとしても
せめてそれらしいモニュメントなり低樹木などで位置を示すぐらいの工夫が
あってもいいのではと思うのですが・・・
まあ、整備計画の途上にあるので
今後の計画の推進に少しく淡い期待をしておきたいと思います。(笑)
駿府公園南西部の発掘調査が終わり、本来の公園としての整備をしているようです。
それに伴う工事の案内看板が掲出されているのですが
青葉小学校、城内小学校という、既に存在しない学校が書き込まれています。
もちろん、学校関係事務の所管は教育委員会事務局、公園の整備は公園整備課で
お互いに関係ない部署であることは理解できますが、
いくらなんでも存在しない市の施設を市の看板に書き込むというのは、
いくらなんでも無神経が過ぎるように思われます。
施行業者サイドでつくられたのかもしれませんが、
この看板を出すにあたって、市がなにも関与してないことはないでしょう。
公園整備課職員は、いまだに両校が存在していると思っているなんてことはないとは思いますが、
もしそうなら何をか言わんやです・・・・
馬渕一丁目9番にある弁天公園
公園と言うより町内のちょっとした広場と言った方がいいのかもしれません。
人影もなく、日当たりも悪そうで、あまり活用されているようすもなく
どちらかと言うと森閑とした風景です。
それになんといっても、
このあたりは静岡駅からも比較的近いのに区画整理の手はとどかず、
狭く屈曲したあぜ道のなごりのごとくの旧態依然とした趣で
線路(東海道線)を挟んだ北側の真っ直ぐな整然とした町並みとは
対照がきわだっています。
そんな印象から、ともすれば見過ごされてしまうのですが
ここにはちょっとした歴史があることを
東京在住の友人から教えてもらいました。
ここの現在の所在地表記は「駿河区馬渕一丁目」ですが
その昔は「*馬淵村」(1889年の市町村制度発足で「有度郡大里村馬淵」)でした。
その馬淵村当時の1880年代、ここには下魚町(現:常磐町二丁目)の宝台院(浄土宗 金米山 宝台院)所有の住宅があり
(当時は弁天池があり、敷地ももっと広かったようだ)
そこに父親の転勤で静岡に来た上田敏の一家が住んでいたとのことです。
旧制中学1年までのおよそ6年ほどの短い期間とはいえ
多感な年代のころですから
静岡は彼にとって忘れ難い地のひとつではと思われます。
もしかしたら、Karl Busse の“ 山のあなた”の名訳なども
静岡から見える山々に思いをはせながらなされたのでは
などと考えるのも楽しいものです。
*
1889年「有度郡大里村馬淵」 (市町村制度発足)
1929年「静岡市馬淵」 (静岡市に合併)
1932年「馬淵町一丁目」 (町名整理で町名変更)
1962年「馬淵一丁目」 (住居表示により町名変更)
2003年「馬渕一丁目」 (静清合併に伴う地名変更に便乗して新字体(略字体)に変更か)
公園と言うより町内のちょっとした広場と言った方がいいのかもしれません。
人影もなく、日当たりも悪そうで、あまり活用されているようすもなく
どちらかと言うと森閑とした風景です。
それになんといっても、
このあたりは静岡駅からも比較的近いのに区画整理の手はとどかず、
狭く屈曲したあぜ道のなごりのごとくの旧態依然とした趣で
線路(東海道線)を挟んだ北側の真っ直ぐな整然とした町並みとは
対照がきわだっています。
そんな印象から、ともすれば見過ごされてしまうのですが
ここにはちょっとした歴史があることを
東京在住の友人から教えてもらいました。
ここの現在の所在地表記は「駿河区馬渕一丁目」ですが
その昔は「*馬淵村」(1889年の市町村制度発足で「有度郡大里村馬淵」)でした。
その馬淵村当時の1880年代、ここには下魚町(現:常磐町二丁目)の宝台院(浄土宗 金米山 宝台院)所有の住宅があり
(当時は弁天池があり、敷地ももっと広かったようだ)
そこに父親の転勤で静岡に来た上田敏の一家が住んでいたとのことです。
旧制中学1年までのおよそ6年ほどの短い期間とはいえ
多感な年代のころですから
静岡は彼にとって忘れ難い地のひとつではと思われます。
もしかしたら、Karl Busse の“ 山のあなた”の名訳なども
静岡から見える山々に思いをはせながらなされたのでは
などと考えるのも楽しいものです。
*
1889年「有度郡大里村馬淵」 (市町村制度発足)
1929年「静岡市馬淵」 (静岡市に合併)
1932年「馬淵町一丁目」 (町名整理で町名変更)
1962年「馬淵一丁目」 (住居表示により町名変更)
2003年「馬渕一丁目」 (静清合併に伴う地名変更に便乗して新字体(略字体)に変更か)
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▽呉服町スクランブル交差点
呉服町二丁目と紺屋町の間のスクランブル交差点
スクランブル交差点といっても
年末年始の呉服町通りは歩行者天国となっていますので
車両の往来は横方向(江川町通り)だけです。
青になる前にフライングで歩きだす青年・・・
(大阪あたりでは、普通の光景かもしれませんが)
赤になってもまだ渡っている大勢の人・・・
いかにも静岡らしく自転車を交差点の真ん中からこぎ出す御夫人(?)・・・・
やはり正月の人出は、七間町に比べると格段に多いようです。
(昔の七間町の賑わいを知らない人は、当然だと思うかもかもしれませんが・・・)
流れるメロディーは、静岡県内のスクランブル交差点で採用されている「富士の山」です。
呉服町二丁目と紺屋町の間のスクランブル交差点
スクランブル交差点といっても
年末年始の呉服町通りは歩行者天国となっていますので
車両の往来は横方向(江川町通り)だけです。
青になる前にフライングで歩きだす青年・・・
(大阪あたりでは、普通の光景かもしれませんが)
赤になってもまだ渡っている大勢の人・・・
いかにも静岡らしく自転車を交差点の真ん中からこぎ出す御夫人(?)・・・・
やはり正月の人出は、七間町に比べると格段に多いようです。
(昔の七間町の賑わいを知らない人は、当然だと思うかもかもしれませんが・・・)
流れるメロディーは、静岡県内のスクランブル交差点で採用されている「富士の山」です。