駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

きょうから遅霜予報

2018年03月15日 23時59分59秒 | ナイーブなモノローグ
▽ NHK静岡の午後9時前の天気予報


きょうから始まったTVの天気予報の時間の遅霜予報
この予報が始まれば春も本格的だということでしょう。

ところで、静岡では当たり前の遅霜予報の放送も
他県の人の目には少々奇異に写るかもしれません。
(民間気象会社を除いて遅霜の予報を出しているのは、静岡地方気象台だけとのこと)

これは お茶の産地の静岡ではお茶の新芽がみるみる伸びるこの時期に
霜にやられると致命的なダメージとなるため
注意を喚起するための放送なのです。

なお、オソジモの表記、たしか以前は「晩霜」という表記だったと思うのですが
読みづらいためか いつの間にか「遅霜」になってますね。


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小春日和

2015年11月12日 15時00分00秒 | ナイーブなモノローグ
▽ 青葉通りに現れたキリンさん(点灯は20日から)もきょうは暖かそうです。



きょう (2015年11月12日)から旧暦の10月、
旧暦の10月は小春ともいうようです。

だからこの時期の暖かい日を
小春日和というのですね。

きょうはまさに
小春日和の暖かい一日でした。

もっとも、最近は
小さい秋という歌に影響されてなのか
まだ春の浅い時期の暖かい日を
小さい春という解釈からか
小春日和というのではと
勘違いされている方も
いらっしゃるようです。

それはともかく
小春日和と言って特別視するのは
日本だけかと思っていましたが
外国でもそれ相当の言い方があるそうです。

中国:小陽春
米国:インディアンサマー
英国:聖マルティンの夏
独逸:老婦人の夏

どこの国でも初冬の暖かい日は
貴重で印象深いのでしょう。



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「葵区 大手町」 って ?

2015年09月24日 06時06分06秒 | ナイーブなモノローグ



城の表門に由来する「大手町
(おおてまち)」
あるいは「追手町
(おうてまち)」という町名は
城下町によくある町名です。
(裏手の門は搦手(からめて)

由来からすると
文字は追手町とすべきでしょうが
読みにくいためか
全国的には当て字である大手町が優勢のようです。

(「大手町」でなく「追手町」を使うのは
  旧静岡市のほか 会津若松市、飯田市など
  ほかに城の表門を「大手門」でなく「追手門」を使う例が高知市などにある。
  なお、高槻市などは「大手町」であるが「おおてちょう」と読む。)


ところで 上の写真は
駿府城公園で開催されている駿府天下泰平まつりの
あるモニュメントにあった
静岡学問所の説明文書の一部です。

そこに、静岡学問所があった所在地
(現在の追手町9番50号附近)
大きな文字で「葵区 大手町」と記してあり
とても違和感があります。

もちろんこれは「追手町」のまちがいでしょう。

これをつくった人は旧清水市の人で、勘違いによるものなのでしょうか?

(清水区の町名は「大手町(現在は住居表示実施で町が削られてしまい大手 一~三丁目」)
あるいは、東京の大手広告代理店に丸投げで創らせたためなのでしょうか?

このまつり自体が
静岡市役所が直接施行したものではないことは理解できますが
やはり町名や地名に関しては
市が監修して訂正すべきだったのではと思うのですが・・・



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きょうは何の日?

2014年07月01日 12時00分00秒 | ナイーブなモノローグ
きょうは2014年7月1日
梅雨明けはまだ先のようで
当分傘が手放せないようです。



きょうは、過去70年近くずっと après-guerre だった日本が
avant-guerre になる記念すべき日(?)でもあります。

心に降る雨は傘では防げないようですが・・・・


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郵政民営化の見直し

2010年02月11日 10時15分15秒 | ナイーブなモノローグ
▽何という会社が掲示したものなのか全く表示されていない。


最近は郵便局へ行っても
どこからどこまでが何という会社なのか
さっぱり分かりません。

切手等を販売している窓口(郵便局会社なのだろうか?)に
ゆうちょ銀行の業務は「一切」行っていないとの注意書きがあり
こういう書き方では取り付く島がありません。
きっと尋ねる人が多いので迷惑千万ということなのでしょう。

昔なら、簡単なことなら教えてもらえたのですが
別会社となった現在、他社のことなど分からないですと言いたいのは分かりますが
これでは「民営化の見直し」も当然のように思えます。

富士川町(ふじかわちょう)

2009年06月23日 23時00分00秒 | ナイーブなモノローグ
富士市との合併で「富士川町」の名は消滅していますが
ほとんどの静岡県民は今でも「富士川町」と言えば
現在は富士市の一部となっている
旧庵原郡富士川町を思い浮かべると思います。

ところが来年3月になると
ちょいと状況が変わってくるかもしれません。

というのは、山梨県の南アルプス市の南側にある
増穂町(ますほちょう)と鰍沢町(かじかざわちょう)
来年3月合併し「富士川町」を名乗るというからです。

もちろん富士川町は
町の名称としては今は存在しませんし
たとえ存在していたとしても
市の名称のように
原則として同一の名称を避けるといった考え方はありませんから
問題となるようなケースではないのでしょう。

現実に全国で同一の町村名の例はかなりありますし
また、市のように県名を省略されて使われる例も
少ないので混乱もないのでしょう。

とは言え
もし旧富士川町が今でも存在したら
きっと避けられた名称であろうし
県をまたぎ、距離的にやや離れているとは言え
同じ富士川沿いの町で
富士川町を名乗られるのは
なにかすっきりしないものを感じます。

これが富士川という固有名詞由来でない
抽象的な名詞などに基づくものであったなら
抵抗感がなかったかもしれませんが・・・

個人的には
静岡県として抗議すべきだとさえ思います。(笑)
(まあ、無理でしょうけれど・・・・)

街かどのアジサイ(本文とは全く関係ありませんが・・・)

参 考
1889年 岩淵村、木島村、中之郷村が合併し富士川村
1889年 南松野村、北松野村が合併し松野村
1901年 富士川村→富士川町に
1957年 富士川町と松野村が合併し富士川町
2008年 富士市と合併

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ニンジンの葉

2009年03月23日 09時40分15秒 | ナイーブなモノローグ

東京在住の友人がニンジンの水栽培について書いていた
のですが
たまたまボクも同じようなことをしていたので
その偶然にちょいと驚いたのでした。

使い残しのニンジンの頭を
水につけておけば自然に葉がでてきます。
特別、目的はないのですが
しいて言えば観葉植物がわりといったところでしょうか(笑)

なお、にんじんの葉は栄養価が高く
天ぷらなどにすればおいしいということです。
天ぷらにするほどの収獲はないので
パセリ代わりにしようと思っているのですが
まだ試していません。(笑)



政令市効果

2009年03月08日 16時50分30秒 | ナイーブなモノローグ
▽市議会議員選挙のポスター掲示板があちこちに立ちはじめた。
 ということは、政令市になってもう4年たったということである。
 政令市になれば、政令市効果で人口も増えるといった話

 (そんな“たなぼた式”な話を信じた人はいなかっただろうし、
 そんな文章を作った御本人も自分の意志とは無関係に作ったのだろうが)

 もあったが、もちろん、そんなこともなかった4年間であった。


過去形が蔓延

2009年01月30日 13時00分00秒 | ナイーブなモノローグ
かなり前から気にかかっていることなのですが
接客の現場などで過去形が蔓延(まんえん)しているようです。

とあるチケット売り場のチケット嬢
「○○のコンサートのチケット、1枚でよろしかったでしょうか」

相手の言ったことの確認で「よろしかったでしょうか」という言い方は
過去形で言うことにより、違った場合の自分の責任を棚上げするようで好きになれないので
自分だったら絶対に使いませんが、まあ、容認することにしましょう。

でも
「チラシをきらしていますので、コピーでよろしかったでしょうか」
とのたまわったのには、さすがにちと違和感があります。
こちらからコピーでもいいからほしいと言ったわけでもないのに
「よろしかったでしょうか」と過去形で言われてしまったら
いやですとは言えません。

言葉は生き物で変わっていくもの
でも気になります。

まあ、こんな些細なことにも
いちいち目くじらをたてるのは
当方が齢(よわい)を重ね過ぎたのでしょう・・・・

こんなつまらい話題でよろしかったでしょうか?



▽09年1月29日の富士山、本文とは全く関係ありません。(笑)

淡くかなしきもののふるなり

2008年11月15日 02時43分43秒 | ナイーブなモノローグ
▽始まる前のようす



母が卒業した某学園の同窓会主催でこの1年に故人となった同窓生の追悼ミサがカトリック教会(同敷地にあるがチャペルではなく本来の教会)で行われ、遺族として列席いたしました。
遺族一人ひとりにお世話係を付ける配慮などは、長年の積み重ねの伝統がなせるものなのでしょう。

プロテスタント教会での礼拝や葬儀等には出席した経験があるものの、カトリック教会は初めてで、それはノーブルで荘厳な雰囲気を感じさせるものでした。
よく歌われる「いつくしみ深き(ソーソ ラソミド ドーラ)・・・」の歌も、当然なのかも知れませんが、カトリック教会では聖歌風にゆったりと歌われるのですね。
信者に対して行われる聖体拝領なども、興味深いものでした。

庵原郡の終えん

2008年11月01日 03時45分51秒 | ナイーブなモノローグ
▽ 由比町の町章がナイーブでかわいい

きょう庵原郡富士川町が富士市と、庵原郡由比町は静岡市と合併します。
したがって、庵原郡がついに消滅というわけです。
現在、郡というのは実質的に行政単位としては機能していませんので
(「一部事務組合」などが郡単位にできている例はありますが)
郡がなくなることの弊害は何もないのでしょうが・・・

それはともかく、個人的には今でも、国策として合併が必用ならば
旧清水市は庵原郡下の町と、旧静岡市は志太地区(焼津・藤枝市、岡部・大井川町)
合併した方がよかったのではと思っています。
もっとも、県のお抱え学者の某大学のS教授によれば
「合併はまだまだ中途半端だ」ということですので
近い将来さらに合併が進み、県中部は一つの行政区域になってしまうのでしょうか・・・・

府中は不忠か

2008年10月28日 08時10分28秒 | ナイーブなモノローグ
▽駿府城巽櫓(たつみやぐら)


▽発掘された本丸堀(内堀)、向こうに見えるのは東御門(左)と巽櫓



かつては「府中」と言われていた「静岡」ですが、
現在「府中」とよばれることはほとんどなく
地元の地名や施設の名前に採用されている例も皆無といった状況です。

もちろん
府中という地名は全国のあちらこちらにあって
区別しづらいということも理由のひとつだとは思います。
それにしても全く使われていない現状は
ちと徹底しすぎているような気がします。

考えられることは
静岡が徳川宗家(そうけ)の言わば本拠地
(最後の将軍の慶喜のあとの16代家達が
短期間とはいえ一大名になりさがって静岡に来たことは、
静岡の人以外にはあまり知られていないのかもしれませんが・・・)
であったことが大きく影響していると思われます。

それまでとは立場が逆転したので、
新政府ににらまれたりしたらたまらないと
相当気を使っていたのでしょう。
なにしろ、「府中」は「不忠」に通じるからと
「府中」の名を捨て去り、「静岡」に改称してしまったのですから・・・

府中が不忠に通じるというのは
京都の方広寺の梵鐘に刻まれた「国家安康」の文字に難癖をつけられ
豊臣家を滅ぼす口実にされてしまったような
今となっては少々滑稽な“はなし”なのですが
当時としてはそれこそ真剣に考えられていたのでしょう。

(まあ、「江戸」も「東京」と改称されてしまったので、当時はそれが普通で、
特別なことではなかったというとらえ方もあるのかも知れませんが・・・)

また、明治政府に媚をうるかのように
駿府城址に34連隊を積極的に誘致したことなども
そういった当時の世の中の気配に配慮した(最近は「空気を読む」というらしい)
考え方の延長上にあるのでしょう。
(したがって、駿府城本丸堀を壊すなど、なんのためらいもなかったのでしょう。)

そういった時代背景から
「府中」が全くと言っていいほど使われなくなり
「駿府」がより多用されるようになったように思われます。

(もし、静岡と改称されていなかったら
県名も「府中県」になっていたかもしれないなどと
他愛もないことを考えたりもします。)


以上、もちろん文献等に裏打ちされたものではなく
主観的、独善的な思考に基づくものです。
田舎の爺さんの繰り言程度に読んでいただけたら幸いです。



通り名(街路名)で道案内

2008年09月25日 10時27分37秒 | ナイーブなモノローグ
日本で通り名(街路名)があまり定着していないのは、
ヨーロッパの都市のように「通り名(街路名)=住所名」ではないことが災いしていると思われます。

そればかりか霞が関のお役人は、
江戸期からのほとんどの城下町では
街路に沿って町名が付けられていた(いわゆる両側町)のに
行政効率優先の「住居表示制度」というのを考え出し
わざわざ分かりにくい街区方式の町名に変更を強制しました。

(1962年の「住居表示に関する法律」の施行時には、
○○年までに実施しろといった努力目標が盛り込まれていたので、
60年代、全国の多くの都市で町名変更が行われた。
全く従わなかったのは京都市だけだと思われる。)

もちろん、急激に農地等が宅地化していったような地区では、
その従前の「大字」のままでは非常に分かりづらくなっていたので、
住居表示制度は有効であったことを認めるものですが・・・・

日本の住居表示制度の最大の欠点は、
住民を管理するという観点からしか制度が考えられていないことです。
たとえば、ヨーロッパの都市では
「○○通り○番地」と聞けば現地がどこなのかおおよその見当がつくのに対し、
日本のそれは「○丁目○番○号」と正確な所在地を聞いたとしても
現地がどこなのか地図なしではさっぱり分かりません。

そんな反省からか
国土交通省では「通り名」を付ける試みを始めているようです。
このことは、ひとつの前進で評価すべきだと思われます。

ただ、住居表示制度の実施で、
住居表示地区の住民は住所を表す「住居表示番号(ハウス番号)」と、
土地の登記や固定資産税の課税などに使われる「土地の番号(いわゆる番地)」と
二つの番号を覚えなくてはならなくなっています。

さらに通りの名前(街路名)となると3種類を使いわけなくてはならないので、
実際に通り名(街路名)が定着するのかどうかむずかしい面もあると思われます。

国土交通省の「通り名」に関するHP


※9月26日、文章を一部補綴しました。

旧町名復活と「○○台」など

2008年08月24日 00時33分27秒 | ナイーブなモノローグ
<駿府城中堀取水場、かつて枯れていた中堀は井水により満たされている。(本文とは関係ありません。)>


◆ 旧町名復活
旧町名の復活で有名なのは金沢市ですね。(ほかに長崎市などもあり)
すでに主計町、下石引町、六枚町、袋町などが復活し、なお作業を継続中のようです。

金沢市の旧町名復活では注目すべき点があります。
というのは、新住居表示制度では町の界を必ず道路や鉄道・河川などの恒久的施設とするよう定めているのですが、金沢市では旧町名復活にあたって、必ずしもこれにこだわらず、町界を背割方式(道路に沿って建ち並んでいる家の背面側を町界とするもの)とすることも容認している点です。

住居表示の実施により、各地で町名が全く変わってしまった例が多いのは、背割方式を自治省(当時)が認めなかったことが元凶のひとつなのですが、この「住居表示に関する法律」違反を問われかねない金沢市の英断は、称賛に値すると思われます。
(今では総務省も容認か?)


<伝馬町・静岡109横のけやき通り、ケヤキがあることはあるが・・・・>

◆ 「○○台」など綺麗系地名
私鉄沿線などの地名でおなじみですね。
やはり不動産開発業者のイメージ先行なのでしょうね。
(あとから正式な地名となることが多いようです。)
「通り」の愛称は、いい加減な例もありますね。

市内の具体的例では・・・
▽「御門台」については、団地造成に伴って付けられたのではないので(当初は駅名のみ、のち住居表示にも採用)、個人的にはあまり抵抗感がないのですがどうでしょうか?
▽駿河区の「富士見台」については、近くのトロ(もともとは小字)という地名が示すように、台地というより、どちらかと言えば湿地帯なのに、地理を全く無視したおかしな命名だと思っています。
むしろ、その昔に付近の俗称として使われていたという「富士見ガ原」の方がましだと思うのですが・・・

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