駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

寺町二丁目 (てらまち にちょうめ)

2008年11月26日 09時13分31秒 | 駿府96か町のいま
▽日蓮宗・感応寺(本堂では、ときおりコンサートが開かれているようだ。)



「寺町二丁目」は、新通りとの交差点から通り沿いに東へ1丁の町でした。
ここには、日蓮宗・感応寺が残っています。
10月13日は日蓮上人の命日ということで、
今でも東京の池上・本門寺などでは
飾万灯(かざりまんどう)を威勢よく振りかざす“お会式”が行われるということですが、
ここ感応寺でも同様の行事が行われ、
戦前は日蓮宗の信徒だけでなく多くの人が集まって賑やかだったそうです。
東京では格調高く「お会式」と言うのに対し、
静岡ではややひなびたた感じで「お命講」といい、
子どもたちは飾りのミニ万灯(かんざらし)を振りかざして
「お~めいこうのかんざらし~、そういったらすっこんだ」とか言ってぞろりぞろり歩きまわったとか・・・・
(参考:渡辺茂男著「寺町三丁目十一番地」福音館書店)


▽家康の100カ日の際、お万の方(家康側室)により放生会が行われた池
・放生会(ほうじょうえ)=捕らえた魚や鳥などを解き放つ仏教行事
・区画整理で境内地が半分に減らされたため元の池は失われ、現在あるものは縮小再現されたもの





「寺町二丁目」は、現在の駒形通一丁目5番、新通一丁目1番、梅屋町、駿河町の各一部
で東西の通り沿い約1丁の町でした。(町名変更は1945年)



寺町一丁目へ
寺町三丁目へ


方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって寺町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

寺町一丁目 (てらまち いっちょうめ)

2008年11月24日 00時43分21秒 | 駿府96か町のいま
▽今も残る浄土宗 善然寺


寺町を冠する町名は、「寺町一丁目」「寺町二丁目」「寺町三丁目」「寺町四丁目」の4町でした。
(他に本通を挟んだ西側に「西寺町」もありました。)
この寺町4町は、通りの南側が文字通り寺町で多くの寺院が並んでいて、北側は町屋だったということです。

1940年の静岡大火後、ほとんどの寺が都市計画により沓谷(くつのや)地区などに移転させられ、
寺がほとんどなくなってしまったことにより、町名もことごとく変更されてしまっています。

この通りの南側のお寺が立ち並んでいた部分は、
新通一丁目、駒形通一丁目、常磐町三丁目などに再編、
北側の町屋部分は梅屋町、常磐町二丁目などに再編され、残った部分は「駿河町」に町名が変更されています。
(したがって、慶喜関連の「葵町」と違って、「駿河町」には特別意味合いはないと思われる。)


たとえ寺がなくなったとしても、
町名まで変える必要があったのか疑問に思うところですが、
当時は町名も文化財などという考え方など全くなく、
寺がなくなったのだから“抹香臭い町名”は変えてしまえと言った程度の発想しかなかったのでしょう。

せめて通りの名前に生かしてほしかったと思うのですが、
これも安易に駿河町通りと名付けられています。
(但しこの「通り名」、あまり定着していないようです。)


「寺町一丁目」は、本通五丁目交差点から新通一丁目交差点までの通り沿いで、
現在はほとんど特長のない通りなのですが、
南側には善然寺が移転をまぬがれて残っています。


▽現在は裏どおりのような普通の街並み



「寺町一丁目」は、現在の本通五丁目の一部、梅屋町の一部、新通一丁目2番の一部の東西の通り沿い約1丁の町でした。(町名変更は1945年)
 (地図では分かりにくいが、善然寺の入口は寺町通りに面している。)



多くの寺院が移った沓谷地区


寺町二丁目へ


方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって寺町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

ストフェス

2008年11月23日 08時30分47秒 | 街かどのメヌエット
22・23日の両日青葉どおりでストリートフェスティバル(スト・フェス)が開催されています。
ささやかに開かれていると思いきや、思いのほか多くの人出でにぎわっています。
2000年から開催されて、認知度も高くなっているのかリピーターも多いようです。

スト・フェスとは

▽アート&ミュージックイベント






▽せっかくですから同会場で行われている年末恒例のイルミネーションも見てみましょう。









逝いた秋

2008年11月19日 18時53分37秒 | 街かどのメヌエット
▽向こうに見えるのは市庁舎・葵区役所




直として冬が来た
安倍川を下ってきた冷たい大気が
街に西風となって流れ込む
けやきの落ち葉を踏みしめて呉服町までくると
もう街は冬のよそおい

▽サンタがいっぱい(呉服町二丁目)





青葉通りのイルミネーション

2008年11月17日 18時09分45秒 | 街かどのメヌエット
※青葉通りのイルミネーションは、かつては11月初めの大道芸のときから点灯させていましたが、
お役所一流の節電に名を借りた単なる歳出削減なのでしょうが、
数年前からは12月に入ってからの点灯となっているようです。
(11月20日追記、今季は、きょう(20日)から1月31日までの点灯ということです。)

今夕、たまたま一部のブロックで点灯されているものを見かけました。
多分、設置工事中の業者による試験点灯なのでしょう。

▽常磐町二丁目(もしかしたらこれが青い鳥?)




▽今年のテーマ「幸せの青い鳥を探してください」




※青葉通り:静岡市は「青葉通り」を「青葉シンボルロード」と勝手に変えたらしいのですが、このうわついた言い方は好きになれないのでここでは使いません。
個人的には由緒ある昔の「下石町(しもごくちょう)通り」にすべきだとさえ思います。


淡くかなしきもののふるなり

2008年11月15日 02時43分43秒 | ナイーブなモノローグ
▽始まる前のようす



母が卒業した某学園の同窓会主催でこの1年に故人となった同窓生の追悼ミサがカトリック教会(同敷地にあるがチャペルではなく本来の教会)で行われ、遺族として列席いたしました。
遺族一人ひとりにお世話係を付ける配慮などは、長年の積み重ねの伝統がなせるものなのでしょう。

プロテスタント教会での礼拝や葬儀等には出席した経験があるものの、カトリック教会は初めてで、それはノーブルで荘厳な雰囲気を感じさせるものでした。
よく歌われる「いつくしみ深き(ソーソ ラソミド ドーラ)・・・」の歌も、当然なのかも知れませんが、カトリック教会では聖歌風にゆったりと歌われるのですね。
信者に対して行われる聖体拝領なども、興味深いものでした。

きょうの富士

2008年11月13日 17時56分56秒 | 街かどのメヌエット
はっきりしない天気が続いていましたが、久しぶりに晴れて小春日和なので、富士山もはっきり見えるかと県庁別館展望室へ出かけてみました。
富士山をとりあげたのは偶然で、知人のブログをフシュウ(踏襲の首相読み)したわけではありません(笑)

▽雪をいただく富士山、ちと霞んで宝永山は見えませんでした。
 右下に見える道路は県道静岡清水線 (通称北街道、鎌倉時代の東海道)

“たそがれどき”の街かど

2008年11月12日 17時56分29秒 | 街かどのメヌエット
▽二丁目 2番地の 虹 (2008/11/12.16:28)
葵区呉服町二丁目2番地付近からの虹です。
下部しか見えませんでしたが、Lニュースによると静岡でももう少し早ければ二重の虹が見えたようです。


▽サザンカも さっそうと 咲いている
葵区紺屋町3番地付近(江川町通り)の街路樹

いつのまにか ノエルの季節が

2008年11月11日 01時45分51秒 | 街かどのメヌエット
静岡駅前にも
“ノエル”の季節が到来。

個人の住宅をごてごて飾り付けるのは
どうもごせっぽくなくて
好きになれないのだが
こういった繁華街のビルが
行きすぎない程度の装飾で
ノエルが近いことを告げてくれるのは
素直にいいなぁと思う。

それはともかく、久しぶりに
コレルリ(1653~1713)のクリスマス協奏曲を
LPで聞いてみることにしよう。
心の内部が
至福のイルミネーションに照らされて
温かくなってしまうのです。


▽エクセルワードビル(葵区御幸町11番地の30)


▽パルシェ(葵区黒金町49番地)




「人がまんなか」実験 (suite)

2008年11月09日 03時42分39秒 | 街かどのメヌエット
▽あいにくの雨で「紺屋町(こうやまち)地下街」で行われた対談(右側)


「人がまんなか」実験のイベントとして、8日(土)14:00から
“しりあがり寿”氏を迎えて対談が行われた。
内容は、現在工事中の再開発ビル内に「市立美術館」ができるということで、
「街にアートを生かす方法」。

なお、氏は紺屋町のスクランブル交差点のところが生育地だということだ。
また、葵区のPRキャラクターである“あおいくん”の生みの親でもある。
(“あおい君”=“あおいくん”ではありません(笑)為念。ちなみに“あおい君”の使用の方が先です。)

「あおいくん」の紹介HP

▽14日のイベント予告

「人がまんなか」実験

2008年11月05日 16時35分54秒 | 街かどのメヌエット
▽紺屋町(こうやまち)名店街、人がいないのは偶然


▽大道芸終了から一夜にしてクリスマスバージョンの紺屋町パルコ前



紺屋町名店街(呉服町スクランブル交差点から国道1号間)で
11月4日から24日までの予定で、
今までの土・休日だけだった歩行者天国を平日に拡大する実験が行われている。

その意義もさることながら、
個人的に興味を引かれたのは歩行者天国となった車道に展示されていた
1950年の商店街(静岡駅前通繁栄街)の地図である。

当然ながら、現存する店、あるいは最近まであった店を
地図から見出すことができるが、全く知らない店も半分近くある。
半世紀の移り変わりの姿にあらためてその時間の経過の長さを思う。

なお、「静岡駅前通繁栄街」という名称は、
1950年から1970年まで使われていたということだ。
西武百貨店が進出した1970年に「静岡ゴールデン街」という名称に改め、
1980年の15人死亡という大惨事となったガス爆発事故の後、
イメージを変えるためか「ランバーストリート」と命名されたがあまり定着せず、
数年後には、昔に回帰して現在の「紺屋町名店街」が使われるようになったようだ。


▽1950年の静岡駅前通繁栄街(現、紺屋町名店街)


▽上図の右側から続く

赤枠:今もそこにある。
青枠:そこにあったことを知っている。
(下図の右下の赤春堂は場所が上図の左上に変わって健在)





大道芸(suite)

2008年11月04日 16時04分50秒 | 街かどのメヌエット
大道芸ワールドカップ開催中に見かけたウォーキング ストリート アーティストなど
(期間中の人出は195万人だったとか)

▽巨人のハロウィン


▽歩く電信柱「足なんて飾りです」


▽首のない人


▽ゴミを拾う天使たち


▽シルバーな人


▽真剣なまなざし


▽やっぱりキリンは人気

新静岡センター

2008年11月03日 11時18分13秒 | 新静岡ターミナル


市民からは単に「センター」と言って親しまれている静岡鉄道のターミナルである
“新静岡センター(鷹匠一丁目1番1号)”ですが、既に開業から半世紀近くたって、
建て替えられることになり09年1月末で閉店するとのことです。

閉店後は、近隣の空き店舗となっている電々ビル(御幸町4番地)に
一部の店舗が仮店舗として入居するらしいのですが、
2階には早くも「朝日テレビカルチャー」が移転して11月4日から営業するそうです。
(追記:1階には丸善書店、すみやが入居するようだ。)
そのほか、地階のしずてつストアは近隣の鷹匠二丁目16番街区へ移転し
3月から営業するようです。










コンテンツ バレー フェスティバル

2008年11月02日 09時02分21秒 | 街かどのメヌエット

▽元教室



コンテンツバレー構想を推進している静岡市ですが「第4回しずおかコンテンツバレーフェスティバル」が11月3日までクリエーター支援センター(追手町4番16号:旧青葉小学校)で開かれています。
デザインの専門家などが見ればその意味するところや良さも分かるのでしょうが、そういうセンスを持ち合わせない者には少々難解な展示でした。