駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

宝台橋 (ほうたいばし) ものがたり

2011年10月27日 23時59分59秒 | 駿府のバラード

▽ 昭和通りの起点付近にある「宝台院」バス停



旧宝台橋交差点近くにあるバス停「宝台橋」が何の前ぶれもなく
2011年10月11日の時刻改正時に「宝台院」に変更されていました。

宝台橋は、地上を走っていた東海道線をまたぐ橋として1936(S11)年3月17日に開通しました。

静岡の町なかと駅南地区が
地上を走っていた東海道線によって分断されていた時代には
南北を結ぶ幹線道路はこの宝台橋と八幡踏切ぐらいしかありませんでした。
(他に静岡郵便局裏手と泉町を結ぶ中央地下道というのがありましたが・・・)
この橋も東海道線が高架となった1979年に使命を終えて姿を消しました。

宝台橋という名称は、もちろん近くにある
 徳川宗家ゆかりの寺、宝台院 にちなんだものです。
(宝台院は正式名は「浄土宗 金米山 寶臺院(こんぺいざん ほうだいいん)」ですが
 静岡弁に時折みられる濁音の清音化のためか「ほうたいいん」という人が多いようです。
 例「~するので」→「~するんて」、「りんざいじ(臨済寺)」→「りんさいじ」
  したがって、宝台橋も「ほうだいばし」でなく「ほうたいばし」という人が多かったようです。)


この宝台橋、大勢の人が招集された戦時中は
この橋の上から出征兵士が乗った列車を橋に群がって見送ったということです。

また、在来線の急行や特急が華やかしころには
この橋の上からいろいろな列車を眺めて楽しんだ方も多いかもしれません。

この宝台橋がなくなってから既に30年以上の歳月が経っているので
バス停名として残っていた方が奇跡的だったのかも知れません。

それでも、バス停名もなくなり
かつてここに宝台橋という橋があったことさえ
 忘れ去られてしまうと思うとちょいとさびしいです。




宝台橋の変遷
 (ブルー=橋部分)


 1)当初、北側は国道1号から斜めに昇り
  南側は旧大里村役場前(大浜街道)方面にまっすぐ伸びていた。



 2)1960年代に入り新幹線建設が本格化すると
   南に延びる部分が新幹線の高架橋に抵触するためループ状に改められた。




 3)1970年代の後半になると東海道線静岡駅付近の高架化工事が
    新幹線に張り付ける形で始まるが工事が進んだ段階で、
    このループ状の部分が高架橋に抵触するため逆コの字型にされた。
  (宝台橋西側から安倍川までの区間の部分高架は60年代に完了していた)




 4)東海道線の高架化完了(1979年10月9日)に伴い宝台橋は撤去。
   都市計画道路宝台院下島線(昭和通りを南側へ延長する道路)が開通。





※ 戦後,まもなくの
国一側の宝台橋の写真がこちらの七間町のサイトに掲載されています。
 下の写真には松坂屋、昇り口にあった(写真では右手)石屋と現在は静岡駅南口にある東照宮300年祭記念塔が確認できます。

 

長政祭り

2011年10月20日 10時20分00秒 | まつり・イベント
着ぐるみ象さん(?)も登場

▽タイ踊りの披露

▽出生地の馬場町(ばばんちょう)にある山田長政の胸像(ハナ肇ではありません)




江戸時代の前期
タイの日本人町で活躍したと言われる山田長政(1590年ごろ~1630年)
駿府馬場町(すんぷばばんちょう=現葵区馬場町)の生まれだと伝えられています。

馬場町や宮ケ崎町は
静岡浅間神社の門前町として発展してきた町ですが
近年のにぎわいはどうしても控えめ(?)のようです。

そこで浅間通り商店街では
町の活性化と山田長政の功績を顕彰しようと
毎年10月(2011年は9日)、長政祭りが行われています。

長政の胸像碑の前では特設ステージがしつらえられ
タイの美人や美青年(?)による
タイ踊りなどが披露されていました。

そのほか歩行者天国になった通りには
ムエタイの演技やタイ料理の屋台などが出て
中央の商店街ににぎわいを取られがちな浅間通り商店街ですが
きょうばかりはなかなかのにぎわいです。



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川越六軒町

2011年10月18日 10時18分00秒 | ちょいとお出かけ
▽川越の山車は静岡市のものと同じ江戸型(もちろんその豪華さは静岡の比ではありませんが・・・)




10月15、16日に行われた川越まつり
川越市に現存する29台の山車(だし)のうち
各町から毎年15台程度の江戸型山車(うち1台は川越市所有)が巡行されます。
(年により参加する町が変わる)

このうちの六軒町の山車です。
山車の見事さはもちろんですが
「六軒町」という町名が残っているのは非常に好もしいです。

1962年に施行された「住居表示に関する法律」により
こういった町名は残っている方がめずらしくなってしまいました。
(住居表示=住所・所在地を従前の土地の番号でなく家屋に付けた番号により表示する制度)

川越市は住居表示制度が実施されていない自治体で
(インターネット上の情報で市役所に確認したものではないです。)
町名や町界の整理は
住居表示制度の実施によらず土地の地番の整理を精力的に実施しているという
全国的に見るとユニークな自治体のようです。

街区方式の住居表示制度では背割式(家並みの後ろ側)の町界を認めないため
大幅に町界を変更せざるをえず
このことが町名が大幅に変えられてしまい
「中央◯丁目」などというおもしろくもない町名が増えてしまう
要因となっています。

地番の整理による方式でも町界の整理が行われますが
それでも町界の設定が
街区方式の住居表示制度(町界は必ず道路や河川等の恒久的施設とする)のようには
必ずしも厳格に実施されないため
城下町によくある「道路沿いに町名をつけ町界は背割式」である町名が
比較的残しやすいようです。

住居表示制度実施により家屋に番号をつけて従前の町名を整理するという安易な方法
(登記簿や固定資産税の賦課は従前の地番によらざるえないため、住民を戸籍と住民票で二重に管理するようなもの)
をとらなかった川越市の例は
全国の自治体で大いに参考にされてもいいと思うのですが・・・

「住居表示に関する法律」は
自治体に市街地における制度の実施を
半強制的に課しているためむずかしいのかもしれません。



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「新静岡」から「新静岡バスターミナル」へ行き先表示が変更

2011年10月15日 10時15分00秒 | 電車・バス
▽ 前面には「JR静岡駅・新静岡バスターミナル」の表示


▽ 乗車口のものはスペースの関係もあってか「静岡駅 新静岡」又は単に「新静岡」 



商業施設である「新静岡セノバ」は
10月5日にオープンしましたが
バスターミナルの方は混雑を回避するため
やや遅れて10月11日から供用開始となりました。

新静岡ターミナルが工事に入る前の
バスの行き先表示は単に「新静岡」でした。

静岡駅を経由して新静岡バスターミナルが終着となる場合でも
静岡駅の表示はなく、あくまで「新静岡」であり
また「バスターミナル」という表示もされませんでした。

これは東京行き電車が「東京」と表示し
「東京駅」と表示しないのといっしょであり
地元民には特別違和感はありませんでしたが
来静の人には
なれない「新静岡」の表示は多少戸惑いがあったかもしれません。

新静岡ターミナルが工事期間中
大半のバスが静岡駅が終着となっていたのですが
バスターミナルの供用開始に伴い
新静岡行きが復活しました。

当然、行き先表示は「新静岡」となるのかと思っていましたが
「JR静岡駅・新静岡バスターミナル」に変更されていました。

かつてはJR静岡駅前バス停は
新静岡バスターミナルを補完する立場であったものが
静岡駅前の商業施設の充実により
必ずしもそうではなくなったことが
あるのかも知れません。

また、「バスターミナル」の表示が付け加えられたことは
新しいバスターミナルは工事前より
進入路やバースの減少により
一部の路線がバスターミナルに入らず
周辺道路に分散されたので
バスターミナル内に入るということを強調しているのかも知れません。

いずれにしても
この表示方は市外から静岡を訪れる人にとっては
分かりやすくなったと言えると思われます。



静岡駅近くに残るなつかしい風景

2011年10月13日 10時13分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ よくぞ残っている駿河区 南町 8番街区の一画


駿河区南町8番、いわゆる駅南銀座の入口です。

とてもここが静岡駅改札口から
わずか数百メートルの地だとは思えないようなたたずまいです。

(もちろん、そのこと自体が悪いと言ってるわけではありません。)

静岡の町はもともと
駿府城の西南に広がる碁盤の目地区
(七間町通りを中心軸とした地域)
それにつらなる浅間神社や番町、安西方面が駿府城下であり
静岡駅辺りは町からはずれたいわゆる郡部
(「安倍郡南安東村」、1889年の市町村制度発足後は「大里村南安東」)でした。

鉄道開通後、東海道線以北
(現在の葵区側)は鉄道の発展とともに
すぐ城下地区と一帯化して
今では整然とした街並みとなっています。

それに対して東海道線以南は
1979年に在来線が全面高架化されるまでは
平面交差のため分断されていたこともあって
たとえ静岡駅に近い地域でも開発の手があまり及ばず
東海道線以北とは
(区画整理もほとんど進んでいないこともあって)
かなり異なる印象の風景となっています。



▽ 建設が進む「静鉄ホテルプレジオ静岡駅南」(駿河区 南町 13番)


それでもこの地域に
開発の手が及ぶのは時間の問題かもしれません。

この一画の裏側
(表側というべきか)
静岡駅南口から延びる幹線道路沿いには
大きなビルが次々とたち並んでいるからです。

(東海軒会館の一画も近いうちに再開発される)

この一画も10年もすれば
無機質なビルで埋め尽くされてしまい
なつかしい風景も今が見納めかもしれません。



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江崎書店呉服町本店が閉店

2011年10月12日 10時12分00秒 | 街かどのラプソディー
▽ もう呉服町では心の翼をひろげられない。

 ▽ 常に地価が県下一高い呉六名店街に位置する




呉六名店街にある
江崎書店本店が2011年10月11日限りで閉店しました。

静岡駅ビル内のパルシェ店を増床して
呉服町の本店は閉店するということは
早くから告知されていましたから
閉鎖された店舗を見て
驚ろかされるということはないものの
街かどから文化の香りが失われるような
喪失感は否定できません。

かつては街かどごとにあった書店も
紺屋町葵タワー内に戸田書店呉服町本店はあるものの
中心商店街のいわゆる路面店は
谷島屋書店呉服町本店だけになってしまいました。

本が売れない時代となって
地価の高い繁華街の路面店では
他の収益の高いものを扱った方が有利で
駅ビル内のような便利な場所の大型書店でなければ
生き残りは困難な時代となってしまったようです。

 

 町かどごとにあった書店



 静岡市の中心市街地にある大型書店(朝日新聞記事から)
 戸田書店静岡本店
(紺屋町・葵タワー内) 850坪 60万冊
 丸善&ジュンク堂新静岡店
(鷹匠一丁目・新静岡セノバ内) 700坪 70万冊
 谷島屋書店呉服町本店
(呉服町二丁目) 400坪 40万冊
 江崎書店パルシェ店
(黒金町・JR静岡駅ビル) 205坪 15万冊 


追 記
江崎書店は静岡駅ビルパルシェ内に移転したものの
パルシェの改装時(2017年)に閉店してしまいました.


関連記事
 谷島屋呉服町本店が閉店はこちらから

紺屋町地下街が改修工事

2011年10月11日 23時59分00秒 | 街かどのメヌエット

静岡駅前の紺屋町(こうやまち)地下街の階段への通路が
きれいに片付いていました。

ここには地下に住んでいる人の所帯道具(?)が
 所狭しと置かれていました。





 
工事用のものらしい配線が設置されています。




 
どうやら
この夏ごろからと報道されていた
地下街のリニューアル工事が
やっと始まるようです。

この告知によると工事期日は
10月11日から来年の3月15日までとなっています。

 経年劣化が目だつ地下街ですので 
リニューアルの完成が待ち遠しいです。


静岡駅前の金券ショップ

2011年10月05日 10時05分00秒 | 街かどのラプソディー


JR静岡駅前には
かなりの数のいわゆる金券ショップがあります。

特にここは
2軒の店が並んで競っていましたが
左側の店が9月末で閉店していました。

殴りこみをかけるように
隣へ同じ業種の店ができたときは
驚かされましたが
(どちらが先にできたのかは忘れてしまいましたが)
 かなり長い間(5年以上か?)共存していました。

金額の設定は
どこの店もそれほど差異があるものではないので
差別化はむずかしく
結局、間口の広さが勝負の分かれ目だったのでしょうか?


セノバ周辺の案内地図

2011年10月04日 10時04分00秒 | 街かどのカプリッチョ
▽ 緑の線内が貼り付けされた部分


江川町交差点にある
セノバ周辺の案内地図





 
10月11日から供用開始のバスターミナルの部分も含め
セノバ一帯の部分が修正したものに
貼りつけの形で修正されています。

すばやい修正に
さすが静岡市役所はやることが早いと
感心をしてよく見てみると・・・・





 
静岡駅前のバス乗り場の
乗り場番号は1年以上前のものですし
2010年4月に完成した
静岡駅前の葵タワーの部分には
再開発事業中となっています。

 まあ、役所の仕事はそんなものなのでしょう。

(この案内地図が役所の直営で設置されているものなのかどうかは知りませんが・・・) 


静岡鉄道に急行が復活

2011年10月03日 10時03分00秒 | 電車・バス
 ▽ 3日の朝6:32分に新静岡駅に到着した通勤急行初列車


 
▽ ダイヤ改正に合わせて、構内もリニューアルされた
 
 (発車標の 「急行」 「県総合運動場行き」 の表示が目新しい)


 
▽ 新静岡駅の新しい時刻表 (デザインも一新された)


 ▽ 時刻改正のお知らせ 



5日の新静岡駅の駅ビル「セノバ」のオープンを前に
静岡鉄道の時刻改正が10月1日から実施されました。
今回の改正は、なかなかのやる気ダイヤとなっています。

改正前はラッシュ時5分間隔
昼間6分間隔の比較的単純なダイヤだったのですが
 15年ぶり
(急行休止は96年4月1日)に急行が復活しました。

15年前まで運転されていた急行は
朝、晩のラッシュ時には約15分間隔
 昼は20分間隔
(間に2本の各停)でしたが
 今回の改正で誕生する急行
上りは通勤急行を名乗り停車駅が若干違う)
平日の朝のみで12分間隔の運転です。

通過駅は主に静岡方に集中させて
新静岡対清水方面の時間短縮をねらっています。
そのため停車本数が減る急行通過駅のために
 新静岡・県総合運動場間の区間便を設定しています。


 また、早朝をのぞいて
通過駅での警告や誤乗防止のための
 ミュージック・ホーン
(静鉄ではミュージックサイレンと言っているようです)
復活しました。

ラッシュ時のダイヤの充実との引換えに
 昼間は、1時間当り10本
(完全6分間隔)だったものが
 1時間当り9本
(6~7分間隔)に減らされましたが
この程度の待ち時間の延びはほとんど気にならない程度でしょう。

1、2日が土日のため
急行運転の開始は3日からでした。
3日の早朝、通勤急行初列車となる
新静岡着6:32着の列車は
早朝にもかかわらずかなりの数の下車客がありました。

 
▽ コンコースにも発車案内表示が (左端に写っているのはウォークイン改札)



七間町・七ぶらシネマ通りの終えん (ミラノ座のファサード)

2011年10月02日 12時00分00秒 | 街かどのラプソディー
▽ ミラノ1ほかが入っている静活有楽会館


静活の七間町からの撤退に伴い
壊される運命にある三つの建物のうち
 オリオン座の入っている静活会館(1957年6月)
 ピカデリーが入っている静活文化会館(1957年12月)
それぞれ個性的な建物の顔を見せています。

一方この三つの建物のなかでは
 一番新しい(1962年12月)静活有楽会館は
前面が壁で覆われて
ちょいと無愛想な感じもします。


▽ 谷島屋書店呉服町本店


現在、呉服町二丁目の谷島屋書店の店頭のウインドウで
「静岡映画館物語」という本が紹介されています。

 そこには旧オリオン座(七間町13番地の昭和通り沿い)の写真とともに
 静活有楽会館(中央:当時は日活専門劇場だったようです)
写真が飾られています。

ガラス越しに写したものなので
あまりはっきり分からないかもしれませんが
当初はなかなかカラフルな外観で
当時としてはさぞモダンな建物だったことでしょう。
(年月を経て再塗装を重ねるうちにグレー系の塗料で
 塗りつぶされて現在の姿になってしまったのでしょうか?)


壊す前にできた当時の姿に戻してあげたかったと
 思ったりします。


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七呉丹 (しちごたん:七間町・呉服町・伊勢丹の連携)

2011年10月02日 10時02分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ 400年前から駿府の中心は札之辻、けっして静岡駅ではありません。
  (江戸期の町割りのままだった明治期の地図に現在の商店街がそのまま書き込める)


▽ 七呉丹のフラッグが掲げられた。(旧七間町一丁目、キンモクセイが咲いています)


▽ 札之辻交差点




中心市街地にある四つの商店街のうち
七間町名店街と呉服町名店街は
両商店街の中心、札之辻にある静岡伊勢丹と歩調を合はせて
もよほしなどを実施してゐました。

今月から「七呉丹」と称して
さらに連携を強化しようとしているやうです。

これは言ふまでもなく
最近の静岡の中心市街地では
ともすれば静岡駅周辺に買ひ物客が集中しがちなのですが
七間町の映画館のうち静活系の映画館の閉鎖
鷹匠町一丁目(市が勝手に町を削って「鷹匠」にしてしまったのは本当にけしからんです)
静鉄のセノバができることで
この動きがさらに加速されそうなことからでせう。

商店街とデパートのコラボという全国的にも珍しい試み
要の伊勢丹の企画力やセンスに負ふところも多いのでせうが
ぜひ成功してほしいものです。



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JR静岡駅から見えるセノバの広告看板

2011年10月01日 10時01分00秒 | 新静岡ターミナル
▽ 旧電車道(静岡市内線が走っていた道)正面に見えるセノバ


10月5日オープンするセノバのビルの右端に付けられた広告看板
なにゆえわざわざ端に寄せられているかというと・・・・・



▽ JR静岡駅の300m先に見えるセノバの広告看板(夜は電照される)


この位置ならJR静岡駅から見えるのです。
(もちろん沿道からも)

葵タワーができる前
パルコのビル側面の静岡駅から見える位置に
広告が掲示されて
その抜け目のなさに驚かされたものですが
考えることはみな同じなのですね。






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