▽夕方の安倍川花火大会会場行きの臨時バスです。
毎回、静岡駅と新静岡ターミナルの2箇所から
それぞれ会場行きの直行バスが出るのですが
そのうち、新静岡ターミナルは工事中で使えないため
今回は青葉小学校跡地のバス駐車場が当てられていました。
静岡駅前では500m以上もあるかと思われる長蛇の列でしたが
こちらは比較的余裕があったようです。

↓青葉小跡地から出発

↓静岡駅前(ジグザグに並ぶ人々、この場所からではバスに乗り込むのに1時間近くかかったのでは・・・)

午後7時から安倍川花火大会始まりました。
↓市内某所から(19:20ごろ)

以下追記
1945(S20)年6月20日の朝
みぞうの死体が静岡の街のあちこちに放置されていました。
これは、19日夜から20日未明にかけて行われた
静岡大空襲の結果なのです。
街のほとんどは焼き尽くされ
死者は2000人とも言われています。
そのほとんどは安倍川の河川敷で“だび”に付され
その煙が何日も続いたと言うことです。
その安倍川で“だび”に付された死者を慰霊するために
戦後、始められたのが安倍川の花火大会です。
今ではそんな経緯など知らない人も増えたようです。
↓20:05ごろ

毎回、静岡駅と新静岡ターミナルの2箇所から
それぞれ会場行きの直行バスが出るのですが
そのうち、新静岡ターミナルは工事中で使えないため
今回は青葉小学校跡地のバス駐車場が当てられていました。
静岡駅前では500m以上もあるかと思われる長蛇の列でしたが
こちらは比較的余裕があったようです。

↓青葉小跡地から出発

↓静岡駅前(ジグザグに並ぶ人々、この場所からではバスに乗り込むのに1時間近くかかったのでは・・・)

午後7時から安倍川花火大会始まりました。
↓市内某所から(19:20ごろ)

以下追記
1945(S20)年6月20日の朝
みぞうの死体が静岡の街のあちこちに放置されていました。
これは、19日夜から20日未明にかけて行われた
静岡大空襲の結果なのです。
街のほとんどは焼き尽くされ
死者は2000人とも言われています。
そのほとんどは安倍川の河川敷で“だび”に付され
その煙が何日も続いたと言うことです。
その安倍川で“だび”に付された死者を慰霊するために
戦後、始められたのが安倍川の花火大会です。
今ではそんな経緯など知らない人も増えたようです。
↓20:05ごろ
