▽ 前日設営中の山車
▽ さっそく面踊りが披露された
今年の静岡まつりの最終日である4月5日の午後
「日本のまつり」と称して
全国のまつりのうち徳川家と関係の深い町のまつりが
招へいされました。
呉服町二丁目の葵スクエアを起点に
パレード形式で紺屋町、静岡駅前、御幸町、静岡市役所前の順路で
大勢の観客に披露されました。
このうち川越まつりの山車は
前日のうちに葵スクエアで組立作業され
組立終了後、さっそく
お囃子と面踊りが披露されていました。
(静岡の山車の面踊りは太鼓の枠組から身を乗り出して踊る独特のもので
動きが上半身のみに限定されてしまうのですが
川越のものは関東でよくみられる全身を使った踊りです。)
川越の山車は静岡と同じ江戸型で
29台が現存しますが
今回静岡に運び込まれた山車は
川越市志多町所有の「弁慶の山車」です。
静岡の山車にくらべると
さすがに、弁慶の人形はもちろん
上段の四方幕や下段の見送り幕などがとても格調高く立派です。
▽ 雨のなかの巡行
▽ 車輪が直結式なので交差点で曲がるにはジャッキで持ち上げて方向を変える。
当日はあいにくの雨天で
せっかくの豪華な山車も
シートに覆われての巡行で
高欄も下げられたまま
したがって人形も仰ぎ見ることができませんでした。
それでも
雅な川越の山車のもつ品格といったものは
静岡の人にも充分伝わったと思われます。
▽ 静岡市の浅間神社二十日会祭の山車(4月4日に行われた“踟(ねり)勢揃い”)
▽ 伝馬町学区が曳く咲耶車(さくやぐるま=1996年新造)
牛に曳かせるのが静岡の特長だったが、今では牛は省略が常になってしまった。
こちらは静岡の山車
今年は雨にたたられ
巡行されたのは
4月4日(土)だけでした。
静岡でもその昔は
各町で山車を所有していたということですが
明治以降次第に衰退し
各地へ譲渡されてしまったものも多いようです。
(飯能市へ1台、浜松市の旧雄踏町へ1台譲渡されていることが判明している)
その後、静岡大火(1940年)や空襲(1945年)によりさらに減り
戦後残ったのは4台のみ(現在は’96年建造をふくめて5台) で
各町での所有から神社で一括管理となったようです。
そのため、静岡では各町が競って山車を持つ形態で
なくなってしまったためか
市民の山車に対する愛着が
他都市のそれに比べて
非常に稀薄なのは残念なことです。
このブログも山車のことを取り上げると
アクセス数が減るので
それだけ静岡市民に興味がないということでしょう。(笑)
↑ 静岡県情報の人気ランキング