駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

サクラとハナミズキの不思議な関係

2015年04月25日 10時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ 駿府城坤櫓(ひつじさるやぐら)前のツツジ

▽ 駿府城公園・沈床園のサクラ


サクラは完全に葉桜となり
ツツジが咲き乱れるようになりましたが
葉ばかりのサクラのなかに
胴吹きのサクラが数輪
 けなげに花を付けていました。





▽ 歩道のタイル


 ツツジと同じころ咲くのがハナミズキ
(アメリカ ヤマボウシ)
 静岡市の木
(旧清水市の花木)に指定されています。

ワシントンのポトマック河畔のサクラは
1912年に東京市長から贈られたものですが
このサクラの返礼として東京市に贈られたのがハナミズキで
 これが日本におけるハナミズキのルーツだということです。


 それでは
静岡とハナミズキはどのような関係があるかというと
 アメリカに贈られた6000本のサクラ
(ワシントンとニューヨークに半分ずつ分けられた)
興津の果樹研究所で台木に
東京の荒川堤のサクラからとった枝を接ぎ木した
ものだということです。

その縁でアメリカから贈られたハナミズキの原木のうち
1本は興津の果樹研究所に現存しています。

このような経緯で
 静岡市の木に指定されています。

新茶の季節が到来

2015年04月23日 17時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ JR静岡駅前


静岡駅前広場内のチャノキ(お茶の植物名)です。

4月に入り晴れの日が少なかったのですが
チャノキは季節の移ろいを見逃すことなく
「みる芽」を延ばしています。

(せっかく駅前に植えられているのにきちんとした表示もなく
 通路からやや離れた場所にあるので
 静岡を訪れたほとんどの人がお茶であることに気づかずに
 通りすぎてしまうのが残念です。)

※みる芽=みるい芽
(「みるい」は若葉や菜葉などの みずみずしく しなやかで 柔らかい 様を表す
 最も秀逸な静岡を代表する言葉。
 共通語では表せないので「みる芽」という言葉は
 茶業界では全国区で使われているという。)


▽ 静岡駅公共地下道入口


▽ 静岡駅構内



4月21日の朝、北番町の静岡茶市場で
新茶の初取引があったそうです。

きょうは静岡駅で
静岡茶商工業協同組合による
新茶の接待が行われていました。

飲まれた方、
きっと寿命を3年以上伸ばされたことでしょう(笑)


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オランダ王国大使館公邸公開

2015年04月16日 20時00分00秒 | ちょいとお出かけ
▽ オランダ王国大使館前(港区・芝公園三丁目)




オランダ王国大使館は
日比谷線神谷町駅から徒歩5分ほどのところにあります。

大使館敷地内には、公邸と本館(事務棟)がありますが
このうち公邸が4月10日公開されました。

(通常、大使館の公開というのはなかなかないのですが
 通常業務に使う本館とオフィーシャルな行事に使用する公邸が別棟になっているので
 他の大使館より条件的に公開しやすいのかもしれません)

この公邸は関東大震災後に建て替えられたものということですから
90年ほどたっていることになります。



▽ カエル飛び出し注意(?)


通用門のような門をくぐると
正面方向は、両脇にチューリップが咲き乱れる通路が本館へとつづき
右手に公邸があります。

(公道から公邸へ直接入る門もありますが、VIP用なのでしょう)


▽通路の先にある(というより本来、本館用の通路なのでしょう)非公開の本館




通路と公邸の敷地はフェンスで隔てられています。

本館は公開されていませんから
右手の公邸への門をくぐり公邸前の庭に入ります。






公邸前の庭からの全景です。











公邸の1階部分が公開の対象ですが
各部屋の中までは立ち入れませんから
入口から中をのぞくことになります。

内装は品格があるのはもちろんですが
2012年に全面改装されたということで
オランダの清楚でモダンな家具や
スタイリッシュな照明器具が目を引きます。





公式な晩餐会が開かれるダイニングルームで
壁には伝統的なオランダの海景画が飾られています。





建物裏手の庭園からみた公邸です。

1階の庭園に面した箇所には
ベランダがあり、くつろげる空間となっています。




あずまやなども設けられている庭園を一周して
出口へと向います。

あとは、チューリップなどの球根類や
オランダワッフルを売るコーナーを
ちょっとのぞいて大使館をあとにします。



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落花さかん

2015年04月11日 11時11分11秒 | 街かどのメヌエット



あっと言う間に散ってしまうサクラ
今年は開花後、菜種梅雨と重なり
薄ら寒い日がつづいたりして
思いのほか長く咲いていたのですが
さすがに4月も中旬にさしかかると
さかんに花を散らしいます。




それにしても
この駿府城公園内の
内堀のあった箇所
(橙色の線)に沿って
7~8年前に植えられたサクラが
そこそこ見ごたえがある大きさに
成長していますね。

できれば開花時期が少しずつ違う
多様な品種のサクラを植えて
次から次へ咲くサクラを楽しめるといいですね。



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一富士・二鷹・三茄子のねぶた

2015年04月08日 12時00分00秒 | まつり・イベント
▽ 一富士二鷹三茄子のねぶた(富士山は左手の陰です)



静岡まつりの最終日(4月5日)には
家康公400年祭で制作された
「家康公ねぶた」も登場しました。

題材は家康公が愛したという
「富士山、鷹、なすび」から
とっています。

このねぶたは
紙製ではなく特殊な素材の
バルーンということですが
それでも
なかなか迫力があります。



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徳川家のルーツ 尾島町のねぷた

2015年04月07日 12時00分00秒 | まつり・イベント
▽ 旧尾島町(現:太田市尾島地区)のねぷたの隊列の先触れ

▽ 10尺もある大太鼓が豪壮に打ち鳴らされる(雨天のためビニールシートで覆われている)

▽ 高さ7mの扇ねぷた


静岡まつりの最終日
徳川家にゆかりの地のまつりを招へいした「日本のまつり」には
川越の山車以外にも
「博多祇園山笠」「徳島阿波踊り」「よさこい鳴子踊り」「尾島ねぷたまつり」が
 参加しました。
(予定されていた島田の帯祭は、雨天のためパレードへの参加は中止された)

徳川家のルーツというと
 群馬県の尾島町世良田
(現:太田市尾島地区)
あるとも言われています。

というのは新田家の始祖である新田義重の子、義季が
この所領を義重から譲り受け、徳川姓を名乗ったのが
始まりだということです。

この尾島の名物はねぷたです。
これは、津軽藩の飛地が上州にあったという
歴史的なつながりから弘前市と交流があったため
昭和の終わりごろからこの尾島でも※ねぷたが始められ
今では太田市を代表する“まつり”となったということです。

勇壮な大太鼓の音とともに
扇ねぷたが巡行されて行く様は
 予想よりはるかにインパクトのあるものでした。

※弘前は「NEPUTA」、青森では「NEBUTA」



▽ 駿府城公園に設けられた太田市のPRブース

太田市のPRブースには太田市役所の職員も動員されているようです。
このブースでは上州太田焼きそばが売られ
一人前100円の格安なので行列ができていました。

なお、太田市は戦前は中島飛行機、戦後は富士重工業で知られた町で
製造品出荷額は群馬県で一位で、
茨城・栃木・郡馬の関東3県のうちでも一位を誇る
 内陸型工業都市です。

川越まつりの山車が静岡に

2015年04月06日 12時00分00秒 | まつり・イベント
▽ 前日設営中の山車
▽ さっそく面踊りが披露された



今年の静岡まつりの最終日である4月5日の午後
「日本のまつり」と称して
全国のまつりのうち徳川家と関係の深い町のまつりが
招へいされました。

呉服町二丁目の葵スクエアを起点に
パレード形式で紺屋町、静岡駅前、御幸町、静岡市役所前の順路で
大勢の観客に披露されました。

このうち川越まつりの山車は
前日のうちに葵スクエアで組立作業され
組立終了後、さっそく
 お囃子と面踊りが披露されていました。
(静岡の山車の面踊りは太鼓の枠組から身を乗り出して踊る独特のもので
 動きが上半身のみに限定されてしまうのですが
 川越のものは関東でよくみられる全身を使った踊りです。)

川越の山車は静岡と同じ江戸型で
29台が現存しますが
今回静岡に運び込まれた山車は
川越市志多町所有の「弁慶の山車」です。

静岡の山車にくらべると
さすがに、弁慶の人形はもちろん
 上段の四方幕や下段の見送り幕などがとても格調高く立派です。


▽ 雨のなかの巡行
▽ 車輪が直結式なので交差点で曲がるにはジャッキで持ち上げて方向を変える。

当日はあいにくの雨天で
せっかくの豪華な山車も
シートに覆われての巡行で
高欄も下げられたまま
したがって人形も仰ぎ見ることができませんでした。

それでも
雅な川越の山車のもつ品格といったものは
 静岡の人にも充分伝わったと思われます。




▽ 静岡市の浅間神社二十日会祭の山車(4月4日に行われた“踟(ねり)勢揃い”)
▽ 伝馬町学区が曳く咲耶車(さくやぐるま=1996年新造)
  牛に曳かせるのが静岡の特長だったが、今では牛は省略が常になってしまった。


こちらは静岡の山車
今年は雨にたたられ
巡行されたのは
4月4日(土)だけでした。

静岡でもその昔は
各町で山車を所有していたということですが
明治以降次第に衰退し
 各地へ譲渡されてしまったものも多いようです。
(飯能市へ1台、浜松市の旧雄踏町へ1台譲渡されていることが判明している)

その後、静岡大火(1940年)や空襲(1945年)によりさらに減り
 戦後残ったのは4台のみ
(現在は’96年建造をふくめて5台)
 で
各町での所有から神社で一括管理となったようです。

そのため、静岡では各町が競って山車を持つ形態で
なくなってしまったためか
市民の山車に対する愛着が
他都市のそれに比べて
非常に稀薄なのは残念なことです。

このブログも山車のことを取り上げると
アクセス数が減るので
 それだけ静岡市民に興味がないということでしょう。(笑)


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