駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

七間町に富士山登場

2018年04月30日 18時00分00秒 | 街かどのメヌエット
▽ 葵区・七間町・16番地


建替えられたビルの壁面に何やら模様が・・・
よく見ると富士山でした。

その昔はこの辺りからも富士山がよく見えたことでしょう。
ビル群にさえぎられて見えなくなった富士山の残像が
ビル装飾のモチーフとなって
生き残っているかのようです。



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広辞苑と静岡

2018年04月19日 16時00分00秒 | 駿府のバラード
▽ 重山文庫(京都市・北区・小山中溝町・19番地)


京都市営地下鉄 鞍馬口駅から西へ徒歩5分ほどのところに
重山
(ちょうざん)文庫があります。

建物は鴨川西畔にあった木戸孝允の邸宅の一部を移築したもので
この建物自体も価値があるものです。

ここは広辞苑の編さんで有名な
国語学者の新村 出
(いずる)博士(1876~1967年)の旧宅で
広辞苑に関する資料が整理・保存されています。
重山文庫の「重山」というのは新村出博士の雅号であり
「出」という字は山が重なっていることからの命名です。

月曜と金曜(祝日に当る場合を除く)のみ一般公開されていて
新村出氏の孫で岩波書店の編集者だった
「広辞苑はなぜ生まれたか 新村出の生きた軌跡」の著者の新村恭さんの案内で
広辞苑の資料について丁寧な説明を受けることができます。

 新村出博士は徳川宗家・旧幕臣の関口家
(旗本・古くは今川家臣)の生まれで
父親の関口隆吉(たかよし:勝海舟とも親交があり静岡県令のちに初代静岡県知事)
 博士が12歳のとき不慮の事故で亡くなられたため
 徳川慶喜公の側室「信
(のぶ)」の養父である新村猛雄の養子となり
 新村姓になりました。


西草深町の慶喜公の屋敷の隣附近に住まいがあって
 静岡県尋常中学
(現:県立静岡高校)を卒業するまで静岡にいたそうです。

辞書としての広辞苑は誰でも知っているでしょうが
初代の編さん者が静岡ゆかりの人だということは
存外知られていないのかもしれません。

サクラからツツジに主役交代

2018年04月13日 23時59分59秒 | 街かどのメヌエット
▽ 駿府城・外堀( 葵区・追手町(おうてまち)・4番附近 )


▽ 駿府城・中堀( 葵区・追手町・9番附近 )


1週間前までは名残りのサクラが お堀の石垣を彩っていたのですが
きょう
(’18年4月13日)見るとツツジの花にすっかり入れ替わっていました。

開花が遅かった昨年の今頃はちょうどサクラが満開だったのですが
今年は早くもツツジに主役交代です。
というより、昨年が例年になくサクラの開花が遅かったのですが・・・



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サクラと「葵 舟(あおいぶね)」(駿府城中堀 春の陣)

2018年04月02日 23時59分59秒 | 街かどのメヌエット








もう覚えている方も少ないでしょうが
その昔、駿府城中堀
(二ノ丸堀)には田中屋百貨店(現 静岡伊勢丹)の経営する貸しボートがありました。

そのボートも地下水の低下による中堀の枯渇を機に廃止されて久しいのですが
現在、静岡まつりの期間に合わせて観光用の和舟で一周する「葵舟」が
'18年3月30日(金)から4月8日(日)までの日程で運行されています。

北御門
(市 中央体育館側)を起点に
右回りにゆっくり50分かけて一周しています。
満開のサクラを水上から見上げるのも
なかなか “おつ” なものかもしれません。


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