駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

駿府城・東喰違御門(ひがし くいちがい ごもん)

2009年05月30日 06時35分22秒 | 駿府のバラード
▽ ここに書かれている図は上が南です。
 
 
▽ 土手の西側 (児童公園側)
 
 
県庁裏の二の丸橋(江戸期の二の丸橋の位置とは違う)を渡ると
右手に児童公園があります。
その児童公園の東側(巽櫓側)は土手で区切られています。
 
子どものころ
どうしてこんなところに出っ張るように
土手があるのか不思議に思っていました。
 
これが東喰違御門の跡だったのです。
 
喰違御門は、内堀(本丸堀:現存しない)と中堀(二ノ丸堀)の間の
いわゆる二ノ丸の東西の行き来が自由にできないように
北側と南側からそれぞれ伸びるように土手が築かれ
土手と土手の間の食い違った場所には門が設けられていたものだそうです。
 
さすがに北側から伸びていた土手は現存しませんが
南側から伸びている土手が残されています。
 
それにしても
二ノ丸より内側の中央部は
陸軍歩兵34連隊を誘致の際
用地確保のために、ほとんど破壊されたのに
よくぞ残されたものです。
 
一見、ただの土手にしか見えないため
つい見逃しがちなのですが
ここに立ち、門のあったころの姿を想像して
しばしたたずんでみるのも存外楽しいかもしれません。
 
 
▽ 土手の東側(巽櫓側)
 
 
▽ 喰違御門の位置(南側の部分が残されている)
 
 
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本当のラッピングバス

2009年05月28日 09時30分00秒 | 電車・バス
▽ 江川町交差点を行く“しずてつジャストライン”のバス

たまたま見かけたラッピングバス
“しずてつJL”のラッピングバスは
前面にもラッピングされているのが特長ですが
これは、本当に全身ラッピングされているのですね!

これぞ本当のラッピングバス
でも、ここまでして効果があるのでしょうか(笑)
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本丸堀のタチアオイ

2009年05月27日 04時24分15秒 | 街かどのメヌエット
静岡市の花に制定されているタチアオイが
いつのまにか
あちこちで咲き誇る季節になったようです。

このタチアオイを市の花に制定しているのは
「静岡市」以外にも「会津若松市」があるようです。
まあ、両市の制定の理由はあらためて言う必要もないでしょう。
(徳川家の紋はフタバアオイがモチーフなので葉の形が違うのですが)




近年、一部が発掘された本丸堀(内堀)に咲くタチアオイ
(駿府城・本丸堀は、明治期に歩兵第34連隊誘致のため破壊された)



これは地面に咲いているタチアオイです。(笑)
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「横内川跡」 の碑

2009年05月25日 07時00分00秒 | 路傍のいしぶみ (碑)
▽横内川跡を記念する“いしぶみ”
(しずおか信用金庫横内支店前:葵区 太田町33番地)



▽太田町は・・・
市町村制度ができる前:有渡郡南安東村太田切
市町村制度発足(1889年):安倍郡豊田村南安東太田切
1908年10月静岡市に合併:静岡市南安東(太田切)
1915年11月町名変更:静岡市太田町(現葵区)



現在は道路下の暗渠(あんきょ:地下埋設の水路)となってしまって
その姿を全く確認することができませんが
かつて、北街道(きたかいどう:県道静岡清水線)沿いの
水落町(みずおちちょう)から上土(あげつち)の巴川まで横内川が流れていました。

現在の水落町交差点附近では
駿府城のお堀の水が文字どおり横内川に落ちていたということです。


▽PKの「街道ぶらり旅(08年10月09日放送)」から(戦前の風景だと思われる。)


上記の写真のように横内町(よこうちちょう)、太田町(おおたまち)、銭座町(ぜんざまち)あたりでは
北街道の真中を横内川が流れていて生活用水としても利用されていたようです。

さすがにこの風景は知らないのですが
さらにその先の沓谷(くつのや)から上土(あげつち)にかけて
現在の道路幅の南半分を占めるほどの大規模な川となって流れていた記憶はあります。

大昔はともかく
当時('60年代はじめ)は、お世辞にもきれいな川とは言えないような状態でしたので
けっして、いい印象ではありませんでしたが
もし道路の幅員を36mぐらいにして真中を浄化された川が流れていたりしたら潤いのあるいい通りになったかもしれません。


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風変りなそばや

2009年05月24日 23時23分23秒 | 街かどのメヌエット
▽カンガルーやラクダなどの絵が貼られた北街道沿いの“そばや”(葵区 鷹匠一丁目4番)



ちょいと風変りな“そばや”のようです。気になる方はこちらをどうぞ

→ ▼カレー南蛮百連発:028
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きょうの青葉どおり

2009年05月23日 14時00分00秒 | 街かどのメヌエット




朝から大変な人出です。
何の“もよおし”かと思ったらフリーマーケットでした。

それにしてもすごい動員力です。




こちらは、市の学校、清掃、動物園などの
現業職場で働く人たちによる市民まつりです。

豚汁の試食や花の苗の無料配布などが行われていました。

毎回行なわれていた小動物のふれあいコーナーは
都合により中止ということでした。
これもインフルエンザの影響なのでしょうか?
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あゆのぼり

2009年05月22日 18時18分18秒 | 街かどのメヌエット
▽アユ解禁を伝える5月20日のPK(NHK静岡)のローカルニュース



子どものころからどうも釣りは性に合わず、好きではありませんでした。

それでも季節の話題として、このようなニュースが流されるのは悪くはないと思います。



▽葵区人宿町一丁目(ひとやどちょういっちょうめ)1番地附近



そんな季節になると、この人宿町通りにある飲食店では店頭にアユノボリが掲出されます。

こちらの方は、アユ釣りが好きで趣味と実益を兼ねているようです。
(違っていたらごめんなさい)

▽七間町10番地附近(七間町の横丁にあるイタリアンの店、多分同じ経営だと思われる。)



▽葵区御幸町(みゆきちょう)4番地附近



こちらは御幸町のポワソン(POISSON)ビルです。

アユとなんの関係もありませんが・・・(笑)

魚料理のレストランが入っているわけではなく
水産会社が建てたビルなのでポワソンなのだと聞いたことがありますが
さだかではありません。
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臨濟寺 (りんざいじ)

2009年05月21日 12時00分00秒 | 駿府のバラード
▽ 臨濟寺正面(葵区・大岩町・7番)

▽方丈前

▽ 庭園は数年先まで改修工事中です。右手奥に見えるのは茶室です。

▽ 竹千代君手摺之間
(人質時代の家康がここで雪斎禅師に学問を授けられたという)

▽ 手摺之間の天井です。

▽ 義元公廟の説明

▽ 義元公廟 (訪ねた時間が遅くすでに扉は閉められています。)

今川の時代の駿府はどのような町であったのか考えることがあります。
自分の頭のなかに描くイメージとしては、
賤機山(しずはたやま)を中心に据えて
西の京と言われる現在の山口市の印象を重ね合わせたりするのですが・・・・

今川の時代の駿府の町そのものは武田勢によって
ことごとく焼かれてしまっているせいか
駿府の地図というと家康以降のものしかなく
当時の地図や資料などは残っていないようで
町割りの町名などが断片的に判明しているだけのようです。

そんな状況のなかで「臨濟寺」は
数少ない今川の時代をしのぶことのできる場所かもしれません。
(余談ながら、静岡市民は「りんさいじ」と言うことが多いのですが、
 正式には「りんざいじ」です。)

このお寺は、禅宗系のお寺で修行の場であるため
通常は拝観することはできませんが、
近年、年に2回ほど拝観することが許されるようになったようです。

一昨日の5月19日は、
今川義元公の命日忌であるため特別公開がされるため訪ねてみました。

午前中、所要があり現地に着いたのが受付時間ぎりぎりの2時半でしたので
大急ぎでの拝観となってしまいました。
1年ぶりだったのですが、忘却していたところもあり、
思いを新たにして拝観いたしました。

なお、写真は「shizuokanohahaさん」が鮮明に撮っていらっしゃるので、そちらも御覧になってください。

shizuokanohahaさんのブログ「しぞーかとわたし」


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静岡駅前交番

2009年05月18日 12時52分37秒 | 街かどのメヌエット
静岡駅前交番が静岡駅ASTYの前あたりに移転するようです。
今は三菱東京UFJ銀行の前の歩道に「仮設」のような状態で設置されています。
仮設のようなと言っても、もうかれこれ10年近くそこにあります。

静岡駅前の整備事業に翻弄されたかのようですが
今度は安住の地になるのでしょうか(笑)


▽完成間近の静岡駅前交番



▽現在の駅前KOBAN



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静岡駅前地下道の展示スペース

2009年05月16日 18時00分00秒 | 街かどのラプソディー



JR静岡駅前公共地下道に
絵画等を展示するスペースが
あります。

場所は
三菱東京UFJ銀行前の歩道の地下に
あたる附近で
本来は広告スペースである場所を
6~7面ほど使って設けられています。

現在、そこでは
緑化推進運動のポスターのコンクールの
受賞作品が展示されています。

あらためて
展示されているものを見てみると
なかなかの力作ぞろいです。

ただ、残念ながらここを通る人の多くは
展示されていることさえ気が付かず
通り過ぎてしまいます。

もともとここは
本来は商業広告のスペースであるのを
あまりよい場所でないため
遊休スペースとなってしまいがちなので
それなら展示スペースとして
有効に活用しようということで
設けられたのではと推測されます。

それでも
もう少し展示するのにふさわしい
雰囲気があるといいと思うのですが・・・

この緑化推進運動のポスター展にかぎらず
公的機関が主催する絵画や写真のコンクールなどの作品が
よくここで展示されているのですが
いかにせん、ここは地下通路というおもむきで
作品を鑑賞しようという雰囲気感に乏しいのです。

せっかく入選してここへ貼りだされた
子どもたちにも気の毒のような気がしてしまいます。


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東京生命跡のビル

2009年05月15日 18時30分00秒 | 街かどのラプソディー
▽2階建てのビル(真中のビル)、看板だけは大きなものができるようだ。
  (向こうに見えるのは、紺屋町再開発ビル)



ここは
破たんした東京生命の静岡支店ビルがあった
静岡駅前の御幸町8番地付近

取り壊されたビル跡に建設中だった新しいビルが
完成間近のようだ。

はっきり覚えていないが
壊されたビルは6階建てくらいだったので
そのビルを壊して新しくつくるからには
当然にそれ以上高いビルが建てられるのかと思っていたら
なんと2階建てのようだ。

未曽有の減速経済で
こうなったのかも知れないが
地価の高い場所に2階建てはもったいないと思ってしまう。


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葵まつり その3

2009年05月15日 08時00分00秒 | 駿府のバラード
葵祭:その2  のつづきです。


▽ 昼間のいかずち神社
(余談ながら、静清信用金庫の本店は、かつて七間町通りにありました。)
 



葵祭の本祭は、14日の午後5時からでした。

 本祭の内容は、こちら を御覧ください。



▽ 「福徳みくじ」に多くの人が並んでいました。
 (街なかにも存外子どもがいるのです。) 

▽ 模擬店も盛況

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立場(たてば)番外編 : やぶきたの元祖

2009年05月14日 07時00分00秒 | 駿府のバラード
立場:その4 のつづきです。


せっかく旧東海道を歩くのだから
このまま江戸は柳沢吉保の下屋敷あたりまで
歩いて行ったらどうかというお話もあったのですが
今のところ、そこまで元気はありません。(笑)

でも、せっかくですから
街道からちょいと寄り道をして
「やぶきた」というお茶の原樹を見てから帰りましょうか。

それは、清水区中之郷一丁目8番の角を
県立美術館方面へのだらだら坂を300mほど
上がったところにあります。

「やぶきた」は
茶の優良品種の発掘に全生涯をかたむけた
杉山彦三郎(1857年、※有渡郡中吉田生まれ)氏が
中林という竹やぶの北側で生まれた茶に命名したものだということです。

現在、全国で最も多く栽培されているお茶は
この「やぶきた」という品種で
特に県内では、ほとんどが「やぶきた」だそうです。

つまり、この1本の原樹が
全国の大半のお茶畑の大素ということなのでしょう。


▽ 途中にある静清土地区画整理事業完成記念の碑
 (「だいだらぼっち」を表しているらしい)

▽県の天然記念物に指定されている「やぶきた原樹」(駿河区 谷田24番)
 (谷田159番地(区画整理事業と住居表示の実施で町界が変わり現在の中吉田41番)から移設)


▽“やぶきた”には関係ないが、中之郷から草薙にかけては植木屋さんが多い
     (清水区中之郷一丁目9番)


※中吉田の変遷
市町村制度成立以前=「有渡郡中吉田村」
1889年=有度村成立「有渡郡有度村中吉田」
1896年=有渡郡が安倍郡に編入のため「安倍郡有度村中吉田」となる。
1955年=有度村が清水市へ編入「清水市中吉田」
1958年=旧有度村の一部を静岡市へ編入のため「静岡市中吉田」となる。
    このとき静岡市へ編入されたのは中吉田のほか平沢、谷田の一部(現駿河区谷田)、                中之郷の一部(現駿河区弥生町)
 2005年=政令市に移行「静岡市駿河区中吉田」


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西日が暑い

2009年05月13日 23時59分59秒 | 街かどのラプソディー
きょうも5月にしては、とても暑い一日でした。
それでも湿度が低く、風もあったためか
外を歩いている分には
存外、すごしやすかったのですが・・・・





市庁舎の横を通ったら
1階ラウンジに
あまりこぎれいでない紙がべたべた
貼ってあります。





何事かと思って玄関から
中をちょいとのぞくと
そこでは定額給付金の相談コーナーが
臨時に開設されていました。

相談コーナーの担当者が並んだ背中に向けて
西日が当たり
とても暑さに耐えかねて
(冷房はまだ入っていません)
ポスター等を貼ってある隙間を裏から
再生紙を包んであった紙を利用して
ふさいでいるのでした。

事情がのみこめて
思わず笑ってしまいました。

それにしても
思いつきのばらまき政治のために
西日に耐えなければならなくなった人がいるのですね(笑)
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府中・江尻間の立場 (たてば)  その4

2009年05月13日 05時30分00秒 | 駿府のバラード
立場:その3 のつづきです。

▽静岡鉄道、県総合運動場駅


県総合運動場駅の前の道をさらに進みます。
このあたりは、区画整理によって街区の形状が変えられてしまっているため
街道が100mほど途切れてなくなってしまっています。

そこで仕方がないので(笑)
駅前の道を進んで突き当りを右へ折れ、南幹線を渡ります。
この先の国吉田四丁目9番街区と10番街区の間が旧東海道です。
つまりここから旧東海道は、南幹線の1本南側の道を、ほぼ平行して進むことになります。
というより、旧東海道の北側に南幹線ができたというのが本来でしょうが(笑)

このあたりは住宅街というおもむきで
やはり街道らしき風景はほとんどありません。
それでも、このような店もあります。(国吉田四丁目12番)


500mほど進むと東名道の橋脚が見えてきます。
ここは、かつての吉田川が流れていたところです。

一応、ここで立場(たてば)の東側の終着点ということですが
その手前あたりは、江戸期には立場として最も賑(にぎ)わったところかもしれません。

というのは
現在アンドーというスーパーがある場所は
江戸期には「稲葉屋」という休憩茶屋があり
小吉田名物の「桶ずし(長門ずし)」が売られていたところだからです
往時をしのぶものが何もないのが少々残念ですが・・・・

余談ながら
それまで量り売りだけだったワサビ漬けを
鉄道開通後、小さな桶状の容器に入れて
静岡駅などで売りだしたのは
この桶ずしの桶がヒントになったのだということです。


▽スーパーアンドー(国吉田四丁目6番)


▽吉田川の西側のたもとにある稲葉屋(世界すし博での展示から)

▽同じ位置(東名道の下)から

▽300mほど東にある現在の吉田川

▽名物の小吉田の長門寿司の桶、直径10cmぐらいで存外小さい(世界すし博での展示から)

▽街道沿いの民家の下がり藤



<参考:山内政三著、静岡市の百年>

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