駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

大道芸ワールドカップ開幕

2008年10月31日 14時38分16秒 | 街かどのメヌエット
静岡で「ワールドカップ」と言ったら大道芸のことです。
きょうから第17回大道芸ワールドカップイン静岡が始まりました。
21カ国から92組が参加します。
11月3日までの予定で駿府公園や旧静岡市の中心市街地などで開催され
期間中の人出の予想は200万人で、今や4月の静岡まつりをしのぐほどです。


▽札の辻



▽野生(?)のキリンも出現(呉服町二丁目5番地付近)



▽モーツァルトのホルン協奏曲にのって(七間町3番地付近)

駿府ライナー

2008年10月31日 13時00分00秒 | 電車・バス
▽新静岡7:00発の上り駿府ライナー2号(11月1日からは4号となる)


新静岡~新宿新南口間を走る“しずてつジャストライン(以下「しずてつ」)”と“JRバス関東”の高速バス「駿府ライナー」が11月1日から、現在の6往復から7往復に増便されるということです。

JR東海道線の静岡~東京の直通電車がほとんどなくなってしまったこともあって、利用状況は堅調のようです。

増発されるのは
新静岡発 6:00
新宿発 20:20です。

なお、増発分は、JRバス関東便となるため、しみずライナー(東京駅~清水駅・折戸車庫)のJRバス関東便を
1往復“しずてつ”へ振替えて調整するようです。

時刻表はこちら




静岡市内発着の東京方面の平日昼行バス本数(かなりの本数に驚かされる)
・JR東名ハイウェイバス(静岡駅~東京駅)17往復
 [JR東海バス・JRバス関東]
・渋谷新宿ライナー(東静岡駅・静岡駅~渋谷・新宿駅)4往復
 [JR東海バス・京王バス東]
・駿府ライナー(新静岡~新宿駅)7往復
 [JRバス関東・しずてつ]
・しみずライナー(折戸車庫・清水駅~東京駅)6往復
 [JRバス関東・JR東海バス・しずてつ]

府中は不忠か

2008年10月28日 08時10分28秒 | ナイーブなモノローグ
▽駿府城巽櫓(たつみやぐら)


▽発掘された本丸堀(内堀)、向こうに見えるのは東御門(左)と巽櫓



かつては「府中」と言われていた「静岡」ですが、
現在「府中」とよばれることはほとんどなく
地元の地名や施設の名前に採用されている例も皆無といった状況です。

もちろん
府中という地名は全国のあちらこちらにあって
区別しづらいということも理由のひとつだとは思います。
それにしても全く使われていない現状は
ちと徹底しすぎているような気がします。

考えられることは
静岡が徳川宗家(そうけ)の言わば本拠地
(最後の将軍の慶喜のあとの16代家達が
短期間とはいえ一大名になりさがって静岡に来たことは、
静岡の人以外にはあまり知られていないのかもしれませんが・・・)
であったことが大きく影響していると思われます。

それまでとは立場が逆転したので、
新政府ににらまれたりしたらたまらないと
相当気を使っていたのでしょう。
なにしろ、「府中」は「不忠」に通じるからと
「府中」の名を捨て去り、「静岡」に改称してしまったのですから・・・

府中が不忠に通じるというのは
京都の方広寺の梵鐘に刻まれた「国家安康」の文字に難癖をつけられ
豊臣家を滅ぼす口実にされてしまったような
今となっては少々滑稽な“はなし”なのですが
当時としてはそれこそ真剣に考えられていたのでしょう。

(まあ、「江戸」も「東京」と改称されてしまったので、当時はそれが普通で、
特別なことではなかったというとらえ方もあるのかも知れませんが・・・)

また、明治政府に媚をうるかのように
駿府城址に34連隊を積極的に誘致したことなども
そういった当時の世の中の気配に配慮した(最近は「空気を読む」というらしい)
考え方の延長上にあるのでしょう。
(したがって、駿府城本丸堀を壊すなど、なんのためらいもなかったのでしょう。)

そういった時代背景から
「府中」が全くと言っていいほど使われなくなり
「駿府」がより多用されるようになったように思われます。

(もし、静岡と改称されていなかったら
県名も「府中県」になっていたかもしれないなどと
他愛もないことを考えたりもします。)


以上、もちろん文献等に裏打ちされたものではなく
主観的、独善的な思考に基づくものです。
田舎の爺さんの繰り言程度に読んでいただけたら幸いです。



静岡みこし祭 (suite)

2008年10月27日 05時55分55秒 | 街かどのメヌエット
26日のみこし祭のようすです。
(夕方まで所用があり、すべてを見ることはできませんでした。)

▽七間町をゆく(清水港会は常連のようです。)


▽青葉どおりをゆく


▽太鼓の台枠に身を乗り出しての面踊りは駿府の特長



静岡みこし祭

2008年10月25日 21時50分47秒 | まつり・イベント


10月25日(土)・26日(日)の日程で「第20回静岡みこし祭」が旧静岡市の中心商店街で行われている。

この祭は、静岡の伝統産業である家具や木工の技術を“みこしづくり”に生かし、5年・10年といった程度の短い期間ではなく、数十年といった長い期間を見据えて、静岡を“みこし”の一大産地にしようという企てのなかで、まず地元の“みこし”を知ってもらおうという趣旨で始まったそうだ。

25日は言わば前夜祭で、本格的なみこしの登場は26日になる。


▽駿府伝統の木遣歌(江戸・町火消しの新門辰五郎が伝えたと言われる)


▽ミニ屋台も登場


▽単に「府中」といったら当然静岡のこと
(東京都下や広島県の府中を指すようになったのは歴史から言えばつい最近のこと)

 
▽新門辰五郎を初代とする木遣の系図

大津祭

2008年10月24日 16時10分11秒 | 街かどのメヌエット
 


△こんこんちきちんのおはやし


10月12日に行われた大津祭のようすです。

関東の清楚な感じの山車(静岡の二十日会祭の山車も江戸型の典型です。)とは違って、いかにも京風な雅で豪華な13台の曳山が巡行されます

おはやしも京都の祇園祭に通じる典雅で格調の高いもので、関東の粋でいなせなものとは対極なものです。

大津の街は空襲にあわなかったようで、往時の賑わいを感じることができる町並を行く曳山が本当に自然でうらやましいかぎりです。

大津祭のHP


▽車輪は真っ直ぐにしか進めないのですが、3輪式なので交差点を曲がるのは比較的楽なようです。
(それでも一気に曲るという分けにはいかない。)


▽後方の豪華な見送り幕



撮影地
(中心部は住居表示で「中央○丁目」という町名になっていて、昔の町名が残っていないのが残念。曳山は動く文化財ということだが、町名も守るべき文化では?)



呉服町六丁目(ごふくちょう ろくちょうめ)

2008年10月20日 15時17分29秒 | 駿府96か町のいま

 △呉六にもチョコクロが・・・   △今年の大道芸ワールドカップは10月31日から11月3日まで




△ハンガリー風の外観の旧六丁目


「旧 呉服町六丁目」は、呉服町通り沿いのうち、玄南通りとの交差地点から江川町通りとの交差地点までの1丁(約108m)の町(いわゆる両側町)でした。
(呉服町の六丁の中でも一番はずれにある町ということになるが、現代の感覚では最も静岡駅に近い町と言うことになる。)


この旧呉服町六丁目は、旧二丁目から五丁目までの「呉服町名店街」とは別の商店街組織となっていて「呉六名店街」を名乗っています。
町並も呉服町名店街とはちょいと趣が変わっていて、独自の商店街づくりをしています。

なお、この旧呉服町六丁目の一画は、県の地価調査で常に県内一の地価と発表されています。(税務署の路線価では、1ブロック先の紺屋町が基準地に選定されている。)
地価が高いということは、資産価値の面でいえばたしかにメリットがあるのでしょうが、反面、相続税や固定資産税も高くなるので、地道な商売はできにくいということなのでしょう。(昔からの和菓子屋や漆器店がなくなり、宝石店やドラッグストアが増えたりという傾向と無関係ではないような気がします。)


▽駿府浪漫バスが通る。


▽呉六では、いろいろな意味でこの店ははずせないでしょう。
「ツヒノスミカ」のおばあちゃん、いつまでも元気でいてください。)



旧呉服町六丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町二丁目6番地、7番地、8番地(町名変更は1945年)



アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。




呉服町五丁目(ごふくちょう ごちょうめ)

2008年10月19日 15時15分15秒 | 駿府96か町のいま
▽五丁目のオブジェ
「かんざし」をモチーフにしたベンチ、歩道は赤色の御影石を使って「格子織」を表現しているとか・・・

▽3・4階に統一されている商店街のなかで、9階建ての“ふしみや”のビルが目立つ。
(この場所は70年ごろまで三菱銀行があった。ふしみやは現在の静岡谷島屋のB館(向って左側)のところにあった。)


「旧 呉服町五丁目」は、呉服町通り沿いのうち、下石町通り(現青葉通り)との交差地点から玄南通りとの交差地点までの1丁(約108m)の町(いわゆる両側町)でした。

呉服町通りでは老舗の和菓子屋などがなくなり、ドラッグストアなどが増えているとはいえ、この五丁目には今でもかなりの老舗があります。
1607年創業の伏見屋(ふしみや)
1687年創業の三保原屋
1781年創業の竹茗堂(江戸期は七間町だったようだ)
等が代表格でしょうか。

なお、1945年の静岡大火を受け、耐火建築促進法(現:防災建築街区造成法)の適用により
呉服町通りの不燃化が積極的に進められましたが
この五丁目の南側のブロック(三保原屋・竹茗堂・タカラ堂がある側)の不燃化が
1957(S32)年に最も早く完成しています。


【1927(S2)年発行の地図、旧呉服町四丁目・五丁目・六丁目あたり】
 一丁目、二丁目、三丁目同様、銀行と呉服屋が目立つ。
また、北側は用水路を境に武家地だった場所(現:市庁舎等)には戦前まで御用邸があった。
(呉服町に接する追手町が必ずしも碁盤の目状になっていないのは武家地であったため)


橙枠:現在もある店
黄枠:現在は別の場所にある、又は最近(10数年以内)まであった店。
<1927(S2)年発行「大日本職業明細図之内静岡市」木谷佐一編、東京交通社発行(静岡市立図書館蔵)>


▽間口狭小・奥行長大の城下の典型的な店構えの三保原屋
(余談ながら、よく「静岡の商店は殿様商売で愛想が悪い」などと言う人がいるのですが、この三保原屋の接客態度などみると一概にそうばかりではないと思うのですが)

▽五丁目の街並み(南側)



旧呉服町五丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町二丁目3番地、4番地、5番地(町名変更は1945年)


アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

⇒ 呉服町六丁目へ

呉服町四丁目(ごふくちょう よんちょうめ)

2008年10月16日 04時05分06秒 | 駿府96か町のいま

▽四丁目のオブジェ
    
上は天秤(?)、下はかんざし(?)をモチーフにしたベンチ
       
▽1826年創業の唐木屋薬局:ここが四丁目であったことが分かる
 
▽ここを本来の目的に使っている人を初めてみた。(雨上がりで座面が濡れていたため反対側に座っている)このベンチのモチーフは・・・う~~ん(!!!)
 


「旧 呉服町四丁目」は、呉服町通り沿いのうち、七間町通りとの交差地点(いわゆる札の辻)から下石町通り(現青葉通り)との交差地点までの1丁(約108m)の町(いわゆる両側町)でした。

上方方面からの旧東海道は、七間町通りを北進して札の辻交差点で直角に東へ曲がります。
したがって、旧呉服町四丁目以東は当然に旧東海道ということになるのですが、この当り前のことだと思っていたことも、最近は知らない人もけっこういるようです。
それというのも、七間町通りもそうなのですが、呉服町通りには旧東海道であることを表示するものがいっさいないので、知る機会もないのかもしれません。

それはともかく、静岡の繁華街は旧人宿町三丁目、七間町通り、呉服町通りと旧東海道沿いに繁華街が形成されています。
(静岡の中心商店街は、個人的には東海道沿いの繁華街がたまたま静岡駅方向に延びたにすぎないと思っているので、TVなどで駅前の紺屋町以外の七間町や呉服町も含めて十把一絡げに「駅北の繁華街」という言い方をされるのには多いに違和感を感じています。)

このうち、旧呉服町四丁目~六丁目は1960年ごろいっせいに不燃化対策として共同ビルに建て替えられました。
(建て替え中に、青葉通りに仮店舗が作られていたのは覚えているのですが、建て替え前の呉服町通りの様子は、残念ながら明確な記憶がありません。)

この不燃化対策が短期間にいっせいに行われたということは、商店街の振興ということはもちろんなのですが、1940年の静岡大火が、中心部からはやや離れた場所(新富町一丁目28番地の馬力屋)で発生した火災にもかかわらず、その飛び火によって中心部が全面的に焼けてしまったということが、当時はまだトラウマのようになっていたのではと思われます。

この呉服町の近代化を契機として、七間町と呉服町の地位が逆転したような気がします。
当時としては画期的な不燃化対策でしたが、商店街としての統一感は見事に図られているものの、現在の感覚からすると各商店が没個性化しているのも否めないような気もします。


▽インテリアの八幡屋の店先はいつも楽しい

▽北側の角はかつて協和銀行が、その向こうの5風来館の場所には70年ごろまで静銀呉服町支店があった(その後ユニー等を経て、現在は無印良品・スルガ銀行)



旧呉服町四丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町二丁目1番地、2番地(町名変更は1945年)


アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

⇒ 呉服町五丁目へ

呉服町三丁目(ごふくちょう さんちょうめ)

2008年10月11日 21時00分00秒 | 駿府96か町のいま


<旧UFJ銀行跡も雑居ビル風に>

 
<すみやも今では楽器部門を除いてツタヤの傘下>
<旧富士銀行跡の戸田書店仮店舗、その隣は池田屋と偶然にも清水組が並んだ>


「旧 呉服町三丁目」は、呉服町通り沿いのうち、人宿町(ひとやどちょう)通りとの交差地点から七間町通りとの交差地点までの1丁(約108m)の町(いわゆる両側町)でした。

現在、この街区の南側1ブロックすべてが静岡伊勢丹となっています。
(かつての田中屋百貨店時代は、西側半分を占めるにすぎませんでした。)

北側の一画の中央の“すみや”の前身である角屋の創業は1896年とか、木造であったころ、西側の楽器売り場側の入口にはビクターのニッパー犬が鎮座していたのは、もう本当に遠い昔のことになってしまいました。


▽三丁目のオブジェ【天秤(?)をモチーフしたベンチ】

▽南側の一画すべてを占める静岡伊勢丹


【1927(S2)年発行の地図、旧呉服町一丁目・二丁目・三丁目あたり】

三丁目には愛知銀行(東海銀行前身)・すみや洋品店・シャツの田中屋などの表記が・・・
(一丁目の北側、東から2軒目は見づらいが「谷島書籍店」)

橙色:現在もある店(静銀本店の建物は「三十五銀行新築地」になっていてまだできていない)
黄色:現在は別の場所にある、又は最近(10数年以内)まであった店。

<1927(S2)年発行「大日本職業明細図之内静岡市」木谷佐一編、東京交通社発行(静岡市立図書館蔵)>


旧呉服町三丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町一丁目6番地、7番地(町名変更は1945年)


アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

⇒ 呉服町四丁目へ

よってきな!

2008年10月11日 15時37分20秒 | まつり・イベント

<七間町5番地付近>

「第3回「静岡おでん祭」が11、12日の日程で開催。
11日は、天気がはっきりしなかったせいか、それとも少々あきられたのか、はたまた同じ日程で青葉通りで開催されているあさひテレビまつりのラーメンフェスタに客が分散してしまったのか、過去の賑わいに比べるとやや客の数が少ないような印象であった。


<青葉どおり>


呉服町二丁目(ごふくちょう にちょうめ)

2008年10月09日 13時08分23秒 | 駿府96か町のいま


<呉服町二丁目にあるアーチ>

ここで言う呉服町二丁目は、現在の呉服町二丁目ではなく 「旧 呉服町二丁目」です。
「旧 呉服町二丁目」は、呉服町通り沿いのうち、上石町(かみごくちょう)通りとの交差地点から人宿町通り(静岡伊勢丹西角)との交差地点までの1丁(約108m)の町(いわゆる両側町)でした。

旧呉服町二丁目の西側には、商店街の入口を示すアーチがあり、呉服町名店街(旧二丁目~旧五丁目)という商店街はここから始まります。
アーチは、普段なにげなく見ていると全く気が付かないのですが、よく見ると昔の旅人風のオブジェが付けられていることが分かります。

このあたりは、商店街といっても、銀行や事務所が大半である旧一丁目の続きという雰囲気もあってオフィースの間に商店があるという感じです。

それでも刃物の菊秀(1923年創業)、和菓子の“みの善”などの老舗を見出すことができます。



<旧呉服町二丁目の商店>


旧呉服町二丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町一丁目3、4、5番地(町名変更は1945年)


アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

⇒ 呉服町三丁目へ

開業100周年の静鉄静岡清水線

2008年10月08日 09時04分46秒 | 電車・バス
▽新静岡駅停車中の1000系電車

▽ルルカ(静鉄のICカード)のラッピング電車


静岡鉄道・静岡清水線に「開業100周年」のヘッドマークをつけた電車(1000系)が走っています。
開業当初の主目的は、製茶問屋が集中する旧静岡市の安西地区(安西~鷹匠町(新静岡)は1962年廃止)から清水港まで、お茶を運ぶためでした。
(明治から昭和初めにかけては、お茶の輸出が非常に盛んであった。また、両端のターミナルがJR駅とやや離れているのは、こういった設立の経緯からです。)

現在の静鉄線は、並走するJRの10分間隔に対抗してデイタイムは6分間隔で運行、全駅ICカード対応の自動改札機設置と地方私鉄としてはがんばっています。

※静岡清水線が100周年で、静岡鉄道の100周年ではありません。

幸福せんべい

2008年10月07日 23時23分23秒 | 街かどのメヌエット


中町交差点の幸福せんべい(追手町46番地)が閉店。
告知文によると、現在の建物は耐震性に問題があるため建て替えるとか・・・
ただ、新しいビルができたら再開するようなことはいっさい書いてないので
このままなくなってしまうのかもしれません。
(昭和がどんどんなくなっていくようです。)

追 記
静岡市は幹線道路沿いの耐震基準を満たしていない鉄筋の建物は
大災害時に道路側に転倒するなどして道路をふさいで災害救助など
に抵触するとして建替えを進めています,。



 追手町46番地附近
 (追手町は住居表示地区ですが,
 この街区は呉服町一丁目と道路等で分れていないため住居表示制度が未実施で地番表示)


呉服町一丁目(ごふくちょう いっちょうめ)

2008年10月06日 06時06分06秒 | 駿府96か町のいま
▽呉服町通りの静岡駅から最も遠いこの地点が本来の呉服町通りの入口。
(静岡駅側は言わば裏口で、駅を中心に発展した新興都市とは違う。)



こここで言う呉服町一丁目は、現在の呉服町一丁目ではなく「旧 呉服町一丁目」です。
 〈位置はこちらを御覧ください。)

現在“呉服町”を冠する町は「呉服町一丁目」と「呉服町二丁目」の2カ町ですが、
駿府96カ町においては、「呉服町一丁目」~「呉服町六丁目」の“6カ町”でした。
(何度も書きますが、駿府における「丁目」は、町名の下位区分ではなく、町名の一部と解すべきです。)

丁目の付け方は駿府の町名の原則どおり、城から見て右手(つまり静岡駅から遠い方から)から
一丁目、二丁目・・・六丁目と、1丁(約109m)ごとに付けられていました。

したがって「旧 呉服町一丁目」は、呉服町通り沿いのうち、本通(ほんとおり)との交差地点から
上石町(かみごくちょう)通りとの交差地点までの1丁(約109m)の町(いわゆる両側町)でした。

1940年の静岡大火後の街路の拡幅・新設による町名変更で、
呉服町一丁目~呉服町三丁目の3カ町を 新「呉服町一丁目」、
呉服町四丁目~呉服町六丁目の3カ町を 新「呉服町二丁目」に再編されて、
呉服町を冠する町は現在の“2カ町”となり、
「丁目=1丁」という長さの関係は崩されてしまい、「○丁目」は単なる記号化してしまいました。

(1丁ごとの街区になっている中心市街地では、江戸期の原則どおりの町名が残されていれば、
現在各地で実施されている「新住居表示制度」よりよほど分かりやすかったのではと思われます。
単に行政効率優先で再編されてしまったのは、非常に残念なことです。)

呉服町と言うと商店街というイメージでしょうが、この「旧一丁目」にはほとんど商店はありません。
(したがって、「呉服町名店街」という商店街組織は、旧呉服町一丁目~五丁目の商店で組織されていますが
 実質的には旧呉服町二丁目~五丁目の商店の加盟となっている。
 なお、旧六丁目は「呉六名店街」という別の商店街組織となっている。)

「旧一丁目」で一番目立つのは、
何といっても静岡銀行本店(登録有形文化財指定)でその存在感を誇示しています。

この静岡銀行本店がある本通り(ほんとおり)との交差点は、
静岡空襲(1945(S20)年6月20日未明)の際の攻撃目標とされたということです。
なんでも、1940(S15)年の静岡大火の際の延焼の仕方の情報を米国は持っていて、
この地点を攻撃目標にすれば、最も効率よく当時の静岡市の市街地のすべてを焼き尽くすことができるという判断されたからだそうです。

なお、この交差点にあったかつての市内電車の停留所名は「呉服町」でした。


▽1931年建築の登録有形文化財に指定の静岡銀行本店


▽本通り側から見る:呉服町通りを挟んで静銀の向こう側に屹立するのは「呉服町スクエアビル」




旧呉服町一丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町一丁目1、2、10番地(町名変更は1945年)


アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。

⇒ 呉服町二丁目へ