【2015年7月14日、誤字等訂正】
江川町交差点の横断歩道設置工事のメインとも言うべき
電電ビル前の横断歩道設置は
準備工事がほぼ終了し
7月11日から横断可能となるようです。
ここに地下道が設置されて
歩行者の横断が禁止されたのは
1966年11月ですから
およそ半世紀ぶりに地上の横断が
できることになります。
それはともかく
今まで御幸通り側にあった
旧江川町の碑が
工事に合わせて横断歩道横に
移設されたようです。
江川町というのは
現在のおおむね江川町交差点から
両替町通りまでの道路(いわゆる江川町通り) 沿いに付けられていた町名です。
一方、御幸通りは
都市計画道路第1号として
1930年に開通した道路です。
昔はなかった道路沿いに旧町名の碑が設置されたことは
全く不可解だったのですが
一般市民はもちろん、市職員・議員の誰も疑問に思う人は
いなかったようで
長い間御幸通り側に設置されたままでした。
今回の移設は
単に、工事の都合からなのかもしれませんが
江川町通りの中ほどではなく
端に近い交差点であるとは言え
結果としては改善と言えるでしょう。
▽ 江川町と御幸町の関係
赤線の道路沿い(いわゆる江川町通り)が「旧江川町」で江川町=御幸町ではありません。
(緑線は新設された道路、御幸通りの「しずおか信用前~江川町交差点~静岡駅」はありませんでした。
また、直角に交わっていた旧東海道は交差点に接続されて五差路となりました。)
▽ 御幸町の町域 (2010年5月31日のブログの再掲)
・御幸町は1940年の静岡大火後の町名整理(施行は1945年)で御幸通り沿いに新設された町名です。
・橙色の線で囲まれた地域が御幸町です。
・赤数字は親地番(一見、住居表示の街区附号のようですが、区画整理後の地番を1筆ごとに
1番地、2番地、3番地、4番地・・・という従前の地番割は採用されず、街区に親地番を振り、
そのなかの1筆ごとに枝番を振る「回廊式地番割」が採用されたためで、住居表示の街区附号とは違います。
なお、町の界が道路となっていないことからも分かるように御幸町は現在のところ住居表示は実施されていません。
もし、実施されれば町境を道路や水路等の恒久的施設としなければならないため、伝馬町・栄町・紺屋町等に
吸収されてなくなってしまうことでしょう。)
また、御幸町1番地と2番地(旧江川町の一部で、現在の追手町1番・2番街区のうち江川町通りに面した側)は、1966年に追手町が住居表示された際、追手町に編入されました。
・緑色の線は御幸通りが開設された際、廃止された駿府城下の道路
江川町通りと直角に交わっていた旧東海道は、江川町交差点と5差路で交わるように付け替えられ
城下の碁盤の目地区を形成していた北東の一角が破壊されてしまいました。
・青色の線は旧東海道
7月9日追記
▽ 横断歩道の準備が完了し、信号機の点灯を待つだけとなった。
7月11日追記
▽ 半世紀ぶりに地上を横断する人々
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