>> <<引き続き、尾高からのノート。
— review (@myenzyklo) 2017年12月11日 - 23:09
こうした考え方に立つヘエゲルが、カントの国際連盟組織の構想に対して否定的な批判を下したことは、もとよりいうまでもない。国際連盟のような組織が基礎づけられるためには、いずれの国家の特殊意志をも拘束する法の一般原則があって、
すべての国家がこれを遵守することが必要である。しかし、国家間の条約は、各国家が「主権」を有することを前提としているから、それが守られるか守られないかは、結局のところ、各国家の特殊意志にに依存せざるを得ない。ゆえに、国際関係を規律する法の原則は、行われなければならないと言う
— review (@myenzyklo) 2017年12月11日 - 23:10
単なる「当為」であるにすぎない。いいかえるならば、それは実定法としての「効力」の保障をもたない。したがって、国家と国家との間には、条約にかなった関係が存することもあり、それが破られてしまうこともある。それが、国際関係の現実である。かような現実の国際関係から生ずる紛争については、
— review (@myenzyklo) 2017年12月11日 - 23:10
どちらが正しいかを裁くところの審判官は存在しない。あるのは、たかだかその仲裁者にすぎない。しかるに、仲裁というものもまた、仲裁者の特殊意志に依存するのであるから、それ自身偶然性をしかもち得ない。だから、国際条約が守られるのも、破られるのも、紛争が調停されるのも、
— review (@myenzyklo) 2017年12月11日 - 23:10
決裂するにいたるのも、すべて各国家の特殊意志によって左右されるのである。したがって、国家間の合意を基礎とする国際連盟もまた、いつ解消されるかわからないという運命を担うものであり、到底永久平和の保障とはなり得ない。そこで、ヘエゲルの場合には、
— review (@myenzyklo) 2017年12月11日 - 23:12
国家間の紛争は、関係諸国家の特殊意志の間の合致が成立しないかぎり、「戦争」によって決着される外はないという結論が生ずる。すなわちそれは戦争不可避論である。
— review (@myenzyklo) 2017年12月11日 - 23:12
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